謎のネズミ男とは?

メリカ横断ウルトラ・クイズのスタッフの中で、私が最も長く1緒に仕事をしたのは、日本テレビのディレクター、K氏でした。
ウルトラ・クイズのスタッフだった人間で、現在も現役で日本テレビに在籍しているのは、多分このK氏だけでは無いかと思われます。
先日、このブログの事もあるので、久しぶりにK氏と面談し、当時の思い出話をしてきました。
K氏とは、長年に亘りロケ、ロケハンと1年の内2ヶ月近く一緒に旅をした仲間で、一種の戦友的な感情があります。

にも、このブログで何回かK氏の絡んだエピソードを紹介した事がありますが、彼こそウルトラ・クイズと共にテレビ界を歩んだ生粋のテレビマンで、この番組を語る時に、彼を抜きには考えられないほど番組にとっては重要な人物でした。
その彼と、当時も今も、時々思い出す不思議な人物がいます。
お酒を飲んで酔った時には、何故か、同時に思い出す風景ですが、我々は「ネズミ男」事件と名付けています。

確かあれは12回のロケハンの時、サンフランシスコからパシフィカというリゾート地に向かって車を走らせていました。

ハイウェイ2

単調なハイウェイを走っていると、後方から、派手なオープンカーが猛スピードで我々の車を追い抜こうと迫ってきました。
バックミラーで、その車を確認したコーディネーターが、「ワーッ!凄いスピード」と叫んだのです。
私とK氏は同時に振り返り、運転するドライバーの顔を見ました。
そして2人は顔を見合わせて
同時に一言「ネズミ男!」と同じ言葉を発したのです。
つまり、運転していた男の顔がどのように見ても「ネズミ男」の顔だったのです。
今なら、コスプレでそのような扮装をしている人間も居るかも知れませんが、その時代にそのような流行も、言葉も知りませんでした。
なのに、私とK氏が同時に同じ言葉を発したのは、どう見ても漫画のキャラクターに登場しそうな「ネズミ男」の顔だったのです。
しかも、このネズミ男は、背中を丸めて前方を見つめ、何かに取り付かれた様な雰囲気で猛スピードで走り去ったのです。
我々は一瞬白昼夢を見ているような、不思議な感覚に襲われました。

れは現実なのか、はたまた夢だったのか、K氏と私はお酒を飲んで酔っ払うと何故かこの出来事を思い出して、「あれは何だったんだろう?」と話が盛り上がるのです。
いつも同じようなものを食べ、同じような場所を旅している仲間だけに、感覚が似て来ることがあるにしても、同じ幻覚を見るというのはどう考えても可笑しな出来事です。

私にとっては、ウルトラ・クイズの永い旅で体験した不思議な体験。
あのネズミ男は一体何者だったのでしょう?
K氏もネズミ男は、忘れられない思い出の上位に上げられると言っていました。
日本なら、この様な暴走行為は、取締りのネズミ捕り で捕まるのにね。

ねずみ男

シンプル・イズ・ベスト

メリカ横断ウルトラ・クイズはアメリカ各地を旅しながらクイズを行い、クイズ王を決める番組でした。
しかし、普通のクイズ番組と違うのは、単にクイズが強いだけでは駄目。
知力の他に、体力時の運、この3拍子が揃った人が優勝するような仕掛けを作ったのです。
そのクイズ形式を考えるのが、我々構成者の仕事でした。
中には理不尽とも言える意地悪な形式を考え、それをどんどん実行し、挑戦者をふるいにかけていました。
従って敗者の中には、自分の力不足を棚に上げ、クイズ形式に不満が残った人も居たように聞いています。

でも、それを百も承知で参加して居る方達は、奇抜な形式を楽しみながらクイズを戦っていました。
我々、番組の構成者も本音を明かせば、変わった形式も良いのですが、正当な早押しクイズを多用したほうが、クイズの実力者が残る可能性が高いので、その方向へ番組を持っていこうと努力していました。
しかし、これは、1歩間違えると、新形式を考えたくないからだ、と誤解されそうです。
ですから会議での発言も、そのような誤解を受けないよう、注意しながら提案していました。

押しクイズがどのくらいスッキリしているか、それを証明したのが第16回サンフランシスコのクイズでした。
サンフランシスコには何度となく訪れていますが 、過去に世界的に知名度の高いゴールデンゲート・ブリッジでクイズを行ったことがありませんでした。
ならばこの回は初の体験として、ゴールデンゲート・ブリッジをバックにクイズをやろうと言う事になりました。

GoldenGateBridge


と、なれば簡単明瞭、「2ポイント勝ち抜けの早押しクイズ」にしようと早々と提案しました。
勿論、反対派は、もっと時間を掛けて面白い形式を考えろ、と粘り強く注文が出てくるのです。しかし、我々構成者はシンプル・イズ・ベストと、最初の案を繰り返し、それを実現させました。
番組の制作会議では、担当部門の思惑も絡んで、このような綱引きが結構行われていたのです。

