タンゴ発祥の地を行く

メリカ横断ウルトラクイズでは度々音楽に関わりのある街に行きました。
ジャズ発祥の地ニューオリンズ、カントリーミュージックの聖地ナッシュビル、そして第12回ではアルゼンチン・タンゴ発祥の地ブエノスアイレスへ行きました。

ルゼンチン・タンゴはどのような環境で誕生したのでしょうか?
ロケハンで訪れた時に、ブエノスアイレスで夕食をとるため、生のタンゴが聴けるレストラン・シアターへ行ったのです。
そこは「カサブランカ」というお店で、タンゴの有名スターが毎晩出演しているとの情報で、その店を選んだのです。
↓こんなイメージです

Tango1

めてタンゴの生演奏とダンスを見て、我々はすっかりタンゴの虜になってしまったのです。
それほど素晴らしい歌とダンスでした。
あまりの感激で翌日の夜もそのお店を訪ね、タンゴを満喫したのです。
これは番組の中で絶対に生かさなければならない、とその時に決まったのです。
ならば、タンゴ発祥の地を見なければ、と言う事で「カミニート」という街へ行き付いたのです。

カミニート

の街は、世界一カラフルな景色と言われるくらい、街中が華やかな色で塗りつくされているのに仰天しました。
建物の壁や窓がピンク黄色といった原色で、塗られていて、そこには統一性が全く感じられないのです。

カミニート2

所はラプラタ川沿いの古い港町で、その昔ヨーロッパからやってきた移民が最初の第一歩を踏み出した地なのだそうです。
なぜ、このようなカラフルな街になったかと言うと、最初に住んだ家にペンキを塗ろうとしたところ、船に残っていたペンキが少なくて、同じ色で建物全部を塗れるほどの量が無かったのだそうです。
だから、あるだけのペンキで部分的に塗っているうちに、これもカラフルで良いなーという事になったのでしょう。
そんな雰囲気が気に入ったのでしょう、やがて芸術家が住み着いて現在の街が出来上がったのだそうです。
ですから通りには、画家達が自分の作品を並べて売っているので、パリのモンマルトルに似た雰囲気があって、芸術家の街となっています。
その昔は、船乗りや港湾労働者たちが集まって、安酒場で酒を酌み交わしながら、遠い故郷を想い、歌ったり踊ったりそんな中からアルゼンチン・タンゴが生まれたのだそうです。
ルトラクイズでは、折角タンゴの本場に来たのだから、タンゴを中心に、と12年目にして初めての試みに挑戦しました。
即ち全員にタンゴの特訓を行い、挑戦者はタンゴを踊りながら、クイズに答えてもらおうと言うものでした。
それぞれの挑戦者に異性のパートナーを付け、クイズが解ったら踊りながら早押し機のある場所に移動して、ボタンを押してもらうという訳です。
但し、急ぐあまり踊りがおろそかになったら無効という厳しいオマケまで付いたのでした。

ッスンでは皆さん、汗だくで苦労をしていました。
クイズの本番では、なんとか踊りながら答えようと苦戦していましたが、ご当地の特徴を生かした形式としては及第点だったように思います。
考えてみれば普段、ダンスを踊る人は結構居ますが、でもタンゴを踊れるとなると希少価値がありますよね。
折角、あんな難しい踊りをマスターした挑戦者の皆さんですが、その後タンゴを踊るようなチャンスはあったのでしょうかね。

Tango2

記憶に残る面白罰ゲーム

メリカ横断ウルトラクイズで、放送翌日、話題になる第1位は「罰ゲーム」の面白さだったと記憶しています。
極端に言えば番組の売り物だったと言っても良かったでしょうね。
我々スタッフも、それだけにアイディアには苦心しました。
ゲームを分類すると

帰国する時の方法の中で。
②基本精神は敗者が、「怖い」「恥ずかしい」「体力的に苦しい」などの体験をさせる。
③ドッキリカメラを意識した騙しで、笑いを誘う。
これ等の事を意識してアイディアが出されました。
但し、敗者が危険にさらされる事は避けるのは当然です。
だから、バンジー・ジャンプの頃でも触れましたが、最初にスタッフが体験して安全を確認するのは、番組制作の基本です。
間違っても、事故に繋がるような危険な罰ゲームは無かったので、敗者も視聴者も、最後は笑って終るように作られていたはずです。
の中でも記憶に残った笑える罰ゲームがいくつかあります。
第5回ラスベガスへ行った時のことです。
当時のラスベガスは、結婚離婚も1日で出来ると言う話が話題になっていました。
これを罰ゲームに利用しない手はありません。

