クイズネタの宝庫、アメリカの著名人

メリカ横断ウルトラクイズは、アメリカ各地でクイズを行いながら旅をつづけた番組でした。
舞台がアメリカですから、アメリカを問題にしたクイズ問題が多かったのは言うまでも有りません。
クイズ問題を予測して、クイズ研究会の皆さんはアメリカの話題を良くチェックして、想定問題を作っていたのは想像できます。
従って、毎年アメリカで起きたニュースは、その年の想定問題になっていたでしょうね。
我々も、同じようにアメリカの出来事は毎年クイズ問題として作っていました。
但し、問題点を少しひねって、何とか面白くする工夫をしていました。
それでも、時事問題として、クイズ研究会の人達の正解率が高かったのは、確かでしょう。
勉強をしているのですから、当然の結果と言えるでしょう。

メリカのニュースと言えば、最新映画の情報、特に作品、主演、監督、受賞などがニュースで流れますが、その様な話題からは必ず問題が出されていたように思います。
定番としては、日本人が名前を知っているアメリカの著名人が問題の宝庫になります。

映画のスターを始め、歌手、歴史上の人物、スポーツ選手、このような人達の業績から問題が作られます。
特に多かったのは、有名作家に関する問題でした。
私はクイズ問題作家達に、アメリカの著名人はクイズ問題の宝庫だ」という事を良く話していました。
但し、作家名と作品名を結びつけるだけでは問題にならない。
例えば作品の内容を少しくらい理解している人が正解を出せるように、作品の中身に踏み込んだ問題が良い、というような注文を付けていました。
その結果、例えばテネシー・ウイリアムズで考えてみたら? という注文を出します。

Tennessee_Williams

らは、直ぐにその業績、作品などを簡単に調査して、代表作ともいうべき「欲望という名の電車に乗って」に着目、何問かの問題が出されました。

欲望という名の電車

この作品は最初、戯曲としてニューヨークで上演され、その後、映画化されていた事を掴んで問題化されていました。
映画化では主演のヴィヴィアン・りーがアカデミー主演女優賞をうけています。
また、この作品はテネシー・ウイリアムズ自身が脚本にも参加していました。
更に、ピューリッツア賞も受賞していますし、内容に関して踏み込んだ人は

「欲望という名の電車に乗って」ブランチの降り立ったのは、ニューオリンズの下町、何という名の駅? 

という問題もあったように思います。
これはフレンチクォーターが正解です。
多分、そのような問題はニューオリンズのご当地問題で出された様な気がします。

同じようにアメリカの代表的な作家の名を挙げるなら、ジョン・スタインベックウィリアム・フォークナー。ヘミングウェイなどが挙げられます。
ヘミングウェイに関しては、前回で詳しく書きましたが、スタインベックもフォークナーも、共にノーベル文学賞をもらっていますし、作品の舞台や登場人物を絡ませれば、問題はいくらでも出来そうです。

クイズ問題は、机の上でただ漠然と考えても、中々面白い問題を掘り当てるのは大変です。
しかし、照準を人物時の人話題の出来事、等に絞って、その周辺を調べると、意外な現実、面白いエピソードに出会う事があります。
その様な地道な作業の繰り返しで、ウルトラクイズの問題は成立していたのでした。
クイズ問題を作ってくれた作家は毎年50人~60人くらいいましたが、この方々の地道な努力が番組を盛り上げてくれた訳で、改めて感謝いたします。

時の運だよ、ギャンブル・クイズ

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎回新しいクイズ形式を考える、というのが我々構成作家の重要な仕事の一つでした。
考えた形式が面白ければ次の回にも使えるようになり、やがて定番のクイズ形式に昇格します。
定番が増えれば、我々の仕事も楽になるので、何とか定番のクイズ形式を増やそうと、会議では構成者はその様な発言をするのですが、演出陣は「新しい形式を」と中々定番を了承してくれません。
その様な駆け引きの中で、グアムの「泥んこクイズ」、砂漠地帯の「ばら撒きクイズ」、大声クイズ」 「双子神経衰弱クイズ」のような定番クイズが、次第に増えて行きました。
クイズ形式を考える場所で一番ラクだったのは、何といってもギャンブルの街だったように思います。
ラスベガス、リノ、アトランティックシティー、我々はギャンブルの街をクイズ会場に良く選んでいました。

ギャンブルの街で行うからには、既成のギャンブルを取り入れるのが、無理のない形式です。普通のクイズ番組なら、ギャンブルの形式は運による確率が高いので不公平という話になるでしょうが、我がウルトラクイズは、知力、体力、時の運を売り物にした番組です。
運が勝ち負けを左右する、正に番組の趣旨にぴったりなのです。
第12回のラスベガスでは、これぞ博打の中のバクチ、クラップスをそのまま引用した形式を実践しました。

