クイズ問題も作り難い時代になりました

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、毎年沢山のクイズ問題を作りました。
あの時代にはクイズ問題を作る素材が豊富でしたが、今ならどうなのかなあ、と考えて見ました。
あの時代の我々の考え方を今に置き換えると、問題作りには相当苦労しそうです。

例えばボクシングの世界チャンピオンに関する問題を作ろうとします。
あの時代には、世界チャンピオンの数も少なかったので、最初に世界チャンピオンになった日本人は誰?
という問題は使われています。
答・白井義男さん。フライ級で52年に獲得しています。

白井義男

・第2号の世界チャンピオンは? (第8回のキーウエストで出されました)
答・ファイティング原田さん。
タイのポーン・キング・ピッチを破って62年にチャンピオンになりました。
第1号から10年目にして獲得したチャンピオン・ベルトでした。
この辺まではまだまだ、世界チャンピオン問題も通用しました。
私の記憶ではその後「岡山のおばあちゃん!」という流行語を生んだ、4号目の世界チャンピオンになった藤猛さんを答えにした問題があったように思います。

しかし、今では世界チャンピオンが74人(13年4月の時点で)もいるし、その中で問題を作るとなると、細部の情報を問題化するわけですから、重箱の角を穿り返す様な問題になりかねません。
これでは、お茶の間のみんなで考える楽しい問題は出来難いと言わざるを得ません。
何しろ世の中は情報過多の時代ですから、面白そうな情報はアッという間に、日本中に広がってしまいます。

た、クイズの素材としては、沢山問題が出来そうな「ノーベル賞」も同じような状況です。
あの時代には湯川秀樹さんが49年に物理学賞を取り、暗い戦後の日本人に勇気を与えました。
その後、65年に朝永振一郎さんが、69年に川端康成さんが文学賞。
73年には江崎玲於奈さん、74年には佐藤栄作元総理が平和賞受賞とノーベル賞ラッシュとなり、今では全部で20人近い人達が受賞しています。
こうなるとノーベル賞も、どこの大学が多い、とか民間人で受賞した研究者は誰?といったクイズ問題が出て来るでしょう。
こうした問題は、クイズ研究会の想定問題にありそうなので、ウルトラクイズのクイズ問題選考会議で「没!」という言葉ではじかれてしまいます。

ノーベル賞関係で、強いて問題を作るならば、山中伸弥教授のように、研究成果が最近の医学会に大きな影響を与えている場合は、それなりの問題になるでしょうね
IPS細胞などは、今的に言えば恰好の素材と言えるかもしれません。
でも、答が山中教授ではちょっと易し過ぎるかも知れませんね。
いずれにしても、インターネットで情報が氾濫している現代では、その隙を狙って面白い問題を作るのは、至難の業かもしれません。

情報化社会

そう考えるとクイズ問題って、作るのに結構苦労するのですよ。
これを言葉にすると帯に短し襷に長し、の心境です。

アメリカの食文化について

メリカ横断ウルトラ・クイズのロケとロケハンで、毎年アメリカの中をアチコチ旅をして歩きました。
旅をしていて、1番気になるのは食事です。
日本の国内なら、どのような街に行っても、大抵の食べ物が有りますが、外国ではそうも行きません。
たまにはラーメンが食べたい、天丼も良いなあ、と思ってもそのような訳には行かないのは当然です。
我々は、知らない街に着くと、先ず最初にレストランをチェックしていたように思います。
多分、外国を旅する人は、みな同じような行動パターンじゃないのでしょうか。
腹が減っていては、頭も回転しませんから、まず腹ごしらえをします。

の様な環境の中で、アメリカ人の好きな食べ物を調べた事が有りました。
一般にアメリカ料理と呼ばれるものは有りませんが、アメリカ人の好きな外国料理は、第1位イタリアンでした。
そういえば、どのような田舎の街に行っても、パスタピザを出すお店はあったようです。
続いて第2位ステーキ第3位ハンバーガーの順でした。
但し、これは当時の人気ランキングです。
ハンバーガーは有名なチェーン店が街道筋に沢山ありましたから、我々はよく食べ、本場の味に慣らされてしまいました。
ステーキは日本で食べる物の2倍~3倍の大きさで、肉は硬く、噛んでいる内にあごが疲れてしまう感じです。
その点、日本と同じ味のステーキが食べたければ、R・A氏が経営するチェーン店で大成功したBというお店がありました。

benihana

このお店は、どこの大都市にも有りましたので、良く通いました。
値段は日本の3分の1位だったので、お手頃でした。

々は日本食を求めて、和食屋さんを探しました。
大都市ならどこにでも有りますが、ちょっと小さな街では、和食屋さんはめったにお目にかかれません。
それよりも中華飯店は、各地に沢山あったように記憶しています。
最近では、日本の寿司店がアメリカで人気を集めている、という話も聞きます。

