記憶に残る面白罰ゲーム

メリカ横断ウルトラクイズで、放送翌日、話題になる第1位は「罰ゲーム」の面白さだったと記憶しています。
極端に言えば番組の売り物だったと言っても良かったでしょうね。
我々スタッフも、それだけにアイディアには苦心しました。
ゲームを分類すると

帰国する時の方法の中で。
②基本精神は敗者が、「怖い」「恥ずかしい」「体力的に苦しい」などの体験をさせる。
③ドッキリカメラを意識した騙しで、笑いを誘う。
これ等の事を意識してアイディアが出されました。
但し、敗者が危険にさらされる事は避けるのは当然です。
だから、バンジー・ジャンプの頃でも触れましたが、最初にスタッフが体験して安全を確認するのは、番組制作の基本です。
間違っても、事故に繋がるような危険な罰ゲームは無かったので、敗者も視聴者も、最後は笑って終るように作られていたはずです。
の中でも記憶に残った笑える罰ゲームがいくつかあります。
第5回ラスベガスへ行った時のことです。
当時のラスベガスは、結婚離婚も1日で出来ると言う話が話題になっていました。
これを罰ゲームに利用しない手はありません。

ラスベガス

者が未婚の男性だったために、急遽ラスベガスの教会で結婚式を挙げなければならない、と言うのが敗者に与えられた罰でした。
結婚には相手が必要ですよね。
そこで現地の女性とお見合いをして、その相手と結ばれるのです。
お見合いでは、敗者は否でも、断る権利がないという罰です。
相手の女性が敗者を気に入れば、即結婚式を挙げなければなりません。
そんな中で出てきた女性は、大富豪の未亡人という設定でした。(勿論アメリカの年配の女優さんですが)
彼女はメークでシワクチャの老け役を見事に演じて、敗者の新夫に熱い口づけをする場面が、視聴者に爆笑を与えた面白い罰ゲームでした。
紹介された彼女の名前が、我々が命名したバーサー・シンデルさん。
日本語に訳さずとも解る「婆さん、死んでる」と言うものでした。
者は若干18歳だったために、収録の後も、これが戸籍に残ってしまうのか、と本気で悩んだようですが……。

(モチロン、そんな罰を与えるはずがありませんので、彼が心配したバツ一になるような事はありませんでしたので、ご安心ください)

自分の畑に滑走路を持つお百姓さん

メリカ横断ウルトラクイズのブログを書き始めて、間もなく半年になります。
お蔭さまでいろんな人達からコメントを頂く事になりました。
皆さん本当に熱心なウルトラ・ファンの方たちで、これほど多くの方々に支えられて番組が進行していたのかと思うと、制作者冥利につきるばかりです。
中でも、多い声は「ウルトラを復活させて欲しい」というものですが、こればかりは難しいお話ですね。
世の中にはヒット番組のリニューアルという事もありますが、しかしこれだけ不景気続きだと、あのようにバブリーな番組の再開は、夢のまた夢みたいな、遠い存在になってしまっています。
て、ウルトラクイズのロケハンで、アメリカの大地を車で走っていた時の事でした。
見渡す限り畑の中で、軽飛行機が農薬を撒布している場面に出会いました。
映画などで良く観る光景です。
しかし、あのような飛行機はどのような飛行場から飛び立っているのか、興味が沸いて来たのです。
しばらく走ると、農場の一角に格納庫があり、飛行機の姿が見えました。
そこで、一寸寄り道をしてお話しを聞いてみたのです。
「この飛行機は何処から飛び立つのですか?」
すると小父さんは
「うちの畑に滑走路を作ったのさ」
との事でした。

指差す方を見ると、確かに滑走路らしきものが目に入りました。
滑走路といっても、ただ真っ直ぐな舗装もされていない土の道があるだけです。
小父さんの話によると、
「家の前の道路から飛び立つ事だって出来るよ」
とのことです。

広いアメリカの田舎に行くと、何時間もすれ違う車が無いような道路が有ります。
そんな場所で軽飛行機が下りたり、飛んだりしても交通の妨害にならないと言う理屈でしょうが、それは明らかに違反行為でしょうね。

農機具置き場の隣に、飛行機が無造作に置かれている光景は、我々日本人から見ると、文化の違いを見せ付けられた気がします。
ウルトラクイズの同行ドクターのA先生は、趣味で飛行機の免許を持っていて、休日に時々飛んでいるそうです。
A先生の話によると、日本では機体も高いのですが、その他、整備費、駐機代なども高く、飛行機を個人で維持するのは大変な事だそうです。
その点、「アメリカは自由で良いなあ」と言っていましたが、確かに飛行機に限らず、車、ヨット、熱気球など、趣味の幅を考えると、アメリカ人の真似は中々出来そうもありませんね。

airplane_farmer

自由の女神の問題は予測不可能なのか?

