難問が出来るまでの過程

アメリカ横断ウルトラクイズでは、時々、超が付くような難しい難問が出題されていました。

中にはそんな問いに答えられる筈が無いというような難しい問題もありますが、時にはそれをラクラク答えてしまう挑戦者も居て、その辺が視聴者の驚きにつながるのですね。

時々勝者予想というお遊びを取り入れたのも、こうした難問に答える人を引き立たせるためのテクニックでした。

では、なぜ突然そのような難しい問題が登場するのでしょう?

例えば以下のような経緯で誕生した問題があります。

世の中で女性の活躍が話題になっているので、「女性解放運動」に関する問題を作るように問題作家に注文を出したのです。

女性解放運動の創始者と言えば平塚らいてふに行き付きます。

そこで、彼女の伝記を調べた作者が婦人文芸誌「青 鞜 (せいとう)」の創刊号に執筆した論文の中に在る名言を発見したのです。

その言葉が第11回のバッドランドで出題された難問でした。

女性解放運動の創始者、平塚らいてふは「元始、女性は何であった」と言った?

平塚らいてふ

答・太陽

解説

明治44年の9月に創刊号が出され、その中にこの名言があったのでした。

今でこそ「有名人の名言集」という書籍が各種出版されていますが、当時はその様な参考資料も少なく、このような言葉を知っているだけで「クイズに強い」というインパクトがあったのですね。

クイズ問題はアトランダムに漫然と並べている訳ではなく、毎回出題のタイミングを考えながら強弱を付け、順番を決めていたのでした。

と言っても思い通りには運ばず、空回りが多かったのですがね。

我々が計算したように、正解、誤答、がその通り上手く進行する訳もなく、でも我々はそれを予想しながら、本番前夜クイズ問題の並びに、頭を悩ませていました。

漫画みたいな行為でしたが今だから言える本音です。

「難問が出来るまでの過程」への4件のフィードバック

  1. こんばんは。

    リアルタイムで見ていた小学生の頃は、それこそ、「アトランダムに漫然とクイズ問題を並べている」という印象しかありませんでした(申し訳ありません)。

    しかし、大きくなって、(わずかながら)クイズをかじってから、改めてウルトラの問題を見ると、最初にご当地ネタの問題を出したり、出題ジャンルが文学や歴史・科学など特定の分野に偏らないようになっていたり、ときには難問、ときにはダジャレのような問題を挟んだりと、すごく工夫をされていたんだなぁと感じます。

    再放送される第13回ウルトラクイズですと、(詳細はネタバレになるので伏せますが)、メンフィスの「アヒルちゃん・タイムショッククイズ」の最後の問題は、最高傑作・芸術的な問題だと思います。

    過密スケジュールの中、クイズ問題の並びにまで配慮されていた福留アナやクイズ作家のみなさんには、とても頭を上げられません。

    1. 「アヒルちゃん」の最後の問題は良く気が付きましたね。あれは計算道理、見事にはまった例です。
      そんな事までと思われるでしょうが、我々は職人のこだわりに似た気持ちで番組を作り上げていました。
      これって、結構疲れる作業だったのですよ。
      ウルトラはそんな人間の集まりでした。

      1. まさに職人集団、プロ中のプロ集団だったんですね…。テレビの業界のことは素人なのでまったく分からないのですが(苦笑)、最高のアイディア問題だったと思います。

        ちなみに、最近ビデオを見返していて気付いたのですが、あのアヒルちゃんは全部で「5羽」。挑戦者も同じく「5名」。数字までかけていたとなると…。ますます、頭が上がらないです。

        もうすぐ再放送。楽しみです。

        1. 再放送で、またまた皆様の関心が高まる事を期待しています。初めて見た人の感想が聞きたいですね。

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