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スタッフと挑戦者の距離

メリカ横断!ウルトラクイズをご覧になったみなさんは、スタッフ挑戦者は毎日一緒に飛行機に乗ったり、同じホテルに泊まっているのだから、さぞや仲良くしているものだろうと思われるかもしれません。
でも実際は、この両者にはかなりの距離が置かれていたのです。
ず、ホテルは出来る限り別の場所に泊まります。
食事も一緒になるような事はあまりありません。
クイズの本番当日も、クイズが開始される直前に会場に到着するようにスケジュールが組まれています。
スタッフと私的な会話を交わす時間はほとんど持てないように、配慮しているのです。
ただ例外もあって、司会者、デレクター、構成の私は時々挑戦者と会食をし、彼らの心境や個人情報を聞き出し、番組に生かすような材料を探しました。
戦者とスタッフの距離を置いたのには理由があります。
もし、挑戦者とスタッフが親しく言葉を交わすようになると、クイズの公平さが疑われないとも限りません。
ましてや挑戦者には可愛いお嬢さんや、イケメンの男子もいたりします。
スタッフの若者や女性スタッフが、こういった挑戦者に好意を持ったとしたらどうでしょう?
有り得ないとは思いますが、えこ贔屓が起こらないとも限りません。
一瞬でも視聴者がそのような疑いを抱いたなら、番組の致命傷になってしまいます。
だから、あくまでも公平に、特定の挑戦者を番組が応援しているような姿勢が出ない様に配慮していたのです。
かといって、スタッフが挑戦者に無関心というわけではありません。
それどころか全く逆で、毎日、挑戦者の言動や態度を常に細かく観察し、1人1人の魅力を引き出す作業が行なわれていました。
それが勝者と敗者の別れの場や、罰ゲームの現場で生かされ、カメラに収められて放送されたのです。
れに、もう1つ。
クイズ現場に到着した挑戦者が、辺りの景色を眺めて目を輝かし、感動する場面が毎回のように描かれていました。
役者ならそんな表現も出来るでしょうが、素人にはちょっと無理な演技です。
それを可能にしたのは、ウルトラクイズの積み上げた経験でした。
それは毎回バスに乗って、ホテルを出た瞬間から始まります。

ず、バスの窓にはブラインドが下ろされ、挑戦者にはアイマスクがされて、周囲の景色が全く見えない状況を作ります。
そして何処へ連れて行かれるのかの説明もなく、現場にバスが着きます。
そして目隠しのまま、スタッフに手を引かれて現場に立たされ、突然アイマスクが外されるのです。
初めて見た絶景(が多かった)に誰でも驚きの表情を表すハズだ、と毎回このような手順が踏まれていたのです。

↓Lake_Powell(レイク・パウエル)の絶景

Lake_Powell 

面には見えませんが、随所にこのような細かな配慮がなされ、番組は作られていました。

スタッフ達の食事はどうなっているの?

年70人近い大勢のスタッフが、1ヶ月程一緒に旅をするわけですから、3度の食事はどうなっているの?
と興味を持たれる方もいるかも知れません。
そこで10数年にわたって決められていたルールをご紹介してみたいと思います。
ず、出発前に全員に1人30ドル×日数分の食費が支給されます。
(金額は年によって多少の差があったかもしれませんが)
そして、何人かでレストランに入った場合は、身分、年齢に関係なく全員が割り勘という鉄則があります。
何故なら普通の仕事仲間で飲み食いをすれば、先輩が後輩に奢るというのが当たり前ですが、これだと先輩や上司が破産しかねません。
従って全員が公平というこのルールは、支払いの時、実に爽やかです。
メリカでは、オーダーを取る時に「お支払いはどうしますか?」と店員が聞いてくれます。
そんな時には迷わず
「セパレート!(分けてね)」という事に、全員が慣れています。 
は、全員が毎食毎に外食をするのかと言えば、そうではありません。
演出班、技術班、美術班など、仕事の分類ごとにチームが分かれていますが、各班に料理自慢という人間がいるものです。
の属するクイズ問題担当の作家チームにも、学生時代に板前の修業をしたと言う料理職人の半プロがいて、彼はロケの度に銘入りのマイ包丁を持参する腕自慢でした。
ある年から、我々はジュラルミンのケースに、炊飯器、まな板を始め、割れない食器などを詰め込んで旅をしたものです。
メリカの都市部は別として、ロケ地は広々とした自然の中が多かったので、泊まるホテルもドライブインと呼ばれる低層ホテルが多く、これらの部屋ではキッチンが付いています。
ですから、各班がスーパーに買出しに走り、我が班は「今夜はすき焼き」とか「焼肉パーティー」と情報交換をして、互いの部屋を訪ねて、食べ比べなどをしたものです。
↓スタッフの食事風景

