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手探り状態で始まったウルトラクイズ

メリカ横断ウルトラクイズは、全部で17回放送されました。
とはいえ、最初のスタッフは、誰1人そんなに永く続く番組になるなどと思っていませんでした。
その良い例が、第一回のクイズ形式や、クイズ問題の使い方に現れていました。

前にも書いたかもしれませんが、最初は木曜スペシャルの1週分くらいの予定で制作に入ったのでした。
当時は、視聴者参加のクイズ番組が盛んな時代で、一番の人気は 「10問正解して、ハワイへ行こう」 のキャッチ・フレーズで知られた「アップダウン・クイズ」でした。
これに勝つクイズ番組を考えていた我々は、常識をひっくり返す様な、むちゃくちゃなアイディアを提出したのです。
つまり、10問正解してハワイへ行こう、なんていうのはケチ臭い。
どうせなら、挑戦者を全員ハワイどころか、ニューヨークまで連れて行ってしまえ、という乱暴な案でした。

自由の女神

んなみたいな番組が実現するはずが無い、と誰もが思っていたのです。
ところが、木曜スペシャルで採用が決まってしまったのです。
だから、クイズ問題にしても、そんなに多く準備したわけではありません。

早押しクイズ、○×クイズなど、私の記憶では2,000問~2,500問位を持って、ロケに出発したのだと思います。

ころが、実際にクイズを始めると、どう考えてもニューヨークに行く前に問題が足りなくなるという事が予想されたのです。
何故なら、放送上は編集でカットされていますが、クイズ問題が出題されても、誰も応えずに、問題だけが消費されて行く、というような状態が起きてしまうのです。
そのような事が起こらないために、難問の中に、易しい問題を配分よく並べるように進言するのですが、頑として易しい問題を拒否する指揮官が居たのです。
完璧主義者を自認する彼の言い分は、アメリカまで来ている人間が、この程度の問題に答えられなくてどうする、という正論を振りかざすのでした。
その結果、電波に乗ることも無く、現場で消費されるだけの難解な問題が、陽の目を見ずに多数消えていったのです。

のため、クイズ問題は数が減って行くばかりです。
そこで、留守番部隊にSOSが発信され、急遽追加問題が作られ、発送されました。
それも今のように、インターネットで送れる時代ではないので、郵便物として行く先々に送り届けていたのです。

イズ問題一つをとっても、このような手探り状態で番組は始まったのです。
収録が進むに連れて、1回の放送ではとても収まらないと言う事が、肌で感じるようになり、2週に分けて、否、3週に分けられると、と次第に膨らんで行きました。
予算的にも、3週分でも収まらないほど使われていました。
結果的には第一回は3週に分かれて放送され、しかも、これが高視聴率を獲得したため、1年1度の恒例番組になったのでした。

題を担当する私から言えば、毎年予想される数よりも2割から3割くらいクイズ問題を多めに準備しました。
それらの問題は1問毎に厳しく吟味されているので、大切に扱いたいという気持ちが強いのは当然です。
そのように思うと、初期の時代は問題を惜しげもなく消費していました。

えば、機内のペーパー・テストにしても何と800問でした。
そんなに数多く出題する必要があるのか、会議で私は疑問を呈するのですが、多ければ多いほど実力が判定できる、と当たり前の理屈で兎に角多数のクイズを解答させる、という持論を頑として譲りませんでした。
これを1時間で解答するのには、4秒半で1問を答えなければなりません。
挑戦者には厳しい試練といえましょう。
解答用紙を見ても、7割から8割答えていれば上々といった解答率でした。

期の頃は、見方によっては挑戦者イジメとも思えるような厳しい番組としてスタートしたのでした。
挑戦者だけではありません。
スタッフにしても、短い時間内で採点し、合否を集計するのですから、気が抜けない緊張の連続です。
このように手探り状態で始まった番組でしたが、回を重ねる度に効率よく進行するように改善され、長寿番組となったのでした。
初めの第1歩はこのように汗もの だったのです。

ロゴ

旅は道ずれ、夜は緊張!

