アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題を振り返ると、現代に通じる問題が時々見られます。
今年は中学3年生の天才棋士、藤井聡太四段の連勝記録達成が連日話題になり、将棋ブームと言えそうです。
ブームとなれば飛びつくのが大衆心理。テレビでは将棋関連の企画が続出し、基礎知識が解説されています。
将棋は囲碁と共に、古くから伝わるゲームであり、子供の頃から親しんだ人も多いはずです。
ルールを理解している人もあれば、全くの門外漢もいるでしょうね。
そうした人のために、番組では面白いルールの解説をして、将棋への関心を高める努力が見られます。
そんな現代に通じる問題が、第11回の準決勝で出題されていました。
問・将棋で、勝負を翌日に持ち越す場合、その日の最後の一手を指さずに手紙に書いて、次の日まで立会人が保管する事を何という?
答・封じ手
解説 これは勝負の公平さを保つ、将棋の優れたルールと言えるでしょう。
対戦相手が最終局面を読み、翌日まで時間をかけて次の一手を考えてしまっては不公平です。
これを防ぐため、立会人に手紙で書いて保管し、翌日は書いた一手から再開するとの決まりです。
頭脳のゲームだけに、頭脳を使って厳しい厳格なルールが出来上がっているのですね。
これに対しスポーツでは、審判や審査員の不公平な判定が時々話題になります。
日本古来の将棋では、判定で揉める事は絶対にありません。ルールに曖昧さが無いからですね。
スポーツのルールも、曖昧さが無いように徹底する事が選手、ファンに不満を残さない事になるのでしょう。
将棋ブームで浮かび上がったスポーツのルール、関係者には厳格さに関し、一考を願いたいものです。
将棋の問題で私が印象に残っているのは、第12回第1次予選でのこの問題ですね。
問・将棋の対局中、相手側に回って将棋盤を眺めるのは反則である。○か×か?
答・×(反則ではない)
この問題の解説として出てきたのが、この行動をよく行っていた加藤一二三(愛称・ひふみん)九段でした。
今月20日、「負けたら規定により引退」の対局に残念ながら敗れ、62年にわたるプロ棋士生活に幕を
降ろしましたが、藤井聡太四段がプロ棋士になって最初の相手が、加藤さんだったんですよね。昨年
12月のことでした。そこから現時点で負け無しの29連勝ですからね…本当に頭が下がります。今月26日に
29連勝を決めた対局中、問題文の「相手側から将棋盤を眺める行為」(ネット上では「ひふみんアイ」と
呼ばれているそうです)を藤井四段も行っていたことが話題になり、加藤さんが自身のツイッターで
「聡太、ひふみんアイを継承してくれてありがとう。」
と賛辞を送っていたのが嬉しかったですね。将棋界の世代交代を、目の当たりにする事ができました。
藤井聡太さんの人気は凄いですね。記録をどこまで伸ばすのか?
将棋ファンでなくても興味が湧く、凄い天才に声援を送りたいものです。
金曜日には名古屋のTV局製作でありながら、異例の東京ほか一部地域でも同時ネットされるほどのドキュメンタリーが放送。
ナレーターがアマチュア四段であるアノ欽ちゃんですよ! スゴいことですよねぇ!
連勝中はウルトラ同様、知力・体力・時の運の要素もすべて関わっていたことが、番組で初めて知りました。
相手側のミスひとつで、劣勢から逆転したりとかもあったのですね!
やはり、ウルトラファンであれば、4代Q女王“ハチマキ娘”が頂点に立ったラスト問題「千日手」という言葉にも反応したでしょう!
さて、お話は16回の再放送③に関して、8回同様“インディアン”表現についてのお断りが冒頭にあり、(当時)オリジナリティ尊重で放送と出てました。
第8CP・サンタフェの冒頭でふれた“将来の貴花田(→貴乃花)夫人”宮沢りえさんの写真集…のくだりもそのままスルー。
あの時も社会現象となる大物カップル誕生…のはずが、翌年頭に“白紙”へ。
ご存知のとおり、後に福澤さんの同期(88年)である河野景子さんと結ばれることになります。
(最近、息子さんは靴職人でメディア露出しています。)
“内助の功”になるのは、それぐらい大変なんだなぁと再放送の翌日を迎えたら“青天の霹靂”が…
木曜日の夜に、市川海老蔵さんの奥様でフリーアナウンサーの小林麻央さんが帰らぬ人に…
享年34、16回挑戦者でいえば“呉服屋の若旦那”さんが当時34歳で同じ、“越後おやじ”ならぬ“越後美人”でもあります…
そして、皮肉にも第9CP・アトランタで敗者“ヒーマン”さんが痛恨の誤答をしたのが「勘太郎(当時)・七之助兄弟のお父さん…」と歌舞伎問題…
(当時の正解は五代目・中村勘九郎、後の十八代目・中村勘三郎さんで、六代目・勘九郎さんが勘太郎から襲名。)
先週の野際さんもそうでしたが、アナウンサーでガン闘病といえば、93年末に亡くなられた逸見政孝さんの時もショックが大きかったです…
ウルトラ終了報道と同年だったのが重なったこともありますが、日テレでやっていた逸見さんの3番組ともウルトラ関係者(徳光・福留・福澤)が引き継ぎました…
何か、あの時に似た「これから…」という所での“最期”が突然やってきたことで、昨年末に父を亡くした自分も適切な言葉が出ないですね…
訃報から一夜明け、改めて麻央さんの功績が今の女性フリーアナ界を築き上げてきたことがわかりますし、梨園の妻になってもずっと笑顔を絶やさずにいて、プロとはこういうものだと思いましたね…
かつてレギュラーを務めた番組の様に“奇跡体験”を起こしてほしかった、ありきたりですが、ご冥福をお祈りします…
相変わらずのテレビ研究、ウルトラ・クイズとの対比でお疲れ様です。
歴史と共に、去って行く人気スターも多いですね。
訃報に関しては、ご冥福をお祈りします。