メリカ横断ウルトラクイズの象徴とも言って良いのは「自由の女神」でしょうね。
ウルトラクイズの第一声が
「ニューヨークへ行きたいかーッ!」
で始まるように、ニューヨーク自由の女神はあの番組と切っても切れない関係にありました。

自由の女神2

2回目から、ウルトラクイズの第一問は自由の女神に関する問題に定着したため、挑戦者の皆さんも自由の女神を徹底的に研究するようになってしまったのでした。

それだけに、問題を制作する我々も、地獄のような苦しみを味わう事になってしまいました。
即ち、或る頃から、スタッフと挑戦者の自由の女神を巡る知恵比べになってしまったのです。
前にもこのブログで触れた事がありましたが、全国の大学にクイズ研究会が誕生していたので、彼等だって自由の女神の情報は集めているはずです。
そんな中で最も加熱したのが、第12回の年だったのではないでしょうか?
故なら、この年には東京ドームが完成し、ウルトラクイズの第一次予選が、それまでの後楽園球場から東京ドームに移ったのです。
となれば、割と思いつきやすいのが、
自由の女神はこのドームの中に建つ事が出来るか?
という問題でしょうね。
それは東京ドームの天上の高さが解れば、自由の女神の身長と対比すれば、答えは簡単に割り出せます。
そんな単純な問題で、ウルトラクイズの第一問が突破出来るなんて考えたら、「甘い甘い」という戒めの意味も込めて、福留アナの第一声が挑戦者の予想を打ち壊したのです。
「東京ドームの天上の高さが61・69メートル。自由の女神の足からトーチまでが46メートル、スッポリ入ってしまうのです。
自由の女神が、この東京ドーム、ビッグエッグの中に立つと、天上につかえる、○か×か、まさかこんな問題を予想してないだろうね」

といった挨拶で、予測問題を冒頭で一機に吹き飛ばしてしまったのです。
因みにこの時の第一問の問題は
「自由の女神を、日本語で『自由の女神』と訳したのは、第二次大戦の後である。○か×か」
と言う問題でした。

自由の女神

解説
問題は出来たものの、その確証を掴むのに我々は大変な苦労をしました。
現代のように情報過多の時代と違って、戦前の資料で自由の女神という記述が中々見当たらないのです。
やがて訳知りのオジさんが、戦前は「自由の女神」なんて呼んでなかった、と言い出したり調査も混乱したのです。
その内に昭和3年に発行された「大日本百科全集」の中に、ニューヨークには「自由の女神」の像が建っているとハッキリした記述があったのです。
更に調査を進めると、明治19年11月26日付けの新聞に、自由の女神の建造の第一報を知らせる記事があり、既にこの時から「自由の女神」と記されていたのでした。
従って、正解は×でした。

アメリカ人は遊びの名人

メリカ横断ウルトラクイズでは、ロケ、ロケハンと毎年2ヶ月近く、アメリカ各地を走り回りました。
ロケの1ヵ月は、きついスケジュールで各地を移動するので、スタッフは肉体的、精神的にも大変な重労働だったのです。
それに比べて、ロケハンはスケジュールも楽で、楽しいものと誰もが思っていたようですが、実はこれも結構大変な旅だったのです。
ケハンの使命はロケを行なう場所の下見と確認です。
資料で調べたところが、実際に撮影で使えるものなのか、目で見て確認しなければなりません。
また、新しい候補地を発見するのもロケハンの仕事です。
あらかじめ、ルートは決まっているものの、そのコースでどんなクイズを実行すれば楽しい番組が成立するのか、それを考えながら各地を見て歩くのですから、責任は重大と言ってもいいでしょう。
9回でコースに入れるべき場所として、ニューメキシコ州を車で移動している時でした。
見渡す限り、地平線の彼方までが広い平地のこの州では、どんな場所で何をやれば良いのか、考えながら車の旅をしていました。
事前の調査で、候補に挙がっていた何箇所かを見たのですが、決定的な面白さが出せるという場所に行き当たっていませんでした。
を走らせながら地平線の彼方を眺めていると、空にぽっかりと色鮮やかな気球が浮かんでいたのです。
そういえば、何時間か前にも同じような気球を見た気がしたのです。
そんな事を雑談で交わしながら、車を走らせてアルバカーキという町に到着しました。
い大地の中に忽然と現れたスペイン風の街、それがアルバカーキだったのです。
海も無い、山も無い、有るのは広い大地だけ、という現地の人達は、空に目を向けたのだそうです。
大空を鳥のように風に乗って、アチコチ移動する遊びを見つけたのです。
日頃退屈していた人々が、熱気球に熱中するのには時間がかかりませんでした。
隣の人が始めれば、あっという間に伝染するように広がって行ったのだそうです。
特に熱気球は家族で一緒に楽しめるという性質があります。
そこで、一家に一台熱気球! とばかりブームを呼ぶような勢いで、参加者が増えていったのでしょう。
これはたちまち州全体に広がって、毎年世界選手権がこの地で開かれるまでになっていたのです。

