スタッフが体験して実行に移す

メリカ横断ウルトラクイズは挑戦者にとんでもない体験をしてもらうというのが1つの売り物になっています。
特に視聴者に人気があったのは、罰ゲームの過酷さ。
これもアメリカまでタダで旅を楽しんでいるのだから、そのくらいの罰ゲームは覚悟しろよ、という視聴者の心情もあっったのだと思います。
いっても、誰もが体験できないような危険な事を無責任に押し付けるような事はできませんでした。
えば、バンジー・ジャンプです。
今でこそバンジー・ジャンプはわかりやすい罰ゲームとして良く番組にも登場しますが、その当時は、バンジー・ジャンプが今ほどメジャーではなく、見るからに恐ろしいアトラクションでした。

バンジージャンプ

13回ニュージランドへ行ったときに、罰ゲームで今にもバンジー・ジャンプをさせるような場面がありました。
の上から、40メートル下の谷底目がけて逆さまに飛び降りる「恐怖のバンジー・ジャンプ」を体験させるという罰ゲームでした。
橋の上でロープで足をしばり、今にも逆さまに飛び込む寸前まで敗者を追い込んで、敗者が失神寸前というところで、ストップさせたドッキリだったのです。
敗者にしてみれば、現場で嫌と言うほど恐怖感を体験し、もう覚悟を決めたところで、中止となったのですから、実際は恐怖体験をしたのと同じくらいの罰ゲームだったはずです。
はあの場合も、スタッフがバンジージャンプを誰も体験していなかったので、それを敗者に押し付けるのはダメだ、という基本姿勢から実行までは出来なかったのでした。
つまり、スタッフが出来ない事を挑戦者にやらせるわけには行かなかったのです。
の意味では、第14回のエリーでの体験を思い出します。
エリーはミネソタ州の北の端、カナダとの国境付近の街です。
ここに国民栄誉賞を受けた冒険家の故・植村直己さんが、かつて訓練のために入学した自然体験学校があったのです。

こでは、挑戦者達を1日入学させ、胸まで沈む泥沼を横断歩行させたり、カヌーの特訓、ロッククライミングに挑戦させるなど、クタクタになるまで自然の生活を体験させようという事になりました。
となれば、それがどのくらいキツイ体験なのかをロケハンで我々が体験しなければなりません。
々は林の中に張り巡らされたロープの綱渡りをしたり、岩山をロッククライミングしたり、普段使わないような筋肉を嫌というほど使い、クタクタに疲れてしまいました。

↓ロケハンの様子です

ロッククライミング1

ロッククライミング2

の日の晩は食事の後、ぶっ倒れるように眠ってしまったのですが、これは我々スタッフが体験したので、もちろん挑戦者たちにも体験してもらいましたとさ。

プロデューサー第3の試練~真冬の滝行でブルブル震える

メリカ横断ウルトラクイズスピンオフ企画史上最大の敗者復活戦の準決勝は、高尾山で行われました。
↓高尾山

高尾山

尾山は、東京近郊では有名な観光地です。
その昔は修験道の霊場として発展し、今では真言宗智山派の大本山で高尾山薬王院として、信仰の対象になっている霊験新たかな場所です。
こを会場に選んだからには、修験道の霊場として今も現存する滝行を無視するわけにはいきません。
挑戦者はクイズに挑戦する前に、真冬の滝の水に打たれて身を清めるべきだ、という何とも無責任構成案が作家やディレクターから出され、それを実行させる事になってしまったのです。
しかも、ウルトラクイズの敗者担当といえば、徳光和夫さんです。
↓滝行

滝行

組としては、徳光さんにも一緒に滝行を体験してもらおうということで意見がまとってしまったのです。
しかし、当時の徳光さんは日本テレビの『顔』とも言える存在でした。
真冬の滝行などさせて、もし大事な身体が体調不良にでもなったら、誰がどのように責任を取らなければならないのか。
プロデューサーとしては、難しい判断を迫られる事になりました。
の頃、私は個人的に「ズームイン朝!」の構成作家でもありましたから、徳光さんとは毎朝顔を合わせる間柄でしたが、そうとは言え真冬の滝に打たれて欲しいなどと言う無理な注文はしにくいものです。
こで考えました。
我々番組のプロデューサーもディレクターも構成作家もスタッフが全員番組の成功を祈願して、滝に打たれよう。
「だから徳光さんも是非一緒に滝に打たれてください」
と口説いたのです。
の日は丁度で、今にも雪がパラつきそうな寒い空模様でした。
徳光さんはそんな事もあろうと、最初から予想していたようで
「無理する事はないよ。みんながやらなくても自分はやるさ」
と気持ちよく引き受けてくれたのでした。
れで我々スタッフが引っ込んだのでは申し訳ないとばかり、私も生まれて初めて真冬の滝行に挑戦したのでした。
勿論その時のスタッフは全員裸になって、川の中に飛び込んでいきました。
それを見て、徳光さんも一緒に飛び込んでくれたのでした。
でも、真冬の滝行って想像以上にきつい修行ですよ。

