クイズ問題を創る人達

イズ番組ですから、クイズの中味が面白くなければ、視聴者の興味が薄れる事になります。
番組がスタートした当初は、我々企画に参加した放送作家が手分けしてクイズ問題を創っていました。
しかし、思った以上に問題を消化するので、段々と手に負えなくなって来たのです。

こで、放送作家志望の若者を募集し、彼らに問題創りを手伝ってもらう事にしました。
毎年50人近い若者を集めて、彼らにクイズ問題を創る仕事を発注したのです。

たった1行か2行の文章の中に、視聴者が興味を持てる内容を詰め込む作業ですから、放送作家になるための勉強の場としては、最適と言えます。

しかも、安いとはいえ基本給与があった上に、1問採用されれば高い原稿料が支払われるのですから、こんな割の良いアルバイトは無かったと思います。
それでも、途中で脱落する人も多く、最後まで続くのは毎年20人~30人といったところでしょうか。
この経験を経て、現在放送作家として活躍している人も大勢います。
れはさて置き、彼らには毎度厳しい注文を付け、アイディアを絞り出させたものでした。
何故かと言えば、最初は皆さん、作家という職業を軽く考えているのです。

例えば、雑学辞典、雑学百貨、雑学王、といったような雑学本をそのまま引き写して、「私が作りました」という顔をして提出してくるのです。

これは物を書く人間として最低の行為です。
盗作と言われても仕方がありません。
そうした物書きのいろはから教え、数々の楽しい問題を生み出して来ました。

イズ会議では、単なる知識は「教科書問題」と呼ばれて、採用はされません。
そこに「作者の発見」や「意図」或いは同じ知識でも見方を変えて、新たな切り口を見つけることによって、視聴者の興味を促すテクニックが加えられて、初めて採用となるのです。

論、作家だけではなく、ディレクターも、プロデューサーも番組に関わる人間はみんな、クイズ問題を考えて問題会議に提出するようになっています。
そんな会議での出来事をご紹介しましょう。
「王選手の血液型はO型である」
という問題が創られました。
これはアメリカ横断!ウルトラクイズの歴史に残る名問題だと思います。
何故なら、当時の王選手は756号のホームランを打ち、時の人です。
しかもスポーツ・ニュースでは毎日のように取り上げられる人気スターでした。

↓全盛期の王選手

全盛期の王選手

の人気者の王選手O(オー)を掛けて問題にするとは、憎いテクニックと言えましょう。

クイズの挑戦者にすれば2つの見方が発生します。

1つは、王選手がO型だったから問題が成立したのだ、という意見。
クイズ研究会の人たちは大体そんな見方をするでしょうね。
残る1つは、「おー」という言葉遊びで、これは引っ掛け問題であろうと言う意見です。
挑戦者は迷いに迷って、正解者と不正解者が丁度半分に分かれたのです。
これこそ○×問題のお手本となるような問題です。
る時、私はクイズ制作者を集めて、この話をしたのです。
すると次の会議の時に、同じような問題が沢山提出されました。

曰く
「永六輔の血液型はA型である」
「佐藤B作の血液型はB型である」
これは笑い話ではなく、本当の話なのです。
会議では、「ボツ!(没)」と大声で却下されたのは言うまでもありません。
う1つ忘れられない問題がありました。
「マラソンの瀬古利彦選手の前世は飛脚だった。○か×か」
という問題が提出されました。

↓マラソンランナー 瀬古利彦選手

瀬古利彦選手

題会議では爆笑となりました。
当然、問題としては「ボツ!」なのは言うまでもありません。
ところが、作者は納得しません。

「何故ですか? 面白いから皆が笑ったんでしょ。東京ドームでも受けますよ」

自信満々
「キミねぇ。前世の裏付けをどうやって証明するんだ?」

とこちらも冗談の積もりで聞いてみたのです。

すると

「そんなの簡単。霊能者に見てもらえばハッキリします

地球最南端の島で災難に遭う

12回大会は、アメリカ大陸を北から南に縦断するという、大胆なコースをたどったものでした。
北は北極圏のバロー(アラスカ)。
南は『南米大陸の南の果て』ということで探したところ、人間が住む最南端は、フェゴ島(アルゼンチン)にあるウィシュアイアという街である事がわかりました。
↓アメリカ大陸

