ご遠慮申し上げます。。。

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、毎年の事ながら、航空機やホテルを数多く利用します。
ロケでは飛行機は全員平等にエコノミー・クラスです。
ホテルは中級以上のホテルで、原則は2人部屋。
ロケ場所担当のディレクターは心身共に負担が大きいのでその地に限り1人部屋、と言うのが大まかな決まり事でした。
 
かし、航空会社やホテルの配慮で、時々ボーナスのような特別待遇がプレゼントされる事がありました。
例えば飛行機で、グアム~ハワイ。ハワイ~アメリカ本土といったように長い距離の時には、ビジネス・クラスのチケットが10席とか15席特別にプレゼントしてくれたりします。
普通ならこのような場合は、年齢の高い順とか、身分の高い人が優先的に権利を獲得するのが当たり前、というのが日本人の美学です。

↓シンガポール航空のビジネスクラスのイメージです

ビジネスクラス

も、ウルトラクイズでは違っていました。
何時の頃からか、全員が公平にクジを引いて、当たった人間が権利を獲得するようになっていたのです。
このような場合、職域の1番下であるアシスタントが当たってしまうと、仕方がないので、自分の先輩に譲る事もありました。
でも、先輩が素直にもらってくれれば良いのですが、中には遠慮して「お前が座れ」と命令される事もあります。
そんな場合は、みんなの冷ややかな視線を一身に浴びながら、居心地が悪そうにビジネス・クラスの席に座っていたものです。
15回だったと思います。
グアムのホテルで、ちょうどその日、部屋が空いていたのでしょう。
「ロイヤル・スイート・ルーム」を我々ウルトラクイズ・チームに提供してくれたのです。
一日中自由に使ってください、との事です。
そこで全体会議をやるために全員が、部屋に入って驚きました。
↓グアムヒルトン_スイートルームのイメージ

ヒルトン_スイート

流石にここは別世界
幾つかのベッドルームの他、控えの間、会議室など豪華な装飾で飾られた部屋が並んでいたのです。
シャワー・ルームだけでも3つはありました。
会議室は40人近いスタッフが全員座っても、まだ余裕があります。
普段は1つの部屋に入りきれないほど、ギューギュー詰めの状態で会議を進めていましたので、みんな落ち着きません。
それに部屋に合わせたサービスを提供してくれるので、メイドさんが次々と飲み物や果物を運んでくれたりします。
そっと調べたところ、当時は1泊100万円以上の部屋だとの事です。
会議が終るとホテルの支配人が挨拶に現れ、
「今夜、どなたかこのお部屋にお泊り下さい」
との有り難いお言葉。
早速、泊まりたい希望者を募ったのですが、流石に自ら手を挙げるほど図太い人は居ませんでした。
そこで、ウルトラ名物ジャンケン大会でもして、勝者が泊まろうか、との意見も出ましたが、旅の最初にこんな贅沢を経験したのでは、この先苦労する、という理由でこの案も没。
結局、慎み深いスタッフは全員が
「ご遠慮申し上げます」
と夢のような体験をご辞退してしまったのです。

