全国にある妖怪の話

アメリカ横断ウルトラクイズの問題は、基本的に日本人としての常識的な知識が出題されています。

昔から、人々は不思議な出来事や噂を好む傾向があり、テレビでもこの種の番組は多く創られていました。

第8回のサンフランシスコで、この種の知識を問う典型的な問題が出されています。

問・民俗学者柳田国男が「遠野物語」の中で書いた旧家の奥座敷などにいると言われる小さな妖怪とは何?

答・座敷童(ざしきわらし)

解説 岩手県を中心に、東北地方に伝承されている子供の妖怪で、旧家の奥座敷にいると伝えられています。

悪戯好きで、遊んで欲しいのか子供を相手に悪戯を仕掛けるのが特徴です。

顔は赤ら顔で、オカッパ髪、男女共に着物姿というのが全体像です。

「座敷童子」の画像検索結果

座敷童を見た人には幸運が訪れ、愛すべき存在として認知されているのが一般的と言えるでしょう。

同じような伝説は全国各地に散在し、例えば山梨県の「お倉坊主」。石川県の「マクラガエシ」。香川県の「オショボ」なども座敷童の仲間とされています。

SNSで、様々な情報が流れ、外人観光客にも人気があり中には必ず会える宿等、怪し気な情報もあります。

日本人なら「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を知っているので、こんな嘘には騙されません。

でも、お化け大好きな外人観光客は、引っ掛かるかも知れませんね。ご用心!

そんな外人に、愛すべき妖怪の話として、座敷童のお話を説明して欲しいものです。

不思議、或は怪奇現象大好きな日本人なら、知って欲しい常識的な「座敷童」の簡単な知識のご紹介でした。

 

番組の成熟期は?

アメリカ横断ウルトラクイズの問題を振り返って見ると、番組の成長の度合いが解ってきます。

今から凡そ40年前の昭和52年、第1回予選会が開かれた時にはたったの400人が、後楽園球場に集まりました。

勿論、球場を借り切る程の予算も無く、巨人軍の練習風景を見ながらスタンドでの撮影でした。

当時はON砲が現役時代で、特に王貞治選手のホームラン世界記録が達成されるか? 連日スポーツ紙を飾っていました。

王

その、王選手達の練習を見ながらの第1次予選だったので、挑戦者には格別の思い出になった事でしょう。

因みに、756号の達成は、この年の9月の事で関連問題は多数出されています。

第1回が話題になったため、翌年には我々も水道橋の後楽園球場を借り切って球場を走りながらの予選でした。

以後、右肩上がりで挑戦者の数も増え、第7回には1万人に達成したのです。

これは、放送上の数字で、実際はパスポートの取得、1カ月間の休暇が必要など、細かい制約がありました。

参加希望者も、こうした規約が取れず、泣く泣く諦めた人も多かったと推測できます。

さて、この第7回は視聴率的にも過去最高、34.5%との驚異的な数字を出し、番組の熟成期とも言えます。

こうなると、我々スタッフも更なる進化を狙い、あらゆる可能性を検討したのです。

空中でのクイズは不可能なので、水中でのクイズはどうか? 冗談のような企画が真剣に討議されました。

それが実現したのは、翌年の第8回。バハマでの海底早押しクイズでした。

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世界初、しかもカメラマンは全員スキューバーの訓練をし、免許を取得しての撮影でした。

挑戦者は普段と同じように、大きなスーツケースを携えて海底に勢揃い。珍妙にして印象的な姿。

こうしたクイズも成熟期ならではの成果だったのです。

翌年は決勝の地をニューヨークからパリへ移動など、アイディアはエスカレートしていきました。

北極圏から南極圏まで南北アメリカ大陸縦断、第12回の突飛な企画も、この時代の会議で出された案でした。

アメリカ横断ウルトラクイズは、記録よりも記憶に残る番組を! これが企画の基本的狙いでした。

当初の目標を達成できたのは、第7回、8回の成熟期があったからだと思います。

 

消えて行く古い日本語

アメリカ横断ウルトラクイズの問題には、様々な知識が設問になっていました。

問題の中には「言葉」という分類があり、新しい言葉、逆に消えゆく古い言葉がクイズになっていました。

言葉は昔から、人々が使わなくなった古い表現は死語と呼ばれ、消えゆく運命なのですね。

でも、お年寄りの中には古い言葉を懐かしがり、大切に守る方々がいるのも事実です。

我々は老いも若きも、家族みんなで愉しむ番組を基本にしていたので、お年寄り向き問題も創っていたのです。

第5回のテオティワカンで、次のような問題がありました。

問・お酒を飲めない人を下戸と言うが、では大蛇が獲物をゴクリと飲み込むところから大酒豪に付けられた呼び名は?

