アメリカ人はモニュメントがお好き!

メリカ横断ウルトラクイズで、アメリカ各地を回っていると、アメリカらしいスケールのバカ大きいものにお目にかかる事があります。
例えばニューヨークの摩天楼のような巨大な高層ビル群も、今では世界各地で見られるようになりましたが、最初に完成させたのはアメリカでした。

Manhattan

そらく初めてアメリカを訪れた人達は、一様にあの摩天楼を目の当りにし、度肝を抜かれた事でしょう。
それも昔の話という事で、今の若い人にはピンと来ない例えで、時代はどんどん変化していると言う事です。
て、バカ大きい物がお好きなアメリカ人の自慢に、巨大なモニュメントが有ります。
因みに辞書でモニュメントを引くと、
「公共的な記念の目的から、特定の人物や事件などを長く後世に伝えるため、設立される建造物の総称」
と定義されています。
このブログでも以前に「ラピッドシティの親日家」という項でも触れましたが、サウスダコタ州の国立公園ラシュモア山に彫られた巨大な4人の大統領の彫像がありました。

ラシュモア山


このモニュメントは、サスペンス映画の巨匠ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」の格闘シーンの舞台として、世界中に知られるようになった名所です。
れに、勝るとも劣らない大きさの彫刻が、アトランタにあったのです。
アトランタは古くは名作映画「風と共に去りぬ」の舞台として有名でした。

風と共に去りぬ

近くではオリンピックですね。
アメリカ南部のビジネスの中心地であり、世界中で飲まれているコカコーラの本拠地があるのでも知られています。
々がこのアトランタを訪れたのは、オリンピックよりも4年前の第16回の時ですが、ここのストーン・マウンテン公園がクイズ会場に決まったのです。
名前の通り、正面に大きな石の山がそびえ立っていたのです。
この山は世界的には、オーストラリアのエアーズロックに次ぐ、巨大な石の塊だそうです。

ストーンマウンテン

この中腹に、南北戦争の英雄リー将軍を始めとする4人の将軍の像が彫られていたのです。
歴史の浅いアメリカとしては、このようなモニュメントを全国各地に創り、世界に威厳を示したいという気持ちも理解できます。
それにしても、このようなバカ大きい彫刻を、自然の中に溶け込まして作ってしまうアメリカのエネルギーには、ただただ脱帽と言うしかありません。
ウルトラクイズ第16巻の表紙にもなっています。

16巻表紙

もし、これが日本だったら「自然破壊、反対!」という市民団体の動きに抵抗され、とても実現は出来ないでしょうね。
ストーン・マウンテン公園は、アトランタ・オリンピックではマラソン、カヌー、アーチェリーなどの競技会場として、世界の注目を集めましたが、我々はその4年前にこの場所でクイズを行ったのでした。
この将軍達のモニュメントと、クイズ形式を何とか関連付けるアイディアを考えましたが、ピッタリと来る物が出て来なかったのです。
そこで実施されたのは、「私がママよ」という、現地の子供とお母さんを使ったクイズでした。

小学校低学年の描いた似顔絵をヒントに、その子の母親を当てたら勝ち抜け、子供の指名権は2問正解で得られるというルールです。
ここでは、知力と勘を働かせて、挑戦者達は結構苦戦しました。
何故って、似顔絵と母親があまり似て居なかったからです。
こればかりは、事前のチェックでも小学生に向かって
「もっと上手に描けないの?」
なんて言える訳がありません。
そんな悪条件でも、
「現場を楽しく盛り上げるのが司会者の腕だ」
といって若い福沢アナに注文を付けていたスタッフが居ました。

前任者、福留さんの時にはとても言えないセリフでしたがね。
今では福沢アナもフリーになって、立派な売れっ子ですが、ウルトラに出てきた当時は若手の新人アナで、まだまだスタッフに鍛えられていたのでした。

スタッフへの罰ゲーム?

