クイズ研究会

メリカ横断ウルトラクイズは、放送当時、社会に様々な影響を及ぼしていました。
それだけ注目された番組だったわけで、関係者としては勲章を戴いたような有難い事でした。
その中に、多くの大学に「クイズ研究会」というサークルが誕生したのも、ウルトラクイズの影響もあったかと思います。
私たちスタッフは、クイズに興味を持った人が増えるのは大歓迎で、特に東京ドームの第一次予選には、各大学のクイズ研の幟が沢山立てられて、お祭り気分を盛り上げてくれました。

後楽園予選

間伝えられるでは、ウルトラクイズのスタッフはクイズ研を嫌っていた、という話を聞いたのですが、決してそのような事実はありません。
むしろ感謝こそすれ、大切なクイズファンを嫌ったり、警戒したりなどありえないのです。
だ、各大学のクイズ研は、毎年自分達でタイムリーなクイズ問題を作って、ウルトラクイズへのシュミレーションを重ねていたのは想像出来ます。
特に第一問の自由の女神に関する問題などは、クイズ研がどのような問題を作っていたのか、大変興味がありました。
でも、予想通りの問題だったという話は、どこのクイズ研からも聞こえてこないので、予想が当たったという事は無かったのでしょうね。
年のことながら、クイズ研の人達が勝ち残ると、タイムリーな問題の正解率は確かに高かったように思います。
ですから、或る意味では我々の問題制作スタッフと、クイズ研との問題制作の戦いだったような気分もありました。
とはいえ、ウルトラクイズは一部のクイズマニアだけの番組ではない、と声高に発言していた関係者もいましたので、それが巡り巡ってクイズ研を嫌っていた、というように誤解を生んだのかもしれません。

ロケを妨害した失敗

メリカ横断ウルトラクイズに参加した17年間。
私はロケ、ロケハンと多くの場面に参加し、番組作りをやってきました。
その中で失敗は無いように、気を配った心算ですが、避けられない出来事もあったのです。
あれは第8回でグアムを訪れた時の事でした。
の年の7月頃、私はロケハンでアメリカへ行ってたのですが、最後の頃に風邪を惹いてセキが止らなくなったのです。
帰国後、病院で診察を受けたところ、マイコプラズマ肺炎と言う診断を受けてしまったのです。
勿論、即入院ということでロケ出発の準備をしばらく離れる事になってしまいました。
予定の退院日をそのまま守っていては、ロケ出発に間に合いません。
そこで、医師に相談し、予定を何日か早めてもらい、退院の翌日にロケに参加するという綱渡りをやりました。
スタッフは心配して、旅の途中で追いついたら良いのでは、と薦めてくれましたがそんな忠告も振り切って、止せば良いのに最初からロケに参加しました。
昼間は大したことが無いのですが、夜になるとまだ、ゴホン、ゴホンとセキが出てしまうのです。
そんな最中に、グアムとんでもないクイズが仕掛けられたのでした。
 
例の○×泥んこクイズが終って、25人の勝者たちが安心してコテージのベッドに入り、眠りに付いたのが午前2時です。
悪魔のようなウルトラスタッフは着々と次なる落とし穴を準備していました。
題して「時差ぼけ調整、暁の奇襲作戦、敗者たらい回しクイズ」です。
長ったらしい題名の割りに、ルールは簡単にして単純。
2人1組で泊まっているコテージを急襲、寝ぼけ眼の2人の挑戦者に早押しクイズを出題するのです。勝てばそのままベッドで夢の続きを見ることが許され、負ければ荷物をまとめて、次のコテージへ移動しなければなりません。
眠っている2人と計3人で早押しクイズを行なうのです。
そこで負けた1人がまた次のコテージへたらい回しされ、最後の1人が敗者になるという意地の悪いルールです。

奇襲クイズ3

んなが寝静まった静寂なコテージを、スタッフが忍び足でグルグルとコテージを回っている最中です。

奇襲クイズ1

判定担当の私も忍び足で歩いているのですが、突然ゴホン、ゴホンとセキが出てしまうのです。
騒音で挑戦者が目を覚ましてしまったら、クイズは成立しません。
だから、スタッフが、シーッ!と私を制止するように睨み付けるのですが、セキは止るどころか、激しくなるばかりです。
私は謝りながら、付いて行こうとしますが、緊張すると更に酷い状況になってしまいます。
といってクイズ判定の係りが居なくては、ロケが続けられません。
もう駄目!
と限界が来たところで、他の人にバトンタッチして逃げ帰りましたが、しばし撮影を中断させる、という迷惑をかけてしまいました。
今でこそ笑い話ですが、セキを我慢するというのは辛いものですよ。
良い気持ちで眠っていたところを、突然起こされてクイズを出された挑戦者も迷惑したでしょうが、その陰で私も苦しい体験をしていたのでした。