こでは11人の挑戦者による早押しクイズが行われました。
いずれも、難関を潜り抜けてきた挑戦者ですから、お手付き、誤答も少なく、実にテンポ良く勝敗が決まって行きました。
おそらく視聴者の皆さんも快適なテンポに、ウルトラクイズの本領を堪能なさったのではないでしょうか。

この時盛り上がったので、これからは、早押しクイズをもっと各地で多用しようと思ったのですが、時すでに遅く、この第16回をもって、一応番組が休止となってしまったのです。
この早押しクイズを、もっと早くからやっていれば、我々も少しはラクができたかもしれません。。。
正に、後の祭りです。

アメリカ人もブランドがお好き

メリカ横断ウルトラ・クイズで、アメリカ各地を旅していると、アメリカ人の気質や習慣など、面白い発見をすることがあります。
最近は、ニュースでその日の出来事があっと言う間に伝わりますので、目新しい発見をするのは難しくなりましたが、我々がウルトラ・クイズでアメリカを旅していたのは、20年、30年も昔のことだったので、目新しい発見がいろいろありました。

えば、キーウエストには何回か行きましたが、これもアメリカ人らしい大胆な発想で出来た観光地でしょうね。

キーウェスト

キーウエストはアメリカ大陸最南端の地であると同時に、文豪のヘミングウェイが住んでいた場所としても知られています。

ヘミングウェイ

それともう1つ、東海岸にあって夕日が海に沈む珍しい場所なのです。
これだけで、サンセットを見られる、と言う理由で観光客が集まってくる材料になるのです。

キーウェスト_サンセット

々フロリダ沖のカリブ海には沢山の島がありました。
アメリカ人はこの島を橋で結んで、どんどん南へつないでしまったんです。
その島の数が何と42、その最南端の島がキーウエストと言うことになります。
日本でも、瀬戸内海の島に橋を架け、四国まで車で行ける様になりましたが、アメリカ人はそれを戦前の古い時代に、実行しているのです。
マイアミからスタートして、ノンストップで走ると凡そ250km。
ガンガン飛ばして走っても3、4時間は掛かってしまう距離です。
技術がまだそれほど発達していない時代に、このような壮大な計画を立て、実行してしまう訳ですから、そのパワーに圧倒されてしまいそうです。

ミングウェイが住んだ家は、市の中心地にあってスペインのコロニアル調の2階家でした。
勿論、この地の重要な観光ポイントになっていましたが、驚いたのは庭や室内、ベランダ等に、猫が何匹も放し飼いになっていた事です。
イメージで言えば、猫屋敷と呼ばれても良いかもしれません。
しかも、この猫達、そんじょそこらのノラ猫ではありません。
実は、れっきとした「お猫さま」で、あのヘミングウェイが飼っていた猫の子孫なのだそうです。

ヘミングウェイと猫

そのくらい、由緒あるお猫さまですから、欲しいと希望する人もいるらしく、そのような人には分けてくれるのだそうです。
但し、当時の情報では、希望者多数に付き、5年待ちとの事でした。
やっぱり、ヘミングウェイというブランドが、そのような状況を生んでいたのでしょうね。

日本では夏目漱石が飼っていた猫の子孫はどうなったのでしょうね。
もし、発見できたら「我輩は猫である」のモデルの子孫猫  として大変なブランドになりそう。
「夏目漱石記念館」というものを設立予定という話を聞きました。
そこにも猫が沢山いたら話題になりそうな気がしますね。

夏目漱石

恒例を覆すアイディアを出せ

メリカ横断ウルトラクイズの企画会議では、時として無理難題としか思えないような課題が出される事があります。
普通の常識では考えられないアイディアが喜ばれる風潮があり、構成作家に対して、ディレクターがイメージで注文を出す事が多いのです。
そのような中で、
「泥んこクイズで、泥のプールに飛び込んだ人が喜ぶ場面を作りたい」
という、まるで普段の逆のパターンを考えてくれと言うのです。

泥んこクイズ4


確かに、視聴者にすれば、泥んこに飛び込んで、喜ぶ姿は奇妙だが、 面白い場面かもしれません。
正に常識を裏切る場面で、「そのような事があっても良いのかなあ」といった考えが一瞬の間、頭を横切ります。
でも、ウルトラ・クイズの視聴者は、泥んこになった人が悔しがる姿が面白い、という人が圧倒的に多いので、「そんなの無理!」と我々構成者は拒否の態度を示しました。

れでも諦めないディレクターが、執念深く会議の度に同じ注文を出すので、我々も考えました。
通常のクイズでは無理だが、若しかして、敗者復活なら許されるかもしれない、と妥協案を出したのです。
ご存知のように、ウルトラ・クイズのグアム名物になった○×泥んこクイズは、正解者、誤答者が何人になるのか予想が付きません。
しかし、次のチェック・ポイントに進める人数は最初から決められていて、その数になるまで現場で調整のクイズが行われているのです。