挑戦者の皆さんも、アメリカの食事に飽きて、思考力が鈍った、なんて事はなかったのでしょうか。
我々スタッフは自分たちで材料を買い込んで、自炊をしたり、街へ出てレストランを探すことも出来ましたが、挑戦者にはそのような自由はありません。
挑戦者担当スタッフが、案内するレストランで毎回食べていた事を考えると、多分食事には飽き飽きしていたように感じられます。

頃のテレビは、グルメ情報が氾濫し、良く外国まで取材に出かける番組を見ますが、さすがにグルメ情報を求めて、アメリカへ向かう番組は無いようですね。
もし、そんな番組があるとすれば、私はサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを推薦したいです。

フィッシャーマンズワーフ

ここには、シーフード・レストランや屋台が沢山並んでいます。

フィッシャーマンズワーフ2

クラムチャウダーが有名ですが、私のお勧めは屋台で食べた、エビや蟹 です

クラムチャウダー

特にエビの唐揚げは、お値段も味も最高に満足出来るものでした。

面白い問題の発想点について

メリカ横断ウルトラ・クイズの問題に関しての思い出を書くと、コメントが沢山寄せられます。
これは、皆さんがこの番組のクイズ問題に関心が高かった証と私なりの理解で、とてもうれしく感じます。
先日「面白いクイズの作り方は?」を書いたところ、色んな質問が寄せられました。
中でも、是非この場を借りてお答えしたい質問が有りました。
それは、先にクイズの答え有りきで問題を作るのか、面白い発想から答えを見つけ出し、問題として作り上げるのか?どっちが多いという質問でした。

この二者を比べた場合、問題として面白いのは、多分後者でしょうね。
例えば、歴史の問題で、この様なのがありました。
元号に関する問題です。
これはクイズ問題の素材としては、数多くの問題が作られている分野でしょうが、元号を全て並べて、一欄表で眺めて見れば、何かしらクイズ問題として思いつく材料が転がっているはずです。
例えば、最初の元号は何?
1番短かった元号は?
逆に1番長く続いた元号は?
このように一欄表からクイズ問題は沢山発想できるでしょう。
しかし、今私が例に挙げた問題ですと、単なる歴史の知識で「教科書問題」という否定的な言葉で、会議を通過するのは難しかったかもしれません。
この問題の作者は、その表の中からという文字に着目したのです。
よくよく眺めると、何と5個もこの亀という文字が元号に使われていたのです。
715年の霊亀、724年の神亀、770年の宝亀、1,501年の文亀、それに1,570年の元亀と5回です。

これを発見したところで、もう立派なクイズ問題が出来上がったも同然です。

問・日本の元号に最も多く登場する、おめでたい生き物は何? という問題になりました。

亀

答・亀

解者は、恐らく確実な正解を知っていたわけではないでしょう。
この様な古い時代の知識を、きちんと頭の中に整理している人間など、そんなに沢山いるはずは有りません。
そこで我々は、問題の中に大きなヒントを含ませて置きました。 
おめでたい生き物これがキーワードとなって挑戦者は早押しボタンを押したのでしょう。
日本でおめでたい生き物、と言えばしか有りません。
諺にも「鶴は千年、亀は万年」と言われますよね。
こうなったら、2者択一で亀に賭けて、ボタンを押したのだと思いますよ。

鶴と亀

クイズに勝ち抜く人は、時にはこのようにヤマ勘で早くボタンを押す決断力がある人なのですね。
亀は鈍間ですが、堅実な生き物として、ウサギとカメ のお話でも知られ、元号には相応しいと先読みしたのかもしれませんね。

大規模の決定版・爆走コンボイ・クイズ

メリカ横断ウルトラ・クイズでは数々の大規模ロケを慣行してきました。
例えばニューヨークの5番街でマラソン・クイズをしたり、マイアミのエバーグレーズで、ファン・ボートを爆走させたり、普通のテレビ番組では考えられないような企画を実践してきました。
そんな中でも、「まさか?」と思うような大掛かりなクイズがありました。