答・うわばみ

解説 大蛇、又の呼び名をオロチ。

日本神話の時代から、八岐大蛇(やまたのおろち)をスサノウノ尊が退治しました。

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この尾の中から出てきた剣が、三種の神器の一つである、とのお話は、日本人なら知って欲しい神話です。

とは言え、うわばみの単語を「大蛇」と素直に理解する日本人の年代は、年々少なくなっているでしょう。

古い言葉や方言が死語となって消えて行く、昔からお年寄りが例外なく味わった悲哀の一つでしょう。

人は誰でも、例外なく確実に歳老いて行く! これは身分に関係なく公平です。

だったら、愉しく健康が一番。自戒を込めた願いです。

 

薀蓄の宝庫、車のエンブレム

アメリカ横断ウルトラクイズの問題には素朴な疑問を基に創られた設問が数多くありました。

クイズ大好き人間の特徴に、蘊蓄好きという一面があります。知識欲が旺盛な人の共通点でしょうね。

例えば、日本中の道路にはトラック、乗用車、バスなど各種の自動車が氾濫しています。

それらの車両には、例外なく一律にエンブレムが付いています。車の名称、製造会社の名称など表示は自由ですが必ずエンブレムが付いています。

車好きの人は、エンブレムで車名を当てるのは当然で、その蘊蓄を他人に語りたいとの気持ちがある筈です。

そんな車好きの人が答えたくなる問題が、第15回のモハーベ砂漠で出されていました。

問・フェラーリとポルシェのエンブレムに共通する動物は何?

答・馬

解説 当時はフェラーリやポルシェをはじめとするスポーツカーが人気で、スーパーカー・ブームと呼ばれていました。

エンブレムは日本語で「紋章」ですから、どのメーカーもそれぞれ意味のあるデザインを考えています。

馬のエンブレムは、最初の乗り物が「馬車」だったところから、結構多いですね。

フェラーリ、ポルシェの他、フォードマスタングなども思い浮かびます。

エンブレムは車の顔。格調が高く、印象的、しかも人々の憧れの的になるのが理想のデザインでしょう。

高級車の代表的な存在にメルセデス・ベンツがありますね。誰もが一度は乗って見たい車でしょう。

ベンツのマークは「スリーポインテッド・スター」と呼ばれ、最初は三つの頂点を持つ星形のみでした。

これは「三本の光芒であり、陸・海・空を指し、それぞれの世界での移動しやすい乗り物の発展を意味する」という願いが込められたものだったそうです。

この様にエンブレムには、それぞれの願いや理想、希望などが込められているのです。

クイズ問題の馬のマークですが、これはイタリアの英雄で第一次世界大戦時、撃墜王と呼ばれたバッカラという人がいました。

彼の愛機に「跳ね馬」のワッペンが貼られており、フェラーリがレースで勝った時に、後援者だった伯爵が「跳ね馬」の紋章を贈ったそうです。

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この伯爵、実は英雄バッカラの父で、レーシング・マシンに付ければ,幸運が訪れるであろうとの理由でした。

一方、ポルシェの跳ね馬はポルシェといえば、本拠地はドイツですね。

ドイツのシュトゥットガルト市という場所に拠点を構えていたので、地元の紋章をメインシンボルにデザインを行いました。

赤い帯は知性、黒い帯は森、黒い枝状は森に棲む鹿の角黄色は麦の豊作など地元の紋章から引用しています。

ポルシェは農耕機も制作していたので、地元の農家への気配りもあったようです。

車のエンブレムは「紋章」なので、ヨーロッパでは家紋のように凝ったデザインもあります。

「ロールスロイス...」の画像検索結果

それぞれに深い意味が含まれており、調べると面白そうな話がゴロゴロあります。

車好きには、薀蓄の宝庫的存在なのですよ。

 

 

 

時の流れで変わるもの

アメリカ横断ウルトラクイズの問題は、放送された時のデーターが基に創られていました。

時が流れると、様々な事象に変化が起こるのは自然の流れで、昔の問題を振り返ると変化の状況が解ります。

例えば、外国に住む日本人の数を覗いて見ると、30年前と現代では可成り変化が出ていました。

第12回のパシフィカで次のような問題がありました。

問・日本人が最も多く住んでいる外国は何処?

答・アメリカ

解説 アメリカは日本人にとって永い事、憧れの国でした。それだけに昔から移住者も多かったようです。

30年前には約17万人の日本人が住んでいました。第2位がブラジルで54,000人でした。

現在のランキングを見ると1位がアメリカで419,000人、凄い勢いで増えていました。

今の2位は、意外な事に中国で131,000人、3位はオーストラリアで89,000人となっています。

中国から日本への旅行者が多いのは解りますが、日本からの移住者が多いのは意外な結果でした。

それ以下は4位英国、5位タイの順で続いており、ブラジルは54,000人で第7位に後退しています。

ブラジルには明治時代から移民が多く、現代では日系3世、4世の時代になっており自然減少かも知れません。

また、経済的にも不況が続き、訪れる人よりも出稼ぎに出国する人の方が多いとの説もあります。

中国への移民が増えたのは、中国人への近親感が高まったという事でしょうか?

「中国 地図」の画像検索結果

でも、最近の中国の動きを見ていると 、反日的なニュースが多く、そんな気持ちが高まるとも思えません。

昔から中国人の考えは深慮遠謀、何を考えているか解り難いのが特徴です。

その様な国へ飛び込んで行くとは、日本人には勇気のある人が多いのに驚きました。大和魂ですかね。