メリカ横断ウルトラ・クイズに挑戦者として参加した方は、多分あの旅の間は、緊張の連続だった事だと思います。

難しい難問をクリアして、折角海外に来たのだから、少しはレジャー気分を味わいたいと言うのが人情でしょう。
ところが、鬼のようなウルトラ・スタッフには、そんな人情は持ち合わせていませんでした。 

組内には、常に緊張感が張り詰める。
そんな番組こそヒットすると硬く信じ込んでいたようなのです。

と、いうと他人事のように聞こえるかもしれませんが、あの時代にはそのような精神論があって、我々は正にそれを実践していたのでした。

えば、夜襲クイズなどはその典型的な形式でした。

クイズが終って「今夜はゆっくり眠るぞ」という挑戦者を突然襲って、クイズを出題する、このような事を1度体験すると翌日からはオチオチ眠っていられません。

現代なら、人権侵害番組だ!とマスコミの総攻撃を受けそうな事を、平然と実行していたのですから、時代の変化を感じてしまいます。 

このような緊張感を持続させるため、第5回のハワイのホノルル空港でも突然の奇襲クイズが実施されました。ホノルル空港

の時は、前日の浜辺で行われたクイズで、30人から14人が勝ち抜き、アメリカ本土に向かって、空港にやってきました。

ところが、空港でいきなり○×クイズが行われたのです。

問題は全員に出題され、ただ1人が誤答するまで続けられました。
しかも、意地の悪い事に、正解か不正解かは、その場で発表されませんでした。

つまり、ロスの空港で成績を発表すると言うわけです。
と、なるとロスまでの飛行時間は心臓ドキドキで、旅の楽しさなどは何処かへ飛んでいってしまいます。

この時の生贄になったのは、機内ペーパー・クイズで女性第一位だったNTさんでした。
ロス空港

女はロスの空港で飛行機を6時間も待たされ、東京まで10時間、ホノルルを出てから22時間もかけて帰り着くという罰ゲームを受けたのでした。

これでは、楽しい海外旅行など夢の夢ですね。

それでも、挑戦者は懲りずに集まって来た、良い時代でした。

日帰り海外旅行

メリカ横断ウルトラ・クイズは挑戦者に過酷な体験を要求していました。
一体、スタッフはどのような意地悪な人間なのか、という非難の声が聞こえてきそうな計画を、次々に考え実行していました。
尤も、その意地悪さが視聴者を喜ばせていたのですから、人間の本質は意地悪なのでしょうかね。
 
は私達も、自分達で仕掛けた罠に敗者が嵌まる度に、心の中では「申し訳ない」という気持ちが多分にあったのです。
中でも、毎年一番気の毒に同情心を呼んだのはグアム、又はサイパンの空港でした。
考えてみれば、あの難関の東京ドームを突破し、成田でのジャンケンをクリアし、いよいよアメリカに向かって旅に出た、挑戦者達の胸の中はルンルン気分の筈です。
ところが、機内で行う400問ペーパー・クイズが待構えています。
これは東京ドームの○×クイズや成田のジャンケンのように、カンや運に頼るものと違って、本当の知力を試されるクイズなのです。
ここで、落ちるという事は、全国的に恥をかく事になってしまいます。

ペーパークイズ

かも、海外までやってきて、そこの地を一歩も踏めずに、飛行機から降りる事も許されず、Uターンして帰国させられてしまうのですから、哀れを通り越して涙を誘うような気の毒な場面になってしまいます。
あのウルトラクイズで通算、何百人の方達がこの悲哀を体験なさった事か、そんな中でも、特に記憶に残る人達がいました。
 
それは第5回のサイパン空港でした。
この年は55名の挑戦者の内、45名が合格という配分でした。
つまり10人の方が涙を呑むことになったのです。
その中になんと1組のご夫婦が含まれていたのです。
ご夫婦揃ってジャンケンに勝った時には拍手喝采でした。
ころが、それからわずか数時間後、このお二人は地獄の経験をさせられてしまったのです。
Tさんご夫婦ですが、この時の屈辱感は永く記憶に残った事でしょう。
しかし、放送翌日には、Tさんご夫婦を慰める手紙が数多く届いた所を見ると、視聴者の皆さんも、本質は優しかったのですね。
このような悲喜こもごもの出来事を残しながら、ウルトラクイズは毎年制作されていました。
でも、考えてみれば日帰り海外旅行という通常滅多に有り得ない体験をご夫婦で出来たのですから、希少価値として良い思い出になっているかも知れませんね。

サイパン

他力本願は通じないウルトラクイズ

メリカ横断ウルトラ・クイズは知力、体力、時の運がキャッチコピーとして広く浸透していました。

しかし、今思い返してみると、そこにもう1つ加えたい言葉が浮かんできました。
それは「他力本願ぶっ飛ばせ!」という言葉です。
つまり、自分の思う通りに突き進めという事を強調すべきでした。

