正解発表は国境を越えて

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、破天荒な企画が喜ばれていました。
常識を超えたアイディアを出せ、常にスタッフにはそのような指令が出され、普通のテレビ番組では考えられないような奇抜なアイディアが求められていたのです。
第9回では、それまでの決勝の地ニューヨークを突き抜けて、大西洋を渡り、イギリス、フランスへとコースを膨らませて行きました。
そして決勝の地をパリと定め、イギリスで問題が出され、正解はフランスで知るという大掛かりなアイディアが出されたのです。
スケール・アップという意味では、視聴者も挑戦者もみんな揃ってアッ!と驚いた事でしょう。

ドーバー海峡_地図

掛けは次のようなものでした。
準決勝の地、イギリスのドーバーで4人が勝ち抜けました。
普通ならこの4人が決勝の地パリの地を踏めるものと思いますよね。
でも、素直じゃないのがウルトラ・クイズの信条。
いきなり
「4人の内、パリに行けるのはたったの2人だけ」
と発表があったのです。
イギリスのリド空港にパリ行きの小型機が2機待機していて、それぞれの翼に○と×のマークが書かれていて、4人はどちらかの機を選ばなければならないのでした。
しかも、定員は2名だけで、早いもの勝ちという制約が付いているのです。
その時の問題は次のようなものでした。
・大西洋横断、「翼よ、あれがパリの灯だ」のリンドバークがフランスに着いた時、最初に喋った言葉は「ボンジュール・パリ」である。

リンドバーグ

さあ、皆さんならこの問題にどのような答えを出すでしょうか?

はもっと大掛かりな仕掛けがあって、飛び立った飛行機がドーバーを横断して、キャプ・グリ・ネ岬に差し掛かると、眼下にサトウダイコンの畑が見え、そこに×と正解が書かれてあったのです。

ドーバー海峡_衛星

つまり農場のオーナーに依頼して、4ヶ月も前に×の形でタネを撒いてもらい、挑戦者はそれを上空から確認したわけです。
敗者は折角フランスの上空まで来たものの、地に足を着ける事なくイギリスへUターンさせられてしまったわけです。

4ヶ月前に×と解っていて、問題はそれに合わせて作られた訳ですね。

・×。
リンドバークがパリに着いた時の第1声は「誰か英語を話せる人は居ませんか?」と言うものでした。
又、この時、勝者の2人が着陸したル・ボルジュ空港は、リンドバークが第1歩を記した記念するべき空港でもありました。
ウルトラ・クイズでは、問題の1つの進行にも、このような凝った演出を考え、それを実行させてしまうというパワーがあったのです。
だからこそ、今でも熱心なファンが居るわけで、関係者としては感謝です。

華やかなカジノの街

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、何故かギャンブルの街をよく訪れています。
アメリカのギャンブルの街といえば、代表はラスベガスでしょうね。
この街には何度となく訪れました。
その他では、第2回で訪れたリノがあります。
この地も我々は2度ほど行きましたが、ギャンブルに関するクイズは、最初の時だけでした。
第9回には、東海岸第1のギャンブル都市アトランティックシティを訪れました。

故ギャンブルの街をクイズ会場の候補にするのかと言えば、我々スタッフがギャンブル好きだったから、と言うわけではありません。
それよりもクイズ形式を考える時に、ギャンブルのルールを取り入れた物が面白く、
「よし、それをやろう!」
と会議で決まってしまう事が多いのです。
そうなると、確かにギャンブルの街は、華やかな雰囲気があって、テレビ的には興味を盛り上げる要素が多いのは確かです。
我々は、その年のコース上にギャンブルの街があるのかを調べ、ロケハンを行い、クイズ形式の準備をして、実施という手順で進行します。

9回で訪れたアトランティックシティは、同じギャンブルの街ラスベガスとは印象がかなり変わっています。
砂漠の中に忽然と現れるラスベガスは、街全体が電飾で飾られたきらびやかな雰囲気ですが、こちらは東海岸のリゾート地として発展した都市だけに、落ち着いた伝統ある街という印象です。
この街の特徴は海岸線に沿って作られたボードウォークという道です。
資料によると、幅18m、長さ7kmの道ですが、全面が板張りのデッキ状なのです。

