クイズの定番、物の数え方

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、毎年数多くのクイズ問題を作ってきました。
クイズ問題を担当していた私には、良く質問される事があります。

「どうしたらクイズに強くなれるのですか?」

この質問への最高の答えはただ一つ。

「沢山勉強して、知識を蓄える事です」

これって、ちっとも面白くない当たり前の答で、だれも喜びません。
知識の豊富な人がクイズに強い、誰が考えたって当たり前過ぎます。

国に沢山誕生したクイズ研究会では、それぞれクイズに強くなるための研究や訓練が行われていた事でしょう。
それぞれが、強くなるために記憶の方法を考えたり、予想問題を作ったり、試験勉強以上に熱心に活動していた話は、伝わって来ていました。
その様な中で、定番と呼ばれるような覚え方があります。
例えば人物に関する覚え方を挙げてみましょう。

イズ問題になるような人は、その時代を代表するような活躍をした人に限ります。
従って、名前と共に業績を記憶するのは当然です。
それと共に出身地、ライバル、ニックネームなどを覚えておくと、どこから問題になっても正解への道につながります。

第8回サンフランシスコでの問題を例に考えてみましょう。

・ピアノの詩人ショパン、地動説を唱えたコペルニクス、そしてキューリー夫人の祖国は今のどこ?

・ポーランド

解説
コペルニクスはポーランドの天文学者で地動説を発表。ピアノの詩人ショパンはポーランドの作曲家。キューリー夫人は化学者で物理学者、ラジウム、ポロニウムを発見、2度もノーベル賞を受賞、夫婦で受賞など話題は豊富です。
しかし、この問題は3者の業績を全部知らなくても、正解は出せる問題でした。
誰か1人がポーランド人だと解れば、それで正解なのです。
つまり、全部の知識が無くても、一つ分かった段階で早押しボタンを押すことが出来る訳です。

同じ場所で、物の数え方の問題が続けて2問出された事がありました。

・消防署で火事の燃えた程度を表す言葉は3つ。「全焼」「部分焼」ともう一つは何?

・半焼

解説
建物の70%以上消失すると「全焼」 20%以上で70%未満が「半焼」 20%未満又は建物の収容物が焼けた場合は「部分焼」となります。

・習字に使う墨の数え方は?

・一挺、二挺

解説
数の数え方は、昔から、ろうそくなどの細長い物は挺と数えました。鉄砲、槍、鍬、鋤、三味線などがこれに当たります。
ウサギの数え方は一羽、二羽。神様の数え方は柱、と言ったように、日本語には、独特の決まり事があって、これもクイズ問題の定番と言えそうです。

うさぎ

ニューヨーク伝説の一端を

メリカ横断ウルトラ・クイズの第一声は
「ニューヨークへ行きたいかー!」
というものでした。
そして決勝の地が文字通りニューヨークでした。

自由の女神2

ニューヨークは文化、経済、政治と、あらゆる分野の中心地であり、世界一の大都市といっても過言ではありません。
芸術、ファッションといった分野でも、この地で生まれ、世界中に広がって行くというのが、一般的な流れと見られています。
従って、世界中の若者たちの憧れの地と言っても良いでしょうね。

は、このニューヨークはどの様な経緯で発展して行ったのか、簡単に説明をしてみたいと思います。
このマンハッタン島には、元々アメリカのインディアンが住んでいました。
当初、白人が入り込んだ頃には5,000人程度のインディアンだったと伝えられています。

native-americans

ヨーロッパから初めに入植したのは1614年の事でオランダ人だったそうです。
彼らはマンハッタン島の南端に、毛皮貿易のための植民地を作り、地名をニューアムステルダムと名付けました。
植民地の総裁はピーター・ミヌイットという人物で、彼は1626年にレべナ族からマンハッタン島を買い取ったのだそうです。
その時の値段が2006年の換算で、なんと1,000ドル程度の物品との交換だったと言いますから、とても正当な取引とは思えません。

