世界最高峰のレース場で

メリカ横断ウルトラクイズでは、日本人に知られた場所には出来るだけ行ってみようという事で、アチコチを訪ねました。
第8回にはインディアナポリスが、チェックポイントに決まったのです。
インディアナポリスと言えば「インディー500」の自動車レースが有名です。
このレースは1911年から始まったカー・レースで、数ある自動車レースの中でも最高峰と言われ、モータースポーツ・ファンの憧れとなっています。

indy500

の地を訪れたからには、クイズ会場はやっぱり自動車レースの行なわれるサーキットでなければ意味がありません。
このサーキットは、35万人を収容出来る世界最大のスタジアムなのです。
一度のスポーツ・イベントで、これだけの観客を収容出来る会場は他に見当たりません。
時は日本人でこのレースに参加した人間が1人もいなかったので、それなら我々が日本人として最初にこのコースを走ってやろうじゃないか、但し、車ではなく自分の足で。
と、いうことで行なわれたのが「ジョギング早押しクイズ」でした。
トレーラーに早押しボタンが設置され、挑戦者はコースを走りながらクイズに答えるというものです。
問題は当然の事ながら、最初はご当地問題としてインディー500に関する問題が出されました。
問・500マイルと言ったら東京から、大阪、広島、山口のうちどれ?
と言ったような問題です。
答・広島が正解でした。
この調子で、今この地でクイズを行なうならば、どんな問題が出されたでしょうか?
一寸考えてみましたのでお答え下さい。

問・日本人でこのインディー500に出場したレーサーは何人いるでしょう?

答・10人。
問・では、日本人で最初に出場した選手は誰?

答・ヒロ松下。(1991年のことです)
 
問・日本人選手で最高の順位を獲得した選手は誰?

答・高木虎之介選手。(2003年に5位入賞でした)

問・昨年、日本人で優勝争いを演じた選手は誰?

答・佐藤琢磨選手。
(決勝レースでトップ争いを演じ、最終ラップでスピンをしてクラッシュ、惜しくも優勝は逃しました。17位という無念の結果でしたが、このレースの模様は世界に配信され、ご覧になった方も多かったのではないでしょうか?
ルトラクイズではタイムリーな問題を重視しましたので、今年だったら多分あのような問題が出された事だと思います。
こでの罰ゲームは、誰でもが思うF1カーで、「恐怖のスピード体験」というアイディアが多かったのです。
しかし、それには危険が伴うと言う理由で却下され、「インディ500マンボ」という語呂合わせの馬鹿馬鹿しいものに決まりました。
万歩計を腰に付け、500万歩歩いて帰国と言うものでしたが、ただ歩いただけでは能がない。
そこで、あの懐かしのマンボを踊りながら、空港へ向かうと言うオマケを付けたのでした。

インディ500

果たせなかった絶景の罰ゲーム

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎回罰ゲームが話題になり、我々も常にどのような罰ゲームが出来るのか、頭を悩ましていました。
第9回ヨセミテ国立公園に行った時のお話です。
イズ会場はヨセミテ国立公園でのポイントとも言える、絶壁エル・キャピタンのすぐ下に位置する広場に決まりました。