プロデューサー第2の試練~警察への謝罪

上最大敗者復活戦の第一次予選は後楽園球場での○×問題で始まりました。
会場には5万人を超える敗者がスタンド一杯に集まりました。
内野外野のスタンドは立錐の余地がないほどの人数でした。
↓後楽園球場(敗者復活戦の写真ではありません)

後楽園球場

れだけの人数が、1つの問題に答えて、○か×かで選別されるわけですから大変な熱気が辺りを包む事になります。

プロデューサー初体験の私としては、何とか事故も無く無事にイベントが進行して欲しい、と神に祈るばかりです。
×の予選は何とか無事に終わってホッとしたのも束の間、翌日には後楽園球場の地元である、富坂警察所から呼び出しの電話がありました。
↓富坂警察所

富坂警察所

事かと思って駆けつけると、昨日のイベントで、後楽園の階段の途中から、下に向かって、石を投げた不届き者がいた、との事です。

幸い石は人に当たらずに、怪我人は出なかったものの、
「番組としての警備体制に不備は無かったのか?」
というキツイお言葉です。
「我々は警備員を50人ほど配備したのですが、不足でしたでしょうか?」
恐る恐る訊ねると、
「あのイベントで50人は少ないのではないの? 予算をケチっちゃ駄目だよ」
という厳しいご返事。
あ、ともかくプロデューサーなんて肩書きだけで、喜んでいる場合ではありません。
とんでもない事を引き受けてしまった、という後悔が頭の中でぐるぐると回り出し、これをきっかけに私は構成作家から、番組制作の会社を始める事になってしまったのです。
の意味では、史上最大敗者復活戦は、私に新しい道を示してくれた記念するべき企画だったとも言えます。

プロデューサー第1の試練~史上最大の敗者復活戦

メリカ横断ウルトラクイズは毎年日本テレビ木曜スペシャルという番組の枠で放送されました。
しかし、その枠を外れて放送されたことが一度だけあります。
それは、1982年の12月31日の大晦日、世の中はNHKの紅白歌合戦で盛り上がっている真っ只中に、ウルトラクイズをぶつけようという乱暴な企てだったのです。
それも企画は急遽決まったように記憶しています。
その年のウルトラクイズが放送されている時に、突然呼び出されて「大晦日の紅白歌合戦」の裏番組として、ウルトラクイズの別バージョンを放送する事に決まりました。
それが『史上最大の敗者復活戦』です。
風に言うなら「スピンオフ」企画でしょうか。
「構成、クイズ問題」の制作は今から間に合うように準備して欲しいという話でした。
れまでの1年間、ずっとウルトラクイズの準備に架けていた私としては、晴天の霹靂とも言うべき驚いた話でした。
しかし、当時の私は仕事の話を断れるほどの立場ではありませんので、
「はい。何とか出来ると思います」
と答えてしまったのが人生を大きく変えてしまう始まりだったのです。
故なら、クイズ番組の発注と共にとんでもない言葉が続いて発せられたのです。
「ついては、日テレ局内には今手の空いているプロデューサーがいないので、プロデューサーも兼務してくれ」
との事です。
時の私は、テレビ番組に携って、20数年のキャリアはあるものの、プロデューサーなどという経験は全くありません。
そんな素人同然の私が、今まで手にした事も無いような大きな予算を抱えて、どのように配分するのか、皆目検討も付かない状態です。
れまでの感覚では、プロデューサーは番組の頂点にいて、好き勝手な意見を言いながら、威張っている存在と思っていました。
まあ、ぶっちゃけた話、気楽な小山の大将といった印象だったのです。
しかし、いざ引き受けるとなると、とんでもない責任を負わなければなりません。
何しろ番組の総責任を負わなければならない立場なのですから。
『史上最大の敗者復活戦』は、12月31日の夜、3時間半の生放送でオンエアされる事が決まっています。
加資格は、それまでの7年間に後楽園球場に来た事のある敗者は、誰でも参加出来るという事だけが決まっていたのです。
それからテレビを通じて出場者の募集が始まりました。
幸先は良く、応募者は10万人を軽く越えました。
その中から書類審査をして、5万人近い(※)人達が参加資格を得ました。
(※)
ウィキぺディアの資料によると、予選のため後楽園に集まった敗者は24,642人と出ていますが、私の記憶では5万人を超えて、入場出来ない人が居たりして大変な思いをしたというのが真相です。
少なくとも5万人以下ということはありませんでした。
れから、番組プロデューサーとしての試練が始まったのです。
1の試練は、会場探しから始まりました。
後楽園球場の○×クイズに勝ち残った人達が、東京近郊を移動しながら、クイズの予選をしなければなりません。
の、クイズ会場として東京近郊の有名な神社仏閣が良いのではないかという案が出ました。
そこで、初詣で有名なお寺として、成田山新勝寺が候補に上がりました。
↓成田山新勝寺