クラップス

ラップスは単純明快、日本で言えば丁半バクチのようなものです。
アメリカ人はこのクラップスが大好きで、どのカジノでも人気ゲームの上位にランクされているとの情報が有りました。
ルールは台の上で2個のさいころを振る。その出た目の合計で勝ち負けを決めるというもので、我々は7と11を勝ち抜けの数と決めました。
クイズに正解するとサイコロを振る権利が与えられます。
出た目の合計が7、11の場合は勝ち抜け出来ます。又、2、3、12が出ると席に戻ってクイズに再挑戦しなければなりません。その他の数の場合はもう一度サイコロを振る事が出来るというルールでした。

バクチ性が高いので、現場では中々勝ち抜け者が決まらないのでは?という不安が有りました。
この様な形式は必ず決定する前にシミュレーションをおこないます。どうやらこの形式は行けそう、という判断があって実行に移されるのですが、それでも現場で勝者がで中々決まらないと心配でドキドキします。

しかし、その様な心配をよそに現場では次々と勝ち抜け者が出ました。
我々番組の構成者は、新しい形式を実行する時には、いつもその形式で上手く進行するのか、そのような心配をしながら本番を迎えていたのです。
クイズ問題だけでなく、進行のすべてに気を配る、これも構成者の役目でした。
良くテレビの構成者って何をするの?という質問を受けますが、その疑問の一つにお応えしたお話でした。

一問のクイズ問題の裏側

メリカ横断ウルトラクイズのクイズ問題は、数多く作られた問題の中から厳選された問題でした。
クイズ問題の責任者として17回全部の問題に関わった私には、人知れぬ戦いがあったのです。
前にもブログで書きましたが、作られた問題を会議で通過させないと、問題は成立しません。
ところが、作者の苦労を知らないスタッフは、会議で読まれた問題を、その場の思い付きで簡単に「没」という言葉で拒否する事が多かったのです。
私は問題作家を擁護する立場ですから
「何故、この問題が没なのか?」
と発言します。
時には言葉も強くなって喧嘩腰になる事も多かったと思います。
この様な事が続いたので、或る時、会議出席者は全員がクイズを作るように提案し、それを決定事項に持ち込みました。
しかも、私は何時も会議で「没」を連発するような作者の問題は、先に作者名を出して問題を読むような作戦を立てました。
この作戦は結構効き目があって、いたずらに「没」を連発するような事が減りましたが、しかし、このクイズ会議を通過させるには、それなりの面白い作品でなければ本末転倒になってしまいます。

は時々クイズ作者に注文を出して問題を発注していました。
第8回でキーウエストに行く場合には、ご当地問題としてヘミングウェイの問題を発注しました。
ヘミングウェイは世界的な大作家ですから、沢山の問題が作られました。
クイズ問題作家は、当然ヘミングウェイの作品や人物を調査して問題を作ってきました。
代表作と言えば「日はまた昇る」 「武器よさらば 「誰がために鐘は鳴る」など、戦場を舞台にした作品の他「老人と海」が知られています。

老人と海

クイズ問題はその様な作品と作者を結びつける問題が数多く提出されたと記憶しています。
戦場とヘミングウェイのエピソードは数多いのです。

例えば19歳の時に、傷病兵の運搬車の運転手としてヨーロッパ戦線に向かい、爆撃に遇って大怪我を負っています。
この体験は「武器よさらば」で生かされています。
また、スペイン戦争では、ドキュメンタリー映画「スペインの大地」の制作に携わっていました。
更に第2次世界大戦では新聞記者として戦場に行っていますが、勝手に軍事行動に携わり、軍法会議にかけられるなど、勇ましいエピソードにも事欠きません。
戦場の作品が多い割に、彼が兵士としての戦争参加は無いというのも、クイズのネタになりそうです。 
そのような個人の情報から作られた問題も沢山有ったと思います。

また、ヘミングウェイと自殺の関係も見逃せません。
本人自身が猟銃自殺を遂げたのを始め、彼の父親、妹、弟も自殺をしていますし、姉も自殺が疑われる様な最期をむかえています。
しかし、自殺をテーマにしたクイズ問題は適当ではないので「没」になっていました。
では、この様に題材の多い中で作られた作品で採用された一問の問題は何だったのでしょうか?

・キーウエストを心から愛したヘミングウェイ。
さて、そのヘミングウェイが、ノーベル賞を受賞した作品は何?

