毎年10万人以上の応募があり、5万人もの人が東京ドームに集まって来たクイズの祭典「ウルトラクイズ」。
でもね、記念すべき1977年の第一回大会の時は・・・
集まったのは、たったの404名でした。
彼らはパスポートを胸に、王選手の世界記録756号のホームランで沸いた後楽園球場の1塁側スタンドに集まってきました。
まだ、予算もなく、番組のためだけに球場を借りる事はできませんでした。
そこで、ジャイアンツの試合が始まる前、少しだけスタンドを借りて撮影が始まったのです。
球場ではジャイアンツの選手が試合前の練習をしていて、
「今日は何がはじまるの?」
と声をかけてくるような、そんな長閑(のどか)なスタートでした。
そして記念すべき第一問は
「上野動物園のパンダ夫婦の名はリンリンとランランである、○か×か」
というものでした。
今なら携帯やスマホでインターネットにつないで、アッという間に正解を探す事が出来ますが、その頃は携帯もなく、知識がなければそれまでです。
因みにこの問題は×が正解で、パンダ夫婦の名前はカンカンとランランが正解です。
↓はじめて日本にやってきたジャイアント・パンダ カンカンとランラン
だけど、その頃リンリン、ランランという双子姉妹の人気アイドルがいて、彼女たちが歌うCMソングでよくテレビから「リンリン、ランラン…」という歌声が流れていたので、勘違いした人もいたのでした。
北海道や沖縄から、交通費自腹でやってきて、この1問を間違えて帰った人もいたわけですから、罪な番組と言えないこともありません。
でも、それを承知でみんなフィーバーしたんですから、日本もとても平和な時代だったんですね。
この時は、404名中80人が第一次予選を通過して、羽田空港に駒を進めました。
という事は、5人に1人が予選を通過したわけですから、ムチャクチャ確立が高いですよね。
このブログを読んでくださっている方の中には、東京ドームまでやって来て、あの5万人の中でクイズに挑戦した方もいると思うのです。
あれを勝ち抜いて、成田まで駒を進めるのが、どんなに大変だったかを思い起こすと、最初の頃はホントに甘かったんですよ。