誰が儲けているのか?ブランド品の値段

メリカ横断ウルトラクイズで、毎年アメリカ各地を旅しました。
先日、このブログで、スーツケースの事を書いたところ、ブランド品の日本での値段が高すぎる、一体誰が途中でそんなに儲けているのか、というご意見を戴きました。
確かに、これは大きな疑問ですよね。
今でもブランド品を買うなら外国で、と考えている方は多いと思います。
そのような風潮を利用して香港買い物ツアーなど、買い物をするだけの目的で海外旅行をする人までいる世の中です。

達がウルトラクイズでアメリカへ行っていた時代、ブランド品を日本で買う場合は、値段にどのくらいの差があるのか、私の体験をお話したいと思います。

まず、このブログで書いたスーツケースをはじめ、ZEROの鞄でいえば、日本での定価は現地の2.5倍から3倍はしたと記憶しています。
勿論これは、値引きの交渉をして買った値段で、あちらの定価という話ではありません。

3分の1の値段で買えるなら、どのような高級品だって買いたくなるのが人情でしょう。
また、私がよく買った靴なども、大体、半額から3分の1で買っていました。
ネクタイやシャツなどもブランドによって差がありますが、半額以下というのが相場でした。
だから、知人や友人に良く買い物を頼まれ、ニューヨークの最後の日は、頼まれた買い物で1日が終わってしまうような事も何度かありました。

fifth-avenue

だ、外国旅行が珍しい時代でしたから、私と同じような体験をした方は多かったのではないでしょうか?
今では若い人でも、年に何回も海外へ出掛けるような時代なので、他人に買い物を頼むなんて、ピンと来ないでしょうが、実はそんな時代がつい最近まであったのです。

また、アメリカでは皮製品が安く、我々はジャンパーや靴、鞄など、安い専門店を見つけると、その情報がすぐさまスタッフに伝わり、競争で買い物に走って行ったものでした。
そのような場合は、衝動買いをするので、後で考えると「安物買いの銭失い」というバカな事も多かったようです。

ブーツ

ランド品が高すぎる、とういう話から一寸脱線してしまいましたが
「高いからこそ欲しくなる」
という大衆心理もあるようで、その辺の気持ちを計算して付けられたのが、現在の定価なのだ、と専門家の話を読んだ事がありました。

論としては、何と言われようと大衆心理を上手く操った人が、勝ち組ということですね。
ウルトラクイズも、あの時代には大衆心理を上手く掴んだようで、テレビ番組の勝ち組でしたが栄枯盛衰世の習い何事も永遠に続く事は無いと、昔の人は良い教えを残してくれました。

孔子

多彩なカメラマン軍団に脱帽

メリカ横断ウルトラクイズの旅では、毎年大勢のスタッフと旅をし、仲間になって行きました。
テレビ番組を作る上では、数々の職種が協力して一つの作品を仕上げるわけで、仕事の中味はそれぞれ異なるのは言うまでもありません。
大きく分類すると、ウルトラクイズの場合は、構成演出撮影録音美術のように分かれます。
そして、それぞれの分野で、その技と言うか、技術を出し合って、作品を作り上げて来ました。今回は、そんなスタッフのお話を書いて見たいと思います。

業務用ビデオカメラ


組は17回もありましたので、スタッフも随分入れ替わったと思われますが、実は最初から最後まで、ほとんどメンバーが変わらなかったセクションがあるのです。
それは技術のカメラ班と、録音班でした。

録音班は一つの会社が引き受けていたので、最初からメンバーはほぼ固定されていました。
カメラマン達の撮影班は、最初は全員が同じ会社に所属していたので、主だったカメラマンは、初めから参加していました。

ころが、回を重ねるうちに、カメラマンも独立して新たに会社を興したり、他の技術会社に引き抜かれたり、所属する会社が変わってしまう事があります。
しかし、ウルトラクイズに参加したカメラマンは優秀だったため、会社が変わっても人物中心でリクエストをし、メンバーは最初から最後まで、ほぼ変わらずに参加していたのです。
ですから業界では、ウルトラクイズのカメラマンは、優秀と評判になっていました。
それは、迫力のあるダイナミックな映像、細かく繊細な表現、場面によって変わる状況を、その都度変わった視点で捉え、これが視聴者に受けていました。

