カウボーイの聖地ペンデルトン

メリカ映画が全盛時代、実に多くの西部劇が製作されていました。
そしてそのほとんどの作品で、大活躍したのがカウボーイ達です。
最近ではカウボーイの活躍する西部劇が激減して、若い人達にはカウボーイといっても何のことやら理解できない人もいるようで、往年の西部劇ファンには淋しい限りです。
一説によると西部劇が減ったのは、白人がインディアンを迫害する場面が多いので、人権問題として数が減ったのだという事を聞きました。
それはともかく、広い西部を駆け巡るカウボーイは、男の子達の憧れであった時代がありました。
シントン州にペンデルトンという小さな田舎街があります。

↓ペンデルトン

pendeleton

当時の人口は1万5千人くらいの、周囲を畑に囲まれた街で、普段は「淋しい街」と言えますが、毎年9月になると、全米からこの街にカウボーイがわんさか集まってくるのです。
そして人口1万5千の街に3万人以上の観光客が集まり、壮大なイベントが行なわれます。
その代表的なのはRound-upと呼ばれるロデオ大会で、暴れ馬を乗りこなすカウボーイ達の腕試しが行なわれます。
毎年12月にはラスベガスでもロデオのワールドシリーズがあるのですが、9月のペンデルトンの大会もそれに匹敵するほど、話題になる大会なのだそうです。

↓Round-up

pendleton_roundup

また、変わった所では暴れる牛を押さえつけて乳を搾り出す、などという危険な競技も行なわれます。
このお祭りの期間には全国からインディアンが天幕をもって集まり、多い年には200張りもの天幕が張られる事が有るのだそうです。
つまり、この地では、毎年古き良き西部開拓時代が繰り広げられると言うわけです。
我々は、この9月のカウボーイの祭りに合わせて、再度この地を訪れる事を約束し、次の場所を探す旅に出発したのでした。
この様に、こちらの都合では日程がずらせないチェックポイントもあるので、ルートを決めるのは毎回頭を悩ませます。

撮影場所が見つからない!「シェ-ンの家はどこ?」

メリカ横断ウルトラクイズ第14回のロケハンはアメリカ大陸を車で横断しました。
旅が始まって4日目に訪れたのがワイオミング州のグランドテイトンです。
が高校時代を送ったのは、昭和30年代で、その頃の娯楽といえばアメリカ映画を観るのが最高の贅沢だったように記憶しています。
思えばアメリカ映画もこの頃が全盛期で、この時代には数々の名作が作られていたようです。
私は個人的に、思い出の名画の舞台を自分の目で見ることが出来るので、ロケハンでアチコチ走り回る仕事につけた事を嬉しく思っていたのです。
その意味では、グランドテイトンへのロケハンが出来るのは、その前からとても楽しみだったのです。
高校生の頃に観た「シェ-ン」の舞台がこのグランドテイトンだったからです。
この地はスイスのように美しい風景でした。
↓グランドテイトン

grand_tetons

因みに「シェ-ン」とはアラン・ラッドが主演の西部劇で、拳銃使いのカウボーイが、草原の1軒家に住む母と少年を助けるヒューマン物語で、アラン・ラッドが悪漢達を早撃ちで倒して、去って行くラストシーンが多くのファンの涙を誘った名画でした。
少年ジョーイが
「シェ-ン、カムバック!」
と叫ぶのですが、シェ-ンはそのまま馬で、グランドテイトンの山に向かって去っていきます。
↓シェーン

シェーン

の映画の舞台となった1軒家が、映画の撮影された後も、そのままの形で残されているという情報がありましたので、その家を探すために草原の中を何時間も車を走らせました。

それらしい家を2軒発見しましたが、映画では家の側を川が流れているはずなのに、その川が見つかりません。
一緒に案内をしてくれたグランドテイトンレンジャーも、ここが確実にそうだ、と言い切れる家を見つけること
出来ず、ようやく発見したのは陽が暮れる寸前の事でした。
勿論、クイズはこの地で行い、オールドファンにとっては嬉しい内容になったはずでした。
↓シェーンの家?