スタッフ食事風景1

尤も、これはクイズの本番が終った日のことです。
クイズの前日には、そんな悠長な余裕はありません。
体会議が終った後には、深夜まで各担当部署に分かれた細部の詰めが、話し合われます。
全体会議の最後に、明日のスケジュールが確認され、プロデューサーから食事の割り振りが告げられます。
例えばこんな風です。
「朝食はまだ、レストランが開いていないので、パンとフルーツとコーヒーを用意しました。荷物の積み込みが終った順に食べてください」
「昼食はロケ現場に、ケータリングを用意しました。(大体周囲には人家が無い場所が多いので、街のレストランが食事を運んでくれる)」
「夜は山羊さんでお願いします」
ムムッ? ヤギさんって一体何のこと?
これはウルトラクイズのスタッフだけに通ずる隠語なのです。
山羊さんはメエメエと鳴きます。
だから銘々で、即ち各人でというダジャレから来た言葉で、飽きもせず毎回使われていました。
↓スタッフの食事風景 

スタッフ食事風景3

ついでに、ウルトラクイズ関係者にしか理解できない隠語をもう一つ。

「今日は挑戦者が同じホテルです。メアリーさんでお願いします」
というのがありました。
この意味は、
「何事も用心深く、不注意な会話をしないこと」
という警告です。
実は或る年、アメリカ人のスタッフにメアリーさんという若いお嬢さんがいました。
彼女に因んで誰かが言った言葉が定着したものです。
諺の
「壁に耳有り、障子に目有り」。
この「目有り」だけを取ってメアリーさんとなりました。
即ち、挑戦者が同宿なので、クイズの形式、問題など秘密が挑戦者にばれないように、会話は慎重にという事です。
ーテルの部屋で自炊をするのが定着したある時、マイアミの高層ホテルに宿泊しました。
しかし、我々はいつものように部屋で焼肉を始めました。
すると、匂いが廊下まで漏れ、それにつられて隣やその隣のスタッフが覗きにやってきて、人数がどんどん増えてしまったのです。
が付いたら見知らぬ外国人までが、ワインのボトルを片手に入ってきて「楽しそうだね」と仲間に加わっているではありませんか。
「これは不味い。ホテルに知れたら問題になる」
と心配したのは当然です。
ところが、その外人さんが言いました。
「僕はこの階を担当するホテルマン。今はOFFだけれど、後で消臭剤で匂いは消すから、心配ない。ジャパン、バンザーイ!」

だって。

アメリカ人って、本当に明るくて、フレンドリーな人が多いなあ、と感心しました。

↓スタッフの食事風景 

スタッフ食事風景2

世界初!海底での早押しクイズ

レイジーと言われようが、非常識と言われようが全く気にしないで、やりたい事をやってのけるアメリカ横断!ウルトラクイズ
の中でも、珍妙、馬鹿っぽさ、どのように表現しても、言い表せないのがカリブ海の海底を会場に行なわれた早押しクイズでした。
所は、バハマの首都、ナッソーの沖合いでした。

