アメリカ横断ウルトラクイズでは、クイズ会場を求めてアメリカ各地を歩きまわりました。
テレビ番組ですから、珍しい風景や建物なども会場選考の重要な要素になるのは言うまでもありません。
第11回でメキシコのユカタン半島を訪れた時、マヤ文明の遺跡チチェンイツァを訪ねました。
マヤ文明は数学と天文学に優れていて、金星の観測から作った暦は一年の誤差が何と5分という精密さで後世の学者達を驚かせています。
そのマヤ人が、ユカタン半島のジャングル地帯には絶対にありえない巨大な石を積み上げて、ピラミッドを作ったのがチチェンイツァです。
何処からどのような手段で石を運んだのか、謎が謎を呼ぶロマンの世界がそこにあったのです。
この地ではマヤ文明に敬意を表して、クイズ問題も数字が答えになる問題ばかりを集めて行いました。
題して「ピラミッド駆け上り数字クイズ」です。
ピラミッドの階段の数は全部で92段。
挑戦者は答の数字の数だけ階段を登れるのですが、誤答は間違えた数だけ登った階段を降りなければならないというルールです。
どのような問題と答えがあったのか、幾つかの例を挙げてみます。
問・
鎌倉時代に阿仏尼が書いた「いざよい日記」。この「いざよい」とは幾つの夜と書く?
答・
「十六夜日記」で、16が正解。16段階段を登れるという形式です。
問・
日本の都道府県、都道府を除けば県の数は幾つ?
答・
43県。
正解ならば43段一気に登れますが、もし、間違えるとその数だけ降りなければならないという罰が加わります。
この調子で、兎も角92段登らないと次のチェックポイントまで進めません。
それにしても答が全部数字というクイズ問題は、意外や随分沢山ありました。
皆さんも、数字のクイズ問題を考えてみませんか?
この場所でのとっておきの話。
司会の福留さんが、実は高所恐怖症であるという事が判明したのです。従ってピラミッドの階段を上るのも下るのも、スイスイとはいかず、それを補助するAD君たちが身体を支えながら1段1段階段を降りるなど、苦労をしていましたっけ…。
今だから話せる裏話でした。
豪華なクイズでしたね。
答えがわからない時にはパスする勇気が必要ですし、答えが複数あったのも魅力でした。(巨人軍の永久欠番の問題だったでしょうか?)
罰ゲームの一泊はある意味豪華だったかもしれませんね。
罰ゲームは撮影するスタッフも一緒でしたから、みんなで苦労したのです。お墓の中で一泊なんて、通常の生活では経験できない体験で、今になれば貴重な体験でしたね。
こんばんわ。
マヤのピラミッドを使ったクイズは本当に斬新でした。
たしか、秋分の日だったこともあって、
ヘビの影ができる貴重な映像も放送されていたはず。
ところで、当時の映像を振り返って見てみると、
ピラミッドの周辺には挑戦者やウルトラのスタッフさん達しか、
映っていなかったように覚えています。
(観光客もパッと見た感じではいなかったような…)
これはメキシコ政府に「ピラミッドを何時間か貸してください」と、
他の一般の観光客の方に「何時間か見学しないでくださいね」と、
それぞれお願いをしていたのでしょうか?
だとすると、ものすごく贅沢な(!)クイズだなあと思います。
鋭い指摘ですね。あの場所は、クイズ当日貸し切り状態で撮影しました。クイズの形式上、他の観光客が入り込んではスムーズな撮影が出来ないからです。場所によっては同じような対応をした所も数多くあったと思います。ドラマの撮影にも似た贅沢なロケでした。
はじめまして。
ウルトラクイズ(U/Q)の一ファンとしては、チャリTシャツを見ると、何故か○×、ピンポン・ブーが恋しくなります。
正解だと加点、不正解だと減点の数字クイズ、ありましたね。当時のU/Qとしては画期的なやつだったかと思います。
今ならば、数字で答えるクイズはデータ放送、インターネット、電話(スマートフォンでもOK)などを利用して視聴者も参加できる問題にうってつけでしょう。
U/Qでは、教科書を見ればわかるようなものは問題とはいえない、というのは本当のようですね。
その代わり、U/Q版ご当地Qというか、チェックポイントに関連するサービス問題は覚えがあります。今ならば、その手のサービス問題としては、
例題:チチェン・イッツァがUNESCO世界遺産に登録されたのは(西暦/和暦)で何年?
解答:西暦ならば1988年、和暦ならば昭和63年。
といったところでしょうか?
コメント有難うございます。ご当地問題は比較的単純な問題でしたが、挑戦者にとっては情報を収集する手段が限られていて、皆さんが持参した「地球の歩き方」のような旅の案内書が主でした。でも、我々はその様な書籍を避けて問題を作っていましたので、挑戦者は苦労していました。数字問題で「昭和何年?」は、あの場所では良い問題でしょうね。採用! って所です。
こんばんは、ノリです。
第11回のチチェンイツァの駆け上り数字クイズ見てました。
最初の問題に正解したのは、
山賀さん、稲川さん、宇田川さんの3人でした。
その時司会の福留さんが「足が震えてまして」と言っていたのを
僕は覚えています。
都道府県の問題が終了した時点で3人があと1段になりました。
次の漢字の問題(墨は漢字で何画?)で、
3人が見事勝ち抜けました。
その後勝ち抜きが続き、
最後に残ったのは藤村さんと中村さんになりました。
藤村さんが六角形の問題でつまづき、
一年の祝日の問題では2人とも23段降りてしまいました。
(正解:29「放送当時では4月29日『天皇誕生日』」)
そして小学校の問題で中村さんが勝ち抜き、
藤村さんが敗者になりました。
それにしても子供の頃から数字が好きな僕にとっては、
本当に楽しいクイズでした。
番組を中継しているように、細かく記憶なさっているのに驚きです。子供の頃から数字が好き、実に良い趣味ですね。逆に私は数字に弱かったので羨ましい限りです。又のコメントお待ちします。