それは特に○×クイズに当てはまる注意点といえるでしょうね。

〇×クイズ

ウルトラ・クイズの○×問題は、我々クイズ制作者には最もきつい仕事でした。

一見誰でも判りそうでいて、しかし盲点になっている事象を探さなければ、採用問題になりません。

単に知識が豊富というだけでは、正解を導くことが出来ないという難しさが要求されていたのです。
だから、グアムで恒例となっていた○×泥んこクイズでは、クイズに強いと呼び声が高かった人達が、多数敗れ去っています。

泥んこクイズ4

また、東京ドームでも、他力本願で誰かについて走っていた人達が、残念な結果に終わっていました。

我々は早い時期から、このような他力本願を無くそうと考えていました。
司会の福留さんが、「自分の考えで走れ!」と何度も絶叫していたのを思い出します。

んな不和雷同はだめよ、と最初に感じさせた出来事は第4回の後楽園球場で起こっていました。

その前年度のクイズ王だった福島県からの参加者、S・Rさんが会場にいたのです。

彼を目ざとく見つけた挑戦者は、当然の事ながら、己の考えを捨て去り前年度のチャンピオンに自分の運命を託そうとしてしまいました。

そして、あろう事か、S・Rさんは第1問の自由の女神問題で、落ちてしまったのです。

後で聞いたところによると、彼の周囲にはファンと思しき集団が出来ていて、その人達が一団となって、第1問で消えてしまったそうです。

また、この年のグアムの○×泥んこクイズでは、第2回のクイズ王に輝いたKさんも泥んこの中に消え去っていました。

事ほど左様に○×クイズを正解するのは至難の業なのです。

それも単純明快な二者択一なのですから、負けても悔いが残らないよう、自分の勘を信じるべきなのでしょうね。

○×は他力本願飛んで行けー と言えば良かったです。

心残りのロケ候補地、ミステリーゾーン

メリカ横断ウルトラクイズは、ロケの候補地を会議で検討し、その中から現地を視察するロケハンを経て実行に移されていました。
私は毎回のように、ロケハンに参加し、ロケの場所を決めるメンバーの1人でしたが、心に残る残念な候補地も何箇所かあり、以前にもこのお話しは書いた事がありました。
今日も、そのような場所の事を書いて見たいと思います。

あれはサンフランシスコに近い場所でしたから、第8回のロケハンだったと記憶しています。
サンフランシスコに近いヨセミテ国立公園の中に、ミステリー・ゾーンと呼ばれた不思議体験を味わえる場所がありました。
静かな森の中に、木造の小屋が何棟か建っていて、この小屋の中がミステリー体験ゾーンなのでした。

ヨセミテ国立公園

のような不思議な体験が出来るのか?
例えば自分よりも身長の高い相手と正面から向き合うと、不思議な事に、自分の方が高く感じるのです。
また、部屋の中に入ると、部屋自体が傾いていて、真っ直ぐ立つのに苦労しますが、鏡には直立の自分の姿が写っていて、頭が混乱してしまうのです。

このように、不思議な部屋が幾つもあって、説明によれば磁気の関係で、錯覚を起こすのだと書かれてありました。
しかし、人間の錯覚を利用した仕掛けで、遊園地にあるマジック・ハウス的な印象もぬぐえません。

時は、畑の中にミステリー・サークルと呼ばれた不思議な模様が描かれたり、この現象を追跡するスペシャル番組が、各テレビ局で競って作られていました。

ミステリーサークル

このような番組は、宇宙人の仕業だ、などと人々の興味を煽るキャッチ・コピーで話題を呼びましたが、冷静に考えれば、誰かが仕掛けた現象に違いありません。
中には、張本人が名乗り出て、告白したというニュースもありました。

また、このような現象を肯定する立場否定する立場、と両陣営からタレントになった人まで居ました。

「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花」という言葉があるように、仕掛けを解き明かしてしまえば、「なーんだ!」となるような話なのかも解りません。
とは言え、この場所は捨てがたく、我々はこのように人間の錯覚を利用したクイズ形式を、アレコレと随分考えました。
しかし、残念な事に、誰もが納得し、それでいて面白いクイズの形式を生み出す事は出来ませんでした。

結局、ロケハンで面白い場所を下見したものの、ここをクイズ会場にする事はなかったのです。
ミステリー・クイズが完成しなかった理由は?
正に、ミステリーだったのです。