↓ナッソーの場所

ナッソー地図

ハマはカリブ諸国の中では、経済的に最も豊で安定した国といわれます。
国としては1,973年にイギリスから独立したばかりで、観光地として欧米人に人気がありました。
昼は真っ白い砂浜の海水浴場があちこちに点在しており、ヨット、水上バイク、パラセールなどマリン・スポーツが盛んです。
一転、陽が落ちれば華やかなショー・ビジネスが幕を開け、カジノで徹夜をする人も多い、と資料にありました。
となれば調査を開始、とばかり我々は現地をロケハンすることにしたのです。
この国はアフリカ系が85%、欧州系白人が12%、残る3%がアジア系及びヒスパニックだそうです。
↓bahamas?nassau ナッソー

bahamas?nassau

々が空港のロビーに出ると、現地の皆さんが素晴らしい民族楽器で癒し系のメロディーを演奏しています。
しばし立ち止まって聞き惚れていたところ、我々を日本からの客と認識したのでしょうね。
突然、坂本九さんの「上を向いて歩こう」を演奏してくれたではありませんか。
もう旅の疲れも一気に吹っ飛び大感激! 
我々ロケハン一行は「この地で絶対にクイズをやるぞ」と、決めたのでした。
に出ると、白い上着に、真紅のラインの入ったスラックス、というオモチャの兵隊さんのような衣装の警察官が交通整理をしています。

↓バハマ警察の音楽隊

バハマ警察_音楽隊

るでお伽の国へやって来たような気分になりました。
さて、それから肝心のロケハンが始まりました。
島のアチコチを見て回るのですが、美しい海岸以外に恰好な材料が見当たりません。
企画会議でこの報告をすれば、

「毎年レギュラーのクイズ地となっている『グアム島』や『ハワイ』と何処が違うの?」
と、冷たくこき下ろされた挙句、「ボツ!(没)」と却下されるのは目に見えています。
こでディレクターのS氏やK氏、コーディネーターのM氏達と焦って、島中をネタ探しに走り回った結果、面白い話を聞き込んだのです。
この地に住む白人の青年が、自分のクルーザーで世界初海底散歩をするツアーを始めたと言うのです。
どんな物なのか早速、実際に目で確かめようと、このツアーに申し込みました。
ルーザーは思ったよりも大型で、スタッフが全員乗り込んでも楽勝です。
30分ほど島の沖合いに出て、目的のポイントに着きました。
すると海底散歩のための、ヘルメットが渡されます。
このヘルメットには船上からパイプで酸素が送られますので、呼吸の心配はありません。
船のスタッフの誘導で、水深5~6メートルの海底まで案内され、そこで記念撮影のためにカメラが構えられました。

ると、あら不思議!
何処からともなく、大きな魚が何匹も現れ、私が手を差し出すとその手に抱きかかえられ、おとなしくしているではありませんか。
水中でフラッシュが焚かれますと、その瞬間、魚はスッと私の手を離れ、カメラマンに向かって泳いで行ったのです。
するとカメラマンは予め瓶に用意した餌を魚に与えます。

魚はそれを銜えて「サンキュー」とでも言いたげに、青い水中に消えていきました。
何と彼らは自然界に棲む魚をそこまで飼育していたのです。

水族館のような施設であれば、このようなことも可能かも知れませんが、大自然の海で不特定多数の魚をここまで仕込むなんて、本当に驚きでした。
↓その時の水中写真です

水中散歩

の人達の協力で、世界初となった海底でのクイズが行なわれたのでした。
5人の挑戦者がいつものように、海の底でもスーツ・ケースを引きずって現れた時には、視聴者の皆さんも、きっと爆笑してくれた事と期待してます。

あの世にも珍妙なシーンは、このようなロケハンによって生まれたものでした。

ウルトラの聖地パンナム・ビル

メリカ横断!ウルトラクイズは1977年番組開始から84年までの8年間、ニューヨークでの決勝戦はパンナム・ビル(現・メットライフビル)の屋上で行なわれました。
このビルの屋上こそ、クイズ挑戦者にとっては憧れの聖地だったのです。
パンナム・ビルはパン・アメリカン航空の本社ビルとして1963年にオープンしたものです。
高さ246メートル、地上59階、マンハッタンの中心部パークアベニュー200に建つこの超高層ビルは、当時世界一高い商業ビルとして有名だったのです。
ビルの南北の面に「PAN AM」のロゴが、東西の面にはパンナムの商標である地球儀のロゴ・マークが描かれていて、世界の航空業界をリードしたパンナムの繁栄の象徴として、威容を誇っていました。
また、屋上のヘリポートからジョン・F・ケネディ国際空港まで、わずか7分で結ぶヘリコプター・サービスが有名でした。
Pan Am Building(パンナムビル)