13回のチムニーロックで行われた「爆走コンボイ・リレー・クイズ」です。
まずは、チムニーロックとは何か、から説明しましょう。
アメリカ西部開拓時代の大動脈の1つにオレゴン街道がありました。
西へ西へと向かう幌馬車隊が、旅の目印にした山や川は数々ありますが、中でも有名だったのがチムニーロック〈煙突岩〉と呼ばれた奇怪な岩山だったのです。
丁度、煙突が空に向かって聳え立つような形をしていたところから、このような名前がつけられたのだそうです。
当時は、100Kmも先から見えたそうですから、現在のスカイツリーどころではありません。

chimney-rock

2次大戦の頃には、空軍機が練習をする時の標的として、機関銃の砲弾を浴びたので、岩山は傷だらけになりました。
そんなアメリカの歴史の中に登場するチムニーロックを目指して、移動しながらクイズをしようというアイディアでした。
但し、移動するのは幌馬車ではなく、コンボイを走らせながらと言うわけです。

オレゴン街道を80Kmに亘って国道を遮断し、6台のコンボイを走らせながら、クイズを行うというのです。
このような乱暴な撮影許可を申請したところ、アメリカではこれが許可されてしまったのです。
ルールは6台のコンボイを走らせながら、リレー形式でクイズを出題、先頭の車が正解すれば、一気に勝ち抜け出来ます。
2番手以降が正解の時は先頭車と並び、1対1の対決クイズ。
これで正解すれば、勿論勝ち抜けですが、残された方は先頭車として、次の勝負を待たなければなりません。

この形式は、車の順列が勝つための重要な条件ですから、まずは乗る順位を決めるクイズが行われました。
そのクイズの成績で1号車から6号車までが決まり、先頭車輌からクイズが出題されました。誤答すれば、回答権が2号車、3号車と後方へ移って行きます。

コンボイリレークイズ1

みにコンボイは全長が65フィート、スピードは20トン満載でも100Kmは出るというスーパー馬力でした。
こんな車が公道をガンガン走りながら、クイズを行ったのです。
当然、交通整理のために、パトカーが何台も平行して走りながらの収録です。
この模様を撮影するため、上空にはヘリコプターが何台も飛び、一体何事が始まったのか、現地のアメリカ人もびっくりの収録だったのです。
テレビ番組が全盛の時代とはいえ、よくもまあ、こんな大規模な撮影が出来るものだと、1番驚いたのは当のスタッフ達でした。

コンボイリレークイズ2

自由の鐘の秘密

メリカ横断ウルトラ・クイズで、アメリカ中を旅していると、アメリカの歴史や文化に触れる事が有ります。
本日は、その様な中から「自由の鐘」のお話をしたいと思います。
アメリカが独立戦争で戦って、イギリスから独立した事はよく知られた話です。
1,776年7月4日、アメリカは独立宣言を行いました。
場所はフィラデルフィアです。
我々は何度もこの地を訪れていましたが、最後は第16回でした。
ここは建国の地、独立宣言書起草の地として知られています。

メリカの象徴「自由の鐘」 (リバティーベル)の実物が展示されているのが、このフィラデルフィア市なのです。
アメリカが独立宣言を行った時、高らかに鳴り響いたのがこの自由の鐘でした。
現在は市の中央に展示されていて、手で直接触る事もできます。

Libertybell

ところで、この鐘には大きなひび割れが出来ています。
あのように大きな鐘が、何故ひび割れてしまったのか?
何度も繰り返し衝かれている内に、金属疲労で割れてしまったのだろう、と考えられないこともありません。
しかし、その様な事では面白くありません。
このひび割れには諸説あって、実は最初から割れていたという話が、もっともらしく伝えられています。

の鐘は、当時としては莫大な300ドルという大金で、イギリスの業者に発注されたのだそうです。
そして、品物が現地に届いた時には、すでに割れていたという話が伝えられているのです。
今の世の中なら、その様な不良品は即刻航空便で送り返し、新品に取り換えさせるのが常識でしょう。
でも、当時はその様な手段も無かったし、作り直したら何年先になるか分かったものでは有りません。
仕方なく、関係者は秘密裏に割れた傷を補修し、事無きを得たらしいというのです。
しかし、不良品は何時までも隠し通せる事はできません。
77年後の1,853年に、遂にどうしようもなく割れてしまったのだそうです。

メリカの象徴である「自由の鐘」が割れているとは、何ともおかしな話ですが、現実なのです。
日本のお寺には、大きな鐘が沢山有りますが、ひび割れが出来たなどという話は聞いた事が有りません。
どうせなら日本に注文すれば良かったのにねえ。
でも、まだ黒船が来るだいぶ前の事なので、メイドイン・ジャパンの良さが解っていない時代だったのでした。
現代は何でもブランドが幅を利かせる時代です。
アメリカの象徴、「自由の鐘」を制作した会社なら、あれはわが社の作品と大いに自慢したいところでしょうが、これも高言出来ず、残念な話ですね。

アメリカ横断!ウルトラクイズの裏話