嫌われた?作家チームの荷物

メリカ横断ウルトラクイズの旅では、沢山の荷物がスタッフと一緒に旅をしました。
このブログでも荷物については、何度か触れた事がありますが、100個以上はあったジュラルミン・ケースには、それぞれ担当部所がわかるように、色分けしたテープが張られています。
私達構成作家グループの荷物には「トマホーク」という私の会社名が書き込まれていました。
そのようなジュラルミン・ケースが大中小と、5~6個は含まれていました。

↓当時のジュラルミン・ケースはまだ現役です。

スーツケース2

スーツケース

物を運ぶのは、スタッフ全員が協力する事になっていました。
だから、手を保護する意味で作業用の皮の手袋を個々に用意して、みんなで汗を流し、これもチームワークを結束させる良い機会だったと思います。
空港ではターンテーブルから、ロビーを経由してバスまで、バスがホテルに付くとバスからロビーまで、これが作業の流れです。
この間、担当セクション毎に荷物の個数をチェックして、数が合わなければ先へ進めないシステムになっていました。

この荷物運びの作業で、我々構成作家グループの荷物は「要注意」物件として、敬遠されていました。

その理由は?
他の荷物と異なって、ひときわ重いのでした。
何故かと言うと、以前にもこのブログで書いた事がありましたが、参考資料としてケースの中には各種の本をはじめ、書籍がぎっしりと詰まっていたのです。
その他、問題用紙、原稿用紙、といった類の紙類が沢山詰め込まれていました。

通の家庭でも本箱を移動したりする時に、本類はまとまると重いという経験は、皆さんもお持ちでしょう。
しかも、分厚い辞書の類が何冊も詰め込まれているのをご想像ください。
これはズシーンと重くなって、手に持った瞬間に
「なんだこれは?」
と困惑したスタッフの顔が思い浮かぶくらいです。
我々も、その辺を考慮して、中身は出来るだけ分散して詰め込み、みんなの負担にならないように気を配りをしました。
それでも、荷物を運ぶ時には、我々の荷物に手を付けないようにしているのが、何となく窺えます。
何しろ一度手に持ってしまってから、重いという理由でやめるわけにはいきませんので、触らぬ神に祟りなし心境だったのでしょうね。

これぞ、本当のお荷物だった、という事です。

外国の旅で知った歌謡曲の魅力

リカ横断ウルトラクイズでは、世界の各地をロケで回りました。

外国旅行を経験した方は多分、私達と同じような経験をしているのだと思いますが、食べ物で困る事があります。
折角他所の国へ来ているのだから、せめて旅の間は、その国の食事を食べるべきという意見の方は居ます。
でも、2、3日の旅ならそれも良いでしょうが、これが一週間、二週間と続けば話は変わってきます。

日ステーキやハンバーグ、或いはフランス料理のような豪華な食事が出されたとしても、普通の人はやがて飽きてしまいます。

「お茶漬けが食べたいなー」

お茶漬け

「味噌汁が飲みたい」

味噌汁

といったように、普段口にしている食べ物が恋しくなるのは、人として当然の欲求といえましょう。

いな事に、今や世界中の街に日本食を食べさせるお店はあります。
もっとも看板は日本食レストランと出ていても、中味は怪しいお店も結構ありますが、それはインターネットで調べれば、かなり正確に情報が取れます。
正にインターネットというのは、現代人はに欠かせない神器と言えますね。

話を日本食のレストランに戻します。
アメリカでもそうですが、ブラジルやアルゼンチン、メキシコなどの日本食の店を見つけると、我々は必ず寄ってみる事にしたのです。
これ等のお店は、共通の印象として、10年から20年くらい、時代が遡った感じがするのです。
お店の女将さんは勿論日本人で、はるばるやって来た我々を歓迎してくるのはいつものパターンです。
これが嬉しくて寄るのですがね。

ルゼンチンでは、カマスの一夜干しを出されて感激した事もありました。
また、このようなお店では、豆腐納豆なども当たり前のように揃っています。
このようなお店に入ると、小さな音量で日本の懐かしい歌謡曲が流れていたりします。
昭和30年代、40年代に大流行した歌となれば、どうしても演歌が中心になってしまいます。
遠く淋しい異国の町で、微かに聞こえてくる古賀メロディは琴線をゆさぶる効果は抜群です。
思えば演歌は、悲しい別れや恋を歌ったものが多いですね。
舞台は夜汽車の中、北の国、淋しい海峡、といったように遠く日本を離れている我が身にピッタリ来るような状況なのです。

かも、カウンターでチビリチビリと日本酒など飲んでいたら、まるで自分が歌の世界の主人公になったような錯覚さえ起しかねません。
そのような効果を狙っているのか、どのお店でも懐かしの歌謡曲が流れていたような気がします。

