過酷なクイズで苦しむのは挑戦者だけじゃない

メリカ横断ウルトラクイズを始めて14年目にして、大陸横断鉄道の原点ともいえる場所を訪ねることが出来ました。

大陸横断鉄道3

アメリカ大陸は太平洋側の西海岸から、大西洋側の東海岸まで、ストレートに結ぶと凡そ6,000kmと言われます。
その約半分の3000km程を結ぶのが大陸横断鉄道です。

大陸横断鉄道

側と西の海岸側から進んだ鉄道工事がドッキングしたのが、ユタ州のソルトレイクシティです。
1869年(明治2年)5月10日の事でした。
このイベントは、世界で初めてマスメディアによって、世界中に配信されたニュースとして歴史に残る出来事だったそうです。
日本で品川と横浜に鉄道が開通したのが、明治5年といいますから丁度同じような時代だったんですね。
この大陸横断鉄道の完成によって、それまでは東海岸から西海岸までは少なくとも数ヶ月かかったのが、1週間に短縮されたと言います。
その7年後には、ニューヨークからサンフランシスコまでを83時間39分で結んだという記録も残っています。
今では飛行機であっという間に移動出来る時代になりましたが、人間の進歩の度合いには驚かされる事が多いですね。
当時はアメリカ中は大騒ぎで、ニューヨークでは祝砲が発射され、フィラデルフィアでは、自由の鐘が打ち鳴らされ、市民は狂喜したと記録には残されています。
々は、この記念すべきドッキングの場所を訪れました。
当時の様子を再現するように、古いレプリカの機関車が合体の様子を再現していて、アメリカの歴史に触れた感動がしばしの間、心に残ったのを記憶しています。

大陸横断鉄道

メリカの鉄道は貨物列車がとても長い距離にわたって連結されていて、長いものでは1kmを超えるそうです。
貨車があまりに多いので、牽引する機関車も1両では済まず、3両4両の機関車が引っ張るという珍しい状況を作り上げていました。
我々日本人からすると、そんな長い列車は珍しいので、その列車の長さを利用したクイズが実施されました。
して「列車タイム・ショック・クイズ」
長い大陸横断鉄道の列車が目の前を通過しはじめた瞬間に、クイズが開始される。
解答席は3つ用意され、予め並ぶ順番を決め、12人の挑戦者が並んでクイズに答える。
誰か一人が正解すると残された2人は席を空けて、最後尾に並ばなければならない。
列車が通過し終わるまでに正解の多い上位10人が勝ち抜けるというルール。
イズの時間は列車のスピード任せで、5分なのか、10分なのか、やってみなければ解らない、といったクイズ方式でした。
しかも、アメリカの、特に貨物列車は運行が不定期
1日にわずか2~3本の日もあれば、十数本立て続けに走ることもあるのでした。

大陸横断鉄道2

んな列車を待つこと2時間あまり
砂漠の気温は40℃を超えていたかと思います。
やっと列車がきた頃には挑戦者、司会者、もちろんスタッフもバテ気味
しかもこの列車、図体もデカけりゃもデカい。
轟音の中でクイズが開始されたので、音声さんはさぞ大変だったことでしょうね。
挑戦者も集中できなくて、さぞ苦しい思いをしたに違いありません。
自身も、クイズの解答を聞き、正誤を判定しなければいけない訳ですが、声が非常に聞き取りにくく苦労したのを覚えています。
過酷クイズ形式を考えたばかりに、自分たちにも跳ね返ってきた代表的なケースです。

コスプレしがいのあるアメリカの景色

メリカ横断ウルトラクイズでは、アメリカ各地でロケーションを行いました。
ロケの場所を思い返すと、都会の街の中とアメリカの広い大地を比べると、どうしても田舎の景色の中で行った方が多かったように思われます。
それは、我々が昔から映画の中で見慣れた自然の景色を、アメリカらしい風景として記憶してたからかも知れません。
赤い大地をむき出しにした荒々しい景色は、我々の世代が西部劇の中で初めて知ったアメリカそのものといって良いのではないでしょうか。

西部劇5

アメリカ映画は、ニューヨークやサンフランシスコ、ロスアンゼルスといった大都会が舞台になっている事が多いように感じますが、その昔、戦後の日本に映画がどんどん輸入された時代のアメリカ映画は、半分近くが西部劇だったのです。
当時のスターは、ゲーリー・クーパー、ジョン・ウェイン、カーク・ダグラス、ロバート・ミッチャムとみんな西部劇で活躍したカウ・ボーイ・スター達でした。
戦後世代の私などは、毎週のように映画館に通い、西部劇をはじめとするいわゆる洋画を見ては外国に強い憧れを抱いたものでした。
レビドラマが最初に放映された時でさえ、「ローハイド」や「拳銃無宿」といった西部劇が全盛で、茶の間のファンを楽しませてくれました。
こうした番組から生まれたスターがクリント・イーストウッドであり、スティーヴ・マックイーン、チャールス・ブロンソン達でした。
スタッフも私たちと同年代の人間が多かったので、ウルトラクイズアメリカらしい荒野をロケーションの場所として多用したように感じられます。