成田山新勝寺

こならば関東地方では有数の参詣人が集まる著名寺院であり、クイズ地としては最適といえるでしょう。
そこで、成田山を訪問して番組のロケ地としての許可をもらおうと申し込んだのです。
ころが担当者として、現れた広報の係りの方は、断固としてテレビの撮影には協力出来ないという拒否反応が出てしまったのです。
理由は、少し前に他のテレビ局のバラエティー番組の撮影場所として、境内を提供したのだそうです。
ところが何と、境内の入り口にあった狛犬さんを真っ赤なペンキで塗ってしまったのだそうです。
そして、そのまま帰ってしまったというのですから、関係者はカンカンに怒っていたのでした。
↓新勝寺の狛犬

成田山狛犬

この局かは知りませんが、同業者のとんだ不始末で、私のプロデューサーとし

好事魔多し

好事魔多し(こうじまおおし)
【意味】好事魔多しとは、良いことはとかく邪魔が入りやすいということ。
【注釈】良いことには邪魔が入りやすいものだから、良いことがあったからといって有頂天になってはいけないという戒めの意を含む。
「魔」とは、「邪魔」の「魔」。「好事魔を生ず」とも。
※故事ことわざ辞典より
 
メリカ横断ウルトラクイズに関係したため、ロケ、ロケハンと毎年世界中を旅する事になりました。
個人的には大変有り難い体験でしたが、飛行機に乗る機会も多く、それなりに危険な経験を何度か味わっています。
12回で、アルゼンチンからマイアミに戻る航路に乗った時のことです。
出発前に旅行代理店の担当者から面白い話しを聞いていました。
「飛行機に搭乗する時は、締め切り真近にカウンターに行き、喫煙席に申し込んでみると、良いことが起こりますよ」

と言うものでした。
々はK氏と二人旅でその事を思い出して、締め切り直前にカウンターへ行き、
「喫煙席を頼みます」と申し込んだのです。
すると係りの女性がパソコンでアレコレ操作していましたが、しばらくして
「申し訳ありません。喫煙席が満席ですので、こちらの席で我慢してください」
とボーディングパスをくれたのです。

の色を見るといつもの切符と違うではありませんか。
切符の表面にはファースト・クラスと印刷されています。
「ええっ!本当かよ?」という驚きと同時に、初めての体験に胸を躍らしたのは言うまでもありません。
いつもファーストクラスの客を横目で眺めながら搭乗していた姿を考えると、こんな事が実際に起こるのに吃驚です。
K氏と顔を見合わせ「やったぜ、ベイビー!」と叫びたい気持ちを抑えて飛行機に乗りました。
↓画像はJALのファーストクラスのイメージです

ファーストクラス

れのファースト・クラスは席もガラガラで、ほとんど我々の独占状態です。
これでマイアミまでは優雅な旅が出来るとニンマリと席に座りました。
ファースト・クラスは客の扱いもまるで違います。
スチュワーデスさん(今ではCAさんですね)が

「○○様、お食事は何に致しますか?」

とご丁寧にもこちらの名前を呼んで、会話が交わされるのです。
普通の2倍3倍の料金を取るわけですから、無理もありません。
我々は機内食も普通ではない、ファーストクラスの高価な食事を味わうことになりました。

「旅はこうでなくちゃ、いけないねえ」

などと悠長な会話を交わしながら、飛行機はマイアミを目指して飛んでいきました。
かし、楽しみは此処までで終ってしまったのです。
『好事魔多し』という諺がありますが良いことは永続きしません。
間もなくエンジンの音がおかしいのに気が付きました。

「どうしたんだろう?」
我々の不安が高まったところで、機内のアナウンスがありました。

「当機はエンジンが不調のため、ブエノスアイレス空港に戻ります」
との放送です。

もなく目の下にブエノスアイレスの街の明かりがキラキラと見えてきました。
しかし飛行機はその灯りを通過して、真っ暗な海の上に来てしまったのです。
後で調べるとそこは海ではなく、ラプラタ川の上空でした。

↓ラプラタ川は海のように広いのです

ラプラタ川

兎も角、空港に着陸するまでに相当の時間がかかり、ようやく着地した時には胸を撫で下ろし、乗客が全員で拍手をし、パイロットの腕をたたえたのでした。
れから、エンジンの調整に何時間もかかって、翌日の早朝に飛行機は飛び立ったのでした。
我々は疲労の為ウトウト眠って次に目を覚ましたのは、ブラジルのジャングルの上空でした。
窓から下を覗くと、な、なんと低空飛行でジャングルの葉っぱの形が肉眼で確認できるではありませんか。
耳を澄ますと、エンジンの音が以前と同じように不調のようです。

「これは若しかすると、アマゾンのジャングルに墜落するかも知れないぞ」
K氏と私はロケハン用にテープレコーダーを持っていましたので、

「若しものために遺書を吹き込もう」
と、テープに遺書らしき言葉を語りかけたのです。

で考えれば笑い話ですが、その時は真剣で、やっぱり変な策略で良い席を確保したために、があたったのだと反省しきりだったのです。

↓せっかく低空で飛んだのに、アマゾンの絶景を楽しむ余裕はありませんでした

アマゾンのジャングル