アメリカ人もブランドがお好き

メリカ横断ウルトラ・クイズで、アメリカ各地を旅していると、アメリカ人の気質や習慣など、面白い発見をすることがあります。
最近は、ニュースでその日の出来事があっと言う間に伝わりますので、目新しい発見をするのは難しくなりましたが、我々がウルトラ・クイズでアメリカを旅していたのは、20年、30年も昔のことだったので、目新しい発見がいろいろありました。

えば、キーウエストには何回か行きましたが、これもアメリカ人らしい大胆な発想で出来た観光地でしょうね。

キーウェスト

キーウエストはアメリカ大陸最南端の地であると同時に、文豪のヘミングウェイが住んでいた場所としても知られています。

ヘミングウェイ

それともう1つ、東海岸にあって夕日が海に沈む珍しい場所なのです。
これだけで、サンセットを見られる、と言う理由で観光客が集まってくる材料になるのです。

キーウェスト_サンセット

々フロリダ沖のカリブ海には沢山の島がありました。
アメリカ人はこの島を橋で結んで、どんどん南へつないでしまったんです。
その島の数が何と42、その最南端の島がキーウエストと言うことになります。
日本でも、瀬戸内海の島に橋を架け、四国まで車で行ける様になりましたが、アメリカ人はそれを戦前の古い時代に、実行しているのです。
マイアミからスタートして、ノンストップで走ると凡そ250km。
ガンガン飛ばして走っても3、4時間は掛かってしまう距離です。
技術がまだそれほど発達していない時代に、このような壮大な計画を立て、実行してしまう訳ですから、そのパワーに圧倒されてしまいそうです。

ミングウェイが住んだ家は、市の中心地にあってスペインのコロニアル調の2階家でした。
勿論、この地の重要な観光ポイントになっていましたが、驚いたのは庭や室内、ベランダ等に、猫が何匹も放し飼いになっていた事です。
イメージで言えば、猫屋敷と呼ばれても良いかもしれません。
しかも、この猫達、そんじょそこらのノラ猫ではありません。
実は、れっきとした「お猫さま」で、あのヘミングウェイが飼っていた猫の子孫なのだそうです。

ヘミングウェイと猫

そのくらい、由緒あるお猫さまですから、欲しいと希望する人もいるらしく、そのような人には分けてくれるのだそうです。
但し、当時の情報では、希望者多数に付き、5年待ちとの事でした。
やっぱり、ヘミングウェイというブランドが、そのような状況を生んでいたのでしょうね。

日本では夏目漱石が飼っていた猫の子孫はどうなったのでしょうね。
もし、発見できたら「我輩は猫である」のモデルの子孫猫  として大変なブランドになりそう。
「夏目漱石記念館」というものを設立予定という話を聞きました。
そこにも猫が沢山いたら話題になりそうな気がしますね。

夏目漱石

恒例を覆すアイディアを出せ

メリカ横断ウルトラクイズの企画会議では、時として無理難題としか思えないような課題が出される事があります。
普通の常識では考えられないアイディアが喜ばれる風潮があり、構成作家に対して、ディレクターがイメージで注文を出す事が多いのです。
そのような中で、
「泥んこクイズで、泥のプールに飛び込んだ人が喜ぶ場面を作りたい」
という、まるで普段の逆のパターンを考えてくれと言うのです。

泥んこクイズ4


確かに、視聴者にすれば、泥んこに飛び込んで、喜ぶ姿は奇妙だが、 面白い場面かもしれません。
正に常識を裏切る場面で、「そのような事があっても良いのかなあ」といった考えが一瞬の間、頭を横切ります。
でも、ウルトラ・クイズの視聴者は、泥んこになった人が悔しがる姿が面白い、という人が圧倒的に多いので、「そんなの無理!」と我々構成者は拒否の態度を示しました。

れでも諦めないディレクターが、執念深く会議の度に同じ注文を出すので、我々も考えました。
通常のクイズでは無理だが、若しかして、敗者復活なら許されるかもしれない、と妥協案を出したのです。
ご存知のように、ウルトラ・クイズのグアム名物になった○×泥んこクイズは、正解者、誤答者が何人になるのか予想が付きません。
しかし、次のチェック・ポイントに進める人数は最初から決められていて、その数になるまで現場で調整のクイズが行われているのです。

この模様は編集でカットされる事もありましたが、敗者復活戦という形で放送される事も度々ありました。
だから、その中で試しにやってみようという案で納得させたのです。
それは第13回グアムで実現しました。