西部劇4

だからというわけではありませんが、各地で行われたロケのスナップ写真を見返すと、まるで西部劇のロケーションのようにさえ思えてしまいます。

西部劇

っている人間が、日本人なのは一寸残念ですが、このような背景なら、西部劇の短編映画くらいは簡単に撮れそうな気がいたします。
会の福留さんも多分西部劇が好きだったのでしょうね。
このような場所がロケ地の場合は、当時のファッションを好んで着用したがったような記憶があります。
それも、カウボーイよりは騎兵隊の将校がお好みのようだったらしく、そうした扮装の記念写真が結構あったのが懐かしく思い出されます。

西部劇3

メリカの田舎の風景は、どこで撮影しても立派な西部劇になりそうな景色でした。
私自身が大の西部劇ファンだったせいもありますが、最近はそれもほとんど見られなくなり、淋しい限りです。

西部劇2

西部劇6

酔狂なアメリカ人

メリカ横断ウルトラクイズで、アメリカ各地を走り回って楽しいネタを探すロケハンでは、奇妙な物を見つける事があります。
ニューメキシコ州にサンタフェという素敵な街があります。
宮沢りえさんのヘアヌード写真集で一躍有名になったこの街は、メキシコの文化が色濃く反映されていて、アメリカでは芸術の街として知られていて、街のメイン通りはメキシコ風の建物が多く、インディアン系の手芸品なども多く売られていました。
↓サンタフェ

Santa_Fe

Santa_Fe2

サンタフェは広い平原の中に忽然と現れたような街ですが、この街で聞き込んだ話で、近くの畑にピンクのキャデラックがズラリと埋められている場所があるというのです。
がどんな目的でそのような行動に出たのか、理由は解りませんが、何はともあれ実物を確かめようと現地に向かいました。
不確かな記憶ですが、サンタフェから車で2~3時間は走ったように思います。
見渡す限り畑のど真ん中とも言うべき場所に、目的のキャデラックがありました。

かにピンクのキャデラックが10台ほど、立てかけるような形で土の中に埋められていました。
ピンクのキャデラックと言えば、或る時期アメリカでは成功者の象徴のような存在でした。
例えば、あのエルビス・プレスリーが歌手として大成功した時に、大好きだった母親へのプレゼントとしてピンクのキャデラックを贈った話は、当時の若者の間では有名なエピソードとして伝えられています。
その車はプレスリーの豪邸に今でも展示されていますので、多くのプレスリー・ファンにはお馴染みの車と言っても良いでしょう。
しかし、埋められていたキャデラックは誰が何のために埋めたのか、近くに説明の看板でもあるかと思って探したのですが、手懸りはありません。
近くに住宅でもあれば調査もできるのでしょうが、見渡す限りがでその場で働いている農夫らしき人も見当たりません。

キャディラック

通は何かの宣伝のためとか、話題になって取り上げて欲しいとか、芸術的な目的があるとか、何か理由があるとは思ったのですが、私達の限られた日程の中では真実を掴むことが出来ませんでした。
とても面白い光景だとは思ったのですが、この場所をクイズ地にすると言うほどのアイディアも浮かんで来ず、残念ながらロケ地としてはパスとなってしまったのです。
確かその頃、不要の長物を「トマソン現象」と呼んで流行語になっていましたが、まさにアメリカ版のトマソン現象だったのかもしれません。
※トマソン現象は、巨人に元大リーガーの大砲として、期待されて入団したトマソンという選手が、期待外れだったところから、不要の長物としてそのように呼ばれたのです。

膨らんでいく荷物

メリカ横断ウルトラクイズは、毎年1ヶ月近いスケジュールで行なわれます。
飛行機のオーバーエクセスを考えると、費用の節約からスタッフ、出場者共にスーツケースは1人1個と決められています。
の間に改まった服装をするのは、出場者が決勝戦に望む時だけで、スタッフは特別正装の必要は無いのですが、格セクションのチーフともなると、何時どのような場面に出会うかも知れません。
一応ジャケットとネクタイくらいはスーツケースの片隅に寝かせておく必要があります。
年本番は9月の陽気の良い時期だったので、普段はTシャツかトレーナーにGパンといった楽な格好で過ごすので、楽といえば楽なほうだったでしょうね。
しかし、コースによっては寒暖の変化が多いコースに当たる場合があります。
えば、第7回のコースで振り返って見ましょう。
グアム、ハワイは常夏の世界ですからTシャツでOKです。
夕方寒さを感じれば、全員に配布されているお揃いのスタッフジャンパーを羽織れば充分です。
ころが、次のチェックポイントはカナダのバンクーバーになりました。
会場となったのはカナダの森の中で、そろそろ紅葉も始まる季節でした。
常夏のハワイとの気温差は20℃、流石にTシャツだけでは寒いので、トレーナーを羽織ったり、セーターを出す人もいます。
勿論、これらの衣装は、自分のスーツケースから引き出すわけです。
特に女性挑戦者テレビ写りの事も考えますから、組み合わせに苦心する事になってしまいます。
首にバンダナを巻いたり、周囲のお店で帽子を買ったり、それぞれが工夫を凝らすのは別の楽しみだったかもしれません。
ンクーバーが終わって、次は同じカナダのジャスパーに移動しなければなりません。
ジャスパーはカナディアンロッキーの北のリゾート地として知られています。
ハワイが、バンクーバーが、そしてジャスパーは真冬なのです。
何しろクイズ会場は大きな雪上車でなければ行けないような、コロンビア大氷河なんですから、辺りの気温だって当然氷点下です。
↓ハワイ