チキショー! 今度あのようなチャンスがあれば絶対手を挙げるぞ、と心に決めたのですが、2度と同じような事は起こりませんでした。

スタッフの休暇の過ごし方

メリカ横断ウルトラクイズのロケの思い出を書いてきました。
毎年、凡そ1ヶ月の日程で各地を移動しながら撮影を続けたわけですから、何度も書きましたが、スケジュールは殺人的に厳しいものでした。
年出発の前に、日本テレビの大会議室で最終会議が行われていました。
これはロケ隊の結成式を兼ねたもので、初めて参加するスタッフが全員に紹介されるなど、恒例の行事になっていました。
そして、この時に全コースの行程が細かく記入されたスケジュール表が、全スタッフに配られるのです。
スケジュール表には、今思い出しても気が滅入るような細かい日程がびっしりと書き込まれています。
起床がAM6:00等というのは平均で、AM4:30等というのが時々有って、その前の晩は00:00会議終了、という事が書かれていたりします。
多分、労働基準監督署が見たら仰天するようなスケジュールでした。
今は知りませんが、当時のテレビの制作現場ではこのくらい働くのが常識で、これをお役所が決めたように、労働時間を規制したら、どの局でも番組などは出来なくなってしまうという現実がありました。
テレビ業界では、AD(アシスタント・ディレクター)が直ぐに辞めてしまうという事が問題視された時が有りましたが、このスケジュールを見ると無理もない話かもしれません。
れは兎も角、このようなハードなスケジュールで移動しながらも、時には休日も含まれていたのです。
そんな時、スタッフは何をしていたのか記憶を手繰ってみると、思い出す事が幾つかあります。
体、休日があるのはアメリカの都市であったように思います。
多くのロケの行われた田舎ですと、周囲には何もないので個人で動く事が不可能だからです。
だから、休日を取るのは周囲にスーパーや映画館、ショッピングセンターなどがある中、小都市が選ばれました。
こで、スタッフの行動は幾つかに分類されます。
誰もが必ずやるのが、たまった衣類の洗濯です。
これで10日分くらいの汚れ物を一気に片付けなければなりません。
また、スタッフの多くがショッピングに時間をかけました。

ショッピングセンター

良いものを安く買える、例えばアウトレットなどを発見すると、その情報はアッという間に流れるので、同じお店にみんなが駆けつけるような状況になります。
或る時等は、お揃いの革ジャンを何人もが買ったため、ロケ隊のお揃いのユニホーム状態になった事もありました。
た、ゴルフに熱中するメンバーも多かったです。
何を隠そう、私もその1人でしたが、それはロケハンの時にコースを下見するのも、我々ロケハン隊に与えられた任務でした。
ですから、もしコースが悪かったりすると、自分の腕が悪いのを棚に上げて、
「こんなコースを選んだのは誰だ?」
と責任を追及する厳しい言葉が襲って来たりしたのです。
業界内では、緊張の連続のようなハード・スケジュールのウルトラクイズのロケでしたが、途中でゴルフを楽しんでいたなんて、各パートの当時の同僚が知ったら、多分怒り出すようなお話でした。

ゴルフ場

アメリカ人はモニュメントがお好き!

メリカ横断ウルトラクイズで、アメリカ各地を回っていると、アメリカらしいスケールのバカ大きいものにお目にかかる事があります。
例えばニューヨークの摩天楼のような巨大な高層ビル群も、今では世界各地で見られるようになりましたが、最初に完成させたのはアメリカでした。

Manhattan

そらく初めてアメリカを訪れた人達は、一様にあの摩天楼を目の当りにし、度肝を抜かれた事でしょう。
それも昔の話という事で、今の若い人にはピンと来ない例えで、時代はどんどん変化していると言う事です。
て、バカ大きい物がお好きなアメリカ人の自慢に、巨大なモニュメントが有ります。
因みに辞書でモニュメントを引くと、
「公共的な記念の目的から、特定の人物や事件などを長く後世に伝えるため、設立される建造物の総称」
と定義されています。
このブログでも以前に「ラピッドシティの親日家」という項でも触れましたが、サウスダコタ州の国立公園ラシュモア山に彫られた巨大な4人の大統領の彫像がありました。

ラシュモア山


このモニュメントは、サスペンス映画の巨匠ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」の格闘シーンの舞台として、世界中に知られるようになった名所です。
れに、勝るとも劣らない大きさの彫刻が、アトランタにあったのです。
アトランタは古くは名作映画「風と共に去りぬ」の舞台として有名でした。

風と共に去りぬ

近くではオリンピックですね。
アメリカ南部のビジネスの中心地であり、世界中で飲まれているコカコーラの本拠地があるのでも知られています。
々がこのアトランタを訪れたのは、オリンピックよりも4年前の第16回の時ですが、ここのストーン・マウンテン公園がクイズ会場に決まったのです。
名前の通り、正面に大きな石の山がそびえ立っていたのです。
この山は世界的には、オーストラリアのエアーズロックに次ぐ、巨大な石の塊だそうです。