アトランティックシティ

歴史的には1,870年に作られたのだそうですが、散歩するにはこれほど、歩き易い道はないでしょうね。
地形的にはニューヨークやフィラデルフィアに近いので、大都市近郊のレジャー地として発展していた街のようです。

アトランティックシティ_夜景

では東海岸を代表するギャンブルの街として知られていますが、実はこの地にカジノが誕生したのは、それほど昔ではありませんでした。
海辺のリゾート地として、寂れてしまったために、1,976年にカジノを作って町興しをしようという事になったのだそうです。
大都市に近いので、これなら人が集まるだろうという計画ですね。
日本でも昔、熱海の再発展を目指して、「熱海にカジノを」という動きが出た事がありましたが、そのお手本のような企画がアメリカでも起きていたのでした。

々が訪れたのは、1,985年でしたから、カジノで売り出して9年目の事、街は大歓迎で我々を迎えてくれました。
普通カジノでの撮影は、お客のプライバシーの問題もあって、細かい制約が多いのですが、面倒な事も無く、実にスムーズに進んだのは、偶然とはいえ相手の喜ぶタイミングで、我々が訪れた結果だと言えるでしょう。
その頃は番組も勢いがありましたから、ツキがあったと言う事でしょうね。
この、アトランティックシティは、ニューヨークから車で3時間半位の場所にあるので、休日ともなると1泊か2泊の予定で、家族連れや恋人同士がやってくるので、結構な賑わいを見せていました。
日本で言えば、東京に近い熱海といった感覚でしょうね。
ボードゥオーク沿いには、カジノを備えたホテルが建ち並び、我々はギャンブルのブラック・ジャックに因んだクイズを行いました。

blackjack

クイズに正解するとカードが1枚もらえ、2問正解で運が良ければ上がる事が出来ます。
つまり、カードの合計が17以上21までになれば通過できるのです。
ところが、運悪く、引いたカードの合計が21を超えてしまうと、ドボン(バースト)といって、得点は0に逆戻りしてしまうのです。
そんな馬鹿な!と思われるでしょうが、それがギャンブルの面白さなんですね。
ギャンブルに強い人、苦手な人、それぞれの悲喜こもごもの運命を背負って、挑戦者の方々も苦労をしながらクイズが行われました。
知力、体力、時の運が売り物のウルトラ・クイズですが、ギャンブルの街ではやはり、時の運が第一だったようでした。

夏から真冬への強行軍

メリカ横断ウルトラ・クイズは毎年、季節を飛び越えるような移動を繰り返していました。
僅か1週間で夏から秋、冬と目まぐるしく移動したのは、第7回の時でした。
真夏のハワイから、秋たけなわのバンクーバーへ。
ここは森に囲まれたカナダですから、スタッフも挑戦者も紅葉をたっぷりと眺め、深け行く秋を感じて、望郷の心境になっていたことでしょう。

カナダのバンクーバーの翌日は、バンフというこの地方最大の都市から、車に乗って真冬の真っ只中へ向かって1直線の移動です。
目指すはカナディアン・ロッキーのコロンビア氷河です。
我々は前日、バンフのスーパーで、防寒具、長靴、手袋などを買い求め、冬支度を調えてのドライブでした。
周囲の景色も、紅葉から次第に枯葉の山に変化し、約3時間のドライブで、周囲を雪に囲まれた大氷河に到着しました。