ハワイ

↓ジャスパー氷河

ジャスパー氷河

たちはロケハンで約3ヶ月前に来ていますので、寒さも経験済みですから、バンクーバーのショッピング・センターで防寒着と厚手の手袋を買っています。
勿論、他のスタッフにも、その情報を流していますので、彼らも寒さ対策はしているのですが、履物までは手が廻りません。
そんな時には番組の予算で長靴を大量に購入して、全員に配布するといった工夫もしました。何故なら個人が長靴など買ってしまっては、スーツケースにしまって運ぶのが大変だから。
その辺の気配りはロケーション・マネージャーの手腕にかかっています。

ジャスパー氷河2

などは、都会と田舎の町では履く靴も変えたり、結構気を使っていたので、毎日スーツケースに荷物を詰め組むのに、苦心賛嘆した物でした。
しかも、行く先々に有名メーカーのアウトレットがあったものですから、軽薄にも新しいシャツやジャンパーを見つけるとすぐに欲しくなって、次々と衣装が増えて、ニューヨークに着いたときには、別便で荷物を送るような馬鹿な真似をしていました。
れでも、当時は外国で品物を買うと、税金だけでなく、日本で買うよりもかなり安く手に入る事が出来たのでした。
何しろウルトラクイズの時代はバブル全盛の時代で、私なども必用以上にブランド物に目移りしていて、若さゆえの流行り病のようなものですかね。

局、スーツケース1つで出発した筈なのに、帰ってくる頃にはそれが2個、3個、と増えていました。

「長幼の序」が合言葉

メリカ横断ウルトラクイズでは、100人近いスタッフが凡そ1ヶ月近い旅を共にします。
テレビ制作の現場というものは、一般的に個性の強い人間の集まりでもあり、自己主張をすればキリが無いくらい、それぞれが言いたい事を主張します。
テレビの番組を作る、という目的は一緒ですが、仕事の内容は全く異なる人達の集まりですから、普通なら意見の衝突も在れば、喧嘩になるような緊迫した状態になるのは日常茶飯事といっても過言ではありません。
意見が噛み合わなければ、当然衝突が起こると言うべきでしょう。
ころが、ウルトラクイズの旅の歴史を振り返ってみると、スタッフ同士が喧嘩をしたり、いがみ合ったりという記憶が無いほど、全員が和気アイアイと毎年旅を続けて来ました。
このような大所帯で、毎年揉め事も無く、旅が続けられた理由は奇跡とも言えますが、実はスタッフ全体に浸透していた、ある言葉のお陰なのです。
れは「長幼の序」という言葉です。
辞書でこの言葉の意味を引くとお分かりでしょうが、孟子の教えで、年長者と年少者の間にある秩序の事なのです。
即ち、子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむ、という有り難い教えです。
つまり、この精神を第一条件にして事に当たれば、無駄な揉め事で衝突をする必要はない、という意味なんですね。
いって、年長者が常に威張って自分達の意見を下に押し付けるような事ではありません。
むしろ年長者は年少者を慈しむ気持ちで、若者の意見も良く取り入れ、話合いも良く行なわれていたのです。

ウルトラスタッフ3

論、毎日が団体行動ですから、先輩が後輩に教えることも沢山有ります。
言い方を変えると「後輩を仕込む」という言葉になりますが、何時の時代も先輩の教えには、しごきが付き物で、そのようなしごきがあったからこそ、毎年立派なスタッフが育ったものと言えるでしょうね。

ウルトラスタッフ2

た、ウルトラクイズのスタッフは、毎年同じメンバーが参加するようになっていました。
ですから、いちいち言葉で説明しなくても「長幼の序」の伝統は守られていて、自然に長老の意見には従うという伝統が出来上がっていたのです。
もっとも誤解の無いように言いますと、長老といっても、せいぜい四十代の後半くらいが、長老と呼ばれる年代でした。
つまり、まだ皆が若く、長老達にも力があったので、若者たちは長老の顔を立ててくれたものと思われます。

ウルトラスタッフ