初はアシスタントだったカメラマンが、やがて1人前になり、ベテランの仲間になった人も何人か居ました。
普通の職場なら、所属が別の会社で、チームワークは大丈夫かと言う疑問が沸いて来ます。でも、カメラマンに限っては全くそのような心配はありませんでした。
何故なら、彼らは厳しい徒弟制度の中で育っているので、最初の身分制度が、会社は変わっても崩れるような事にはならないのです。

初のボスが何年たってもボスである限り、構図は変わりません。
だから、一度築かれた上下関係は全くゆるぎなく、何年経とうがチームワークが崩れる事はありませんでした。
それにしても、カメラマンの世界は、厳しい修行の連続という事が良く解りました。
つまり、ボスの権限が強く、絶対服従の体育界系に近い感じです。
だから、門外漢の我々が見て、「良く反乱が起こらないものだ」と心配するほど、厳しく部下をしごいているのを目撃しましたが、それだから皆さん実力を付けていったのだと思います。

達はテレビで、すごく迫力のある場面を見ることがあります。
例えば、スキーヤーが危険な場所を滑降して、その状況が見事に伝わって来たりします。
これは、カメラマンも同じように滑りながら撮っているから、表現できるのですね。
また、登山家が危険な岩場を登っているような場面、これだって近くで重いカメラを肩に担いで撮影しているカメラマンが居たからこそ撮影出来ている訳です。
このように考えると、カメラマンと言うのはどのような場面でも、同じような体験をしながら、撮影をしている人達なので、本当に凄い人達なのだと思います。

ルトラクイズでも第8回に、バハマで海底クイズと言うのをやりました。
この時もカメラマンは事前に、アクアラングの教習所に入り、資格を取って海中撮影をしていました。

水中散歩


また、ヘリコプターに乗って上空から撮影する事は度々ありました。
そんな時、ヘリコプターの窓越しに撮影をしていたのでは、迫力のある空からの映像は撮れません。
彼らはヘリコプターの下のバーに足を掛けて、ドアから外へ身を乗り出し、撮影しているのです。

決勝に向かうヘリ


一つ間違えば、まっ逆さまに転落しそうですが、そのような危険な姿勢で、当たり前のようにカメラを回しています。
勿論、転落防止のために命綱は付けていますが、高所恐怖症でなくても、足がすくんでしまうような事を平気でこなします。
時、その辺の気持ちを聞いたのですが
「カメラのファインダーを覗くと、怖いなどと言う気持ちが起きないのだ」と言っていました。

その時以来「カメラマンはスーパーマンだ!」と私は思っています。

ウルトラクイズに於ける自由の女神物語

メリカ横断ウルトラクイズでは、第一問目の問題が自由の女神として、定着していました。
そのために自由の女神といえば、ニューヨークというイメージを盛り上げてきました。
今的にいえばニューヨークのイメージを高め、大いに宣伝をしたわけで、ニューヨーク市長から感謝状をいただいても良いくらいのものでしょうね。

自由の女神2

この自由の女神がウルトラクイズに初めて問題として登場したのは、第2回目でした。
でも、最初はウルトラクイズの代名詞になるなんて、誰も考えていませんでした。単にニューヨークで有名な物を第一問にしようという軽いのりで作られたのが、記念するべきあの問題だったのです。

 「ニューヨークの自由の女神がたいまつを持っているのは左手である」○か×?

