釣り落とした魚は大きい?

メリカ横断ウルトラクイズは、当時人気番組でした。
最近のテレビの世界は、番組がヒットするとアッという間に、関連商品が売り出され、しかもそれらが次々とヒット商品になってしまうという状況です。
元々テレビは、売りたい商品のCMで成り立っている業界ですから、当然の事でしょうが、今ではテレビ局自体がスポンサー的な感覚にになっているような傾向にあるようです。
つまり、ヒット番組のキャラクターを局が独占しているのが、当然の流れになっています。
その点、ウルトラクイズがヒット番組だった時代には、そこまで商魂がたくましい時代では有りませんでした。
もし、あの時代に我々に今くらいの商魂があれば、きっと大儲けが出来るチャンスがありました。

えば第6回に、サイパンの浜辺で「暁の読書会」というクイズが行われたのです。
これは、前日ホテルで、次のような予告文を張り出したところからスタートしました。
「クイズ開始は明朝8時、集合時間は自由」
という掴みどころのない不気味な予告でした。
前年は早く起きた者が順番に座席に座ったのですが、その年は早く会場に来た者に本が配られたのです。
その題名は「ウルトラクイズ殺人事件」というものでした。
つまり、この本を読んで、犯人を推理し、当てた人間からクイズに挑戦出来るというものでした。
本のストーリーは、すっかり忘れてしまっていますが、多分ウルトラの旅の中で殺人事件が発生し、怪しい人間が数人登場して犯人を当てる、というものだったのでしょう。
実は、この中途半端な小説を書いたのは私でした。
多分400字詰め原稿用紙200枚程度の中編でしたが、推理小説の形はとっていますが、ストーリーを覚えていないくらいですから駄作に違いありません。
それでもワープロで活字に起こし、本の体裁を取っていましたが、当然資料は何も残っていません。
あの時代は1週間でその本を書いてくれ、というような無茶な注文だったので、スタッフみんなで簡単なストーリを考え、私が文章にまとめた記憶があります。
私の気持ちでは、クイズ形式の小道具を作るくらいの感覚だったのだと思います。

しかし、現代ならその様な、いい加減な仕事はしていないでしょうね。
だって、ウルトラクイズのクイズ形式で使われた小説、というだけで「どのような小説だろう?」と興味が沸きますし、凄い宣伝力があります。
当然のことながら、放送後この小説を出版させてくれ、と日本テレビに申し込むでしょう。
本は間違いなく売れると思いますので、もっと真剣にストーリーを考え、作品として恥ずかしくないものに仕上げているはずです。
しかし、あの頃にはその様な知恵が有りませんでしたので、単なる番組の小道具を作る感覚だったのです。
釣り落とした魚は大きいと言いますが、まさにこの幻の小説は、釣り落とした魚だったのかも知れません。
尤も、今だから言える話で、当時この小説を読んだ挑戦者は、次々に犯人を当てていたので、やっぱり駄作は間違いなかったようです。

逃がした魚

働き蜂は日本人だけじゃない

メリカ横断ウルトラクイズで、何度もアメリカ各地を歩きました。
我々は良くロスの近くに位置するモハーベ砂漠で、ロケをしました。

モハーベ砂漠

車で移動して2時間~3時間の距離が多かったと思いますが、この様なロケの時には3時起床4時ホテル出発というスケジュールが普通です。
9月とはいえ3時、4時といえばまだ辺りは真っ暗闇です。
しかし、ホテルから車が出発する頃には、ハイウェイに煌々とライトを照らした車が結構沢山走っているのです。
一体車の主は何故こんな時間に走っているのか、現地のアメリカ人に聞いた事が有るのです。
すると
「ビジネスマンが移動しているのだ」
との事でした。
日中は車が混雑するので、車の少ない時間に移動しているのだ、との事です。
現在の日本でも同じような傾向が有りますが、アメリカ人も本当に働き者が多いのに驚きました。
世界では日本人は「働き蜂」エコノミーアニマルと皮肉を言われていましたが、アメリカ人も決して負けてはいませんでした。
何しろアメリカは実力社会ですから、勝ち残ろうという人達の心意気も半端じゃない、熱気を感じてしまいます。

周囲が暗い内に砂漠地帯に向かいますと、やがて次第に明るさが感じられ、夜明けを迎える事になります。
夜明けの風景は何処でも美しいものですが、中でも砂漠の夜明けは言葉を失うほど、素晴らしい美しさです。
特に太陽は、油の中にジリジリと浮き出てくるような、不思議な輝きをみせます。
こんな景色が拝めるなんて、なんと有難い仕事だろうと、感謝せずにはいられません。