西部劇に良く登場する悪い白人が言葉巧みに、素朴なインディアンを騙すというやり方に近いものでしょうね。

一説には24ドル相当のガラスのビーズで、騙し取ったという話もありますが、この話は正式には否定された伝説になっているのだそうです。

さて、その後1664年にイギリス人が街を征服するという歴史をたどっています。
この時のイギリスではジェームスⅡ世(ヨーク・アルバニー公)が王位に付いており、彼の名をとって、ニューヨークと名付けられました。
つまり、ニューアムステルダム改め、ニューヨークが誕生したという事になります。
クイズ問題的な話題としては、この都市との姉妹都市関係を知っておくと良いでしょうね。
世界の大都市が名乗りを挙げていますが、以下の10都市が姉妹関係を結んでいます。

東京、日本(1960)                ローマ、イタリア(1992) 
北京、中華人民共和国(1980)        ブタペスト、ハンガリー(1992)
マドリード、スペイン(1982)          エルサレム、イスラエル(1993)
カイロ エジプト(1982)             ロンドン、イギリス(2001)
サントドミンゴ、ドミニカ共和国(1983)    ヨハネスブルグ、
南アフリカ共和国(2003)

一番早く姉妹関係を結んだのが東京というのも、覚えておくとクイズに役立ちそうです。
また、首都でないのは? その国で人口が一番多くないのは?
など、問題の切り口に注目するのも面白そうです。
更に、パリが入っていないのも特筆出来そうです。

いずれにしてもニューヨークはクイズの問題の宝庫と言えるでしょう。

テレビ番組の制約はアメリカでもあった

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、ロケのためアメリカ各地を回りました。
テレビ番組の撮影をしていると、色んな制約があって、どこで何を撮影しても良いというものではありません。
特に現場で気を付けなければならないのは、スポンサーに関わる映像です。
例えば背景に写る広告塔などは、スポンサーのライバル会社の物が写っていたら、そのシーンは絶対に放送できません。
しかも、番組には複数のスポンサーが付いているので、それを良く理解した上で、ロケを行う、これはプロデューサー、ディレクターの最重要注意点です。

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影が無事に終わって、編集段階で気が付いたのでは取り返しが付かないので、ロケをする場合は、誰でも周囲の状況を確認してロケに入るのがプロとしての務めと言えるでしょう。

ウルトラ・クイズの場合は、場所が外国なので、それ程神経質になる事は無いのですが、大都市の場合は日本企業の看板なども多く出ていますので、取りあえず周囲を注意してから場所の設営をしていました。
その様なスポンサー絡みではないのですが、問題が起きた事がありました。

それは第15回のオーランドでの事でした。
この回から福留アナに代わって、新進アナとして注目されていた「ジャストミート」の福沢朗アナが担当になっていました。
彼は若さとフレッシュさを強調しようと、毎日着る衣装も自分で選んで持参していました。
フロリダ州オーランドでは、地元の遊園地ディズニーワールドに因んで、ミッキーマウスのTシャツを着て撮影に臨んでいました。

いよいよ本番という時に、突然現れた偉そうな外人のオジサンに、「そのシャツはダメです。別のシャツに変えなさい」とキツーイ、クレームが付いてしまったのです。
実はこのTシャツ、旅の途中に迎えた誕生祝いにスタッフから贈られたもので、ご当人も偉く気に入って普段も愛用していたシャツだったので、納得がいきません。

かし、理由を聞いてみると「そりゃそうだ!」と了解しないわけにはいきませんでした。
というのは、当日のロケ現場がディズニーワールドのライバルであるユニバーサル・スタジオだったのです。

「いくら何でも、ウチでロケをするのに、ライバル会社のトレードマークのTシャツを着る事は無いでしょ」という広報マン氏のクレームだった訳です。

お国は違うと言えども、業界人なら守るべき当然の理屈です。
勿論、我々の不注意を重々に詫びて、シャツを着替えた事は言うまでも有りません。
テレビを見ていると何気なく着ている衣装にも、業界にはそれなりの決まりがある事を、つい忘れていた我々のおおいなる反省でした。

ペンギンもしもやけになる?