ラスベガス

者が未婚の男性だったために、急遽ラスベガスの教会で結婚式を挙げなければならない、と言うのが敗者に与えられた罰でした。
結婚には相手が必要ですよね。
そこで現地の女性とお見合いをして、その相手と結ばれるのです。
お見合いでは、敗者は否でも、断る権利がないという罰です。
相手の女性が敗者を気に入れば、即結婚式を挙げなければなりません。
そんな中で出てきた女性は、大富豪の未亡人という設定でした。(勿論アメリカの年配の女優さんですが)
彼女はメークでシワクチャの老け役を見事に演じて、敗者の新夫に熱い口づけをする場面が、視聴者に爆笑を与えた面白い罰ゲームでした。
紹介された彼女の名前が、我々が命名したバーサー・シンデルさん。
日本語に訳さずとも解る「婆さん、死んでる」と言うものでした。
者は若干18歳だったために、収録の後も、これが戸籍に残ってしまうのか、と本気で悩んだようですが……。

(モチロン、そんな罰を与えるはずがありませんので、彼が心配したバツ一になるような事はありませんでしたので、ご安心ください)

自分の畑に滑走路を持つお百姓さん

メリカ横断ウルトラクイズのブログを書き始めて、間もなく半年になります。
お蔭さまでいろんな人達からコメントを頂く事になりました。
皆さん本当に熱心なウルトラ・ファンの方たちで、これほど多くの方々に支えられて番組が進行していたのかと思うと、制作者冥利につきるばかりです。
中でも、多い声は「ウルトラを復活させて欲しい」というものですが、こればかりは難しいお話ですね。
世の中にはヒット番組のリニューアルという事もありますが、しかしこれだけ不景気続きだと、あのようにバブリーな番組の再開は、夢のまた夢みたいな、遠い存在になってしまっています。
て、ウルトラクイズのロケハンで、アメリカの大地を車で走っていた時の事でした。
見渡す限り畑の中で、軽飛行機が農薬を撒布している場面に出会いました。
映画などで良く観る光景です。
しかし、あのような飛行機はどのような飛行場から飛び立っているのか、興味が沸いて来たのです。
しばらく走ると、農場の一角に格納庫があり、飛行機の姿が見えました。
そこで、一寸寄り道をしてお話しを聞いてみたのです。
「この飛行機は何処から飛び立つのですか?」
すると小父さんは
「うちの畑に滑走路を作ったのさ」
との事でした。

指差す方を見ると、確かに滑走路らしきものが目に入りました。
滑走路といっても、ただ真っ直ぐな舗装もされていない土の道があるだけです。
小父さんの話によると、
「家の前の道路から飛び立つ事だって出来るよ」
とのことです。

広いアメリカの田舎に行くと、何時間もすれ違う車が無いような道路が有ります。
そんな場所で軽飛行機が下りたり、飛んだりしても交通の妨害にならないと言う理屈でしょうが、それは明らかに違反行為でしょうね。

農機具置き場の隣に、飛行機が無造作に置かれている光景は、我々日本人から見ると、文化の違いを見せ付けられた気がします。
ウルトラクイズの同行ドクターのA先生は、趣味で飛行機の免許を持っていて、休日に時々飛んでいるそうです。
A先生の話によると、日本では機体も高いのですが、その他、整備費、駐機代なども高く、飛行機を個人で維持するのは大変な事だそうです。
その点、「アメリカは自由で良いなあ」と言っていましたが、確かに飛行機に限らず、車、ヨット、熱気球など、趣味の幅を考えると、アメリカ人の真似は中々出来そうもありませんね。

airplane_farmer

自由の女神の問題は予測不可能なのか?

メリカ横断ウルトラクイズの象徴とも言って良いのは「自由の女神」でしょうね。
ウルトラクイズの第一声が
「ニューヨークへ行きたいかーッ!」
で始まるように、ニューヨーク自由の女神はあの番組と切っても切れない関係にありました。

自由の女神2

2回目から、ウルトラクイズの第一問は自由の女神に関する問題に定着したため、挑戦者の皆さんも自由の女神を徹底的に研究するようになってしまったのでした。

それだけに、問題を制作する我々も、地獄のような苦しみを味わう事になってしまいました。
即ち、或る頃から、スタッフと挑戦者の自由の女神を巡る知恵比べになってしまったのです。
前にもこのブログで触れた事がありましたが、全国の大学にクイズ研究会が誕生していたので、彼等だって自由の女神の情報は集めているはずです。
そんな中で最も加熱したのが、第12回の年だったのではないでしょうか?
故なら、この年には東京ドームが完成し、ウルトラクイズの第一次予選が、それまでの後楽園球場から東京ドームに移ったのです。
となれば、割と思いつきやすいのが、
自由の女神はこのドームの中に建つ事が出来るか?
という問題でしょうね。
それは東京ドームの天上の高さが解れば、自由の女神の身長と対比すれば、答えは簡単に割り出せます。
そんな単純な問題で、ウルトラクイズの第一問が突破出来るなんて考えたら、「甘い甘い」という戒めの意味も込めて、福留アナの第一声が挑戦者の予想を打ち壊したのです。
「東京ドームの天上の高さが61・69メートル。自由の女神の足からトーチまでが46メートル、スッポリ入ってしまうのです。
自由の女神が、この東京ドーム、ビッグエッグの中に立つと、天上につかえる、○か×か、まさかこんな問題を予想してないだろうね」