ストーンマウンテン

この中腹に、南北戦争の英雄リー将軍を始めとする4人の将軍の像が彫られていたのです。
歴史の浅いアメリカとしては、このようなモニュメントを全国各地に創り、世界に威厳を示したいという気持ちも理解できます。
それにしても、このようなバカ大きい彫刻を、自然の中に溶け込まして作ってしまうアメリカのエネルギーには、ただただ脱帽と言うしかありません。
ウルトラクイズ第16巻の表紙にもなっています。

16巻表紙

もし、これが日本だったら「自然破壊、反対!」という市民団体の動きに抵抗され、とても実現は出来ないでしょうね。
ストーン・マウンテン公園は、アトランタ・オリンピックではマラソン、カヌー、アーチェリーなどの競技会場として、世界の注目を集めましたが、我々はその4年前にこの場所でクイズを行ったのでした。
この将軍達のモニュメントと、クイズ形式を何とか関連付けるアイディアを考えましたが、ピッタリと来る物が出て来なかったのです。
そこで実施されたのは、「私がママよ」という、現地の子供とお母さんを使ったクイズでした。

小学校低学年の描いた似顔絵をヒントに、その子の母親を当てたら勝ち抜け、子供の指名権は2問正解で得られるというルールです。
ここでは、知力と勘を働かせて、挑戦者達は結構苦戦しました。
何故って、似顔絵と母親があまり似て居なかったからです。
こればかりは、事前のチェックでも小学生に向かって
「もっと上手に描けないの?」
なんて言える訳がありません。
そんな悪条件でも、
「現場を楽しく盛り上げるのが司会者の腕だ」
といって若い福沢アナに注文を付けていたスタッフが居ました。

前任者、福留さんの時にはとても言えないセリフでしたがね。
今では福沢アナもフリーになって、立派な売れっ子ですが、ウルトラに出てきた当時は若手の新人アナで、まだまだスタッフに鍛えられていたのでした。

スタッフへの罰ゲーム?

メリカ横断ウルトラクイズでは、17年に亘ってアメリカ大陸を横断しました。
良く訊ねられる質問で、「最も大変だった旅は何時だったか?」と聞かれることがあります。
このブログでも何度か触れていますが、スタッフと挑戦者の体力的な負担では、第14回だったように思います。
動距離から考えれば、別にこの回がずば抜けて長かったというわけではありません。
むしろ第9回のイギリス、フランスへ行った時も距離は大変なものでした。
また、第13回のオーストラリア、ニュージランドを経由した時も長距離でした。
更に第12回の北極圏のバローから南極圏のフェゴ島まで、南北アメリカ大陸を縦断した時も、それは気の遠くなるような長旅をしたものです。
も、距離が長いといっても、移動は飛行機でひとっ飛びなのですから、楽と言えばラクなものです。
その点14回は飛行機を使わずに、陸路でアメリカの西海岸から東海岸までを横断してしまおうと言う意見に、同意してしまったのです。
京の会議室でこの案が出された時には、初めての試みで面白そう、と賛成多数で決まってしまいました。
事前のロケハンで実際に走ってみると、大陸の広さに仰天させられました。
だからと言って一度決まった事は、易々と変更出来るものではありません。
総てのロケ地が決まったわけですから、そのコース通りに車を走らせてたどる事になります。
々は西海岸のポートランドから、オレゴン街道に乗り、東海岸を目指して大陸横断の旅をスタートさせました。
挑戦者が16名、スタッフは倍以上の人数です。
この一団は、長さ24メートルのトレーラに撮影機材を詰め込み、この車を先頭に大型バスが3台続いたのです。
内訳は挑戦者が一台のバスを専用に乗ります。
スタッフは余裕を持たせて二台のバスに分乗しました。