パンナムビル

ころがウルトラクイズが始まった年の5月に、この屋上で事故が発生したのです。
降着装置の故障で、ローターの回転していたヘリが横転し、ヘリ待ちをしていた4人の乗客が死亡。
更にビルの周辺に飛び散ったローターの破片が、マディソン街の歩行者を直撃し、1人が犠牲となって計5人の死者を出したのです。
アメリカのアクション映画でよく見る、マンハッタンのビル群の上空でヘリコプターが墜落するような出来事が、実際に起きたわけです。
この事故によって、パンナムビルと国際空港を結ぶヘリ・サービスは廃止となりました。

↓パンナムビルの事故

パンナム事故

の事故の時に、ローターが屋上のコンクリートを削り取ったのですが、その生々しい傷跡がそのまま残されている屋上が、我がウルトラクイズ決勝地なのです。
テレビをご覧になった方はご記憶でしょうが、決勝戦に駒を進めた2人の挑戦者が、2機のヘリコプターに分乗してパンナムビルに着陸するシーンがありました。
↓決勝に向かうヘリコプター

決勝に向かうヘリ

6回大会決勝戦で、その挑戦者のヘリコプターに私も同乗した時のことです。
目の下に摩天楼のビル群を望みながら、特徴のあるパンナムビルがグングンと近付いてきました。
2機のヘリは1回でスーッと着地せずに、ビルを何度か旋回して降りるような演出です。
最初に接近した時に、屋上のスタッフが何故か慌ててパイロットに何かを伝えようと手を振っています。
無線機に向かって怒鳴っている様子もハッキリと認める事が出来ます。
隣に座っているパイロットを見るとニヤニヤ笑っています。

事かと思って、2回目に接近するとスタッフが総出で何やら合図を送っているのです。
パイロットは相変わらず笑いながら、もう1機のパイロットと交信している様子です。
そこで、隣を飛行しているヘリを見て驚きました。

機のヘリが並行して飛んでいるのですが、ローターが今にも接触するのではないかと思えるほど、接近しているではありませんか。
パンナムの屋上を見ると、スタッフが1人残らず消えているのです。
つまり、決勝の地は無人の状態になってしまったのです。
で知ったのですが、あまりにヘリ同士が近付くので危険と思い、下から離れるように指示を出したのだそうです。
ところがパイロットは

「平気、平気、腕は確かだぜ。ノー・プロブレム!」
と指示に従わなかったのだそうです。
仕方が無いと、万一に備えてスタッフは屋上から避難した、というのが無人になった真相です。
茶目なアメリカ人らしいエピソードですが、後で冷静に考えるとゾーッとするような思い出でした。
と一緒に危険な体験をさせられたのは、優勝者の高橋直樹氏(当時29歳)と準優勝の高木剛氏(当時21歳)でした。
彼ら2人はこの真実を未だに知らないはずです。
れにしても背景に個性的なクライスラー・ビルやエンパイア・ステート・ビルを望めるパンナムビルの屋上は、ウルトラクイズ・ファンにとっては忘れられない印象的なスポットだったと言えるでしょうね。

↓パンナムビル屋上にて

パンナムビル屋上にて

ガテン系ドクター

ルトラクイズの渡米スタッフは、70名近い団体です。
いや、回によってはもっと多い時もあったかもしれません。
これにアメリカ人の現地スタッフが、5~6名加わって1ヶ月近くも一緒に旅を続けるのですから、それは大変です。
タッフを大きく分けるとプロデューサーやディレクター作家などの制作班、カメラマンや録音技師などの技術班、衣装やセットなどを担当する美術班、それに挑戦者を担当する係りと分ける事が出来ます。
これだけの人間が一緒に旅をしながら、一つの目標に向かうわけですから、チームワークが何より大切なのはみんなが解っています。
だからかどうかは知りませんが、毎年スタッフが大幅に入れ替わる事はありませんでした。
つまり、1年に1回、毎年同じ顔ぶれが集まって番組創りをするという体制を作り上げたのです。
しかも、スタッフはプロ中のプロといっても良い顔ぶればかり。
いや、それはちょっと褒めすぎかな、、、
↓アメリカ横断!ウルトラクイズのスタッフ達