答 ×
今でこそ自由の女神は、あらゆる角度から研究されているので、このような易しい問題では落ちる人もいないでしょうが、最初の頃は、これでも充分に難しい問題だったのでした。

そして、自由の女神がウルトラクイズの看板になりだしたのは第4回目からでした。

「ニューヨークの自由の女神は石で出来ている」

これは銅像ですから×が正解でした。

第5回は「ニューヨークの自由の女神は裸足である」
これは、サンダルを履いているので×が正解でした。

の頃になると、前年に出された問題関連として、研究してきた人も居るだろうと予想しました。でも、まだその当時はクイズ研究会も無かったのか、正解者の方が少なかったのです。

ここで我々は、自由の女神を、この先も第一問にしようと会議で検討したのです。
その結果、自由の国アメリカに相応しい
ニューヨークに在って誰でも知っているし番組の象徴になる。
この像が出来るまで、或いは贈呈されるまでの間に、エピソードがいろいろあるだろう。
それらの中からクイズ問題を作れば、まだ5年や10年は行けるだろう、と浅はかな考えでスタートしてしまったのでした。

ころが、世の中はままになりません。
我々には思いもかけぬ誤算があったのです。
というのは、ウルトラクイズで「自由の女神」が話題になるや、その関連の本が次々と発売されてしまったのです。
しかも、クイズの参加者達の中には、「自由の女神」の本を大事に抱えて参加してくる人達が増えていたではありませんか。
そうなると、本の中に正解の記述があったりしたのでは、あのドキドキ感も興奮も生まて来ません

って我々としては、本に記述が無い事象を見つけて、それを問題にしない限り、第一問としては成りたたない事を思い知らされたのです。

だから、日本では何時から女神と表現されたのか、自由の女神の除幕式の状態、この式典に招待された人物、このように自由の女神関連の本がまだ取材していない事象を見つけ、そこから問題を制作するという苦難の道が始まってしまったのです。

年、問題制作者にはノルマを与えて自由の女神問題を作らせ、この数は200問~300問という膨大な数になっていたのです。

自由の女神

罰ゲームの宝庫オーランド

メリカ横断ウルトラクイズは、罰ゲームの面白さも番組の売りになっていました。
だから、我々はロケハンでも面白い罰ゲームの材料を探す事もしていました。
第15回でオーランドをロケハンした時の事です。
オーランドには東のハリウッドと呼ばれる、ユニバーサル・スタジオがありました。
子供達だけに限らず、大人でも充分に楽しめるワンダーランドです。
ここには、人々の夢を叶えてくれるアトラクションが、わんさか詰まっている、巨大な遊園地なのです。

ユニバーサルスタジオ_オーランド


京ドームの凡そ35個分という広いスペースに、過去の名画のセットや人物が配置されたスタジオがあります。
訪れた観客を、この映画の世界に引き込んでしまうという不思議な空間なのですね。
 
日本でも大阪にユニバーサルスタジオ・ジャパンが出来ましたので、細かい説明は省略しますが、このスタジオを初めて見学した時の驚きは相当のものでした。
いわゆるカルチャー・ショックというヤツでしょうね。
この場所をクイズ会場に使えるならば、面白い事が幾らでも出来そうな予感がしたのです。

そこで、交渉してみると、ウルトラクイズをこのスタジオ内で撮影する事を了承してくれたではありませんか。
我々は、この夢のような国を隅々まで見て廻りたいという意味で、恒例になっているマラソン・クイズ行う事にしました。
でも、「何でユニバーサル・スタジオで、マラソンなの?」という疑問が沸いて来るはずです。
それに答える意味で、ここでの出題は全てショー・ビジネスに関するクイズ問題にする、という事で、視聴者に納得してもらう事にしたのです。

ゲームの為に、スタジオで活躍するスタントマンの養成学校を見学しようという事になりました。
大勢の観客の前で即戦力になるスタントマンを訓練する学校ですから、授業は過酷なものですが、素人でも出来そうなスタントは、カースタントだというのです。
猛スピードで走る車の屋根にしがみ付き、車が急ブレーキをかけるのだそうです。
すると、その瞬間に屋根の上の人間が前方に転がり落ちるというスタント。
聞いているだけで、ぞっとするような危険なワザと言えるでしょうね。
そんな事を、素人が出来ますか、と聞いたところ
「OK,、ノー・プロブラムよー」
との事でした。