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、数々の印象深いクイズ問題が作られました。そのような中でも長く挑戦者の記憶に残った問題が幾つかあります。
第12回の東京ドームで出された
「ペンギンも、しもやけになる。 ○か×か?」
これは、○×問題の名作として、多くのウルトラ・ファンに、賞賛された問題だと思います。

ペンギン

東京ドームでは、出題と共に大きな笑いが起こりました。
次にため息が、あちこちから聞こえてきます。
「冷たい氷の上に住んでるのだから、時にはしもやけにだってなるよね」
「いや、そんなことになったら、歩きにくくて、歩き方のおかしいのペンギンが居るはずだ。そんなの見た事ない」と意見は分かれ、判定は5分と5分。

テレビを見ていた方にも、いろんな意見があったはずです。
なぜ、この様な問題が作られたかと言えば、この年は北極圏のバローから、南極圏のフェゴ島まで南北アメリカ大陸を縦断する、とてつもないクイズ・ルート計画だったのです。
従って、クイズ問題も北極圏、南極圏に関連する問題を作るように、クイズ問題作家に注文をしていました。

の問題が作られた時に、実は答は不明でした。
実は作った本人も、本当の事は解らなかったのです。
答は不明なのに、クイズ選考会議では「採用」が全員一致で決まってしまい、それから正解探しに問題のチェックのメンバーが走り回りました。

最初、どこの動物園に聞いても、笑って
「その様なペンギンは聞いた事が無い。多分×でしょう」
というお答えでした。
しかし、多分では安心できません。
結局、動物学者に当たって、確実な正解が解ったのです。
しもやけになり易い爪先は静脈が動脈を包み、体温が逃げない構造のため、しもやけにはならない、というお墨付きをもらったのです。

この様に着眼点が面白い問題は、正解が解らない問題でも「採用」になる事もあったのです。
作る人も大変ですが、正解の裏を取るスタッフの努力が、面白い問題の陰に有った事を知って頂きたく、ご紹介しました。

外国の地名を漢字で書くと?

メリカ横断ウルトラ・クイズの思い出話を書いていますが、前回ハリウッドを漢字で書くと「聖林」という話を書きました。
この様に外国の地名を漢字で書くと? という問題は何度か出題された記憶が有ったので調べて見たら、第7回のロスで出されていました。
その時の問題は以下の通りでした。

・「桑港」と書けばサンフランシスコ。「羅府」と書けばロスアンゼルス。では「桜都」と書くカリフォルニア州の都市はどこ?

Sacramento

・サクラメント

解説
日本語の桜を当て字にして、この様に表記されたのは理解できます。
しかし、ロサンジェルスが「羅府」とサンフランシスコが「桑港」は少し説明が無いと理解に苦しみますね。
そこで、ウルトラクイズの時代に遡って、その理由を解説してみたいと思います。

時は19世紀、ロサンゼルスに在住の中国人達は、中国語に音訳して「羅省枝利」と書いていたのだそうです。
当時、ロスに在住した日本人で漢詩の得意な船橋義七さんという人がいて、中国読みを参考に「羅」という文字と行政名の「府」を組み合わせて、省略してこの様に表記しようと提唱したのだそうです。
これは1894年の事で、その後1903年に「羅府新報」という日本語版の新聞が創刊され、現在は全米最大の日本語新聞に成長しているのだそうです。
お陰で現地では「羅府」の認知度は日本でよりもずっと高いのだそうです。

また、サンフランシスコの「桑港」も中国語の発音でサンが「桑」と書くのだそうです。
それに当地は港町なので、この2文字を合成して「桑港」と表記するようになったというのが、真相のようです。
外国の都市の漢字表記は、中国語の2番煎じのようなお話ですが、漢字は元々中国から伝わったものなので、これは自然の流れ と言ってよいのでしょうね。