ウルトラクイズのスタッフ達_集合写真

れだけの人間が1カ月間も旅をするとなると、健康問題が心配です。
そこで毎年ドクターに同行をお願いする事にしました。
といっても開業のお医者さんに1ヶ月も休んでもらうなどという事は不可能ですので、大学病院にお願いする事にしたのです。
N大医学部、J医科大学の先生方には本当にお世話になりました。
毎年ドクターがジュラルミン・ケースに医薬品を一杯詰めて、参加してくれるというのが恒例となったのです。
うなると、日頃は健康自慢だったはずのスタッフも
「夜、眠れないです」
「疲れが溜まったようで肩が懲ります」
「胃がもたれたようで、スッキリしないんです」
など、なんだかんだと理由をつけて薬をもらうようになり、多くのスタッフがお世話になりました。
方、番組が視聴率を上げるにつれて、大学でも自ら希望して同行ドクターになろうという先生が増えたと聞いています。
んなある年の事、N大からI先生がやってきました。
我々スタッフは、何でも率先して協力するというのが暗黙のルールです。
例えば空港に到着すると百数十個という機材を詰めたジュラルミン・ケースが出てきます。
これをチェックしながら、トラックに運ぶという重労働が待っています。
ホテルに到着すれば、それを降ろして機材部屋に運ぶ、このような作業は全員が参加でやるようになっています。
しかし、ドクターには敬意を表してこのような重労働は免除というのが、例年の決まりでした。
ところがI先生は、自ら進んで荷物運びを楽しんでいます。
それどころか、本番前のセッティングでは、いつの間にか美術班に紛れ込んで、舞台創りを手伝っています。
そのうちに、自分専用のトンカチを腰に挿してトントン叩くかと思えば、のこぎりを使って舞台装置の材木を切ったりしています。
その姿がまったく違和感なく美術スタッフに溶け込んでいるので、スタッフの間では大人気でした。
「私は外科医なので、切った貼ったは好きなんです」
と本当に楽しそうに、張り切っていました。
のガテン系のI先生が参加したのは第9回で、決勝の地がニューヨークではなくパリでした。
花の都、芸術の町、シャンソンの故郷、パリを形容する言葉は沢山あります。
そのパリの中で、エッフェル塔が最も美しく眺められるのがトルカデロ広場と言われますが、その広場が決勝の地でした。

↓トルカデロ広場

トルカデロ広場

こで決勝戦を終え、翌日は丸1日休日という日。
お洒落な街で買い物をする者、パリ観光を楽しむ者、スタッフは気の合ったグループに分かれパリの街に散りました。
々が3、4人でメトロ(地下鉄)に乗っていると、車内の中央で取っ組み合いの喧嘩が始まっているようです。

↓パリのメトロ 車内

パリ_メトロ社内

よく見ると我らが敬愛するIドクターがフランス人の若者の首を押さえ込み、その周囲にいる仲間らしい男が止めに入っている模様です。
しかも、Iドクター一人で善戦しているではありませんか。
我々は直ぐに駆けつけ、

「ドクター、喧嘩はマズい。手を離して」
と仲裁に入りました。
ドクターは我々が現れたので、ホッとしたのか

「手を離して良いんですかねえ」
と、腕の力を緩めました。
その瞬間、フランス人の男と仲間は周囲の人を掻き分けて、地下鉄のホームへ走り出て行ったのです。
こちらも呆気に取られて、「何があったんですか?」と聞くと、

「彼らは集団のスリなんですよ。財布を抜くところを目撃したので、トッ捕まえたんですが、余計な事だったかな」
とケロリとしているのです。

「ええっ!それじゃ捕まえなくちゃ」

と言っても後の祭り。
既にその時、我々の乗った電車は次の駅に向かって発車していました。
初めて行った外国で、しかも一人でスリの現行犯を抑えつけるとは、本当に頼もしいドクターでした。

あれから20数年経ちましたが、I先生はお元気でしょうかね。