アメリカ横断ウルトラクイズの第14回は、私たちスタッフにとって最も厳しいスケジュールで行われました。
というのも、14年目にして初めてアメリカ大陸を、車で横断しようというとんでもない案が出され、それを実行する事になってしまったのです。
それまでは「アメリカ横断」とうたっていながら、チェックポイントから次のポイントまでは、飛行機でスイスイと飛んで、移動していたのです。
ところが、1度くらいは東海岸から西海岸まで、車で本当に大陸を横断しようじゃないか、という案が出され、それを実現する事になってしまったのです。
そうなると、事前のロケハンも車で走ってみなければ、大変さが解りません。
そこで、6月の或る日、西海岸のシアトルからスタートして、オレゴン街道を手始めに、アメリカ大陸を西に東に走り回って、クイズの場所を探す旅が始まったのでした。
それにしても、アメリカ大陸は広いですね。
直線で結んでも6,000kmといわれています。
それをジグザグに走るのですから、ざっと計算しただけで9,000kmも走ったことになります。
普通の乗用車なら、1年半もかけて走る距離を、僅か3週間で走り抜けるわけですから、大変な重労働になります。
アメリカの大地を車で走った方が良く使う言葉ですが、
「走っても走っても地平線の彼方まで、一直線の道が続いている」
という表現があります。
↓有名なルート66

正にその通りで、大抵の場合、ドライバーにとっては眠気との戦いになってしまうのです。
そんなドライブをしていると、こちらが予想もしない場所に出会う事があります。
伝説の大スター、ジェームス・ディーンのお墓に出会ったのもそんなドライブの途中の事でした。
その頃のメモを見ますと、ミシガン湖畔のバッファローという町を朝早く発って、コロンバスに向かうとあります。
場所はインディアナ州のフェアマウントという町で、資料によるとジェームス・ディーンが高校を卒業するまでの9年間をこの町で過ごしたとありました。
更にこの町の公園墓地に彼が眠っていると記されていたのです。
そうと知ったからには、素通り出来るはずもありません。
何しろ彼は世界的な伝説のスターですから。
一体、どんなお墓で眠っているのだろう?
という野次馬精神が沸き上がってきたのです。
↓ジェームス・ディーン

先ずは、彼の記念館を訪れ、彼の歴史的な足跡を調べてみたのです。
彼は生涯に3つの大作映画に出演していました。
「エデンの東」翌年に「理由なき反抗」「ジャイアンツ」と立て続けに主演映画に出て、その後カリフォルニア州の国道で、愛車のポルシェ550スパイダーを運転中に事故死しています。
享年24歳という若さでしたす。
記念館を出た私達は、その足で公園墓地に向かいましたが、彼のお墓は直ぐに判りました。
その時の感想としては、世界的な彼の名声からすると、意外にも小さく質素なお墓なので驚きました。
只、年間を通じて、花が絶えたことがないほど、お参りに来るファンは多いらしく、流石は『幻の大スター』と納得したのでした。
↓ジェームス・ディーンのお墓

しかし、当時のスタッフの間ではジェームス・ディーンのお墓でクイズをやる理由がない、という事で、クイズ会場にはなりませんでした。
私から見ればジェームス・ディーンは大スターだったのですが、若いスタッフにとってはそうでも無かったようで、スタッフ間でもジェネレーションギャップがあるんだなぁ、と実感させられた一件でした。