エル・キャピタン

この絶壁は、高さが1,100メートルという、世界でも珍しい一枚岩なのだそうです。
雄大な大自然の中で、思い切り大声を張上げたらさぞやすっきりする事だろう、とこの地では大声クイズをする事に決まりました。
イズ会場が決まれば、次は罰ゲーム案の検討ということになります。
アイディアとして一番多かったのは、ロッククライミングを体験させるというものでした。
というのは、このエル・キャピタンはシーズンともなると、毎日ロッククライミングをする人達が訪れ、多い時には同時に数十人が登頂に挑戦しているという情報がありました。
世界のより難しい山のクライミングに向けた、格好の練習場所になっていたのですね。
とはいえ、
「素人に挑戦させるなどは、もっての他」
という専門家の声があり、この案は却下されてしまったのです。
(当然といえば当然の判断です)
局この地で敗れた敗者の2人には、大声が出し切れていなかったという理由で、声の出し方を根本的に訓練する場を与えようと言う事になりました。
負けたのは大声が出せなかった、男女の2人さん。
彼らに与えられたのは、何と森林を走るSL列車の人間汽笛になってもらおうという罰ゲームでした。
SL列車の最前部にしっかりと縛られて固定され、機関手の小父さんの合図でピーポー、ピーポーと大声を張上げて、障害物に知らせなければならないという情けない訓練です。
の声を聞いていたのは、狸や狐、熊など森に棲む動物達だけだったようです。
「勝てば天国、負ければ地獄」を地でいったような罰ゲームでした。

ヨセミテ罰ゲーム

クイズ研究会

メリカ横断ウルトラクイズは、放送当時、社会に様々な影響を及ぼしていました。
それだけ注目された番組だったわけで、関係者としては勲章を戴いたような有難い事でした。
その中に、多くの大学に「クイズ研究会」というサークルが誕生したのも、ウルトラクイズの影響もあったかと思います。
私たちスタッフは、クイズに興味を持った人が増えるのは大歓迎で、特に東京ドームの第一次予選には、各大学のクイズ研の幟が沢山立てられて、お祭り気分を盛り上げてくれました。

後楽園予選

間伝えられるでは、ウルトラクイズのスタッフはクイズ研を嫌っていた、という話を聞いたのですが、決してそのような事実はありません。
むしろ感謝こそすれ、大切なクイズファンを嫌ったり、警戒したりなどありえないのです。
だ、各大学のクイズ研は、毎年自分達でタイムリーなクイズ問題を作って、ウルトラクイズへのシュミレーションを重ねていたのは想像出来ます。
特に第一問の自由の女神に関する問題などは、クイズ研がどのような問題を作っていたのか、大変興味がありました。
でも、予想通りの問題だったという話は、どこのクイズ研からも聞こえてこないので、予想が当たったという事は無かったのでしょうね。
年のことながら、クイズ研の人達が勝ち残ると、タイムリーな問題の正解率は確かに高かったように思います。
ですから、或る意味では我々の問題制作スタッフと、クイズ研との問題制作の戦いだったような気分もありました。
とはいえ、ウルトラクイズは一部のクイズマニアだけの番組ではない、と声高に発言していた関係者もいましたので、それが巡り巡ってクイズ研を嫌っていた、というように誤解を生んだのかもしれません。

ロケを妨害した失敗

メリカ横断ウルトラクイズに参加した17年間。
私はロケ、ロケハンと多くの場面に参加し、番組作りをやってきました。
その中で失敗は無いように、気を配った心算ですが、避けられない出来事もあったのです。
あれは第8回でグアムを訪れた時の事でした。
の年の7月頃、私はロケハンでアメリカへ行ってたのですが、最後の頃に風邪を惹いてセキが止らなくなったのです。
帰国後、病院で診察を受けたところ、マイコプラズマ肺炎と言う診断を受けてしまったのです。
勿論、即入院ということでロケ出発の準備をしばらく離れる事になってしまいました。
予定の退院日をそのまま守っていては、ロケ出発に間に合いません。
そこで、医師に相談し、予定を何日か早めてもらい、退院の翌日にロケに参加するという綱渡りをやりました。
スタッフは心配して、旅の途中で追いついたら良いのでは、と薦めてくれましたがそんな忠告も振り切って、止せば良いのに最初からロケに参加しました。
昼間は大したことが無いのですが、夜になるとまだ、ゴホン、ゴホンとセキが出てしまうのです。
そんな最中に、グアムとんでもないクイズが仕掛けられたのでした。
 
