伊藤博文さんは偉かった

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人としての常識を問う問題を基本に創られていました。

基本的な常識は、小中学校で習いますがそれよりも高度の知識は高校、大学、その他の専門学校で身に付けるのが一般的です。

更に日頃の新聞、雑誌、その他のメディアから情報を得る事もあるでしょう。

クイズ好きの皆さんは、それぞれの分野にアンテナを張って、より多くの知識を吸収しているようです。

前置きはさて置き、小中学校の授業で得られる初歩的な常識問題をご紹介しましょう。

第5回のヒューストンで出された、日本人としての基本的な問題が次のクイズです。

問・日本初の総理大臣となった伊藤博文は何藩の出身?

答・長州藩

解説 明治維新の時に、最も活躍したのが鹿児島県の薩摩藩山口県の長州藩でした。

伊藤博文は山口県の萩市の出身で、吉田松陰の私塾「松下村塾」で子供の時代に学びました。

明治維新が成功した暁には、先輩の多くがすでに死去していたため、長州藩の代表的な存在で日本初の総理大臣に選ばれました。

総理大臣としての組閣は四回行い、その後は朝鮮総督など活躍しましたがハルピンで暗殺されてしまいました。

何れにしても、伊藤博文は明治天皇の信任も厚く、近代日本の基礎を築いた重要人物でした。

長州藩出身の政治家は、明治、大正、昭和を経て現代の安部晋三首相まで、多くの総理大臣を輩出しています。

処で、伊藤博文と言えば、肖像画が千円札に描かれている事で顔は誰でも知っている日本の有名人でした。

そこで、千円札の歴史を少々調べたのでご紹介しましょう。

戦前は兎も角、戦後初めての千円札は、一九四五年に発行された日本武尊(やまとたける)でした。

この紙幣の寿命は短く、一九五〇年には聖徳太子が千円札で登場し、13年後には伊藤博文のお馴染みの札になりました。

彼の千円札は一九六三年~八六年まで23年間も続きました。とはいえ偽造紙幣が多発したため、肖像画が変更されています。

正面から横顔に変更されたのです。その後は夏目漱石、野口英世と変わり次の二〇二四年には北里柴三郎に変更予定だそうです。

本日の裏話は、日本初の総理大臣・伊藤博文のクイズ問題から千円札の歴史に話が及んでしまいました。

千円札も聖徳太子さまの頃は、大変な価値があり子供がお子使いとしてもらえるような事は有りませんでした。

それが、伊藤博文の時代にはまだ価値ある存在でしたが、夏目漱石、現代の野口英世となると小学生でも喜ばないようです。

お金の価値は時代と共に変化するのですね。小学生でもスマホで情報交換! こんなの親が甘すぎるのだ~、ですよ。

 

アメリカの原点とも言える小説

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、旬の話題から造られている事が多く、挑戦者も事前に準備して記憶しています。

従って、現在に昔の問題を振り返ると、懐かしい時代背景を思い出されるのが、番組の特徴と言えるでしょう。

クイズ問題には、必ずといって良い「ご当地問題」との枠がありました。

これは、アメリカ各地を日本人に紹介するとの番組の企画意図があり、そのため合衆国の観光局の協力があったのです。

そのお陰で、ニューヨークの五番街を封鎖して「マラソン・クイズ」のような無理難題とも思える企画が実現したのです。

話は「ご当地問題」に戻ります。第10回でアトランタを訪れた時に、アメリカの原点とも言える問題が出されていました。

問・アメリカの奴隷解放運動のきっかけになったストウ夫人の小説のタイトルは何?