砂漠の夜明け

3時起床は「いい加減にしてくれ」と悲鳴が出そうなスケジュールですが、その様な恨み節もいっぺんに吹き飛んでしまう程の忘れがたい光景でした。
私だけではなく、スタッフはみんなこの砂漠の夜明けが大好きでした。
だから、記念に写真を撮っていた人も沢山いました。

それにしてもアメリカ人の早起きは全国共通のようで、サンフランシスコでも、ワシントンでも、或はアトランタでも、ホテルの窓から見ると暗い内から車がどんどん走っていました。
勤勉なビジネスマンは日本人だけの特許ではない。
ウルトラクイズのロケで学んだ私のアメリカ評です。

働き蜂

負けて嬉しい?挑戦者

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎年大勢の皆さんが挑戦してくださいました。
中にはお祭り気分で、参加するだけで満足した方も沢山いたでしょうね。
でも、東京ドームを勝ち抜けてしまうと気分も大きく変化するのは解ります。
運が良ければ、クイズ王になれるかもしれない、そんな気持ちになる要素が沢山含まれている、それがウルトラクイズの特徴だったのです。
だからクイズ好きには夢の番組と言われていたのでしょう。

その様な中で、勝てば嬉しくて喜ぶ、それが普通の挑戦者です。
でも、中には個人的な事情で、勝ち進む事を喜べなかった挑戦者も居ました。
私が最も印象深かった挑戦者は、第14回に参加したTさん(当時31歳)です。

は彼女は結婚式を間近に控えての参加でした。

ウェディング

自分の計算では、多分グアムあたりで落ちるだろう、との思いで参加したのだそうです。
しかし、世の中は皮肉なもの。
勝利の女神様が彼女に微笑んでいたのです。
自分では勝てる積りは無いと思っても、知っている問題が出れば早押しボタンを押す、当然の心理ですね。
それが次々と正解になり、次のチェックポイントに進出していったのです。

婚式の日にちは刻々と近付いてくる、もしその日までに帰れなければどうなってしまうのでしょう。
花嫁無しの結婚式なんて前代未聞。
その様な事は何としても避けたい。
だが、現実は勝ってどんどん帰国が遠のいて行く、焦ったと思いますよ。
我々はその辺の事情を知っていましたから、司会の福留さんも勝つ度に話題にしていました。といって、我々スタッフが彼女にわざと答えずに負けろ、などと薦める訳には行きません。
彼女が勝つ度に、我々もヤキモキするという不思議な状態になってきました。
その様な時、グランドテイトンで彼女が目出度く負けたのです。
ここは西部劇の名作「シェーン」の舞台。思い出される方も多いと思います。

負けて、現場でスタッフから拍手をもらったのは、多分彼女くらいのものでしょう。
勝てば天国、負ければ地獄、のウルトラクイズ。でも、彼女の場合は、
勝てば地獄、負ければ天国というアベコベの珍しい挑戦者でした。

恐怖の罰ゲーム

メリカ横断ウルトラクイズを全部で17年間に亘り関わってきました。
ロケ、ロケハンで世界各地を歩いて、訪れた地は数知れず、日本人が滅多に行かないような場所にも行ってきました。
私は番組の構成作家ですから、当然訪れた場所の資料は沢山買い集めました。
本やパンフレットだけでも可成りの量になっていました。

れらの資料は当然番組に生かすため、その頃は整理して保管していました。
ところが私は物を集めて大切に保管するような事が苦手だったのです。
今思えば残念な事ですが、何年か経過した資料は、片っ端から廃棄していたのです。
そうでもしないと棚や資料庫が一杯になって、他の資料が置けないからです。
ウルトラクイズの放送テープにしても膨大な量が有りましたので、10年位前に全部廃棄処分にしてしまったのです。
従って私の手元には一本の映像も残っていません。
つまり、昔を懐かしんで、いつまでもヒット番組の事を思っていたのでは、新しい企画の邪魔になってしまう、と強がっていたのでしょうね。
その他にも、ウルトラの資料を残さなかった理由があります。
私が放送作家の後輩や、会社の社員にウルトラの話をすると、明らかに嫌な顔をするのです。
つまり、彼らには私が関わったヒット番組の自慢話に聞こえるのでしょうね。
年寄りが若い頃の自慢話をしている、その様な図式でしょう。
それを感じてからは、私は身内にさえウルトラクイズの話はしないように暮らしていました。

在ブログを書いていて、それらの資料が残っていればどんなに役立つか、後悔していますが、当時はそこまで気が回らなかったのです。
資料が少ない上に、日記を付ける習慣が無いのですから、思い出すのに苦労をします。
そこで、今日は私がロケハンで味わった恐怖体験を書いて見たいと思います。

