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忍耐強いADさん達

メリカ横断ウルトラクイズの思い出を書いていますが、今日はスタッフの中でも最も苦労が多かったAD君達のお話を書いて見たいと思います。
テレビの業界ではAD(アシスタント・ディレクター)は、3Kと呼ばれていた時代が長い事続いていました。
厳しい、汚い、キツイ、これらの頭文字をとって、Kを3つ並べたもので、その位大変な職種であるという意味です。

ADブギ


にそれだけの修行を終えて、ディレクターになれば、これは撮影現場の監督ですから、中には我がまま放題で王様のように振舞う人も出て来たりします。
ディレクターが我がままで、アシスタント奴隷のように扱うという話は業界では珍しい事ではありません。
ウルトラクイズのように大きな番組の場合、ディレクターは毎回4~5人いました。
そのアシスタントも同じ位の人数だったと思います。

ルトラクイズは大きなチームで活動していましたから、全ての事が会議で検討され、実行されていました。
そのために1人の我がままな上司に振り回されるような事はありませんが、各セクションとも、上の者は全体に厳しく部下をしつけるような雰囲気がありました。
ADに関しても例外ではありません。
毎年、4月頃にチームが結成され、年内一杯はスタッフとして行動を共にします。
私の記憶では、途中で逃げ出したADは無かったと思いますが、途中で何人かが反乱を起こしそう、という噂が出た事はありました。

えばラスベガスへ行った時の事でした。
ここは、一夜にして億万長者を生むギャンブルの都ですから、若しかしたらそのおこぼれに預れるかもしれない、という夢を与えてくれます。

LasVegas


我々スタッフも、本番が終った後には、自由時間がありますので、ショーを見たり、ギャンブルに興じる事になります。
私も夜中まで遊んで、ホテルの部屋に引き上げてきた時です。
時間は午前2時頃でした。
エレベーターを降りると、我がスタッフのAD君が、廊下に椅子を出して、こっくり居眠りをしていたのです。

驚いて、「どうかしたのか?」と声を掛けたのです。
すると、挑戦者が遊びに出かけないよう、朝まで見張りをするように命じられたのだと言います。
では、他のスタッフのように、遊びに出ていないのか?
と聞いたところ
「お前らは仕事でアメリカに来ているのだ。24時間働け!」
と言うような激を飛ばされ、1人で朝まで見張りをしているのだ、という話しでした。
その時は、部下に対する教育と言うよりは、イジメに近いという印象でした。

でも、このAD君は、同じ制作会社の上司からの命令なので、他社の我々が口を挟む立場ではありません。
それにしても昼間はラスベガスの砂漠地帯で一日中ロケを行い、夜は寝る間もなく、見張りで徹夜とは、正に3Kを地で行った働き振りでした。

この年に「ADの反乱」といった不穏の噂が出たのですが、事前に察知した上司がこれを食い止め、大事には至らなかったという経緯がありました。

ADとしてウルトラクイズに参加して、ディレクターに昇格した人は何人も居ますが、彼らとてADの時には本当に良く働き、番組創りに貢献していました。
むしろ、そのような下積の働きがあったからこそ、あのようなヒット番組が出来たのでしょうね。
多分、当時ADだった人達も、人生で一番の苦労は? と問われればウルトラクイズのロケだった、という答えが返ってくるような気がします。
でも、過ぎてみると苦しみこそ、楽しい思い出という話もあり、やっぱり参加して良かったという意見になって欲しいです。

滝行

泥んこクイズの裏話

メリカ横断ウルトラクイズのクイズ形式の中には、名物となっている物が幾つかありました。
その中でも、毎回爆笑を呼んだのは、グアムの浜辺で繰り返し行われた○×泥んこクイズでしょうね。

泥んこクイズ4

の形式が初めて番組で紹介されたのは、1980年の第4回大会でした。
この形式が、どのような経過で誕生したのか、その辺の事情を書いて欲しい、とのリクエストのコメントがありましたので、昔のアイディア会議を思い起こして見ました。
確か、誰かが子供の頃、泥んこ遊びをしてよく親に叱られた、という話をしたのが、きっかけだったと思います。
確かに親としてみれば、幾ら注意をしても泥んこまみれで子供が衣服を汚してくるのには、腹が立って叱るのは当然です。
このような日常生活の中から、ヒントを得て、クイズ形式は生まれていたのです。