司会の高島忠夫さんは気配りの人

メリカ横断ウルトラクイズの司会者は?
このようなクイズ問題が出たとします。
一般には福留さんという答えが多いでしょうね。
でも、番組の司会者は高島忠夫さんと石川牧子さんが正解です。
福留さんは、現地リポーターという立場で、クイズ問題を出題しながらアメリカ各地を旅をする係りなのです。
でも、番組の顔として人気があったので、福留さんの番組と思われている方が多いのも事実でしょうね。
でも、ウルトラクイズ司会者は高島忠夫さんなのです。

こで、今日はスタジオ部分を担当した高島さんの事を書いてみたいと思います。
本来、高島さんは映画スターだった方ですから、番組の司会者としてがありますよね。
それに陽気で親しみが持てるキャラクターなので、番組全体が明るく展開して行く効果を出せる方でした。
ゲームで敗者がひどい罰を受けても、それを笑って済ませるように運んでしまうのは高島さんと石川さんの軽妙な会話でした。
結果的に言えば、このスタジオでの絶妙なやりとりが番組を牽引していたのですが、そのような評価をあまり聞かないのは残念なことでした。
島さんはベテラン俳優だけにスタジオでも、周囲に気を配り、スタッフを笑わせながら楽しい雰囲気を作るのが得意でした。
中でも忘れられないのは、毎年「差し入れ」といって高島さんが必ず届けてくれた食べ物があるのです。
それは有名店の「茶巾寿司」でした。
因みに茶巾寿司とは、五目鮨を薄焼き玉子で包み、干ぴょうや細昆布で縛ったものです。
収録時のスタジオには、PやDの他、カメラマン、照明マン、音声、セット関係など沢山のスタッフが居りますが、全員に行き渡るような大量の差し入れを毎年届けてくれたのです。
だから今でも茶巾寿司を見ると、ウルトラクイズのスタジオ収録が思い出され、懐かしむのは、私だけではないはずです。
多分、ウルトラクイズのスタッフの大半が、私と同じような思い出を持った事と思います。

スタジオ

ウルトラクイズの優勝者は凄い人達でした

メリカ横断ウルトラクイズチャンピオンは、17大会あったわけですから正確には17人います。
思い出すとそれぞれの回で頂点に立った人達ですから、クイズの実力は半端なものではありません。
良く受ける質問ですが、
「その中で1番強いのは誰ですか?」
と聞かれる事があります。
でも、私はそのような質問に答える事はありません。
毎回、優勝する人の実力には感嘆するばかりで、甲乙を付けられる訳が無いからです。
それらの人を一堂に集めてチャンピオン大会でもやれば、実力がハッキリするのでしょうが、日本テレビでは、そのような番組を作る気配はありません。
ころが……
TBSでそのような番組があるのですね。
今年も1月8日(火)に放送がありました。

TBS

して「超人気クイズ番組、王座決定戦。THEクイズ神」がその番組でした。
このブログをご覧の方は、クイズ好きの皆さんだと思いますので、ご覧になった人も多いと思います。
その前に、永い事年賀状をやり取りしていた第13回の優勝者、長戸勇人さんから今年も年賀状を戴きました。
文面に
「ここへ来てウルトラクイズ絡みのイベントや仕事がいろいろあります」
との便りがありました。
なるほど、今年も彼が「THEクイズ神」に出場するのだな、と思い当日チャンネルをTBSに合わせて待ちました。
組が始まると、予想通り彼の顔がテレビでアップで映し出され、なんだか身内が番組に出ているような楽しい気分になりました。
今回の放送では、彼は優勝候補として紹介されていました。
確かに彼の知識は並外れていたので、それもあって当然といえるでしょう。
各テレビ局の人気クイズ番組の優勝者が出演していたのですが、我がウルトラクイズからは、13回の優勝者長戸さんの他、15回の能勢一幸さん、16回の田中健一さんと三人の方が出演していました。
過去に一ヵ月も一緒に旅をした仲間みたいな感覚です。
ずれも、ウルトラクイズに出ていた時には、強いという印象では甲乙付けがたい優れた人材ばかりでした。
私は身内を応援する気分で、久々に面白いクイズ番組を堪能させてもらう事が出来ました。
残念ながら、長戸さんは途中で敗退して番狂わせな展開になってしまいましたが、それにしても相変わらず知識は旺盛で、現役バリバリなのにびっくりさせられました。
能勢さん、田中さん共に善戦して、結果は田中さんが準優勝という成績でしたが、彼はウルトラクイズの優勝者という身分を隠し、地方予選で勝ち抜いて決勝戦まで上って来たそうです。
そらく多くの視聴者が彼の謙虚な姿勢に、好意を持たれた事でしょう。
ウルトラクイズに出演した時には、長戸さんが24歳の大学生、能勢さんが22歳で公務員、田中さんが22歳で大学生と皆さん若々しい青年でしたが、それぞれ47歳、44歳、42歳と年を重ね、立派な社会人として活躍されていますが、クイズへの情熱は全く衰えていないのに、頭が下がる思いです。
メリカ横断ウルトラクイズは、とうの昔に終わった番組とはいえ、本当に凄い挑戦者に支えられて、人気番組として歩んだものだと感謝しています。