 シェーンの家らしきもの

グランドテイトンは、昔スクリーンで観た美しい姿がそのまま残されていて、感動ものでした。
メリカの景色といえば、グランドキャニオンに代表されるように、荒々しい壮大さが特徴のような印象がありました。
しかし、このグランドテイトンのように、優雅な風景もあるのを知って、アメリカへの考え方も大いに変化したのでした。

グランドテイトン_記念写真

ウルトラクイズの場所選び「伝説の人気スターのお墓は?」

メリカ横断ウルトラクイズ第14回は、私たちスタッフにとって最も厳しいスケジュールで行われました。
というのも、14年目にして初めてアメリカ大陸を、車で横断しようというとんでもない案が出され、それを実行する事になってしまったのです。
れまでは「アメリカ横断」とうたっていながら、チェックポイントから次のポイントまでは、飛行機でスイスイと飛んで、移動していたのです。
ところが、1度くらいは東海岸から西海岸まで、車で本当に大陸を横断しようじゃないか、という案が出され、それを実現する事になってしまったのです。
そうなると、事前のロケハンも車で走ってみなければ、大変さが解りません。
こで、6月の或る日、西海岸のシアトルからスタートして、オレゴン街道を手始めに、アメリカ大陸を西に東に走り回って、クイズの場所を探す旅が始まったのでした。
れにしても、アメリカ大陸は広いですね。
直線で結んでも6,000kmといわれています。
それをジグザグに走るのですから、ざっと計算しただけで9,000kmも走ったことになります。
普通の乗用車なら、1年半もかけて走る距離を、僅か3週間で走り抜けるわけですから、大変な重労働になります。
メリカの大地を車で走った方が良く使う言葉ですが、
「走っても走っても地平線の彼方まで、一直線の道が続いている」
という表現があります。

↓有名なルート66

Route66

正にその通りで、大抵の場合、ドライバーにとっては眠気との戦いになってしまうのです。
そんなドライブをしていると、こちらが予想もしない場所に出会う事があります。
説の大スター、ジェームス・ディーンのお墓に出会ったのもそんなドライブの途中の事でした。
その頃のメモを見ますと、ミシガン湖畔のバッファローという町を朝早く発って、コロンバスに向かうとあります。
所はインディアナ州のフェアマウントという町で、資料によるとジェームス・ディーンが高校を卒業するまでの9年間をこの町で過ごしたとありました。
更にこの町の公園墓地に彼が眠っていると記されていたのです。
そうと知ったからには、素通り出来るはずもありません。
何しろ彼は世界的な伝説のスターですから。
一体、どんなお墓で眠っているのだろう?
という野次馬精神が沸き上がってきたのです。
↓ジェームス・ディーン

james-dean

ずは、彼の記念館を訪れ、彼の歴史的な足跡を調べてみたのです。
彼は生涯に3つの大作映画に出演していました。
「エデンの東」翌年に「理由なき反抗」「ジャイアンツ」と立て続けに主演映画に出て、その後カリフォルニア州の国道で、愛車のポルシェ550スパイダーを運転中に事故死しています。
享年24歳という若さでしたす。
念館を出た私達は、その足で公園墓地に向かいましたが、彼のお墓は直ぐに判りました。
その時の感想としては、世界的な彼の名声からすると、意外にも小さく質素なお墓なので驚きました。
只、年間を通じて、花が絶えたことがないほど、お参りに来るファンは多いらしく、流石は『幻の大スター』と納得したのでした。
↓ジェームス・ディーンのお墓

ジェームスディーンのお墓

かし、当時のスタッフの間ではジェームス・ディーンのお墓でクイズをやる理由がない、という事で、クイズ会場にはなりませんでした。
私から見ればジェームス・ディーンは大スターだったのですが、若いスタッフにとってはそうでも無かったようで、スタッフ間でもジェネレーションギャップがあるんだなぁ、と実感させられた一件でした。

チェックポイント(クイズ会場)は誰が決めるのか?

メリカ横断ウルトラクイズのブログを書き出してから、有難いことに読んで下さってる方から質問を受けることがあります。
中でも、比較的多く聞かれることは
「誰がどんな権限でコースを決めるのでしょうか?」
といったものです。
少、手前味噌に聞こえるかも知れませんが、確かにあの番組ほどアメリカ各地を廻った番組は他に記憶がないほど、いろんな場所を探して旅をしたものです。
といって、チェックポイント(クイズ会場)を誰か権力者が好き勝手に決められるモノでもありません。
では、どのようにして毎年のコースが決められていたのか、その辺の事情を今日はお話したいと思います。
ず、大きなルートですが、それはプロデューサー、ディレクター、構成作家の主だったメンバーが最初の会議で候補地を出し合い、話し合いをして取り決めます。
大まかなコースが決まったところで、そのコースに沿った場所で、何か面白い習慣出来事祭りイベントなどがないか、あらゆる情報を集めます。
この情報集めは構成作家、ディレクター達が手分けをして、より良い情報を収集しなければ、能力を疑われ次の仕事には繋がらない、という事にもなりかねません。
だからみんな必死で面白そうな話題を探します。
えばそのイベントそのものが罰ゲームになる、と言うようなモノであれば、現地に問い合わせをして、実行の日時や状況を詳しく調査します。
例えば第13回でニュージランドのショットオーバーでのバンジージャンプなどは、候補に上がった時から、ここでの罰ゲーム「これで決まり!」といったように、すんなり決定してしまいます。