メリカ横断ウルトラクイズでは、17年に亘ってアメリカ大陸を横断しました。
良く訊ねられる質問で、「最も大変だった旅は何時だったか?」と聞かれることがあります。
このブログでも何度か触れていますが、スタッフと挑戦者の体力的な負担では、第14回だったように思います。
動距離から考えれば、別にこの回がずば抜けて長かったというわけではありません。
むしろ第9回のイギリス、フランスへ行った時も距離は大変なものでした。
また、第13回のオーストラリア、ニュージランドを経由した時も長距離でした。
更に第12回の北極圏のバローから南極圏のフェゴ島まで、南北アメリカ大陸を縦断した時も、それは気の遠くなるような長旅をしたものです。
も、距離が長いといっても、移動は飛行機でひとっ飛びなのですから、楽と言えばラクなものです。
その点14回は飛行機を使わずに、陸路でアメリカの西海岸から東海岸までを横断してしまおうと言う意見に、同意してしまったのです。
京の会議室でこの案が出された時には、初めての試みで面白そう、と賛成多数で決まってしまいました。
事前のロケハンで実際に走ってみると、大陸の広さに仰天させられました。
だからと言って一度決まった事は、易々と変更出来るものではありません。
総てのロケ地が決まったわけですから、そのコース通りに車を走らせてたどる事になります。
々は西海岸のポートランドから、オレゴン街道に乗り、東海岸を目指して大陸横断の旅をスタートさせました。
挑戦者が16名、スタッフは倍以上の人数です。
この一団は、長さ24メートルのトレーラに撮影機材を詰め込み、この車を先頭に大型バスが3台続いたのです。
内訳は挑戦者が一台のバスを専用に乗ります。
スタッフは余裕を持たせて二台のバスに分乗しました。

一本道

して車に乗る前、全員に大きな枕が配られました。
つまり横一列を一人で独占出来る配分で、「移動中は寝て過ごしても良いぞ」という配慮でした。
寝ている内に目的地まで行けるのですから、普段の移動と比べると楽なもの、と誰もが思いました。
段は空港の乗り降りで、沢山の荷物を運ばなければなりません。
ホテルでも同じような作業が繰り返し行われます。
それが全て省かれるのですから、嬉しいはずでした。
ところが実際にバスで一日中走って移動していると、枕はあっても眠れるなんてものではありません。
動と言えば、車の振動だけで、身体はジッとしているわけですから極度の運動不足になります。
時間を持て余したスタッフは、本を読んだり、レコードを聴いたり、中にはカードゲームに熱中する者もいました。
時々食事のため、ドライブインに停車すると、店に入る前に自然と駐車場で体操が始まってしまうのでした。
そのくらい身体がなまってしまうのです。
石に、バスの中で宿泊をした事は無かったのですが、ホテルの部屋でベッドに入っても、体はまだガタガタと振動しているような錯覚に陥ってしまいます。
スタッフ会議で、「明日は本番の終了後、700km移動します」などと告げられると、とんでもない罰ゲームを受けているような気分になってしまいます。
の回に参加した挑戦者も大変でしたが、思い返せば、第14回のウルトラクイズは、スタッフに対する罰ゲームだったような過酷なスケジュールでした。
そして、走った距離が9,000km。
普通の自家用車なら一年半かかって走る距離をわずか3週間で走破したという、正に常識を超えたクレイジーな番組でした。

アメリカ大陸

出る杭は打たれる?

メリカ横断ウルトラクイズのキャッチ・フレーズは「知力、体力、時の運」です。
クイズに1番強い人が、その年の「クイズ王」の座を獲得するのが、一般的な考え方ですが、それではあまりに常識的でスリルが無い、というヘソの曲がった人間が多いウルトラクイズ
だからこそ、本当はクイズに強い人が、運悪く負けてしまうという落とし穴を仕掛けたのです。
それも番組のスタッフが、誰かを狙って落としたのでは視聴者が承知しません。
これを平和的に実行するには、ライバルの挑戦者が、クイズのルール内で強い人間を落とすという方法が公平というものでしょう。
んな意地の悪いルールを考え、実行に移したのが第15回ドミニカでのクイズでした。

ドミニカ

この回では、機内ペーパー・クイズの1位だった東京都の会社員Oさん(当時25歳)が、実力を発揮して、圧倒的な強さを発揮していました。

我々スタッフも、この調子で進めばOさんが優勝候補の筆頭という認識でした。
挑戦者の皆さんも多分そのような気持ちだったのでしょうね。
んな一行が第12チェックポイントのドミニカ共和国に初めて上陸したのです。
ドミニカは、かのコロンブスがアメリカ大陸を発見した際、最初に辿り着いた島として知られています。
そこで、我々が仕掛けたクイズは「新大陸獲得クイズ」というものでした。
ロンブスがアメリカ大陸を発見した当時は、大航海時代で、最初に発見した者がその新しい国の領主になれるという時代だったらしいのです。
だから、航海士達は先を争って、大海に出て行ったという話しを聞き、これをクイズ形式に取り入れようとしたのです。
の時、残っていた挑戦者は7名でした。
16世紀の大航海時代に使われていた地図には、6つの大陸が描かれていました。

