アメリカ横断ウルトラクイズのロケーションは、毎年1ヶ月の旅になっていました。このブログでも何度も書きましたが、普通の生活のペースで考えると、超が付くほどハードスケジュールですが、音を上げて途中でリタイアしたスタッフは、1人も居ませんでした。
時にはAD(アシスタント・ディレクター)が脱走するのではないかと、心配するくらい精神的に限界に近づいていた時もありましたが、17年間で1人も脱落者が出なかったのは幸いでした。
この厳しいロケの最後は、毎年ニューヨークで行われたロケの打ち上げ食事会でした。
どのように厳しい時でも、間もなく打ち上げの日が来るという希望があったから、みんな頑張れたような気がします。
その打ち上げは、ニューヨークの和食店というのが、お決まりのコースになっていました。
ニューヨークには数多くのレストランがあって、スタッフにはそれぞれ行きつけのお店もあるのですが、何故か打上は同じ店になっていました。
ハッキリ言って、和食のお店は、他のレストランに比べると単価が高いのです。
私は気の合ったメンバーで、良く焼肉屋、イタリアン、中華などのお店に通ったものですが、それらのお店に比べて、3割以上高かったように記憶しています。
ですから時にはお店を替えようか?
と提案したこともありましたが、みんなは和食に飢えているのでしょうね。
希望を取ると、やっぱりこのお店に落着いてしまうのです。
ある年、良く監察したら「マツタケの土瓶蒸し」「フグの刺身」「あんこう鍋」「金目鯛の煮付け」と高価な料理のオンパレード!
これでは高額な支払いになるのも無理はありません。
経費は制作費から出るのですから、誰1人遠慮する人間などいるはずがありません。
従って毎年有名和食店の高級料理で打上をするのが恒例になっていたのでした。
ここでは、食事の後にその年に頑張ったスタッフの表彰という行事がありました。
これは例年、初参加のアシスタントのスタッフが慰労の意味でもらうようになっていたように記憶しています。
表彰状と共に金一封が送られましたが、そのお金は二次会で、先輩達に巻き上げられるというのが例年の流れでした。
我々は、打上のメインイベントとして、現金争奪ジャンケン大会というのをやっていました。
勿論、進行は福留さんです。
最初に、警察、検察関係者が紛れ込んでいない事を確認してゲームは開始されたのです。
何しろ、現金争奪というだけあって賭博性の高いゲームなので、細心の配慮が必要なのは、マスメディアの務めと心得たのでしょう。
現実は家庭内の賭けマージャンのようなものですがね。
最初は1ドル札を握って参加する訳で、勝った人間は2ドルを持っている同志で戦います。
2ドルが4ドル、4ドルが8ドルと増えていきますが、負けても途中でお金をプラスして出しさえすれば、何回でもジャンケンに参加できるというルールです。
福留さんのお得意の煽りに乗せられて、負けず嫌いな人間は何回でも挑戦するので、合計金額はどんどん膨らんで行く事になります。
毎年最後の決勝では、200ドルとか300ドルに跳ね上がり、それに待ったをかけて更に挑戦するギャンブラーも居ました。
長い旅のストレスを思えば、最後にやけっぱちになっていたのでしょうかね。
でも、これが無いと終った気がしないという、ウルトラ・スタッフのお決まりの楽しみだったのです。
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>Castleさん
コメント有難うございました。
第14回ドームの敗者復活大ジャンケンは、我々が普段行なっている余興からヒントを取ったものでした。あなたのご指摘はピンポーンでした。
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>シャングリラさん
コメント有難うございました。
ご指摘の通り、14回のドームのじゃんけんは、我等の通常なじゃんけん大会のパターンを利用した物でした。
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こんばんは。
打ち上げ、本当に楽しそうです。何だか記事を読んでいるだけで楽しい気分になってきますね。
全力以上の力で打ち込んだ仕事の後の楽しみってほんといいもんだと思います。
これがあるから、次が頑張れるんですよね。
本当に、お疲れ様です。
>>現金争奪ジャンケン大会
どっかで見たようなルール…。
もしや、これが第14回のドームの敗者復活戦の元ネタだったのでしょうか?
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もしかしたら、その賞金争奪ジャンケン大会が、第14回の東京ドームの敗者復活戦のルーツではないでしょうか?
ジャンケン開始前に福留さんが、警察関連はいないかと確認する下りに笑ってしまいました。