イギリス人は記録好き

メリカ横断ウルトラクイズが、アメリカ大陸を突き抜けて、他の国へ行った事は何度かありました。
その最初のケースは第9回の時でした。
ニューヨークを突き抜けて、大西洋を渡りイギリスへ入国したのです。
ギリスと言えば紳士の国、人々もマナーに煩く、真面目でお堅い人ばかりという印象でロンドンの街に入ったのです。

ロンドン

かし、聞くと見るとでは大違い。
イギリス人お茶目振りには、仰天される事が実に多かったのを思い出します。
それは、ドーバーで行なわれたゲストクイズへの、登場者を見れば歴然とします。
ゲストクイズに現れた人達は、皆さん世界一の記録を持つ方々だったのです。
そういえば、世界一を集めたギネスブックが生まれたのもイギリスでしたよね。
ウルトラクイズの問題でも、問題制作者が多分最初に目をつけた参考資料がギネスブックだったように思います。

ギネスブック

も、我々はギネスブックから安易にネタを拾っても、クイズ問題として採用する事は少ない、という姿勢を打ち出していました。
ですから、問題制作者も出展を記入する欄に書き難く、出展ギネスブックというのは少なかったのですが、皆無と言うわけではありません。
たとえ出展がギネスであっても、タイムリーな話題性と、切り口が面白ければ充分問題になります。
話をイギリス人のお茶目ぶりに戻しましょう。
ゲストクイズに登場した人達の、世界一の記録は以下の通りでした。
○タイツの中にネズミを入れる世界一記録保持者。
この人の職業はネズミ捕獲業者で、パーティーで、曲に合わせてストリッパーの要領で踊りながらやったら馬鹿受けしたので、病み付きになったのだと言います。
○長靴にカスタード・クリームを入れて走るレースの世界チャンピオン。
因みに1マイルを5分42秒で走ったと自慢していました。
○1度に火の点いた25本の葉巻を銜えられる。大量の葉巻を銜えて吸う世界チャンピオン。
○その他、
鼻の頭でグリーン・ピースを転がすレースの世界一。
ビールを早飲みする。
パンを早食いする。

といったように、イギリスではそのような馬鹿馬鹿しい事を競う大会が毎年行なわれ、世界一を決めているのだそうです。
リンピックで世界一を目指す人は世界中に沢山いますが、このように何の得にもならないような、馬鹿馬鹿しいナンセンスな競技が毎年行なわれ、世界チャンピオンが誕生しているというのも、あの高貴な女王様のお国とは思えない話ですよね。
誰だって世界で1番となれば、頑張りたくなる、そんな心理を上手くまとめたのがギネスブックだったんですね。
ういえば、記録が好きなイギリス人らしいエピソードがありました。
イギリスのロケを終えて、次のロケ地フランスに向かう時です。
空港で、我々の荷物検査に延々と時間がかかったのです。
幾らなんでも時間がかかりすぎるので、その理由を調べました。
テレビの撮影機材は、カルネといって入国、出国の度に輸入、輸出をするという方式を取るのですが、普通はアトランダムに幾つかの箱を開けて、それが合っていれば検査合格という形で通過できるのです。
ころが、イギリスでは全てのケースを開けて、機材の品番と書類が合致しているかどうかを1つ1つ点検していたのです。
撮影機材は100個以上のケースに収められていて、それを全部照合しているのですから、短時間では不可能な作業です。
勤勉といえば勤勉なのですが、記録をしっかり確かめるという意味では、イギリス人の几帳面さを身をもって体験させられた出来事でした。
当然、飛行機は大幅に遅延し、他のお客様に大迷惑をかけてしまったのでした。