罰ゲーム_カースタント

いでに同じように、素人が体験出来るスタントがもう1つある、というのでそれを見学したところ、のスタントがありました。
これは防火服の上から火をつけると、全身が炎に包まれ、過激で危険な演技なのです。
しかし、先生の講義をしっかり聞いて、手順さえ間違いが無ければ、素人でも可能な演技だというのです。

罰ゲーム_炎

こうなったら、この罰ゲームは2つとも「採用!」です。
その結果、オーランドでは、もう1つクイズをやる事になりました。
それが、オーランド・パート2、その夜グッスリと眠っている挑戦者の部屋を突如襲う「突撃、奇襲クイズ」だったのです。
これは罰ゲームが先に決まったために、行なわれたクイズだったのでした。

アメリカの出発点ドミニカで思うこと

メリカ横断ルトラクイズは、その名の通り毎年アメリカ各地を横断して、クイズを行なってきました。
クイズ地を選ぶために、毎年ロケハンという名目で、各地を旅してクイズ会場となる場所を探し、実際に目で見て決定に持ち込むという手順を踏んで進行していました。
各地を訪ねるには、何らかの理由が必要になります。単にその場所に行ってみたいから、という理由では会社側の許可は出ません。我々は、毎年ロケハンの前に、その場所に行く理由を考え、それに沿ってコースを決めていたのでした。
第15回で、カリブ海の楽園の島、ドミニカ共和国へ行きましたが、その時の理由は、アメリカの出発地点を見てみようというこじつけでした。

Dominican_republic


1492年、かのコロンブスが黄金の島、ジパングを目指してスペインを出発、90日後に辿り着いたのがこの島だったのですね。これは中学校の教科書で習ったので、誰でも知っている常識。それをやっと思い出して、ドミニカをロケハンの地に選びました。

年なら、WBCがらみで話題の国ですから、視聴者だって「どんな国?」と興味をもたれる事でしょうね。
もっとも、当時も野球の盛んな国という認識は皆さん持っていたと思いますよ。
例えばアメリカのメジャーで、当時スーパー・スターだったサミー・ソーサー選手がドミニカ出身で、これは日本の野球ファンには、広く知られた情報だったと思います。

実際にドミニカ共和国に行ってみると、スペインの文化が色濃く残っていて、エキゾチックな雰囲気で季節は陽気な常夏の島でした。

ドミニカ2


勿論、コロンブス関係の旧所、名跡は各所にあって、クイズ地としては全く問題は無さそうです。

ドミニカ3


車で、ドミニカ各地をアチコチ走り廻り、人々の生活を見て歩いたのですが、確かに野球は盛んで、グラウンドでは子供たちが熱心に練習をしていました。
他の国では、道路でサッカー・ボールを蹴って遊んでいる子供が多いのですが、それよりは野球の方が目に付いたという印象でした。
当時の資料によれば、野球はドミニカの国技とも言われている、と書かれていますので、盛んなはずですね。

この頃、ドミニカでもう1つ知られていたのは「メレンゲ」というリズムでした。
これは、ドミニカで生まれたカーニバル舞曲で、タンボーラという太鼓を使って演奏され、2小節毎に連打のリズムが入るのが特徴、との事です。
何故私がそんなに詳しいのか? 実はご当地クイズで出題されたので、その資料を見ながら書いている情報なのです。

ドミニカは発見当時、インドと間違われたために、今でも西インド諸島の中にあるイスパニオーラ島と呼ばれ、島の半分はハイチ共和国なのです。
これもご当地クイズで出題された知識からの引用です。
こうして振り返って見ると、ウルトラクイズのご当地問題は、結構ためになる事を問題として採用していたのですね。
ウルトラクイズでは、単なる知識は「教科書問題」と呼ばれて、採用しないようにしていましたが、教科書を作る皆さんも、クイズ問題を作るような気持ちで、子供たちが興味を持つような話を加えて、教科書を作ったら、もっと勉強が楽しくなるのではないかなぁ、と思うのです。
今日は手前味噌のお話でした。