内400問ペーパー・クイズに挑戦したのはジャンケンに勝った人と敗者復活した55名。
その内15名がグアムの地を踏む事も無く即日帰国の運命になっていました。
だから、○×泥んこクイズに挑戦したのは40名の皆さんでした。
このうち、グアムを通過して次に進めるのは25人です。
予定では15人が、泥んこになれば計算通りなのですが、実際は18人が泥まみれになってしまったのです。
そこで、敗者復活戦で3人を救う事になり、ディレクターが希望する「敗者復活、逆泥んこクイズ」が実現したのでした。

仕掛けは次のような進行になりました。
最初に負けて、泥まみれになった人間が、○×のパネルに飛び込み、正解すると泥沼にドボーン!
逆にマットに救われた人が不正解でアウトという結果です。
このため、泥に飛び込んだ人間が飛び上がって喜び、逆にマットで救われた人間が涙を流して悔しがる、そのような奇妙な場面が実現しました。

泥んこクイズ3


間の自然の心情に逆らった形式で、言い出しっぺのディレクターは満足していましたが、今考えてもこの人って、単なる「ひねくれ者」でしょ。
でも、我がウルトラ・クイズのスタッフって、そのような人が多かったのです。
私も含めてですがね。

泥んこクイズ2

最も激しいクイズの激戦は?

メリカ横断ウルトラクイズの思い出を書いていますが、その都度、皆さんからコメントをいただいています。
そして、私が驚くのは皆さんの記憶力の良さです。
思えば、20数年も前に放送された番組なのに、そのシーンを実によく覚えている方達が、このブログの読者であるという事がわかり、曖昧な思い出を書いたりすると、途端にお叱りのコメントを頂きそうで、私自身も記憶の糸をたぐるのに、今では懸命にならざるを得ません。

そのような最近の日常で、あの数々のクイズ決戦の中で、我々が驚くほど激しい戦いが行われたのは何時の事か考えてみました。
多分、読者の中には「そうそう。あれは凄かった!」と共感してくださる方も居ると思うのですが、第13回の準決勝ではなかったかと思います。

の時の挑戦者は4人の方々でした。
当時、私の手元にあった資料には、「誰が優勝しても可笑しくない」と書かれていたので、それまでの戦績を見て、いずれも素晴らしい回答を繰り返した人達だったのでした。

決勝となれば、当時は定番になっていた「通せんぼクイズ」でした。
ルールは早押しクイズで3ポイント取ると、お立ち台に進み通過クイズに挑戦出来ます。
ここで出された問題を見事に正解すれば、決勝の地に進めますが、他の挑戦者がそうはさせないとばかり、通過を阻止するように回答権があるのです。
もし、妨害に成功すれば、それまでに獲得したポイントは0に戻り、1からやり直さなければなりません。
こんなクイズ形式は誰が考えたのか、攻防が繰り返されると、クイズ問題はキリもなく数多く消費される事になります。
毎年の事ながら、通常のクイズ地の2倍から3倍のクイズ問題を用意して、本番を迎えるようにしていました。

イズ問題担当の私は、毎年決勝戦以上の緊張感を持って、本番に備えるようになっていました。
特に、この回は強い挑戦者が4人も揃っていたので、格別に緊張していた事を思い出します。
そのような中でクイズが開始されました。
悪い予感は良く当たる、と言われますが、これほどクイズ会場で緊張した勝負は無いと思われるほど、クイズの激しい応酬戦が始まりました。

現場のスタッフ達も、一体何時になったら決着が付くのか、といった顔で、一時も気が抜けぬ程の勝負が続いたのです。
この時の模様は相当に編集して、クイズ問題もカットされて放送されたのですが、それでもテレビの前の視聴者は釘付けになり、興奮した事と思います。
当然、現場のスタッフもクタクタに疲れ、撮影も中断されて、一時中休みを取ったほどです。

クイズ問題として、放送されたのは何と63問でした。
何時、果てるとも予測が付かないクイズの応酬戦!
実は前にも書いたかも知れませんが、この地はアメリカ合衆国が独立戦争で最後の戦いを行った激戦の地、ボルチモアだったのです。

ボルチモア


この戦いで勝ち抜いたのは、長戸勇人さん(当時24歳)立命館大学4年生。

もう一方は永田義彰さん(26歳)会社員のお2人。
当時のメモには13年の歴史の中で、最も激しいクイズ戦と書かれていました。
このように強い2人の決勝戦は果たしてどうなるのか?
正に、次の対戦の予告編を兼ねたような、理想的な準決勝でした。

憎っくき敵は対戦相手

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、挑戦者は一緒に旅を続けているので、いつしか仲間意識が芽生え、連帯感が生まれてきます。
だから、敗者が1人負けて帰って行く時には、涙のお別れのシーンが演出出来、これも人気の場面になっていました。
しかし、クイズは常に自分1人で戦うのが本筋ですから、相手は全部「敵」というのが原則です。