バンジー_ショットオーバー

た同じ回のツイン・レークスでは、敗者が村人からトマトの爆弾を身体中に投げつけられる、という悲惨な罰ゲームを受けています。
実はこの地方では毎年村人同士が、トマトをお互いに投げ合う「トマト戦争」というお祭りをやっていたのです。

トマト戦争_twin_lakes

論これは村興しのためのイベントで、観光客を誘致する作戦の一環だったんですね。
つまり、その情報があったからこそ、ロッキー山脈の中腹で標高3,000メートル近い村まで出向いて、ウルトラクイズが行われたわけです。
のように罰ゲームが先に決まっているなどと言うのは、そんなに数が多い事はありません。
それよりも、ロケハンで現場を見て、最初の情報通り、ロケ場所にぴったりという場所はそう簡単にはありません。

た、訪れた場所でどのようなクイズをすればより効果的か、という事を考えながら現地を見るのですから、好き勝手に各地を遊び回っているわけではなかったのです。

地獄の風景バッドランド

メリカ横断ウルトラクイズは通算で17回放送しています。
と、なるとアメリカ大陸はくまなく歩いた様な気もしますが、その中でも忘れられない景色のひとつに、第11回で訪れたバッドランドがあります。
あの世に地獄というものがあるならば多分こんな景色だろうな、と思わせるほど荒涼たる景色なのです。
↓バッドランド

バッドランド1

渡す限りに、岩山が立っていて、50万年の歳月をかけて水と風の浸食作用で出来上がった風景だそうです。
その昔、アメリカ開拓時代に、幌馬車も通れないところから、バッドランドの名が付いたのだと伝えられています。
↓バッドランド

バッドランド2

所はサウスダコタ州の南西部に位置する国立公園です。
といっても旅行会社がツアーのコースに組み込むのには、かなりの勇気がいるのではないでしょうか。
なぜなら、参加者からブーイングが来そうな、そんな恐ろしい景色だからです。
奇妙な岩山、崖や峡谷の他、尖峰の上に乗る大きな岩石、こんな場所には動物もあまり住めません。
メリカ国内で唯一野生のバッファロー(アメリカバイソン)が棲んでいて、運が良ければ、その群れに出会える事があるという話を聞きました。

↓アメリカバイソン

アメリカバイソン

内してくれたパークレンジャーに、バッファローの群れにアポを取れないものかと訊ねたところ、我々だって時々しか出会えないのだし、ロケの日に見られる確率は限りなく低いと断言されてしまったのです。
ついでにこの時に聞いたバッファローの習性ですが、彼らはとっても自分本位で、例えば隣で餌を食べている仲間が鉄砲で撃たれて倒れても、全く無関心で逃げもしないのだそうです。
だから、西部開拓時代に沢山のバッファローが狩りで撃たれて、絶滅に近い状態になったのだと教えてもらいました。
といって、この話が事実かどうかは確証が取れていないので、そんな言い伝えがある、程度に記憶してくだされば良いかと思います。
実際は、ロケの日にやっぱりバッファローの群れには出会えませんでした。
た、このバットランドにはプレイリードック(草原の犬)と呼ばれる可愛らしいリスのような小動物が、アチコチに穴を掘って棲んでいます。
人間が近付くと、ヒョイと穴の中に頭を引っ込める、丁度もぐら叩きのモグラのような動きをします。
そのヒョーキンな姿が可愛らしいというので、たまに訪れる観光客には人気があるそうです。
↓プレイリードッグ

プレイリードッグ

々この地はアメリカ・インディアンのスー族の領土だったそうです。
といっても生活の場ではなく、儀式のための聖地として崇められていたのだそうです。
我々は、アメリカのあらゆる景色を紹介したいという大前提から、このバッドランドを選び、「国境突破、一足飛びクイズ」という変則的な形式のクイズを行ったのでした。
※早押しで2問正解すると、国境を突破して一気にメキシコまで行けるクイズへの挑戦権が与えられる。但し、そのクイズに失敗すると折角獲得した2ポイントがパーになってしまうと言う意地の悪いルール。
メキシコに行けるのは10人のうちたったの2人だけ。後は2ポイント勝ち抜いて次のチェックポイント、リンカーンへ駒を進めなければならないという形式である。。