々はロケハンで罰ゲームの案も探していました。
例えば第13回のニュージランドで、バンジージャンプを発見しました。

バンジージャンプ

しかし、私も同行のk氏も、l氏もこれに挑戦する事が出来ませんでした。
数十mの釣り橋の上から、谷底目がけて頭から飛び込むなどという冒険は、恐怖心が高まって、とても出来るものではありません。
私達が出来ない事を敗者に押し付けるなど、テレビの制作者がやってはいけません。
従って、この罰ゲームは、実行直前の恐怖心をたっぷりと描き、直前にストップという、ドッキリ・スタイルで収めました。
敗者は恐怖で失神寸前、大いに笑える罰ゲームでした。

ところで15回のロスで、恐怖の罰ゲームがありました。
当時人気のドッグファイトを体験させるという罰ゲームです。
ドッグファイトとは、軽飛行機が2機、上空で空中戦を行い、どちらかを撃ち落とすというゲームです。

ドッグファイト

勿論、本当に飛行機が墜落するわけではありません。
2機の飛行機が空中戦を演じ、ミサイルを撃ち合って命中させるというお遊びです。本物のミサイルではなく、レーザー光線を撃ち合って、3発当てられると錐もみ状態で墜落してしまいます。
上空何千mで行うゲームですが、私はこれを体験する事になったのです。
私は演出のk氏と、2機に分乗して体験しました。
軽飛行機とはいえ、上空で空中戦が始まると、恐怖心が高まってきます。
特に錐もみ状態で落下する場面ではGがかかり、体中が押しつぶされそうな圧力を感じます。
勿論、顔はひきつって、後で写真を見ましたが情けない状態でした。

の罰ゲームは我々が体験し、安全を確認しましたので当時最年長(50歳)の会社の部長さんNさんが体験させられました。
Nさんにとっても生涯忘れられない恐怖体験だったでしょう。
でも、これも過ぎてしまえば良い体験でしょうね。
人生でそんな思い出が一つや二つあった方が楽しいでしょう。

バランスが大事

メリカ横断ウルトラクイズでは、全部で17人のクイズ王が誕生しています。
知力、体力、時の運の3拍子揃った人が何万人の挑戦者の頂点に立つという番組ですから、当然バランスがとれていなければ勝ち残る事は出来ません。
知力は抜群、普通のクイズ番組だったらその人が優勝するでしょうね。
また、体力だけは負けない、という人。
でもオリンピックじゃないので、それだけでは勝つチャンスは少ないでしょう。
時の運なら任せておけ、という人。
運だけで勝てるのはジャンケンと○×クイズくらいで、いくら運が強くても宝くじに当たるようなわけにはいきません。
この様に考えると、体力と時の運は、時々試すチャンスが有りますが、何といっても重要なのは知力が第一なのは当然です。

知力、それも特殊な分野の深い知力を試すような問題は数多くありませんでした。
何故なら、専門家しか知らないような難しい問題を出したところで、視聴者が興味を持てないからです。
多分そのような出題があった瞬間から、テレビの前のお客さんは蚊帳の外に置いてきぼりにされてしまうでしょうね。
クイズの面白さは、見ている人が同時に参加出来る程度の難解さ。
答が頭の片隅にありそうで、思い出せない、その辺が共感を呼べる問題と言えるでしょう。
自分が思い出せない事を、素早くボタンを押して答える挑戦者。
そのような場面でこの人は凄い、応援しようとファンが付いて行くのだと思います。

私達はその様に考えて問題を作っていましたから、日本人として常識的な知識を如何に蓄えているか、これが挑戦者を試す最も大切な要素でした。
歴史、文学、地理、社会、音楽、芸能、スポーツ、このような分野の中から、盲点になっている知識を探し出し、味付けをして問題に仕上げる、我々は調理師のような仕事をしていたのです。
例えば、
・童謡「お山の杉の子」で ♪これこれ杉の子起きなさい、と声を掛けたのは誰?

お山の杉の子

・おひさま(太陽)

当時の日本人なら子供の頃、誰でも歌った唱歌です。
テレビの前の子供からお年寄りまで、家族みんなで考えられる理想的な問題と言えるでしょう。しかし、残念ながら歌詞までは覚えていない、それがクイズ問題になるのです。

特にこの問題は、ジリジリと太陽の照り付ける熱い場所で出題しようとと作られ、第7回のデスバレーで実現しました。
挑戦者は暑さで顔中汗だらけ、太陽が恨めしい中での答えです。

デスバレー

司会の福留さんも、答えのフォローが遣り易い状況です。
全てが計算の通りに進行するわけでは有りませんが、我々はクイズ地と問題は出来るだけ関連させながら問題を分類、配列していたのです。

は17人のクイズ王に戻りますが、彼らの回答を見ていると、例外なく日本人の常識的な問題には実によく正解しています。
結論は、クイズ王は全員がバランスの取れた常識問題の達人でした。