これをきっかけに泥んこだらけのプールに飛び込ませて、全身が泥まみれになれば 「観ている人間は笑えるよね」という話で会議は盛り上がったと思います。
そこで、どうせなら美しい海辺で、全く逆な泥んこまみれの人間を作りあげよう。
そのためのアイディアを出せ、といった宿題が出されました。

こで、泥んこのプール内で、「カルタ取り」とか、正解を書いた札を奪い合う「泥んこプロレス」など、好き勝手なアイディアが沢山出されました。
その中で、○×のボードに飛び込む、というあのアイディアが、採用されたのでした。
普通、このクラスの形式が出されたら、事前にテストをして、問題が無ければ採用、というのが番組作りの流れでした。
でも、当時国内でそのようなシュミレーションをした記憶がありません。
ですから、これはぶっつけ本番で行われていたのですね。

っとも、グアムの浜辺でリハーサルを行い、これで十分に成立する、と確信をもって本番に臨んだのは当然です。
実は、簡単に見えるかも知れませんが、事前の準備としてウレタンで出来た○×のボードを沢山制作し、これを現地に送らなければなりません。
また、正解者が飛び込んだパネルの先には、泥んこプールを覆いかぶす大きなマットが必要です。
逆に、不正解者の泥んこプールには、そのようなマットがないので、泥の中に頭から飛び込むという仕掛けなのです。

○×のウレタンボードや、大型のマットなど、このような装置があって、挑戦者は○か×のパネルに飛び込んで行く訳です。
このような仕掛けは現地では調達できませんので、全て東京で制作し、空輸されて使われるのですから、この番組の費用が膨大にかかったと言うのはご理解戴けると思います。

戦者が、ボードを突き破って飛び込んで来る瞬間を、カメラで捕らえるために、カメラマンは不正解者の飛び込んでくるパネルを事前に知っていなければなりません。
ですから、泥んこのプールの上にカメラを構え、パネルを突き破って、頭から飛び込む瞬間をアップで捉え、それが爆笑を呼んでいたのでした。

泥んこクイズ1

この形式の特徴は、誤答の罰ゲームが即、泥んこのプールに突っ込む、という一目瞭然の形式であり、人気を呼びました。

泥んこクイズ3

いでに、最初のアイディア会議で出された「泥んこカルタ取りクイズ」と言う案も捨てがたく、第7回のグアムの敗者復活戦で採用されました。
このように、ウルトラクイズのアイディア会議で検討された面白い形式は、その年に実行されなくても、別の年に復活するような事が良くありました。
これも、永年同じメンバーのスタッフが参加した番組ならでの事でしょうね。

人形のように、泥まみれになった敗者は、そのまま海に入りたいところですが、それは海が汚れるので許されませんでした。
ですから、シャワーで洗い流していましたが、ここで使われた土は、粘りが強く、中々洗い流せないという特徴があり、皆さん苦労をしていたようですよ。
泥んこの敗者は、古墳から出土する埴輪状態で、良い記念写真が撮れたのではないでしょうか。

不思議、ロスの水源は砂漠の真ん中にあった

メリカ横断ウルトラクイズで、我々はアメリカの中をアチコチと歩き回り、ロケをする場所を探しまわりました。
お蔭で、アメリカの成り立ちや、現状、問題点などを随分勉強させられました。
その中で、視聴者が興味を持ちそうな場所を訪れ、クイズ会場となる場所を決めていたのです。
中には、一般常識で考えても不思議な場所があったりします。
その代表的なのは第9回の時に訪れたラスベガスのミード湖です。

ミード湖


ラスベガスと言えば、砂漠の中に忽然と現れるギャンブルの街です。
そこから、南東の方角に約40キロほど走った場所にミード湖はありました。
砂漠と言えば雨が全く降らない乾燥地帯というのが、一般的な常識でしょう。
そんな場所に何で湖があるのか、これが第1の不思議
次に湖の水は何所からやってくるのか、これが第2の不思議