アメリカ大陸

の島はマゼラン海峡を越えた先にあり、地球1周を試みるヨットマンはみんなお世話になる街だということです。
となれば、どんな街なのか調べる為に、ロケハンに行きました。

々が訪れたのは、春の早い時期でした。
冬の間は1日中真っ暗な暗黒夜なのですが、春ともなれば日射しも明るくなります。
いっても夜が明けるのは午前10時、陽が暮れて暗くなるのが午後3時。
1日で明るいのは5時間しかありません。
なんとこの街に住み着いていた日本人がいたのです。
そこで我々は、彼に現地での案内を兼ねて、スタッフに加わってもらったのです。

は30代の青年で、自らの車を出して案内をしてくれました。
北の果てのバロー(アラスカ)に比べると、緑の樹もありますし、町は西洋文化が浸透しているようで、木造の2階建て、3階建てのカラフルな商店や住宅が並んでいます。
また、街の中には車も結構な数が走っているようです。

々は朝の8時頃ホテルを出発しました。
まだ夜明け前で、辺りは真っ暗です。
それから、島の中をあちこち走り、景色の良い撮影スポットを探しました。
↓ウィシュアイア

ウィシュアイア_Ushuaia_in_early_Spring

い日照時間はアッという間に暮れて、さて街へ帰ろうという時です。
車が突然プスーンという音と同時に動かなくなってしまったのです。
聞けば、街までの距離は相当あって歩いて帰るのは無理との事です。

とはいえ、気温は0℃を下回ってマイナスです。
我々は幸い防寒コートを着ていましたが、ヒーターの無い車は寒さが応えます。
通りがかりの車に助けを求めようとしましたが、考えたら2、3時間の間、他の車とすれ違った記憶がありません。
つまり、街の中以外には人家のない島なので、人里を離れた場所を車が走る事は少ないのです。

の中に街が点在しているのであれば、それを結んで車も移動するでしょうが、街が1つしかないのですから、陽が暮れたら観光にしても何も見えないので、移動する人は居ません。
当時は、今と違って携帯電話も無い時代だったので、連絡のしようがありません。

ると案内の青年が

「歩いて一時間くらいの場所に、夏の間だけ開いている牧場がある。
もしかしたらそこに電話があるかもしれない」
というのです。

して彼は我々を真っ暗な道路に残して、闇の中に消えていきました。
車に取り残されたK氏と私は、腹は減るし、心細いし、、、
鞄を探ると、K氏がいつでも携帯しているウイスキーのボトルがあり、中身も半分ほど残っています。
それから飛行機のサービスで出される、ピーナッツとクッキーの袋が幾つか出てきました。
我々は、真っ暗い車の中で、身体を温めるために酒をチビチビ飲みながら彼の帰るのを待ちました。

「ひょっとすると、遭難したのかもしれないぞ」

気持ちは焦って、幾ら飲んでも酔うような状況ではありません。
待つ事2時間余り、彼がガッカリした表情で帰ってきました。

「牧場の電話機は取り外されていました」

「じゃ、どうなっちゃうの?」

「大丈夫。明日の朝になれば、捜索隊が出るでしょう。それまで寒いけれど我慢しましょう」
ボトルのウイスキーはすでに空っぽです。
「ああ、神様!」と天を仰いだその時です。

っ暗闇の前方に、車のヘッドライトがポツンと見え、次第に近付いてくるではありませんか。
我々3人は車から飛び出し、無我夢中で道路の真ん中で両手をぐるぐると回し、助けを求めました。
らは道路整備のパトロール車でした。
彼らに車の点検をしてもらったところ、なんとガス欠だった、というお粗末なおまけ付き。
こんな深夜まで悲壮な体験をした、と思いながら時計を見ると、まだ午後7時を過ぎたばかりです。
方のちょっとしたトラブルに、3

ジャズの本場へ演歌で殴り込み

第15回ではジャズの本場、ニューオリンズに行きました。
この街では、街角を曲がる度にジャズが聞こえてくると言われます。

だって、ジャズはこの街で生まれ育ったのですから、無理も有りません。
フレンチ・クオーターバーボン・ストリートといえば、古きよき時代のフランス風の建物が並んだ素敵な町並みでした。