答・アンクルトムの小屋

解説 この作品は、悲惨な奴隷の生活をつぶさに見て心を痛めたストウ夫人が、一人の奴隷を主人公に書いた作品です。

一八五二年にこの本が出版されるや、たちまち大反響を呼び奴隷解放を叫ぶ南北戦争の導火線になりました。

アトランタはマーガレット・ミッチェルの名作「風と共に去りぬ」の舞台でもあり、南北戦争の激戦地でした。

戦争は南軍が勝利し、英雄のリー将軍をはじめとする四人の将軍の像が巨大な石の塊に彫られています。

因みに、この巨大な石はオーストラリアのエアーズロックに次ぐ世界で二番目に大きな石と言われています。

リー将軍は、アメリカの戦争史上最高の司令官とも呼ばれていますが、時代で戦争の規模も異なるので比較は難しいですね。

本日の裏話は、アメリカの原点とも言える小説のクイズ問題から、南北戦争の英雄のお話になってしまいました。

アメリカは歴史の浅い国だけに、全国各地に新しく造られた名所が存在します。

アトランタは、その中でも目玉的な名所が多いので、アメリカ旅行が出来るようになったら一度行かれる事をお勧めします。

その前に「コロナ騒動」が収まらない事には、世界中が身動き出来ません。結論は「コロナよ、消えてくれ~」ですね、本日も。

テレビ番組の良き時代

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は日本人の常識の範囲で造られていました。

常識は、時代の変化によって変わるもので、現代の常識は10年後20年後になると全く通じなくなる事があるかも知れません。

その様な典型的な問題が、第14回のグランドテイトンで出されていました。

問・ラジオCMが六月から解禁になり、来年一月にはテレビのスポットCMも解禁になる、おかたい業界は?

答・銀行

解説 当時はスポットCMだけで、番組提供の広告は行わないものとし、実施後、状況を見て見直しを行うとの事でした。

今から三十二年前のクイズ問題で、その頃は景気が良かったのかテレビやラジオのCM で宣伝したい企業が多かったのです。

また、メディアの側も強気で企業の質を厳選し、問題の起こりそうな業種のCMは幾らお金を積んでも了承しませんでした。

具体的に挙げるなら、健康食品、美容整形のように結果が明瞭に判断出来ない業種のCMは不可能に近かったのです。

処が、現代のテレビのコマーシャルを思い起こしてください。健康食品のオンパレードといっても過言ではありません。

朝のワイドショーから、夜中の深夜番組まで、大小健康食品メーカーの通販のCMで溢れています。

昔は、お堅い職業の銀行でさえCMを流せなかったのですから、クレジット会社など無理なのは当然でした。

しかし、令和の現代では「各種のカード会社」のCMも上位にランクされるほど目立つ存在ですね。

メディアは国の認可事業ですから、細かな規則の上に成り立っていて、思い付きで勝手な事は出来ません。

更に、放送倫理番組向上機構(BPO)との組織がNHKと民放連の加盟各社によって組織、不当な発言や番組を監視しています。

従って、番組の制作者は好き勝手に番組を造る事は出来ません。一部のお笑い芸人が、勝手に遊んでいるような番組もあります。

しかし、収録時は兎も角、編集でカットするので、放送上の問題は起こらないように気を配っているのです。

昔のように思い切った番組が無いのは、こうした事情があるからなのです。

その点、ウルトラ・クイズの名物「罰ゲーム」などは現代では絶対に許されないでしょうね。

テレビ番組が、自由に面白かった時代が懐かしいです。

本日の裏話は、メディアのCM事情に付いてのクイズ問題から、古き良き時代の番組を懐かしく思い出す話になってしまいました。

最近は「コロナ騒動」で、昔の番組が再放送されています。この際、良い時代の番組をじっくりと楽しみましょう。

熟年の懐かしい思い出の地?

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は日本人の常識を問う問題が基本でした。

日本は昔から天皇家を中心に歴史を重ねて来た国です。明治維新後は憲法で、天皇は国の「象徴」であり元首とされています。

元首ですから、国民は天皇家の歴史は当然として、天皇家の事情を知るべきで立場にあります。

そこで、天皇家に関する簡単な常識問題が第16回のレイクパウエルで出されていました。

問・皇室の御用邸は日本に三カ所あるが、須崎、葉山ともう一つはどこ?