大航海時代地図

こでクイズに正解した者が、自分のライバルの回答権を封鎖。
こうして早押しクイズをやっては一人二人と封鎖を続け、最後まで生き残った1人が1つの大陸を獲得して勝ち抜ける。
大陸は6つだから、敗者となるのは只一人。
この形式の特徴は、実力のあるものが必ず最初に封鎖され、不利な戦いを強いられてしまうというものでした。
従って、自他共に認めていた実力者、機内1位のOさんは封鎖され、敗者の汚名を着せられてしまったのです。
知力、体力は充分なのに、時の運に見放された典型的なケースでした。

出る杭は打たれる

スケールが大きいアメリカ人の道楽

メリカ横断ウルトラクイズでは、アメリカ人の生活を紹介する、という目的もありました。
このブログでも度々ご紹介していますが、アメリカ人の趣味や遊び、レジャーに関する情報を取り上げています。
現代のような情報社会では、インターネットで世界中の情報がアッという間に伝わりますので、当時とは状況が違ってきました。
それでもウルトラクイズでは、珍しい遊びや、普段あまり見られないようなスポーツなどを探して、それらをご紹介してきました。
12回ゲインズビルでご紹介したドラッグレースもその代表的なケースと言えるでしょうね。
ドラッグレースはアメリカ人が最も好むクレージーなカー・レースで、又の呼び名をホットロッド、或いはゼロヨン・レースと呼んでいます。
2台の改造車が400mの直線コースで、タイムを競い合うレースなのです。
シンを改造して、スピードだけを競い合うわけですから、危険この上も無いのですが、これに命を懸けてしまう人達が多いのです。
ゲインズビルフロリダ州の小さな田舎町ですが、このホットロッドの中心的な町としても知られていたのでした。
たちはロケハンでその現実を目にして仰天しました。
毎週金、土の両日には、近郷、近在から同好の士が集まってきて、レースを楽しんでいる、との情報でした。
多分20~30台の車が集まっているのだろうと予想して現場へ行きました。
すると大きなトレーラーに自分の改造マシンを搭載した車が続々と集まってくるのです。
普通の週で100台は集まって来るというのです。
見ると、そのどれもが特徴のある改造車で、いかにもスピードに命を賭けるヤンキー気質が丸出しといった迫力です。

ドラッグカー

いざ、レースが始まると、そのエンジンの轟音が周囲に響き渡り、彼らは興奮の絶頂に達するのでしょう。
「行け!行け!」と絶叫し、レースを堪能していました。
勿論、彼らは趣味で楽しんでいる訳で、こればかりは日本のスピード狂の若者でも、ちょっと真似が出来ない道楽といって良いのでしょうね。
大体、日本には直線で400m、自由に使えるような場所がそうはありません。
それに大きな改造車を保管するだけでも、莫大な経費がかかってしまうでしょう。
やはり、広い国に住んでいるアメリカ人の真似をしたくても、出来ないものもあるんだなあ、と実感しました。

ドラッグカー2

て、このドラッグレース会場で行なわれたのは、「ゼロヨン・レース予想早押しクイズ」
ルールは早押しクイズで正解すると、2台のゼロヨン・レースのどちらが勝つかを予想する。
もし、予想が的中すれば勝ち抜け出来る。
但し、予想が外れると0ポイントで、再びクイズに挑戦しなければならない、というものでした。
この場での罰ゲームは、インディー500のレース場では果たせなかった、レースカーに乗るというものでした。
万一の事故に備えて、燃えないレーシング・スーツに身を包んで、決死のスピード体験。
見ている方は面白がっていましたが、敗者の恐怖は想像を絶したに違いありません。