こで、この謎を解きながらミード湖の成り立ちを説明しましょう。
ミード湖は世界最大の人造湖なのです。
長さが185km、周囲が885kmと言いますから、とてつもなく大きいことがお解かりかと思います。
しかも、湖畔一帯がキャンプ場や水上スポーツ、釣りなどが楽しめるレジャー施設になっているのですから、アメリカ人のやる事は桁外れにどデカイのが解ろうと言うもの。

は、ここの水は何所からやってくるのか? 
そのような疑問が沸いてきます。
実は遥か離れたロッキー山脈の山奥を水源とするコロラド川が砂漠地帯を流れていたのですね。
そこで、これを堰き止めて、砂漠の中に大きなダムを作ろうという計画が出来上がったのです。
そうなると、この工事に携わる人材が必要になります。
アメリカ中から労働者が、この砂漠地帯に集まってきて、建設ラッシュになったわけです。
そこで完成したのが有名なフーバーダムなのです。
この時、砂漠の中の作業員を慰安しようという目的で、ラスベガスが出来たという話も聞きました。
こうして完成したフーバーダムで発電された電力は、カリフォルニア州、アリゾナ州をはじめ、電飾で飾られたラスベガスの電気も全てここの電気が使われているそうです。
時に完成したのは1936年と言いますから、ラスベガスの歴史もそんなに長いわけではなかったのですね。

ラスベガス


て、ミード湖の水ですが、遠く500kmも離れたロスをはじめ、南カリフォルニア一帯の水源として使われているのだそうです。
つまり、このダムが完成したお蔭で、ロスサンディエゴも、現在のような発展が出来たのかもしれません。

このような現代アメリカの事情を調べながら、ウルトラクイズは番組を作っていました。
でも、当時はそのような本質は陰に隠れて 「ジャンケンに勝てばアメリカに行ける」みたいな馬鹿馬鹿しい部分だけが目立って、軽薄な印象もありましたが、本質は結構真面目な番組だったのですよ。

現在では、池上彰さんの易しく学べるお勉強番組がヒットしていますが、手法は違っても、本質は似ているように思いませんか?

こういうのを勝手な押し付けというのでしょうね。

メサの上は天上の別天地だった

メリカ横断ウルトラクイズのロケが行われた場所を思い出すと、何といっても多かったのは西部劇の舞台のような、荒々しい荒野ではないでしょうか。

特にカリフォルニア州のモハーベ砂漠や、モニュメントバレー、レイクパウエルなどは何回となくクイズ地として訪れています。

のような中でも、西部劇の舞台でおなじみのモニュメントバレーは、景色を見ているだけで、その辺からジョン・ウェインが馬に乗って現れそうな錯覚におちいるほど、西部劇ファンにとっては懐かしの場所でした。

