謎の多い不思議ポイント、ユカタン半島

メリカ横断ウルトラクイズ第11回では7年ぶりにメキシコユカタン半島に行きました。
ユカタン半島の広大なジャングルの中にメリダという都市があります。
飛行機でメリダに到着すると、その町はジャングルの中にあるにしては、ギリシャの神殿風な建物があったり、住宅にしても近代的な建築で洒落た雰囲気が漂っていました。
こから車で走ること数時間、ジャングルの中に忽然と石創りのピラミッドが現れたのでした。
ここが、数々のを残して或る日忽然と消えたマヤ文明の遺跡、チチェン・イッツァなのです。
ヤ文明は天文学と数学が特に優れていて、金星の観測から作った暦は一年の誤差が何と5分だったという精密さだったそうです。
その彼らがこのジャングル地帯では絶対に採れる筈も無い、巨大な石を積み上げて、都市やピラミッドを作り上げたというのだから驚きです。
一体、何処からどんな方法で、こんな大きな石を運びこんだのでしょうか?
研究者の間でも、全く謎に包まれているという話でした。
このピラミッドの階段の下には蛇の頭の石像があって、1年で2度だけ、春分の日と秋分の日に太陽の光が階段を照らし、その影が頭と繋がって蛇の姿が現れるように設計されているのです。
これを「エキノシオ現象」と呼ぶのだそうで、世界中からその様子を見学するために、この日には沢山の観光客が集まるのだそうです。
チチェン・イッツァでスタッフ記念撮影

チチェン・イッツァ

真でお判りのこのピラミッド、実は2重の構造に作られていて、内側の小さなピラミッドの上を覆う形で、大きなピラミッドが被せられているのです。
そして内側の小さなピラミッドにも秘密の階段が作られていて、頂上には王様の石の棺が安置されています。
そこには翡翠の王冠が飾られていましたが、この翡翠も中国大陸でしか採れないもので、当時どのようにしてこの場所に持ち込まれたのか、これもになっています。
も角、謎が謎を呼ぶ、不思議なユカタン半島、ここでの敗者に与えられた罰ゲームは、何と王様の棺が安置された部屋に1泊して頂こうと言うオソロシイ体験でした。
その日に敗者となった慶応大学2年生のM・F君は、あと2日で20歳の誕生日を迎えるという、お目出度い情報が入ったので、特別サービスで、2泊してもらう事になったのでした。
夜中、彼はマヤの王達と何を語ったのでしょうか?
残念ながら、その後の話は聞く機会が無かったので、私も知りません。

自然を前に手も足も出ない②

回に引き続き、第16回グアムでの出来事です。
々の飛行機がグアム空港に着陸した時の驚きはありませんでした。
その前から大型の台風が来ていた事だけは、事前に知らされていました。
すでに台風は大暴れして去ったという情報を得ていたのですが、空港に着いて最初に目にした状況は信じられないような光景でした。
の空港にも大型の旅客機と共に、小型や中型のプライベートな飛行機が並んで駐機されていますよね。
そんな飛行機の何機かが、逆さまにひっくり返っていたのです。
それだけではありません。
空港の空き地には椰子の木が植えられていますが、それらが倒れて根っこがむき出しになっているではありませんか。
そんな姿を初めて目にした我々は、台風がいかに大きな被害を残して去っていったのかを否応無く、想像させられました。
々を待ち受けていたの最初の難関です。
ルトラクイズグアム空港では名物になっている「ブーブーゲート」が設置出来ないという事が告げられたのです。

↓ブーブーゲート

ブーブーゲート

んな状況を目の前で見せられて、抗議する事さえ許されない雰囲気です。
空港では救援物資の輸送が最優先されていて、お遊びのクイズ番組に付き合っているような状況では無いということでしょうね。
結局、我々はブーブーゲートは諦めて、次の手段に変更せざるを得ませんでした。
この時は挑戦者全員を飛行機からグアムの地に降ろし、滞在先のホテルでペーパークイズの結果を発表したのです。
従って、この回に限り折角グアムまで行きながら、グアムの地を踏めないという不幸な敗者が出なかったのであります。
16回では、空港からホテルまで、バスで移動するのですが、町の中にはいたるところに台風の爪痕が残されていました。
家の屋根は吹っ飛び、電柱もそこら中で横転しています。
また、空港で見たのと同じように、道端に植えられていた街路樹の椰子の木が、バタバタと倒れていて、道路を塞いでいたのでした。
我々はバスから降りて、倒れた木を除く手伝いをしながら何とかホテルまでたどり着いたのでした。
↓グアムの台風被害(この時ではありません)

