アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人の一般常識を基本に創られていました。
このブログでは、毎回クイズ問題を振り返って「今だから話せる裏話」を書いて来ました。
では、番組がスタートした最初の問題は? と思う方が多分いることでしょう。
そこで本日は、第1回の最初のクイズ問題を振り返って、当時の状況をご紹介したいと思います。
昭和五二年のスタートですから、四〇年も前の出来事であり記録は全て残されているので正確な報告が出来ます。
第一次予選は、後楽園球場を借り切るほどの大番組では有りません。そこで内野席を借り切ってのスタートでした。
球場ではジャイアンツの試合がある為、選手が練習している中での〇✖の札を上げての開始でした。
全国から集まった挑戦者は四〇四名。この中で八〇名が第一次予選を通過するという戦いです。
その記念するべき第一問目は?
問・上野動物園のパンダ夫婦の名はリンリンとランランである。〇か✖か?
答・✖
解説 カンカンとランラン。その後昭和五四年九月のランランが死亡。翌年の一月に新婦のホアンホアンがやって来たのです。
因みに「リンリンとランラン」は、当時双子の女性アイドルが存在したので、勘違い問題でした。
この問題は、四〇四名の中で三八〇名が正解し、一次予選の八〇名に入ろうと懸命の戦いが始まったのです。
因みに第二問目は?
問・巨人軍長嶋監督の背番号は「3」である。
答・✖ 3は現役時代で、目の前でノックをしていた監督の背番号は90で三八〇名中一三名が脱落しました。
MCの福留さんも、「目の前で監督の背番号が見えるでしょ」と冷やかし爆笑を買ったものです。
こんな長閑なスタートでしたが、第一回の放送があると爆発的な視聴率を上げ、即第二回が放送される事になったのです。
二回目からはご存知のように、第一問は球場の外に張り出され〇と思えば内野席、罰と思えば外野席の形式になりました。
球場の外で問題が解るので、「何処で調べても良いです」と挑戦者に挑戦状を突きつけた方式になりました。
但し、何処で調べても正解が解らない「自由の女神」の問題になったのです。
そのため、アメリカ大使館に電話で問い合わせをする人間も居ましたが、日曜日なので電話には出てくれません。
その後、「自由の女神」問題が固定され、問題を創る我々も苦労する事になり笑えない状態が毎年続いたのです。
本日の裏話は、ウルトラクイズの第一回目の第一問の問題を振り返り、その当時の懐かしい状況をご紹介しました。
諺で「一〇年一昔」の言葉がありますが、我々の番組は「四〇年四つ昔」の古い話です。
でも、そんな話を毎回読んで下さる皆さんに、心よりの感謝を申し上げると共に、まだまだ気力の続く限り頑張ります。
本日は、読者の皆様への感謝の気持ちをお伝えした次第です。
TSUTOMU様、今でもウルトラクイズは録画した物やYouTubeで、よく拝見させて頂いています。こちらこそ感謝で一杯です。