「鞍が無くて落馬しませんか?」
「OK,OK, ボクたち、昔からこのスタイルね」
「裸の馬、ご先祖さんはみんな乗っていた。
僕たち初めて。
だけどそんな事言えなーい。
これ難しいね。
インディアン嘘つかなーい」
「鞍が無くて落馬しませんか?」
「OK,OK, ボクたち、昔からこのスタイルね」
「裸の馬、ご先祖さんはみんな乗っていた。
僕たち初めて。
だけどそんな事言えなーい。
これ難しいね。
インディアン嘘つかなーい」
最近はアメリカ映画の西部劇というものにあまりお目にかかりません。
丘の上にインディアンの大群が馬にまたがって待ち伏せをする、
と遥か彼方の山の向こうで攻撃の合図の狼煙(のろし)が上がる、
というのが西部劇のお決まりのパターンです。
地球は丸くて、南北の軸を中心にグルグル回転しているわけですから、当然この球形のテッペンがあるわけです。
そこを北極点といいますよね。
そのテッペンに最も近い場所にある町がアラスカ州のバローというところです。
勿論、電車はおろか路線バスでも行けません。
遥か彼方の辺鄙な淋しい、この場所に行くには飛行機しかないのです。
そこに住んでいるのはイヌイットと呼ばれる人たちです。
顔は日本人に良く似ていて、特にお年寄りの中には田舎のお爺ちゃんにソックリ、なんて人もいたりして、ついつい笑顔で話しかけてしまいたくなりそうです。
ウルトラクイズの第12回では、こんな地の果てまで、ぞろぞろと出掛けて行ったのです。
その時に体験した、お話を幾つかしてみたいと思います。
私達が最初にロケハン(撮影前の下見)で訪れたのは、7月の事です。
アラスカ州のアンカッレジから国内線の中型機で飛び立ちました。
飛行機の窓から下の景色を見ていると、山や森の木がだんだんと消えてなくなり、湿地帯のような荒野に変わってきます。
夏の事ですから、白い雪は見えませんが、褐色の地面や水辺の水の色がキラキラと太陽の光を反射させ、お伽の世界に迷い込んだような不思議な風景が延々と続き、やがてバローの空港に到着しました。
太陽は頭上で眩しく輝いています。
空港の建物を出て、町を車で走り回るのですが、何となく殺風景なのは街に街路樹が1本も見当たらないのです。
↓Barrow beach
それもそのはず、冬はあまりの寒さで、樹木が生育しないのだそうです。
我々はクイズ会場に相応しい場所を探すのですが、時間を忘れて時計を見たら、何と午後11時ではありませんか。
「ええっ!もう夜中だぞ」と仰天。
それもそのはず、白夜の季節なので、夜だというのに暗くならなかったので、時間を忘れてしまったのです。
そんなこんなで、ホテルにチェックインしたのが、夜中の事。
そして部屋に入って、窓から外を眺めると、公園の広場が見え、自転車で子供達が遊んでいます。
時間を確認すると、真夜中の2時です。
一体この国では、子供の教育はどうなってるんだ?
と叫びたいけれど、それは大きなお世話です。
そこで、こうなったら白夜の太陽はどのように西に沈んで、どうやって東の空から上がってくるのかを確かめてみたくなりました。
窓から徹夜で観測していると、太陽は西の地平線に沈む一寸手前でストップし、やがて横滑りの状態でだんだんと横へ横へとスライドして、昇り始めます。
つまり、上り始めた方向が東だったわけです。
↓バローの白夜
太陽が沈まない街、バロー。
ここは1988年に鯨が2頭、流氷の中に閉じこめられ、その救出作戦が米ソ協力の下に行われ、連日テレビのニュースで報じられたのでご存知の方も多いと思います。
このクジラ救出の話は後に「誰もがクジラを愛してる。」という映画にもなりました。
↓映画「誰もがクジラを愛してる。」
この地の人は、人間も動物も、いつも厳しい自然と戦いながら、生きています。
白夜があれば、その反対で暗黒夜といって、夜ばかりの季節もあるのです。
現地の人に訊ねたところ、夜ばかりといっても午前6時か7時には起きて、狩りに出たりするそうです。
そして、夜は8時間くらいは睡眠をとるという生活をしているのだそうですよ。
ロケは9月に行われましたが、すでに日照時間は短く、空港に着くと外は吹雪でした。
ところが、現地のスタッフはみんな半そでのTシャツ姿なのでびっくり。
聞けば
「雪が降るのは暖かいから。本当の真冬はこんなもんじゃないよ」と笑っていました。
地球には、ほんとに色んな人が住んでいるもんですね。
・・・今回はここまでにしておきます。
毎年10万人以上の応募があり、5万人もの人が東京ドームに集まって来たクイズの祭典「ウルトラクイズ」。
でもね、記念すべき1977年の第一回大会の時は・・・
集まったのは、たったの404名でした。
彼らはパスポートを胸に、王選手の世界記録756号のホームランで沸いた後楽園球場の1塁側スタンドに集まってきました。
まだ、予算もなく、番組のためだけに球場を借りる事はできませんでした。
そこで、ジャイアンツの試合が始まる前、少しだけスタンドを借りて撮影が始まったのです。
球場ではジャイアンツの選手が試合前の練習をしていて、
「今日は何がはじまるの?」
と声をかけてくるような、そんな長閑(のどか)なスタートでした。
そして記念すべき第一問は
「上野動物園のパンダ夫婦の名はリンリンとランランである、○か×か」
というものでした。
今なら携帯やスマホでインターネットにつないで、アッという間に正解を探す事が出来ますが、その頃は携帯もなく、知識がなければそれまでです。
因みにこの問題は×が正解で、パンダ夫婦の名前はカンカンとランランが正解です。
↓はじめて日本にやってきたジャイアント・パンダ カンカンとランラン
だけど、その頃リンリン、ランランという双子姉妹の人気アイドルがいて、彼女たちが歌うCMソングでよくテレビから「リンリン、ランラン…」という歌声が流れていたので、勘違いした人もいたのでした。
北海道や沖縄から、交通費自腹でやってきて、この1問を間違えて帰った人もいたわけですから、罪な番組と言えないこともありません。
でも、それを承知でみんなフィーバーしたんですから、日本もとても平和な時代だったんですね。
この時は、404名中80人が第一次予選を通過して、羽田空港に駒を進めました。
という事は、5人に1人が予選を通過したわけですから、ムチャクチャ確立が高いですよね。
このブログを読んでくださっている方の中には、東京ドームまでやって来て、あの5万人の中でクイズに挑戦した方もいると思うのです。
あれを勝ち抜いて、成田まで駒を進めるのが、どんなに大変だったかを思い起こすと、最初の頃はホントに甘かったんですよ。