この模様は編集でカットされる事もありましたが、敗者復活戦という形で放送される事も度々ありました。
だから、その中で試しにやってみようという案で納得させたのです。
それは第13回グアムで実現しました。

内400問ペーパー・クイズに挑戦したのはジャンケンに勝った人と敗者復活した55名。
その内15名がグアムの地を踏む事も無く即日帰国の運命になっていました。
だから、○×泥んこクイズに挑戦したのは40名の皆さんでした。
このうち、グアムを通過して次に進めるのは25人です。
予定では15人が、泥んこになれば計算通りなのですが、実際は18人が泥まみれになってしまったのです。
そこで、敗者復活戦で3人を救う事になり、ディレクターが希望する「敗者復活、逆泥んこクイズ」が実現したのでした。

仕掛けは次のような進行になりました。
最初に負けて、泥まみれになった人間が、○×のパネルに飛び込み、正解すると泥沼にドボーン!
逆にマットに救われた人が不正解でアウトという結果です。
このため、泥に飛び込んだ人間が飛び上がって喜び、逆にマットで救われた人間が涙を流して悔しがる、そのような奇妙な場面が実現しました。

泥んこクイズ3


間の自然の心情に逆らった形式で、言い出しっぺのディレクターは満足していましたが、今考えてもこの人って、単なる「ひねくれ者」でしょ。
でも、我がウルトラ・クイズのスタッフって、そのような人が多かったのです。
私も含めてですがね。

泥んこクイズ2

最も激しいクイズの激戦は?

メリカ横断ウルトラクイズの思い出を書いていますが、その都度、皆さんからコメントをいただいています。
そして、私が驚くのは皆さんの記憶力の良さです。
思えば、20数年も前に放送された番組なのに、そのシーンを実によく覚えている方達が、このブログの読者であるという事がわかり、曖昧な思い出を書いたりすると、途端にお叱りのコメントを頂きそうで、私自身も記憶の糸をたぐるのに、今では懸命にならざるを得ません。

そのような最近の日常で、あの数々のクイズ決戦の中で、我々が驚くほど激しい戦いが行われたのは何時の事か考えてみました。
多分、読者の中には「そうそう。あれは凄かった!」と共感してくださる方も居ると思うのですが、第13回の準決勝ではなかったかと思います。

の時の挑戦者は4人の方々でした。
当時、私の手元にあった資料には、「誰が優勝しても可笑しくない」と書かれていたので、それまでの戦績を見て、いずれも素晴らしい回答を繰り返した人達だったのでした。

決勝となれば、当時は定番になっていた「通せんぼクイズ」でした。
ルールは早押しクイズで3ポイント取ると、お立ち台に進み通過クイズに挑戦出来ます。
ここで出された問題を見事に正解すれば、決勝の地に進めますが、他の挑戦者がそうはさせないとばかり、通過を阻止するように回答権があるのです。
もし、妨害に成功すれば、それまでに獲得したポイントは0に戻り、1からやり直さなければなりません。
こんなクイズ形式は誰が考えたのか、攻防が繰り返されると、クイズ問題はキリもなく数多く消費される事になります。
毎年の事ながら、通常のクイズ地の2倍から3倍のクイズ問題を用意して、本番を迎えるようにしていました。

イズ問題担当の私は、毎年決勝戦以上の緊張感を持って、本番に備えるようになっていました。
特に、この回は強い挑戦者が4人も揃っていたので、格別に緊張していた事を思い出します。
そのような中でクイズが開始されました。
悪い予感は良く当たる、と言われますが、これほどクイズ会場で緊張した勝負は無いと思われるほど、クイズの激しい応酬戦が始まりました。

現場のスタッフ達も、一体何時になったら決着が付くのか、といった顔で、一時も気が抜けぬ程の勝負が続いたのです。
この時の模様は相当に編集して、クイズ問題もカットされて放送されたのですが、それでもテレビの前の視聴者は釘付けになり、興奮した事と思います。
当然、現場のスタッフもクタクタに疲れ、撮影も中断されて、一時中休みを取ったほどです。

クイズ問題として、放送されたのは何と63問でした。
何時、果てるとも予測が付かないクイズの応酬戦!
実は前にも書いたかも知れませんが、この地はアメリカ合衆国が独立戦争で最後の戦いを行った激戦の地、ボルチモアだったのです。

ボルチモア


この戦いで勝ち抜いたのは、長戸勇人さん(当時24歳)立命館大学4年生。

もう一方は永田義彰さん(26歳)会社員のお2人。
当時のメモには13年の歴史の中で、最も激しいクイズ戦と書かれていました。
このように強い2人の決勝戦は果たしてどうなるのか?
正に、次の対戦の予告編を兼ねたような、理想的な準決勝でした。