答・那須

解説 那須の御用邸は一九二六年に栃木県那須郡に作られたもので、三カ所の中では二番目に作られていました。

一番古いのは神奈川県三浦郡の葉山御用邸で、一八九四年。須崎の御用邸は一九七一年に静岡県下田市に作られました。

中でも、葉山の御用邸は東京に近い事もあり、湘南地域の夏の海水浴場として人気の浜辺となっていました。

特に、葉山は昭和の人気スター石原裕次郎の出身地で、太陽族の発祥の地として若者の聖地的存在でした。

昭和三〇年代~五〇年代までは、アロハシャツを着た若い男女が数多く集まっていました。

大磯海岸、江ノ島、鎌倉、逗子、それに葉山、湘南海岸の黄金時代といっても良いかも知れません。

熟年の皆さんに取っては、若き日の思い出の地になっている方も多いのではないでしょうか。

本日の裏話は、皇室の御用邸に関するクイズ問題から、熟年の皆さんには、懐かしい日の思い出につながりました。

それにしても今年はコロナ騒動で、湘南地方の海水浴場は全面的に閉鎖されています。

「GO TOトラベル」に関しても、全国的に波紋が大きく何時になったら、この騒動は収まるのでしょう?

毎回お馴染みの結論! コロナよ、消えて無くなれ~ ですね。

祇園祭の歴史を覗くと?

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人の常識となっている事柄から多くのクイズが創られていました。

常識といえば、誰でも知っていると思われますが、そうはいかないのが世の中です。

常識を知らない人、知っていても守らない人、人は様々ですから世の中を平穏にわたるのは大変と言えるでしょう。

日本人の風習、習慣、言葉の常識の中にも知っている人、知らない人がいるのは当然ですね。

そこで、皆さんはこの「諺」の本当の意味を問う問題がありましたのでご紹介しましょう。

第8回のフィラデルフィアの準決勝で出された次の問題です。

問・ことわざ「あとの祭り」の祭りとはどこの祭り?

答・京都の祇園祭

解説 祇園祭には前の祭りと、あとの祭りがあります。前の祭りは山鉾(やまほこ)やお囃子で賑やかなお祭り騒ぎです。

処が、あとの祭りは、山鉾もお囃子もないので、見物人も少なくて面白く無いという事からこの諺が生まれたのです。

この祇園祭は八坂神社の祭礼で、貞観年間(9世紀)に疫病の流行があり、無病息災を神様に祈念したのが起源です。

前の祭りは7月14~16日。後の祭りは7月21~23日。本来なら本日は「後の祭り」の最中です。

しかし、本年は「コロナ騒動」の影響を受け、4月に祭りのハイライト山鉾巡行の中止が発表されました。

歴史を辿ると、この様に祇園祭の中止は何度もあり、最初は「応仁の乱」の時だったそうです。

また、安土桃山時代には織田信長が殺害された本能寺の変、或は将軍や上皇の死、戦争などで何度となく中止はありました。

「コロナ騒動」以外の疫病では1879年コレラの流行で11月に延期などの他、第2次世界大戦中は取りやめになっていました。

祇園祭に限らず、全国各地で行われる「祭り」は地元の人間には大切な仕来りですが、喜べない時代には中止も止む終えません。

誰もが心から喜べる平和な時代。今まで日本はそんな日が永い事続いたので、我々は平和呆けしていたのかも知れませんね。

本日の裏話は、諺のクイズ問題から「祇園祭」の歴史にまで話が及んでしまいました。

それにしても今回の「コロナ騒動」と「応仁の乱」や「本能寺の変」が祇園祭中止の同じ原因に並ぶとは驚きですね。

こうなったら世界中の神様に祈願する「世界共通の祭り」を創設したら? こんな話を真面目に考える国あるわけ無いよね~。