いくら気の合う仲間といっても、その誰かを蹴落とす事によって、自分が生き残る訳ですから、サバイバル・ゲームなのには変わりがありません。
そのような旅で、挑戦者が、お友達気分になる前に、対戦する相手を憎んでしまうという意地の悪い形式がありました。
それが顕著に現れたのは、第15回ハワイでした。
ハワイといえば定番はワイキキ・ビーチですが、この回は穴場発見という触れ込みで、ワイマナロ・ビーチがクイズ会場でした。

ワイマナロ・ビーチ

場は穴場でも、このビーチには我がスタッフが、前の晩、せっせと砂浜に数多くの穴を掘っていたのです。
海辺のビーチには、穴、穴、穴と挑戦者の人数分だけ、26の穴が掘られているではありませんか。
彼らはこの穴に入って、1対1のクイズ対決をすることになったのです。

3ポイント勝ち抜けの早押しクイズ。
相手が1ポイント獲得すると、負けた人の穴にバケツ3杯分の砂がかけられてしまう、というルールです。
2ポイントで更に3杯の砂、3ポイント取られると、合計バケツ9杯の砂がかけられる訳ですから、負けると砂浜に首だけ出して、埋められてしまうという結果になります。

戦が終わった後には、惨めな顔をした生首状態の首だけが残されるという訳です。
全部の対戦が終了した時には、砂浜に敗者の生首が13個
しかも、暑さと砂の重さが体に響き、「助けてー!」の声も出せないような状況です。
この時の罰ゲームは、哀れな彼らに、水中メガネとシュノーケルが与えられるというものでした。

そうです。
間も無く海は満潮となり、敗者は海の中へ沈んでしまう運命だったのです。
恐怖で引きつる敗者の顔、これって怖い罰ゲームですよね。
多分、憎むべきはクイズに勝った、対戦相手だ、となった事でしょう。

国境を跨いだクイズもあった

メリカ横断ウルトラ・クイズはアメリカ各地をはじめ、世界を移動しながらクイズを行いましたが、時には国境を跨いでクイズを行った事もありました。
あれは第15回の時でした。
アメリカとメキシコの国境にある街エルパソでの事です。
この街を通って、メキシコからアメリカに密入国をする人間が年間100万人もいるという情報がありました。
一体彼らはどのように密入国をするのか、その状況を目で確かめて見たいと、ロケハンを行いました。

リオ・グランデ川_国境


所はアメリカとメキシコの国境の町として知られるエルパソです。
ここは、数々の西部劇でお馴染みの舞台なので、その名をご存知の方も多いでしょうね。
アメリカとメキシコの国境を流れるリオ・グランデ川があり、国境の橋が架かっていたのです。我々はパスポートを持っていますから、正規の手続きで行ったり来たり出来ますが、密入国者はそうは行きません。
国境警備隊の目を盗んで、こっそりと川を渡るものと想像していました。
しかし、現実はそのような生易しいものではありません。
堂々と、しかもゾロゾロと川の中を歩いて渡っているのです。

※写真はイメージです


「国境もみんなで破れば怖くない!」
といったところでしょうかね。
この辺りには、「コヨーテ」と呼ばれる闇の仕事人がいて、服を濡らさずに川を渡りたい、という贅沢な密入国者のために、ゴムボートで渡しの商売をしていたのです。

※写真はイメージです

rio_crossing


時の情報ですが、国境のリオ・グランデ川を越えて、アメリカへ密入国するメキシコ人は年間100万人。
また、リオ・グランデ川は世界で最も頻繁に人が横断する川で、年間何と3億5,000万人が行ったり来たり渡っているのだそうです。
川1本を隔て、アメリカとメキシコの生活水準の差を考えれば、密入国という問題が起こるのも解る様な気がしますが、この問題は長年に亘って両国の問題として、良くニュースになりましたが、我々が訪れた時代には、密入国者が盛んな時代でした。

実際の番組では、エルパソからメキシコ観光という事で国境の橋を渡り、のんびりと観光を楽しませました。
挑戦者達が観光を終え、メキシコの国境に差しかかった時、彼らにも密入国者の気分を味わってもらいたい、という勝手な理屈を付けてクイズが行われたのです。
題して「国境突破、大声クイズ」でした。

イズが読み上げられ、答えが解った人はマイクに向かって大声で絶叫する、お馴染みの形式です。
そして勝ち抜ければ、目出度くアメリカへ再入国出来るというもので、敗者はメキシコで罰ゲームを受けるという形式でした。
国境警備隊の兵士も、奇妙な日本人の団体が、大声を発して何やらTVの撮影をしている、この様子にキョトンと不思議そうなな目を向けていました。

挑戦者が必死で叫んだ大声は、国境を越えて響き亘っていた、ちょっとスケールが大きいけれど、馬鹿馬鹿しい形式でした。