この景色で欠かせないのは、メサと呼ばれる突起した台地でしょう。

モニュメントバレー

この辺は太古の昔、海だったのだそうです。

だから、今でも砂地でアチコチで貝を発見する事が出来るのだそうです。

第6回でモニュメントバレーへ行った時には、2人の女性が敗者となり、罰ゲームはこのメサの上で、飲まず食わずで1泊2日過ごして頂くというものでした。

こは、東京タワーよりも70メートルも高い、地上400メートル以上の台地なのです。

そんなところで、若い女の子が2人だけで夜を過ごして貰うなんて、危険じゃないの? と心配する人もいるでしょうね。

でも、治安に関しては全く安全地帯なのです。

なぜって、ここは断崖絶壁の高い台地で、浮浪者がやってくるような心配は全くありません。

又、野生のコヨーテのような危険な動物も、登れないような絶壁の上ですから、そのような危険はありません。

ただ、若しかするとサソリガラガラ蛇は居るかも知れません。

だから、その辺の注意事項は徹底して、お泊り頂くことになりました。

敗者のお二人さんはヘリコプターにのって、天上の別天地に向ったのでした。

はその後、第何回だったか忘れましたが、このメサの上をクイズ会場にした事がありました。

その時は、スタッフ、挑戦者ともにヘリコプターに乗って、クイズ会場へ行ったのですが、後にも先にも全員がヘリコプターで移動したのはこの時しかありませんでした。

何故なら、撮影で使う機材もセットも全てヘリで運ぶのですから、手間も費用も膨大に掛かってしまいます。

しかし、それだけの事はあって、ちょっと味わえない景色の中で、クイズが行われたのです。

私も、以前からメサの上は一体どのようになっているのか興味がありました。

そこで、細かく観察したのですが、単なる天上の広場のような場所でした。

周辺の砂漠地帯と変わらぬ雑草が生えていて、高原の小さな花が咲いていました。

考えてみれば、高原ですから、高原植物があってもなんら不思議ではありませんよね。

日本だったら、別荘地として開発出来そうな絶景です。

でも、地上と結ぶ道路がありませんし、川も水も無いので、人が生活するにはとても無理な状況です。

monument-valley
これぞ、天上の別天地というのでしょうね。

罰ゲームを受けたお二人も、過酷だったとは思いますが貴重な体験ができたのではないでしょうか?

恐れを知らぬウルトラクイズ

メリカ横断ウルトラクイズは放送当時、高い視聴率を獲得したお蔭で、予算も特別扱いで、今風に言えば「何でもありー」といった強気の姿勢になっていました。
そのような雰囲気はスタッフ全体に浸透していたようで、面白そうな企画なら、何でも実現出来るような錯覚に陥っていたのではないでしょうか?
そうでもなければ、我々だってとても思い付かない様なアイディアを出したりしません。
でも、あの当時は
常識を超えたアイディアを出せ」
と上層部から注文され、我々もそれを実行していたのです。

れが顕著に現れたのが、第9回ニューヨークだったように思います。
あの年は、決勝の地をニューヨークからパリに変えていたのです。

これも番組がヒットしたお蔭で、パリシラク市長から
「何故ニューヨークが決勝地なの? 世界の文化の中心地はパリですぞ。ムッシュー!」
というラブコールをもらったのだそうです。
そのような事情で、アメリカを突き抜け、パリまでコースを伸ばして番組が作られたのです。
市長様からのリクエストとなれば、
「クイズ会場もエッフェル塔が一番美しく見える広場が良い
と我儘なリクエストを出したところ、 これもあっさり了承されて、トルカデロ広場に決まったのでした。

トロカデロ広場


うなると、ニューヨークでも滅多に実現出来ない場所で、周囲が思い切り驚くようなクイズをやろうという事になったのです。
とはいえ、我々は単なる民間のテレビ番組です。
公共の場所を独占して、衆人環視の中で撮影をするなんて、そのような大胆なアイディアは出てきません。
しかし、常識を超えたアイディアを‥‥。
こんな注文が毎回の会議で話題になり、ついにニューヨークの5番街を独占して、マラソンクイズをしよう、というとんでもない案が提出されました。
いくら何でも、そんな乱暴な企画を実現出来るわけない、と最初はみんな思っていました。
ところが、ニューヨーク市に我々の計画を打診したところ
「面白いじゃない!やって見たら」
という思わぬ反応だったのです。

そうなると、もうブレーキが利きません。
どのようなアイディアであろうと、最初から無理と思わず、何でも挑戦しようという姿勢はこの時から始まったのです。

実にはセントラルパークを出発地に、5番街をマラソンしながら、エンパイアー・ステート・ビルまで、目抜き通りをクイズをしながら走ろうというわけです。
途中には彼の有名なティファニーグッチセリーヌカルティエなどの有名店が軒を並べ、道行く人達も一体何が始まったの?と、驚きの眼を見開いていました。
日本人は何を考えているのか? 
おそらく現在なら世論も許さないような事を平然とやっていたのです。
何でもそうですが、既成概念に囚われていたのでは、新しい事は出来ない、という言葉があります。
その意味では、我々の
ウルトラクイズの時代は、まだ初挑戦と言えるような未知な分野が沢山あったので、幸せな時代だったと言えるでしょうね。

ニューヨークの5番街を我が物顔で走りながらマラソンクイズ。


このような乱暴な申請に対して、「どうぞ、どうぞ」と撮影許可をくれるなんて、アメリカという国は本当に懐が深いと感謝した出来事でした。