例の○×泥んこクイズが終って、25人の勝者たちが安心してコテージのベッドに入り、眠りに付いたのが午前2時です。
悪魔のようなウルトラスタッフは着々と次なる落とし穴を準備していました。
題して「時差ぼけ調整、暁の奇襲作戦、敗者たらい回しクイズ」です。
長ったらしい題名の割りに、ルールは簡単にして単純。
2人1組で泊まっているコテージを急襲、寝ぼけ眼の2人の挑戦者に早押しクイズを出題するのです。勝てばそのままベッドで夢の続きを見ることが許され、負ければ荷物をまとめて、次のコテージへ移動しなければなりません。
眠っている2人と計3人で早押しクイズを行なうのです。
そこで負けた1人がまた次のコテージへたらい回しされ、最後の1人が敗者になるという意地の悪いルールです。

奇襲クイズ3

んなが寝静まった静寂なコテージを、スタッフが忍び足でグルグルとコテージを回っている最中です。

奇襲クイズ1

判定担当の私も忍び足で歩いているのですが、突然ゴホン、ゴホンとセキが出てしまうのです。
騒音で挑戦者が目を覚ましてしまったら、クイズは成立しません。
だから、スタッフが、シーッ!と私を制止するように睨み付けるのですが、セキは止るどころか、激しくなるばかりです。
私は謝りながら、付いて行こうとしますが、緊張すると更に酷い状況になってしまいます。
といってクイズ判定の係りが居なくては、ロケが続けられません。
もう駄目!
と限界が来たところで、他の人にバトンタッチして逃げ帰りましたが、しばし撮影を中断させる、という迷惑をかけてしまいました。
今でこそ笑い話ですが、セキを我慢するというのは辛いものですよ。
良い気持ちで眠っていたところを、突然起こされてクイズを出された挑戦者も迷惑したでしょうが、その陰で私も苦しい体験をしていたのでした。

司会の高島忠夫さんは気配りの人

メリカ横断ウルトラクイズの司会者は?
このようなクイズ問題が出たとします。
一般には福留さんという答えが多いでしょうね。
でも、番組の司会者は高島忠夫さんと石川牧子さんが正解です。
福留さんは、現地リポーターという立場で、クイズ問題を出題しながらアメリカ各地を旅をする係りなのです。
でも、番組の顔として人気があったので、福留さんの番組と思われている方が多いのも事実でしょうね。
でも、ウルトラクイズ司会者は高島忠夫さんなのです。

こで、今日はスタジオ部分を担当した高島さんの事を書いてみたいと思います。
本来、高島さんは映画スターだった方ですから、番組の司会者としてがありますよね。
それに陽気で親しみが持てるキャラクターなので、番組全体が明るく展開して行く効果を出せる方でした。
ゲームで敗者がひどい罰を受けても、それを笑って済ませるように運んでしまうのは高島さんと石川さんの軽妙な会話でした。
結果的に言えば、このスタジオでの絶妙なやりとりが番組を牽引していたのですが、そのような評価をあまり聞かないのは残念なことでした。
島さんはベテラン俳優だけにスタジオでも、周囲に気を配り、スタッフを笑わせながら楽しい雰囲気を作るのが得意でした。
中でも忘れられないのは、毎年「差し入れ」といって高島さんが必ず届けてくれた食べ物があるのです。
それは有名店の「茶巾寿司」でした。
因みに茶巾寿司とは、五目鮨を薄焼き玉子で包み、干ぴょうや細昆布で縛ったものです。
収録時のスタジオには、PやDの他、カメラマン、照明マン、音声、セット関係など沢山のスタッフが居りますが、全員に行き渡るような大量の差し入れを毎年届けてくれたのです。
だから今でも茶巾寿司を見ると、ウルトラクイズのスタジオ収録が思い出され、懐かしむのは、私だけではないはずです。
多分、ウルトラクイズのスタッフの大半が、私と同じような思い出を持った事と思います。

スタジオ

アメリカ横断!ウルトラクイズの裏話