↓フレンチ・クオーター

フレンチ・クオーター

↓バーボン・ストリート

バーボン・ストリート

(その後、2005年の8月に超大型のカトリーナ台風でニュー・オリンズの街が壊滅的に破壊されたニュース映像を見ましたが、どこまで復元されたのでしょうね)

ともなると、通りのあの店、この店から軽快なジャズのメロディーが流れてきます。
つまり、街中に音楽が流れていて、ジャズ・ファンにとってはたまらない環境です。

↓夜のバーボン・ストリート

夜のバーボン・ストリート

そこで、がスタッフは
「今夜はここで日本の歌を披露してやろう」
と相談がまとまりました。

我らが泊まったホテルの2階のバルコニーは、バーボン・ストリートに面しています。

美術を担当するグループが、即席でステージのセッティングをしました。
カメラマンはストリートに三脚を立て、カメラが何台もステージを狙います。
テレビの撮影をしているような状況を作り上げました。
勿論、お遊びですからテープは回していないのですが、道行く人々は何が始まるのかと、野次馬が集まってきました。

がスタッフの中には、芸達者が何人も居ます。
その上みんな負けず嫌いと来ているから出演者には事欠きません。

只のカラオケではつまらないので、物マネ演歌大会をやろうと相談がまとまりました。

通りに向けてスピーカーがセットされ、照明もバッチリ当て、音楽番組の始まるような雰囲気が出来上がりました。

そしてジャズの街のメインストリートで、演歌物マネ大会が始まったのです。
物マネですから大袈裟なジェスチャーで、北島三郎から森進一、八代亜紀、辺見まりと歌が進むに連れて、ホテルの前は黒山の人だかりになりました。

ジャズの本場で、演歌大暴れしたというバカバカしい悪戯ですが、スタッフも長いこと旅を続けていると、たまにはこうした息抜きも必要なのです。

ラピッドシティ の親日家

ヒッチコックの名作「北北西に進路を取れ」のサスペンスシーンで有名なラシュモア山をご存知でしょうか?

↓北北西に進路を取れ

北北西に進路を取れ

サウスダコタ州にある国立公園で、巨大な岩山に歴代の有名な4人の大統領の顔が彫られています。

↓ラシュモア山

ラシュモア山

映画では、その顔の岩山で主演のケーリー・グラントと悪人の格闘シーンが印象的でした。

↓「北北西に進路を取れ」ラシュモア山のシーン

北北西に進路を取れ_ラシュモア山シーン

4人の大統領とは日本人でも知っているワシントン、ジェファーソン、ルーズベルト、そしてリンカーンです。

この地では大統領をはじめ、アメリカの歴史的な有名人の子孫をゲストに招いて「ご先祖さん当てクイズ」というのをやりました。

例えば「黒船」で日本にやって来て徳川幕府に開国を迫ったペリー提督、野球ファンにはお馴染みのベーブルース、或いはリンカーン大統領、そしてアパッチ族のジェロニモ酋長、札幌農学校で教えたクラーク博士といった人達の子孫さんが出演してくれました。

それはさておき、ロケハンでラシュモア山の近くの町、ラピッドシティを訪れた時の事です。

Rapid City ラピッドシティ

町の中で日本食レストランを発見、店先には焼鳥おでん等と書かれた赤い提灯がズラリとぶら下がっているではありませんか。

久しぶりに日本食に在り付けるというので、喜んで飛び込んだのは言うまでもありません。

ところが中に入ってメニューを見ると、日本食らしき料理は何もありません。

「外の提灯は何だ?」

と尋ねると、

オリエンタル・ムードインテリアだ。
気に入ったかい?」
と平然としています。

聞けばこの店のオーナーは元軍人で、日本に駐留していた時代に、日本の娘さんと知り合って結婚したのだと言います。

間もなくその女性が現れ、我々日本人を見つけるや懐かしさで、飛びついて来ました。

その頃は日本人旅行者も少なく、ましてやサウスダコタ州などという田舎の街に日本人が訪れるなどという事は、滅多に無かったのでしょうね。

実は彼女と同じような日本人妻が、この辺りには数人住んでいて、直ぐに電話を掛け、ご主人共々ワイワイと集まってきました。
それからは、初対面の我々を囲んで宴会状態になりました。

