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アメリカの出発点ドミニカで思うこと

メリカ横断ルトラクイズは、その名の通り毎年アメリカ各地を横断して、クイズを行なってきました。
クイズ地を選ぶために、毎年ロケハンという名目で、各地を旅してクイズ会場となる場所を探し、実際に目で見て決定に持ち込むという手順を踏んで進行していました。
各地を訪ねるには、何らかの理由が必要になります。単にその場所に行ってみたいから、という理由では会社側の許可は出ません。我々は、毎年ロケハンの前に、その場所に行く理由を考え、それに沿ってコースを決めていたのでした。
第15回で、カリブ海の楽園の島、ドミニカ共和国へ行きましたが、その時の理由は、アメリカの出発地点を見てみようというこじつけでした。

Dominican_republic


1492年、かのコロンブスが黄金の島、ジパングを目指してスペインを出発、90日後に辿り着いたのがこの島だったのですね。これは中学校の教科書で習ったので、誰でも知っている常識。それをやっと思い出して、ドミニカをロケハンの地に選びました。

年なら、WBCがらみで話題の国ですから、視聴者だって「どんな国?」と興味をもたれる事でしょうね。
もっとも、当時も野球の盛んな国という認識は皆さん持っていたと思いますよ。
例えばアメリカのメジャーで、当時スーパー・スターだったサミー・ソーサー選手がドミニカ出身で、これは日本の野球ファンには、広く知られた情報だったと思います。

実際にドミニカ共和国に行ってみると、スペインの文化が色濃く残っていて、エキゾチックな雰囲気で季節は陽気な常夏の島でした。

ドミニカ2


勿論、コロンブス関係の旧所、名跡は各所にあって、クイズ地としては全く問題は無さそうです。

ドミニカ3


車で、ドミニカ各地をアチコチ走り廻り、人々の生活を見て歩いたのですが、確かに野球は盛んで、グラウンドでは子供たちが熱心に練習をしていました。
他の国では、道路でサッカー・ボールを蹴って遊んでいる子供が多いのですが、それよりは野球の方が目に付いたという印象でした。
当時の資料によれば、野球はドミニカの国技とも言われている、と書かれていますので、盛んなはずですね。

この頃、ドミニカでもう1つ知られていたのは「メレンゲ」というリズムでした。
これは、ドミニカで生まれたカーニバル舞曲で、タンボーラという太鼓を使って演奏され、2小節毎に連打のリズムが入るのが特徴、との事です。
何故私がそんなに詳しいのか? 実はご当地クイズで出題されたので、その資料を見ながら書いている情報なのです。

ドミニカは発見当時、インドと間違われたために、今でも西インド諸島の中にあるイスパニオーラ島と呼ばれ、島の半分はハイチ共和国なのです。
これもご当地クイズで出題された知識からの引用です。
こうして振り返って見ると、ウルトラクイズのご当地問題は、結構ためになる事を問題として採用していたのですね。
ウルトラクイズでは、単なる知識は「教科書問題」と呼ばれて、採用しないようにしていましたが、教科書を作る皆さんも、クイズ問題を作るような気持ちで、子供たちが興味を持つような話を加えて、教科書を作ったら、もっと勉強が楽しくなるのではないかなぁ、と思うのです。
今日は手前味噌のお話でした。

スーツケースに凝ったスタッフ達

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎年1ヶ月の旅を続けます。
旅の荷物を入れるのは、スーツケースですが、どんなに丈夫な造りでも、1ヶ月間旅を重ねると、アチコチが傷だらけになってしまうのは仕方が無い事ですね。
何しろ飛行機に載せたり、降ろしたり、バスに積んだり降ろしたり、その度にポンポン放り投げられるような扱いを受けるのですから、新品のスーツケースも半月もしないうちに、アチコチ傷が付いて、それをいちいち気にしていたのでは、とても旅は続けられません。

は最初の頃は、ソフトタッチの合成皮革製のスーツケースを使っていました。
これだと乱暴に扱われても、その都度凹むような事がないので、気にならなかった利点がありました。
しかし、これも3年4年と使ううちに傷が目立ってきました。
この頃、あるスタッフがハリバートン社製のZEROのスーツケースを使い出したのです。

ZEROは、その頃宇宙飛行士が宇宙へ旅発つ時に、お揃いのアタッシュ・ケースを持ってニュース映像に出て人気のブランドになっていました。
それだけに、普通のスーツケースの何倍かの高価な値段が付いていました。
しかし、例えば水に浸かっても、ケースの中には水が入らないという神話があって、それだけのお値段が付いていたのでした。
いくらなんでも、そのような高価なスーツケースを持つ身分ではないと、横目で見ながら、羨ましく思っていたのでした。