グアムの台風

ころが、ホテルに着いたら又とんでもない情報が待っていたのです。
台風のため電気をはじめ、水道などのライフラインが破壊されてしまったというのでした。
結局それでも、一応今夜の宿が確保されたのには感謝しなければなりません。
明日のクイズに備え、本番の前夜は準備で忙しいのですが、ホテルには電気が点きません。
勿論エレベーターも動きませんから、部屋から部屋への移動は真っ暗な階段をローソクを片手に歩かなければ出来ません。
タッフ全員に太いローソクが配られ、本部となる部屋に全員が集まり明日のクイズを如何するか、ローソクで照らされた真っ暗な部屋の中で、延々と会議が行なわれたのでした。
というのも、翌日に行う予定だった泥んこクイズ、このような状況では当然ながら行うことができません。
ホテルは開店休業状態でしたから、満足な夕食も取れず、グアムの町の中から急遽調達した食料で済ませ、翌日は泥んこクイズに変わって、「空席待ち早押しクイズ」に変更されたのでした。
※〈空席待ち早押しクイズのルール〉
ビーチに3台の早押し器が設置され、抽選によって自分の好きな列に並ぶ事が出来る。
最前列の3人にクイズが出され、1問正解で勝ち抜け。
但し、誰か一人が勝ち抜けると、他の2人は敗れたわけだから、その列の最後尾に並びなおさなければならない。
しかも、最初に並んだ列は最後まで変えられないという規則。
勝ち抜け者の多く出る優秀な列ほど早く短くなり、挑戦回数も増えるというシステムである。

気の無い真っ暗なホテルの部屋で、こんな意地の悪い形式を考えるなんて、ウルトラクイズのスタッフは確実に「サド軍団」と言えるだろう。イヒヒヒ…

自然を前に手も足も出ない①

メリカ横断ウルトラクイズは決められた日程の中で、確実にスケジュールをこなして行かなければ成立しません。
どんなアクシデントがあろうと、日程を変更出来るような甘いスケジュールではないのです。
例え雨が降ろうが、槍が降ろうが、最初に決められた場所で決められたクイズを行うというのが基本姿勢でした。
はいえ、予想も出来ないような出来事が起こって、ルートやクイズ方式を変更せざるを得ないことも、永い歴史の中では起こっています。
例えば台風やテロによる影響、航空会社のストライキなどに巻き込まれて、予定通りに移動が出来なかったことなどは結構ありました。
んな場合でも、次なる手を直ぐに考えて実行しなければ日程が崩れてしまうのですから、スタッフは常に緊張状態に置かれているようなものです。
何故、そんな厳しいスケジュールかと言えば、出場者、スタッフ合わせて100人近い人数が移動するわけですから、ホテルにしても航空機にしても、一度キャンセルをしてしまうと、次にそう簡単に予約が取れるという保障はないのです。
れにクイズ会場にしても、何ヶ月も前から場所を押さえて、交渉しているのですから、簡単に変更は利かないという事情もがあるのです。
そんな中で、恒例のコースとなっているグアムで、台風のため2度にわたって被害に遭ったことがありました。
↓普段は美しいグアムのビーチ

グアム

14回16回の時でした。
まずは14回の時のお話。
イズ前日の夜中に台風の直撃を受けてしまったのです。
グアム名物になっている泥んこクイズ
前の日に泥んこプールを掘って、中にコッテリと練り上げた泥んこをかき混ぜ、あのようなプールを設営するのです。
この年も前の日からプール創りをしましたが、夜中になって台風がグアムの真上を通過したのですから、只ではすみません。

↓グアム名物泥んこクイズ

泥んこクイズ

泥んこクイズ2

、起きて1番にプールを確認に行ったスタッフが顔色を変えて帰ってきました。
プールが台風で流され、泥んこが海に流れ出てしまっていたのでした。
我々が駆けつけて見ると、真っ青なグアムの海に、真っ茶色なが流れ出ていて、とても修復不可能な状態でした。
んこプールに飛び込む恒例の「○×泥んこクイズ」は中止となり、急遽○×のボードを揚げるクイズに変更されたのです。
更に衝撃を受けた16回の時のことはまた次回。

スタッフが体験して実行に移す

メリカ横断ウルトラクイズは挑戦者にとんでもない体験をしてもらうというのが1つの売り物になっています。
特に視聴者に人気があったのは、罰ゲームの過酷さ。
これもアメリカまでタダで旅を楽しんでいるのだから、そのくらいの罰ゲームは覚悟しろよ、という視聴者の心情もあっったのだと思います。
いっても、誰もが体験できないような危険な事を無責任に押し付けるような事はできませんでした。
えば、バンジー・ジャンプです。
今でこそバンジー・ジャンプはわかりやすい罰ゲームとして良く番組にも登場しますが、その当時は、バンジー・ジャンプが今ほどメジャーではなく、見るからに恐ろしいアトラクションでした。