私自身、その昔は音楽番組を多数手掛けていたので、個人的には好きな歌もありましたが、といってそれまでロケやロケハンで歌謡曲のテープやCDを持ち歩いた事はなかったのです。
ところが、最果てのお店で歌謡曲に接し、その魅力を再発見したのでした。

の結果、第14回大陸横断バスの旅をする際に、何枚かのCDを持っていって聞いてみたのです。
すると、何も見えない荒野のドライブで聞く演歌は、これほど心に沁みこむ歌詞であったか、と驚きました。

荒涼としたハイウェイ

早速、若い放送作家に勧めたところ、
「ええっ、八代亜紀ですか!」
と最初は馬鹿にした様子でしたが、いざ、それを聞いているうちに、
「もっと他のCDはないのですか?」
とすっかり演歌の虜になってしまったのでした。
そう言えば、八代亜紀はトラック運転手のアイドルという話を聞いた事がありましたが、深夜一人でハンドルを握っている彼らの心情に響くものがあるのでしょうね。

矢代亜紀

その後、日本に帰ってきてから彼らの音楽の趣向が変わったと言う話は聞いていませんが、しかし、
「歌謡曲は淋しい旅先で聞くに限る」
というのが本日の結論です。

ロケの打ち上げは和食店が恒例だった

メリカ横断ウルトラクイズのロケーションは、毎年1ヶ月の旅になっていました。このブログでも何度も書きましたが、普通の生活のペースで考えると、超が付くほどハードスケジュールですが、音を上げて途中でリタイアしたスタッフは、1人も居ませんでした。

時にはAD(アシスタント・ディレクター)が脱走するのではないかと、心配するくらい精神的に限界に近づいていた時もありましたが、17年間で1人も脱落者が出なかったのは幸いでした。


の厳しいロケの最後は、毎年ニューヨークで行われたロケの打ち上げ食事会でした。
どのように厳しい時でも、間もなく打ち上げの日が来るという希望があったから、みんな頑張れたような気がします。

その打ち上げは、ニューヨークの和食店というのが、お決まりのコースになっていました。

ニューヨークには数多くのレストランがあって、スタッフにはそれぞれ行きつけのお店もあるのですが、何故か打上は同じ店になっていました。
 

打ち上げ1

ッキリ言って、和食のお店は、他のレストランに比べると単価が高いのです。
私は気の合ったメンバーで、良く焼肉屋、イタリアン、中華などのお店に通ったものですが、それらのお店に比べて、3割以上高かったように記憶しています。

ですから時にはお店を替えようか?
と提案したこともありましたが、みんなは和食に飢えているのでしょうね。

希望を取ると、やっぱりこのお店に落着いてしまうのです。

 こでは無礼講好きな物を各人が注文して良いという決まりです。

ある年、良く監察したら「マツタケの土瓶蒸し」「フグの刺身」「あんこう鍋」「金目鯛の煮付け」と高価な料理のオンパレード!

これでは高額な支払いになるのも無理はありません。


費は制作費から出るのですから、
1人遠慮する人間などいるはずがありません。
従って毎年有名和食店の高級料理で打上をするのが恒例になっていたのでした。

ここでは、食事の後にその年に頑張ったスタッフの表彰という行事がありました。
これは例年、初参加のアシスタントのスタッフが慰労の意味でもらうようになっていたように記憶しています。

表彰状と共に金一封が送られましたが、そのお金は二次会で、先輩達に巻き上げられるというのが例年の流れでした。


々は、打上のメインイベントとして、現金争奪ジャンケン大会というのをやっていました。

勿論、進行は福留さんです。

最初に、警察、検察関係者が紛れ込んでいない事を確認してゲームは開始されたのです。

何しろ、現金争奪というだけあって賭博性の高いゲームなので、細心の配慮が必要なのは、マスメディアの務めと心得たのでしょう。

現実は家庭内の賭けマージャンのようなものですがね。


初は1ドル札を握って参加する訳で、勝った人間は2ドルを持っている同志で戦います。
2ドルが4ドル、4ドルが8ドルと増えていきますが、負けても途中でお金をプラスして出しさえすれば、何回でもジャンケンに参加できるというルールです。

福留さんのお得意の煽りに乗せられて、負けず嫌いな人間は何回でも挑戦するので、合計金額はどんどん膨らんで行く事になります。

毎年最後の決勝では、200ドルとか300ドルに跳ね上がり、それに待ったをかけて更に挑戦するギャンブラーも居ました。


い旅のストレスを思えば、最後にやけっぱちになっていたのでしょうかね。

でも、これが無いと終った気がしないという、ウルトラ・スタッフのお決まりの楽しみだったのです。

打ち上げ2

西部劇の世界へ、ゴーストタウンの思い出

メリカ横断ウルトラクイズでは、よく西部劇の舞台を訪れました。

特にその色が濃く出ていたのが、第6回だったように思います。
最初にその世界に入ったのは、第7チェックポイントのバーストウでした。

ゴーストタウン2


こはロスから車で3時間ほど走ったモハベ砂漠の中にある、バーストウのゴーストタウン、キャリコです。
1,811年と言いますから今から200年ほど前の事、この街は銀の鉱山として栄えた事があったのだそうです。
ところが銀の暴落という不運に見舞われて、わずか15年で死の町となってしまった訳です。