といった挨拶で、予測問題を冒頭で一機に吹き飛ばしてしまったのです。
因みにこの時の第一問の問題は
「自由の女神を、日本語で『自由の女神』と訳したのは、第二次大戦の後である。○か×か」
と言う問題でした。

自由の女神

解説
問題は出来たものの、その確証を掴むのに我々は大変な苦労をしました。
現代のように情報過多の時代と違って、戦前の資料で自由の女神という記述が中々見当たらないのです。
やがて訳知りのオジさんが、戦前は「自由の女神」なんて呼んでなかった、と言い出したり調査も混乱したのです。
その内に昭和3年に発行された「大日本百科全集」の中に、ニューヨークには「自由の女神」の像が建っているとハッキリした記述があったのです。
更に調査を進めると、明治19年11月26日付けの新聞に、自由の女神の建造の第一報を知らせる記事があり、既にこの時から「自由の女神」と記されていたのでした。
従って、正解は×でした。

アメリカ人は遊びの名人

メリカ横断ウルトラクイズでは、ロケ、ロケハンと毎年2ヶ月近く、アメリカ各地を走り回りました。
ロケの1ヵ月は、きついスケジュールで各地を移動するので、スタッフは肉体的、精神的にも大変な重労働だったのです。
それに比べて、ロケハンはスケジュールも楽で、楽しいものと誰もが思っていたようですが、実はこれも結構大変な旅だったのです。
ケハンの使命はロケを行なう場所の下見と確認です。
資料で調べたところが、実際に撮影で使えるものなのか、目で見て確認しなければなりません。
また、新しい候補地を発見するのもロケハンの仕事です。
あらかじめ、ルートは決まっているものの、そのコースでどんなクイズを実行すれば楽しい番組が成立するのか、それを考えながら各地を見て歩くのですから、責任は重大と言ってもいいでしょう。
9回でコースに入れるべき場所として、ニューメキシコ州を車で移動している時でした。
見渡す限り、地平線の彼方までが広い平地のこの州では、どんな場所で何をやれば良いのか、考えながら車の旅をしていました。
事前の調査で、候補に挙がっていた何箇所かを見たのですが、決定的な面白さが出せるという場所に行き当たっていませんでした。
を走らせながら地平線の彼方を眺めていると、空にぽっかりと色鮮やかな気球が浮かんでいたのです。
そういえば、何時間か前にも同じような気球を見た気がしたのです。
そんな事を雑談で交わしながら、車を走らせてアルバカーキという町に到着しました。
い大地の中に忽然と現れたスペイン風の街、それがアルバカーキだったのです。
海も無い、山も無い、有るのは広い大地だけ、という現地の人達は、空に目を向けたのだそうです。
大空を鳥のように風に乗って、アチコチ移動する遊びを見つけたのです。
日頃退屈していた人々が、熱気球に熱中するのには時間がかかりませんでした。
隣の人が始めれば、あっという間に伝染するように広がって行ったのだそうです。
特に熱気球は家族で一緒に楽しめるという性質があります。
そこで、一家に一台熱気球! とばかりブームを呼ぶような勢いで、参加者が増えていったのでしょう。
これはたちまち州全体に広がって、毎年世界選手権がこの地で開かれるまでになっていたのです。

↓Baloon Fiesta park(バルーン・フィエスタ・パーク)

そうと解れば、もうこの地で行なわれるクイズ形式はこれしかありません。
そうです、毎度体力の限界に挑戦する「ばら撒きクイズ」に決定。
番の日、朝早く会場を訪れた我々は眼を疑うような光景に出会いました。
地元の熱気球愛好者の団体が協力をしてくれたのですが、赤、青、黄、緑。と色とりどりの熱気球が大空を一杯に埋め尽くされていたのです。
その数の多さは言葉では言い尽くせないほどでした。
我々も、挑戦者も熱気球の迫力に圧倒されながら、ばら撒きクイズが実施されました。
戦者が走り回った草原は、トゲトゲのがいっぱいという悪条件。
2問勝ち抜きというルールで行なわれ、大空一杯に浮かんでいる熱気球に見とれていると、忽ちトゲトゲの棘にぶつかり、傷を負ってしまうのです。
テレビをご覧だった皆さんは、壮大な熱気球の光景に驚かれたでしょうが、挑戦者には、それはそれは難行苦行クイズ会場だったのでした。