ゼロハリバートン

ころがある時、ニューヨークZEROの店を発見し、値段を見ると日本で買う半額以下の定価だったのです。
そこで、店員さんと交渉すると更に3割程度値引きをするというのです。
しかも、ゴールド、シルバー、ブラックと色も揃っています。
これを見逃す手は無いとばかり、最初は大型のスーツケースを買って、得意な顔で持ち帰ったのです。
すると、これを目ざとく見つけたスタッフが、「幾らだった?」と聞くので、正直に答えると、彼も仲間とすっ飛んで、そのお店に駆けつけ、同じようなスーツケースを買い求めました。

は思いは同じで、スタッフはみんな最初のZEROを横目で眺め、何時かは自分もと思っていたのでしょうね。
私は次の年も、また次の年も我が構成作家の後輩には、「このスーツケースは丈夫だぞ」と勧め、我々のチームは全員お揃いのスーツケースを持つようになりました。

こうした流れは、演出チーム、技術チームにもすぐに伝染し、「もっと安い店を見つけた」というような情報が乱れ飛び、たちまちウルトラのロケ・チームの荷物は高価なZEROのスーツケースのオンパレードとなったのです。
ホテルでは、ポーターが荷物運びを手伝ってくれるのですが、彼らは我々のスーツケースを見るなり、「Oh!」と目を見張るのです。
日頃彼らは、旅行者の荷物を見て、客の品定めをする癖が付いているのでしょう。
多分「上客だ」と喜んだと思うのですが、その割にはチップの額が荷物1個1ドルという決まりで渡していたので、がっかりさせたかも知れません。

ZERO

大声クイズで一皮むける

メリカ横断ウルトラクイズは、視聴者参加番組でした。
全く無名の挑戦者だけで、2時間の番組を進めるという訳ですから、見ている人を退屈させないように、いろんな仕掛けを作らなければなりません。

論、クイズの形式を面白くする事が第一なのはいうまでもありません。
また、クイズ問題も視聴者の興味を引き付ける重要な要素といえるでしょうね。
更に挑戦者を応援したくなるような、魅力が無ければ、見ている人は納得してくれません。
では、どうしたら挑戦者が魅力的になるのか?
我々番組の構成者はいつもそのような事を考えていました。
そして、或る時、気が付いた事がありました。
挑戦者が格好よく振舞ったり、人を感心させるような発言をしたり、そのような事では中々魅力を引き出す事は出来ません。
本職の役者さんならいざ知らず、素人の演技で人を引き付けるのは難しいのでしょうね。
それよりも、見栄や、恥や、外聞をみんな捨て去って、素顔の人間が見えたときに輝いて来る事が解りました。
つまり、一般的な言葉で「一皮むけた」という時に、その人の魅力が出てくるような事が解ったのです。

は、見栄も恥も外聞も捨て去る方法は?
これをクイズ形式の中で、見事に表現できたのは、大声クイズ」という形式でした。

大声クイズ2

ルールは簡単にして単純です。
クイズの答えが解った人は、早押しボタンを押す代わりに、お腹の底から思いっきり大声を出して、絶叫するのです。
その音量がある一定の基準に達するとウルトラ・ハットが起き上がり、回答権が得られるという仕掛けです。

それまでは、何となく周囲を気にして、或いは馬鹿な真似はしないように、と見栄を張っていた人でも、そのような事を気にしていたのではウルトラ・ハットは立ち上ってくれません。
人の目など気にせずに、辺り構わず大声を出して絶叫しなければなりません。
最初は恥ずかしがっていた女性でも、幾ら叫んでもウルトラ・ハットが立ち上がらないのを知ると、やがて恥も外聞をかなぐり捨てる事を決心するのです。

ウルトラハット

うなると顔を真っ赤にし、身体をよじらせ、お腹の底から絶叫します。
それを2度3度繰り返す内に、見栄も外聞もどこかに飛んで行ってしまいます。
その時に初めてその人の素顔が見えてきて、本当に良い顔になってくるんですね。
視聴者のみなさんからは、良くそのような感想を頂きました。

大声クイズ

この大声クイズを初めて採用したのは、第8回チェックポイントであるリノでしたが、以来レギュラー形式のように、時々採用され、挑戦者の素顔を引き出す役割を果たしてくれました。

ウルトラクイズには、いろいろなクイズ形式がありましたが、このようにそれぞれの形式に何らかの目的が隠されていたのです。

お元気ですか?自由の女神様

メリカ横断ウルトラクイズと言えば、すぐに思いつくのが自由の女神でしょうね。
逆に言えば、自由の女神と言えば、連想ゲームで「ウルトラクイズ」となってしまうくらい、我々にとっては切り離せない関係になっていました。
我々スタッフにとっては、自由の女神は、ご本尊様みたいな存在です。
では、我々がどのくらいの頻度で、ご本尊様を参詣していたかと言うと、実はそれほど数が多くありません。
もっとも名称が女神さまですから、参詣と書きましたが、信仰の対象ではないので、この表現は正しくありませんよね。