これがきっかけでスピードの虜になっていなければいいのですが。

テレビには誰でもスターになれる可能性がある

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎年大勢の挑戦者が番組を盛り上げてくれました。
その中で、たった一人がクイズ王になるわけですが、毎年クイズ王になった人は正にスター並みの人気者でした。
というのは、放送2週目辺りから、番組宛に挑戦者へのファンレターが届きはじめ、最終回のクイズ王ともなると、その数は立派なスター並みに増えるのでした。
中でも強く印象に残っているのは13回の優勝者、長戸勇人さんで、彼の場合は確かダンボール箱幾つかに分けて保管するほど沢山のファン・レターが届いたものです。

自由の女神2

かに、彼のキャラクターにはスターになるべき要素が備わっていたように思います。
また、クイズに強かったのも事実ですね。
ここぞという絶好のタイミングで勝ち抜ける、その辺が視聴者の心を捕らえたのでしょうね。
も、強いのはどの回のクイズ王も同じような経過をたどって、勝ち進んでいます。
また、クイズ王に限らず、途中で消えていった敗者でも、視聴者の人気を得て、ファン・レターがずいぶん届いたものでした。
つまり、テレビで戦う姿が共感を得て、人気者になっていった訳で、その辺は出場した方達が一番肌で感じていたのではないでしょうか?
例えば、自分で応援する挑戦者が敗れて、罰ゲームを受けたりしますと、本気で怒って、抗議の電話や手紙がスタッフ宛に送られてきたりしたものです。
これなどは正にファン心理の表れで、毎年スター的な人気を得た人達が誕生したものでした。
ころで、スター作りでは、我々スタッフが毎年感じていた事があります。
それは東京ドームから始まるのですが、大勢の挑戦者が集まった時に、必ずと言ってよいほど、キラリと光る良いキャラクターが居るものなのです。
そのような人が勝ち抜けると、番組は作り易いなあ、と思います。
ところが、クイズが進行するにしたがって、毎年の事ながら、良いと思った人ほど簡単に脱落して消えてしまうのです。
ドームで100人が決まりますが、その説明会で1同を見渡し、このメンバーで果たして4週間も番組を作る事が出来るのか、と不安になるのが恒例でした。
頃、テレビ番組を作っている我々は、いつでも必ずと言って良いほど知名度のある出演者を中心に、中身が構成されています。
ところが、ウルトラクイズは視聴者参加番組ですから、最初から知名度のある出演者は皆無の状態です。
せめて光るキャラクターが居れば、と思いますが、そんなのは無い物ねだりと言うものでしょうね。
次に不安になるのが成田でのじゃんけん会場です。
司会の福留さんとの会話の中から、応援したくなるような面白い人ほど、簡単に敗れて退場してしまうのです。
「オイオイ、彼も負けたのか?」
と、スタッフ同士は目で残念さを合図し合っているような雰囲気になります。
んな中から勝ち残った50人がグアムに向かう飛行機に乗るのですが、機内のペーパー問題で更に篩いに掛けられて、それを通過した人達で番組を進行させなければなりません。
つまり、この出演者でゴールデン・タイムに放送する筋書きの無い2時間ドラマを、3本も作らなければならないのと同じなのです。
から、毎回起伏に富んだクイズバトルにしなければなりません。
罰ゲームにしても、敗者を単にいじめる訳ではなく、見て楽しく、それでいて可哀想といった同情心も盛り込むなど、欲張った注文が出されます。
毎回期待通りのアイディアは出ませんが、それでも17年も続いたと言う事は、まあまあ成果があったと言う事でしょうかね。
はスターに戻りますが、挑戦者の皆さんは、毎回役どころを見事に演じてくださいました。
その意味では皆さん、立派なタレントでありスターだったのです。
言い換えれば、誰でもチャンスを与えると、スターになれるという見本みたいなものですね。
それぞれの場面で、視聴者の応援を受けながら、敗れては涙の別れがあり、罰ゲームでは同情を買い、全くの素人とも思えない役柄を演じてくれたのでした。
最近のテレビ番組では、お笑いタレントと称する人達が、大勢出てきてそれぞれ勝手に喋っていますが、それに比べると当時の挑戦者は、もっと存在感があったように思いますが、いかがでしょうか?
その証に、このブログを読んで、20年も前の挑戦者のお名前を覚えていて、当時の印象をコメントしてくださる方が、結構大勢いらっしゃるのです。
えっ! 手前味噌な勝手な思い込みだ? 
確かにそうかもしれませんが、お許しを……。

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