すっかり打ち解け、次にロケで来る時には
「大勢のスタッフを連れてまた来ます」
と約束をして別れたのです。

そして二ヵ月後、我々は再度お店を訪ねました。

其の日は、結構お客が込み合っていました。
ところが、我々の顔を見るや大喜びの挙句、お客さんに
「今日はこれで閉店です。
お勘定はサービスです」
とみんなを追い出してしまったのです。
追い出された方も、料金がタダとなれば喜んで出て行きます。

我々の方は、スタッフが30人近くいましたが、中には料理自慢も沢山います。
お店の方では、
「皆が作りたいものを自由に作ってよ。
厨房を開放する」

と言い出したのです。

「それではお言葉に甘えて」
とばかり、近くのスーパーに買出し部隊が出かけ、日本食になりそうな材料を大量に仕入れてきました。

そしてレストランの厨房を独占、すき焼き、焼鳥、茶碗蒸しから、ブリの照り焼き、鮭の塩焼き、と懐かしの日本食のオンパレードで、大パーティーとなったのです。

当然の事ながら、先日の日本人妻と元軍人の仲間たちも集まってきました。
元軍人のアメリカ人のオジさん達も、懐かしの日本料理に大喜びで、厨房に入ってきて、手伝いが始まりました。

日本人妻のおばさんたちは、久々に思いっきり日本語が喋れるので大興奮

ご主人達が英語で話しかけても、
「うるさいわね。日本語で喋りなさいよ」
と相手にしません。

仕方なく、片言の日本語が飛び交い、奇妙な、しかし心温まるパーティーが夜遅くまで続いたのでした。

灼熱のデスバレー(死の谷)で目玉焼き

アメリカ50近くもある国立公園の中で一番広いのが、このデスバレーです。

↓death-valley デスバレー

日本で言えば長野県とほぼ同じ広さだというのですから、そりゃあ広いですよ。

しかも、西半球で最も低い場所にあって、海抜下85.5メートルというのですから海面よりも85メートル以上も低いのです。

そう言えば、岩山の途中に、白い線が描かれていて「シー・レベル」という表示がありました。
そこは恐ろしいほど原始的、しかも幻想的な景色であり、太古の地球か、他の惑星にやってきたような荒涼たる眺めが広がっています。
というよりも広大な谷間なのです。

確か、「猿の惑星」もこの地でロケが行なわれたというような事を聞きました。

↓猿の惑星

猿の惑星

それよりも、何より恐ろしいのは、暑い暑いを通り越して「熱い」という言葉がピッタリなんです。
真夏にはジリジリと太陽が照りつき、50℃まで上がってしまうのですから、とても耐えられるような環境ではありません。
我々のウルトラクイズは、このデスバレーでクイズをやろうというのですから、まるでサド軍団のようなもんです。

我々は、この土地が如何に熱いかをテレビの画面で見せようと、石の上で目玉焼きを作ろうと試みました。
しかし流石に目玉焼きは出来ませんでした。

そこでお遊びにと、石をバーナーで熱して、そこへ生卵を割って乗せたのです。
すると見る見る卵は変質して目玉焼き状態が出来ました。

そのとき、国立公園を管理しているパークレンジャーのオジさんがやって来て
「オーッ、こいつはびっくりだ!」
と目を丸くしそれを見ています。

そこでオジさんをからかってやろうと、誰かが言いました。

「日本では温泉に卵を浸ければ温泉玉子。川原の石で卵を焼けば、石焼玉子と呼び、みんなやっているよ」
するとパークレンジャーのオジさんは、すぐにカメラを持ち出し、この様子をパチパチいろんな角度から撮影しています。

「そんなに写してどうするんですか?」
と思わず聞いてみたのです。

すると仕事熱心なオジさんは言いました。

「ここには観光客が多いのでね、こうやって石焼玉子を作って楽しんでもらおうと思うんだ」
とニコニコ。

「ええっ!そんな?」
今度はこっちが仰天する番です。

「まずはパンフレットを作って、インフォメーション・センターに置こう」
と無邪気に喜んでいます。

「ゴメーン!オジさん。これはジョーク、ジョーク」
平謝りをしたのでした。

「良いアイディアだったのになぁ」

その時の、オジさんのガッカリした顔。

本当に、このパークレンジャーは人の善い真面目な公務員さんだったんですね。
↓デスバレーのパークレンジャー※本文のオジさんではありません

パークレンジャー

アメリカ横断!ウルトラクイズの裏話