バンジージャンプ

13回ニュージランドへ行ったときに、罰ゲームで今にもバンジー・ジャンプをさせるような場面がありました。
の上から、40メートル下の谷底目がけて逆さまに飛び降りる「恐怖のバンジー・ジャンプ」を体験させるという罰ゲームでした。
橋の上でロープで足をしばり、今にも逆さまに飛び込む寸前まで敗者を追い込んで、敗者が失神寸前というところで、ストップさせたドッキリだったのです。
敗者にしてみれば、現場で嫌と言うほど恐怖感を体験し、もう覚悟を決めたところで、中止となったのですから、実際は恐怖体験をしたのと同じくらいの罰ゲームだったはずです。
はあの場合も、スタッフがバンジージャンプを誰も体験していなかったので、それを敗者に押し付けるのはダメだ、という基本姿勢から実行までは出来なかったのでした。
つまり、スタッフが出来ない事を挑戦者にやらせるわけには行かなかったのです。
の意味では、第14回のエリーでの体験を思い出します。
エリーはミネソタ州の北の端、カナダとの国境付近の街です。
ここに国民栄誉賞を受けた冒険家の故・植村直己さんが、かつて訓練のために入学した自然体験学校があったのです。

こでは、挑戦者達を1日入学させ、胸まで沈む泥沼を横断歩行させたり、カヌーの特訓、ロッククライミングに挑戦させるなど、クタクタになるまで自然の生活を体験させようという事になりました。
となれば、それがどのくらいキツイ体験なのかをロケハンで我々が体験しなければなりません。
々は林の中に張り巡らされたロープの綱渡りをしたり、岩山をロッククライミングしたり、普段使わないような筋肉を嫌というほど使い、クタクタに疲れてしまいました。

↓ロケハンの様子です

ロッククライミング1

ロッククライミング2

の日の晩は食事の後、ぶっ倒れるように眠ってしまったのですが、これは我々スタッフが体験したので、もちろん挑戦者たちにも体験してもらいましたとさ。

プロデューサー第3の試練~真冬の滝行でブルブル震える

メリカ横断ウルトラクイズスピンオフ企画史上最大の敗者復活戦の準決勝は、高尾山で行われました。
↓高尾山

高尾山

尾山は、東京近郊では有名な観光地です。
その昔は修験道の霊場として発展し、今では真言宗智山派の大本山で高尾山薬王院として、信仰の対象になっている霊験新たかな場所です。
こを会場に選んだからには、修験道の霊場として今も現存する滝行を無視するわけにはいきません。
挑戦者はクイズに挑戦する前に、真冬の滝の水に打たれて身を清めるべきだ、という何とも無責任構成案が作家やディレクターから出され、それを実行させる事になってしまったのです。
しかも、ウルトラクイズの敗者担当といえば、徳光和夫さんです。
↓滝行

滝行

組としては、徳光さんにも一緒に滝行を体験してもらおうということで意見がまとってしまったのです。
しかし、当時の徳光さんは日本テレビの『顔』とも言える存在でした。
真冬の滝行などさせて、もし大事な身体が体調不良にでもなったら、誰がどのように責任を取らなければならないのか。
プロデューサーとしては、難しい判断を迫られる事になりました。
の頃、私は個人的に「ズームイン朝!」の構成作家でもありましたから、徳光さんとは毎朝顔を合わせる間柄でしたが、そうとは言え真冬の滝に打たれて欲しいなどと言う無理な注文はしにくいものです。
こで考えました。
我々番組のプロデューサーもディレクターも構成作家もスタッフが全員番組の成功を祈願して、滝に打たれよう。
「だから徳光さんも是非一緒に滝に打たれてください」
と口説いたのです。
の日は丁度で、今にも雪がパラつきそうな寒い空模様でした。
徳光さんはそんな事もあろうと、最初から予想していたようで
「無理する事はないよ。みんながやらなくても自分はやるさ」
と気持ちよく引き受けてくれたのでした。
れで我々スタッフが引っ込んだのでは申し訳ないとばかり、私も生まれて初めて真冬の滝行に挑戦したのでした。
勿論その時のスタッフは全員裸になって、川の中に飛び込んでいきました。
それを見て、徳光さんも一緒に飛び込んでくれたのでした。
でも、真冬の滝行って想像以上にきつい修行ですよ。