自由の女神2


個人としては、第6回の時に、初めてリバティ島へ行き自由の女神に登りました。
その時は銅像の中に螺旋階段があって、冠部分までこの階段を登り、王冠の窓からマンハッタンのビル群を望みました。
ここは、30人ほどの人間が入れるスペースになっていて、当然、観光客の皆さんも同じような行動を取っていました。

ところが、最近久しぶりに自由の女神をネットで調べて見ると、今は王冠の部分までは登れないのだそうです。
9,11の同時多発テロ以降、あらゆる場所で警戒が厳しくなって、現在は台座の頂上部分までしか開放されていないそうです。
折角ニューヨークまで行って、自由の女神に登れないなんて、当時のウルトラ・ファンなら怒ってしまうような出来事です。

た、当時と状況が変化した情報もありました。あの頃は自由の女神は灯台としての役目もはたしていて、アメリカの公式灯台リストの381番に登録されていました。
ところが、光が弱いという理由で、現在は灯台のリストから外されているのだそうです。

久しぶりに、ネットで自由の女神について調べてみたのですが、ここから新しい問題はもう生み出せないくらい、細かい情報が書き込まれていていました。
やはり、ウルトラクイズは、現在のようなIT時代には向かない番組だったのかもしれません。

自由の女神

ニューヨークの休日

 メリカ横断ウルトラクイズで、アメリカ各地でクイズを行い、最後はニューヨークで決勝が行われるのが、番組のお決まりのコースでした。
私がこの番組をやっている事を知った友人は、大抵が「アチコチ旅が出来て良いなぁ」という感想を述べます。
確かに旅が出来るというメリットはありました。
しかし、プライベートの旅行と違って、仕事ですから一日たりとも気が抜けません。
本当に気分が開放されるのは、決勝戦が終った後の1日しかなかったような気がします

分これは私だけでなく、全てのスタッフが同じような気持ちだったはずです。
その貴重な1日を、ニューヨークでどのように過ごすか、ウルトラスタッフの行動パターンを書いてみたいと思います。

決勝戦が終った其の日の夜は、前にブログでご紹介したロケの打上パーティが行われ、夜遅くまでお酒を飲んでいるので、ホテルに帰って寝るだけです。
翌日はスケジュール表に、起床時間就寝時間空白一日自由行動と書かれています。
1ヶ月の旅で、一日自由行動というのはこの日しかありませんから実に貴重な1日なのですね。

はいえ、全日を1人で行動する人は居ません。
大抵が気の合った仲間と連れ立って、街中を歩き回ります。
ショッピングに打ち込む人は場所が2つに別れます。
一つは名店が並ぶ番街に向かう人達。

五番街

これは大抵妻帯者で、家族へのお土産にブランド物を買うのが目的だったと思います。
もう一方は若者文化のソーホー地区へ行く若手メンバー。

ソーホー

かれらは流行の先端の掘り出し物を探すのが楽しみだったと思います。

の地区をウインド・ショッピングしていると、スタッフ同士が何回も店の中で接触する事になり、一緒に昼食を取る事になります。
或いは、美味い店の情報交換をしながら、別々の店に向かう事もあります。

午後はショッピングで過ごし、夕食は事前に決めていたレストランを予約するのが通例でした。我々はニューヨーク在住のコーディネーターから、安くて美味いお店の情報を得ていましたので、我々に合流するスタッフが多かったような気がします。

年の事ながら、ほとんどのスタッフが食事は多分8時くらいに終わり、ホテルへ引き上げます。
そして少しオシャレな衣装に着替え、ミユージカルの観劇に向かいます。
確かミュージカルの開演時間は9:00頃で、終演が11:00過ぎだったように記憶しています。
夕食の後にたっぷりと遊ぶ、この辺が大人の街という印象ですね。
毎年、人気の演目は切符が取り難いという事情があったので、コーディネーターの配慮で、事前に予約をしていました。

broadway

時の旅行案内によると、ミュージカルを見る時の服装は正装が望ましいと書かれていました。
しかし、実際は正装の客も結構居ましたが、TシャツにGパンの人間が居ないわけではありません。
我々は出来るだけフォーマルなスタイルをしましたが、中には草履で短パンというロケ現場の格好でやって来る猛者もいました。

々がウルトラクイズでアメリカへいっていた時代には「キャッツ」「エビータ」「シカゴ」「オペラ座の怪人」などが人気の演目で、それらを見たような気がするのですが、今振り返るとあまり良く覚えていないのが残念です。

もっとも当時を思い出して見ると、ミュージカルの劇場で、よく居眠りをしている人が居ますが、
我々の仲間はみんなコックリコックリと気持ち良さそうに船を漕いでいて、勿論、私も例外ではなく、久しぶりの休日で、すっかりと気が緩みきっていたのでした。

時のウルトラクイズのスタッフは、所詮は、休日が似合わない体質になっていたのでしょうね。