とはいえその時代は、西部開拓の真っ最中です。いわゆる我々が西部劇でお馴染みの時代だったのですね。
ですから、街に入ると映画のセットに来たような錯覚に陥りました。
今にもその辺から、馬に乗ったカウボーイが登場して来そうな雰囲気です。

メリカには、このようなゴーストタウンが数多く残っているのですが、このキャリコは観光地として、今でも多少は人々が訪れています。
ですからお土産屋さんも何軒かあって、日本でいうと江戸時代の宿場町のようなもんでしょうね。

日本のそのような場所では、刀の玩具や、旅人が愛用した道中合羽、三度笠といったものが定番商品ですが、アメリカでも拳銃、テンガロン・ハット、インディアンの酋長の被る羽飾り、といった西部劇グッズが売られていました。

その他、指輪やペンダントといったインディアン・クラフトが数多く店先に並んでいましたが、観光地のお土産はどこも同じようなもんですね。
私はここで、インディアンの戦士が使っていたトマホーク(石の斧)のレプリカを買い求め、永い事、仕事部屋に飾って置いた事があります。

↓買い求めた石斧(トマホーク)です

トマホーク

の回は、次の第8チェックポイントがモニュメント・バレー。
第9チェックポイントが、ダラスとそれぞれ西部劇でお馴染みの景色が続きました。
今、日本では廃墟となってしまうような寂れた集落があの手、この手で町興しをしていますが、アメリカのゴーストタウンを思い返すと、すでにアメリカでもこのような1度は「死の街」になった場所を、歴史的な意味合いを持たせて再生していたのでした。

ウルトラクイズでは、このような稀少な場所を探しながら、旅を続けていたので、その辺が視聴者の共感を得ていたのだと思います。

ゴーストタウン1

 

ピンポン、ブーの難しさ

メリカ横断ウルトラクイズから出た流行語?に、「ピンポーン」「ブー」と言うのがあります。
説明の余地もありませんが、正しければピンポーン、間違っていればブーという判定音から来たもので、普通の会話でも良く使われたりします。
クイズの最中にこの判定音を出すのは、クイズ問題担当者の私の役目でした。

×の印が付いたボタンを押すだけですから、難しい作業ではありません。
誰がやっても大差はないのですが、5秒という制限時間内に答えれば、問題は起きません。
だから、通常はストップウオッチで計りながら、判定音を出していました。

ところが時には1秒くらい待ってしまう事があるのです。
つまり、挑戦者が迷っていて、回答ボタンを押すタイミングが遅れた場合です。
れを全部NGにしてしまうと、挑戦者が警戒して早とちりするようになってしまいます。

つまり、問題の途中で回答ボタンを押して、最後まで聞けば解るような易しい問題を誤答する、などという事が起きてしまうのです。
そのようなクイズの流れを計算しながら、判定するのも私の役目でした。

ピンポン

イズ問題の正、誤を判定するのは難しい事ではありませんが、我々を泣かせるクイズ形式もありました。
それは1問多答クイズという形式です。
この形式は何度も行なわれていますが、例えば第10回ハワイで行なわれた時の例でご説明します。

常、1問多答クイズはチーム戦で行なわれます。
幾つかのチーム分けがあって、チーム全員が正解した時に、全員が勝ち抜けるという方式でした。
即ち、答えが沢山あって、それをチームの全員が全問正解すれば良いと言う事ですね。
ハワイの時は7人でチームを組みました。ですから7人が正解しなければ、1人誤答しただけで、全員が元に戻ってしまうのです。

問題例
問・日本でのかつての月の呼び方。1月から12月までの事を旧暦で何と呼んだ?
問・県名と県庁の所在地が同じ県は全部で26。その県は?

といった問題に次々と答えが出されます。

れの正誤を瞬時に判断して、ピンポーン、ブーの判定を出さなければなりません。
瞬間に解れば良いのですが、答えが全て頭に入っているわけではありませんから、この作業を1人で受け持つのには無理があります。

そこで、我々はあ・い・う・え・お順で答えの1欄表を作り、3人係りで指で正解を示しながら、判定ボタンを押していました。
 
には寅さん映画「男はつらいよ」で、マドンナの役を演じた女優は?などという問題もあり、31人の女優さんの名前を書いた1欄表を見ながら、必死で正解を探した事もありました。

寅さん映画の第1作で、マドンナを演じた光本幸子さんの訃報を最近聞いたばかりですが、時の流れは無常なものですね。

ところで、若しかすると、この1問多答クイズは審査員の慌てぶりをカメラに収め、メイキングを放送しても面白かったかも知れません。
そのくらい、裏側ではドタバタしていたのでした。