↓Baloon Fiesta park(バルーン・フィエスタ・パーク)

そうと解れば、もうこの地で行なわれるクイズ形式はこれしかありません。
そうです、毎度体力の限界に挑戦する「ばら撒きクイズ」に決定。
番の日、朝早く会場を訪れた我々は眼を疑うような光景に出会いました。
地元の熱気球愛好者の団体が協力をしてくれたのですが、赤、青、黄、緑。と色とりどりの熱気球が大空を一杯に埋め尽くされていたのです。
その数の多さは言葉では言い尽くせないほどでした。
我々も、挑戦者も熱気球の迫力に圧倒されながら、ばら撒きクイズが実施されました。
戦者が走り回った草原は、トゲトゲのがいっぱいという悪条件。
2問勝ち抜きというルールで行なわれ、大空一杯に浮かんでいる熱気球に見とれていると、忽ちトゲトゲの棘にぶつかり、傷を負ってしまうのです。
テレビをご覧だった皆さんは、壮大な熱気球の光景に驚かれたでしょうが、挑戦者には、それはそれは難行苦行クイズ会場だったのでした。

大規模なロケ隊

メリカ横断ウルトラクイズはテレビの良き時代に誕生し、夢を叶えてくれる番組として一時代を築いてきました。
今のテレビ界では、とても実現出来ないようなアイディアでも、それが面白いとなれば、たっぷりとお金を掛けて実現させてしまったのでした。
そのため一番組で予算を掛けるテレビ番組として、ギネスブックにも登録された事があったという話を聞いた事があります。
レビ局の担当プロデューサーは、毎年予算を大幅に超えてしまうので、放送が終ると、始末書を書くのが毎年の恒例行事になっている、と笑って話していました。
そんな中で、番組は大当たりをしていたので、皆さん出世街道を駆け上って行ったのは、業界ではよく知られたお話です。
それでも予算は縮小されるどころか、膨らむ一方だったので、世の中が不況になった途端、打ち切りという運命をたどったことになります。
て、全盛期にどのくらいの派手なロケを行なっていたのか、その一端を示すエピソードをご紹介します。
第8回でノースダコタ州を訪れた時の事です。
この辺りは360度見渡す限りが大草原です。
その昔、アメリカの開拓者達はこの草原を幌馬車に揺られながら、西へ西へと向かったと資料に残されていました。
ならば、我々も開拓者達の体験を味わいながら、クイズをやりたいと言う意見が出されました。
こで用意されたのが、8台の幌馬車と本物のカウボーイ達です。

幌馬車1

早朝の5時に村を出発し、半日以上も幌馬車に揺られながら大草原の中でクイズが行なわれたのです。

勿論、そうした状況を俯瞰で撮影するためにはヘリコプターが上空に待機しています。
幌馬車でも、現実に動くものを全国から探し出して用意するのですから、その費用も莫大にかかったはずです。
ロケハンでは、近郊で動く幌馬車を見つけて、それを確認する作業もしたり、忙しく走り回らなければなりません。

幌馬車3

幌馬車4

こでは挑戦者8人が8台の幌馬車に分乗して、早押しクイズで知力を競ったのでした。
思い返せば、確かに大規模で視聴者の想像を超えるような試みを平然とやってしまう、それが「アメリカ横断ウルトラクイズ」だったのです。
テレビ界にも本当に良い時代があったのですね。

幌馬車2

アメリカ横断!ウルトラクイズの裏話