コロンビア氷河_ウルトラスタッフ

に到着して、先ず目に付いたのは氷上を走るの大きさです。
大型のバスと思えば良いのでしょうが、タイヤの大きさが異常で、聞けば直径1.5mはあるそうです。

氷上車

我々は撮影機材をこの大きな氷上車に積み替え、クイズ会場まで移動しました。
この氷河は長さが6km、幅が1km、氷の厚さは最大で350mもあるのだそうです。

この氷の上で、クイズ会場の設営とスタッフによるリハーサルを行います。
幸い、天候は晴れでしたから良かったのですが、氷の上で2時間以上の作業は結構大変です。
まあ、冷蔵庫の中での作業と思えばよいのでしょうね。
準備が全て整ったところへ、挑戦者のご一行が到着して、クイズの撮影が行われました。

この大氷河の上で行われたのは、「氷上椅子取り早押しクイズ」
音楽がストップすると同時に椅子取りゲームが行われ、座れた人だけが回答権があるというルールです。
つまり、椅子は挑戦者の数よりも1つ少ないのです。
氷の上での椅子取りゲームですから、ツルツルと滑って挑戦者は大変です。

前チェック・ポイントのバンクーバーでは11人が勝ち抜けましたが、その中の1人、Kさんが急病のためドクター・ストップがかかり、日本へ強制送還されてしまったため、10人の対戦となりました。
因みにウルトラ・クイズ史上、挑戦者が病気のためにリタイアしたのは、この時が最初で最後という出来事でした。

ウルトラ・クイズの旅では、北極圏のバローや南極圏のフェゴ島など、寒い場所には何度も行きましたが、コロンビア氷河はその最初の試練だったように思います。
我々は寒かったのですが、ここで敗者となったM君は、ボール一杯のカキ氷を食べる罰ゲームを科せられ、身も心も氷ついた事でしょう。

コロンビア氷河2_ウルトラスタッフ

目立つ事の無い地味なスタッフのお話

メリカウルトラ・クイズには毎年何十人というスタッフが参加しました。
テレビ業界では珍しい事ですが、長寿番組の割りに,スタッフの入れ替えが少なかったのは、特筆するべき事でした。
前にも書いた事があると思いますが、大勢の人間が旅をしながら、現地でクイズを行うという形式は、チームワークが求められます。
だから毎年作業に慣れた人間が担当した方が効率が良くなるのはお解かりでしょう。

決まった人間が,毎年1回だけ集まって1ヶ月の期間だけ番組創りに参加する。
こうなると自然の流れとして、チームワークが出来上がり、自分達だけの暗黙のルールが完成して行きます。
従って毎年何人かの新人が参加しますが、彼らとて直ぐにチームに溶け込んで行く、という事で番組作りは進行していました。
そのようなスタッフの中で、最初から最後まで参加した地味なスタッフの事を今日は書いてみたいと思います。

れは、ウルトラクイズの重要な要素である「旅を担当してくれた2人のスタッフです。
ウルトラ・クイズのテロップ・スーパーでもお解かりかと思いますが、旅行社の近畿日本ツーリストの協力が大でした。
何しろ、多い時には100人を超える団体が旅をする訳ですから、そのお世話をするのは大変な仕事です。
通称キンツリさんの担当は、総括はMさんで彼は責任者として最初から最後まで関わってくれました。
会社では日本テレビ担当という事で、セクションが変わってもウルトラを担当していたようです。

Mさんはロケには参加しなかったので、スタッフとの接点は少なかったのですが、彼の協力無くしてはスムーズな番組進行は出来なかったと思います。
そして更に重大な役目をこなしてくれたのは、キンツリのKさんでしょう。
このKさんは、第一回から最後の回まで全てのロケに参加してくれました。
だから、挑戦者の皆さんは全ての方が、多分Kさんの事を記憶しているのではないでしょうか。
Kさんの職種はツアー・コンダクターです。
一般的には、海外旅行に同行して、お客さんのお世話をする係りですね。
お客さんの中には我侭な人が居て、彼らを困らせるような出来事も、日常的に起こるのだそうです。
それらを上手くこなして1人前になるような仕事ですが、ベテランのKさんに任せれば、旅の安全は保証されたようなもので、スタッフには絶大な信用がありました。