一本道

して車に乗る前、全員に大きな枕が配られました。
つまり横一列を一人で独占出来る配分で、「移動中は寝て過ごしても良いぞ」という配慮でした。
寝ている内に目的地まで行けるのですから、普段の移動と比べると楽なもの、と誰もが思いました。
段は空港の乗り降りで、沢山の荷物を運ばなければなりません。
ホテルでも同じような作業が繰り返し行われます。
それが全て省かれるのですから、嬉しいはずでした。
ところが実際にバスで一日中走って移動していると、枕はあっても眠れるなんてものではありません。
動と言えば、車の振動だけで、身体はジッとしているわけですから極度の運動不足になります。
時間を持て余したスタッフは、本を読んだり、レコードを聴いたり、中にはカードゲームに熱中する者もいました。
時々食事のため、ドライブインに停車すると、店に入る前に自然と駐車場で体操が始まってしまうのでした。
そのくらい身体がなまってしまうのです。
石に、バスの中で宿泊をした事は無かったのですが、ホテルの部屋でベッドに入っても、体はまだガタガタと振動しているような錯覚に陥ってしまいます。
スタッフ会議で、「明日は本番の終了後、700km移動します」などと告げられると、とんでもない罰ゲームを受けているような気分になってしまいます。
の回に参加した挑戦者も大変でしたが、思い返せば、第14回のウルトラクイズは、スタッフに対する罰ゲームだったような過酷なスケジュールでした。
そして、走った距離が9,000km。
普通の自家用車なら一年半かかって走る距離をわずか3週間で走破したという、正に常識を超えたクレイジーな番組でした。

アメリカ大陸

出る杭は打たれる?

メリカ横断ウルトラクイズのキャッチ・フレーズは「知力、体力、時の運」です。
クイズに1番強い人が、その年の「クイズ王」の座を獲得するのが、一般的な考え方ですが、それではあまりに常識的でスリルが無い、というヘソの曲がった人間が多いウルトラクイズ
だからこそ、本当はクイズに強い人が、運悪く負けてしまうという落とし穴を仕掛けたのです。
それも番組のスタッフが、誰かを狙って落としたのでは視聴者が承知しません。
これを平和的に実行するには、ライバルの挑戦者が、クイズのルール内で強い人間を落とすという方法が公平というものでしょう。
んな意地の悪いルールを考え、実行に移したのが第15回ドミニカでのクイズでした。

ドミニカ

この回では、機内ペーパー・クイズの1位だった東京都の会社員Oさん(当時25歳)が、実力を発揮して、圧倒的な強さを発揮していました。

我々スタッフも、この調子で進めばOさんが優勝候補の筆頭という認識でした。
挑戦者の皆さんも多分そのような気持ちだったのでしょうね。
んな一行が第12チェックポイントのドミニカ共和国に初めて上陸したのです。
ドミニカは、かのコロンブスがアメリカ大陸を発見した際、最初に辿り着いた島として知られています。
そこで、我々が仕掛けたクイズは「新大陸獲得クイズ」というものでした。
ロンブスがアメリカ大陸を発見した当時は、大航海時代で、最初に発見した者がその新しい国の領主になれるという時代だったらしいのです。
だから、航海士達は先を争って、大海に出て行ったという話しを聞き、これをクイズ形式に取り入れようとしたのです。
の時、残っていた挑戦者は7名でした。
16世紀の大航海時代に使われていた地図には、6つの大陸が描かれていました。

大航海時代地図

こでクイズに正解した者が、自分のライバルの回答権を封鎖。
こうして早押しクイズをやっては一人二人と封鎖を続け、最後まで生き残った1人が1つの大陸を獲得して勝ち抜ける。
大陸は6つだから、敗者となるのは只一人。
この形式の特徴は、実力のあるものが必ず最初に封鎖され、不利な戦いを強いられてしまうというものでした。
従って、自他共に認めていた実力者、機内1位のOさんは封鎖され、敗者の汚名を着せられてしまったのです。
知力、体力は充分なのに、時の運に見放された典型的なケースでした。

出る杭は打たれる