ルトラ・クイズの場合、スタッフと挑戦者は飛行機は同じですが、宿泊のホテルは別々の事が多かったので、接触するのはクイズ会場くらいしかありません。
だから、挑戦者担当のKさんと我々の接点は少ないのです。
1月も一緒に旅を続けているのに、話をする機会があまり無いというのも異常ですが、このKさんに対するスタッフの信頼度は高く、それも人柄のせいだと思います。

Kさんは、物静かな紳士で、おそらく挑戦者の皆さんから頼りにされていたと思います。
旅先での食事、ホテルでのトラブル、どのような相談にも親切、丁寧に対処していたのを我々スタッフは知っていました。
Kさんは最初は髪も黒々としていましたが、途中でグレーに、更に白髪に変化し、或る時私は個人的な話をする機会に恵まれ、その話に驚きました。
実は、ウルトラ以外のときでも1年中、旅をする仕事なので、彼の家庭生活はどうなっているのか、と聞いて見たのです。
すると彼は笑いながら、「結婚する暇が無くて、未だに独身です」との事でした。
しかも、彼はウルトラ・クイズが好きなため、他のセクションに移ってからも志願してウルトラを担当しているとの事でした。

じロケのチームに居ながら、挑戦者担当のKさんと共に食事をするのは、決勝戦が終った日の夜行われる打上パーティーくらいしかありません。
それでも、スタッフの中でKさんの存在感は大したものでした。

彼がロケ現場から、敗者を帰国のために空港に送り、次のロケ地に向かっての準備をする、忙しい働きぶりをつぶさに見ていたからです。
敗者の皆さんもKさんの仕事ぶりに、癒された方は多かったと思います。
誤解のないように説明すると、挑戦者担当のキンツリさんは、毎年2~3名でしたが、その責任者がKさんだったのです。
ウルトラ・クイズが無くなって、Kさんは、今どのような場所を旅しているのでしょうか?

とても懐かしいスタッフの1人でした。

真ん中がKさんです。

近ツリK氏

ケーブル巻きが修行の初め

メリカ横断ウルトラ・クイズのロケ隊は、全員が協力して作業を進めていました。
ロケ現場で、事前のセッティングは、それぞれの専門職が行いますが、ロケ終了後の片付けは手の空いた者が手伝うようになっていました。

例えば早押しセットは、一台毎に専用のジュラルミン・ケースに詰め込んでトラックに運びます。
ウルトラ・ハットも専用のケースに詰め込みます。
現場でステージが作られていた場合は、それを分解し、ケースに戻さなければなりません。

のような現場の撤収作業は、熱暑の砂漠状態であろうが、河のような寒い場所でも、全員が協力して素早く作業を行っていました。
このような作業の中で、技術を要する仕事がありました。
それは、ロケ現場に数多く張り巡られたケーブル(電線)の撤収です。
カメラのケーブル、音声を収録するケーブルなど、色別に分かれたケーブルが数多く現場に張り巡らされているのです。

れを一定の大きさに巻いて纏める作業ですが、これは誰でも簡単に出来る作業ではありません。
適当な大きさの輪に巻いて行くのですが、下手をすると折角巻いたケーブルが捻じれて次に使う時に不具合を起こしてしまいます。
私も最初の頃は、見様見真似で手伝っていましたが、技術スタッフから
「駄目駄目、余計な事はしないで!
と、強く叱られてしまったのです。
それどころか、私が折角纏めたケーブルは、すべて解かれて、再び巻き戻されてしまったのです。
二度手間という訳ですね。
実はAD君でも、ケーブルがキチンと巻ける様になって初めて1人前と見られるほど、技術を要する作業なのでした。

ケーブル

は、毎年ロケに参加していましたから、この位の事は手伝える様になろうと、コツを教わり、普通に作業が出来るようになりましたが、結構熟練を要する作業でした。
これが出来るようになると、技術スタッフがそれまで以上に近親間を持って、接してくれるようになったような気がします。
長い物には巻かれろ、という諺がありますが、
一方、長い物を巻くのにはコツがあというお話しでした。

アメリカ横断!ウルトラクイズの裏話