キーウェスト

・老人と海

解説
ヘミングウェイは1,952年に発表した「老人と海」で、ピユーリッツア賞とノーベル文学賞を受けています。
この問題の優れているのは、キーウエストで書かれた作品という事で、ヤマ勘で答える人もいるでしょう。しかし、ノーベル賞を問題にしているので、若しかすると戦場の話?と、答えに迷う要素が有る事です。ノーベル賞ではなく、ピユーリッツア賞を問題にしたのでは、誰でも「老人と海」とストレートに答えてしまうでしょう。でも、賞の名前が変わる事で、「戦争」という迷いが一瞬頭をかすめる、そこがクイズの面白さだと思うのです。
小さな配慮のようですが、問題文の中に、この様な気配りも大切だったのです。

ヘミングウェイを題材にしたたった一問の問題の陰に、クイズ作家が調べた材料を取り上げましたが、このような題材発注で作る問題もあったのです。
あまり知られていない裏話でした。

仰天したニューヨークの花火大会

メリカ横断ウルトラクイズのロケ、ロケハンで、アメリカ各地を歩きましたが、日本と比べスケールの違いで驚いた事が幾つかあります。
その、最も代表的なものに、夜空を彩る花火大会のスケールの違いが有りました。
アメリカでは、7月4日の独立記念日には全米各地で花火大会が行われているそうです。
毎年、この頃には、我々はロケハンでアメリカにいる様な事が多かったのですが、第12回の時、丁度ニューヨークに滞在していました。
また、偶然滞在先のホテルが超高層ビルの40数階の部屋でした。

ホテルに着くと
「今日はメイシーズの花火大会です。幸運にもお客さんの部屋から見られますよ」
との事。
メイシーズとは、アメリカの巨大デパートで、本店がニューヨークに有って、毎年独立記念日の花火大会を主催しているのだそうです。
花火大会のスポンサーという事で、デパートの名前を冠に付けた花火大会なのですね。
この花火大会はニューヨークっ子も楽しみにしていて、街は夕方から活気付いていました。
我々は部屋から見物出来るという言葉を信じて、早めに夕食を済ませ、部屋で缶ビールを飲みながら花火見物を楽しむ事にしました。
情報によると、毎年周囲がとっぷりと暗くなった9時20分頃に始まるとの事でした。

もなくホテルの窓から花火が打ち上げられるのが見えました。
しかし、驚いた事に花火の高さが我々の目線の位置だったのです
「流石、超高層ビル!」
と喜ぶ間もなく、その数の多い事に仰天しました。
右から左へ視覚のすべてに、ズラーッと花火が打ち上がっているのです。
後で調べたところ、1分間に約1,530発。26分間で約40,000発の花火が打ち上げられたそうです。

newyork_fireworks

こうなると、休む間もなく目の前に花火の大群が打ち上げられた計算になり、そのあまりの数の多さに仰天しました。
最初はその美しさに見とれていましたが、その内に花火が見え難くなってきました。
と言うのは花火が開くと同時に煙が発生するのですね。
普段、下から見上げている限り、この煙は気になりませんが、同じ高さで見ていると煙が邪魔をして、花火が見えなくなるのです。

その内に風の向きが我々のホテルに向かって吹いていたので、窓を少し開けていたため、部屋に大量の煙が流れ込んできました。
もはや、3D映像で、その中に入り込んでしまった感覚です。
あわてて窓を閉めたものの、部屋の中には煙の臭いが立ち込めて、ゴホン、ゴホンと咳が止まりません。

私達も色々な体験をしましたが、多分、仕事を忘れて楽しんだための報いでしょうね。
これぞ我々の罰ゲーム と思っています。

肉体的に最もハードなロケは?

メリカ横断ウルトラクイズの17回のロケで、一番思い出深かったのは第何回? 
という質問を良く受けます。
それぞれに異なる思い出が有りますので、スタッフに聞いても、多分バラバラな答が返って来るでしょうね。
しかし、テーマを絞って質問するならば、或る程度同じ回答を得る事も可能でしょう。
テーマを「肉体的にハードな」と絞るなら、多分10人中8人以上が第14回と答えるでしょう。
この回の特徴を一言で言うなら、アメリカ横断ウルトラクイズの横断の部分を、飛行機を使わずに西海岸から東海岸まで、全部を車で横断したのです。
勿論、こうした企画案は何回か検討されましたが、体力的に無理だろうと、その都度否定されて来たものでした。
しかし、制作陣が刷新された11回から、一度は試してみたいという声が高まり、第14回のロケハンでこの冒険的な長いドライブの旅を試してみたのです。

ケハンのスタッフは、我々日本からのスタッフが3人、アメリカからのコーディネーターが2人、合計5名です。
この5人が大型の車両に同乗しての大陸横断の旅を始めたのです。
当然、我々も国際免許を取得しているので、運転する気持ちは十分に持っています。
ところが、アメリカ人のコーディネーターは、運転は自分たちの仕事といって、ハンドルを我々に任せてくれないのです。
しかも、アメリカ人の2人は女性なのです。
その2人が交代で1日中ハイウエーを走り続けるのですから、その気力と体力に圧倒されました。

我々は、何時でも運転するよ、と交代を求めるのですが、その都度拒否されるので 
「我々の運転技術に不安を持っているのか?」
と聞くのですが、職分を守っているだけ、とハンドルを渡してくれませんでした。
アメリカ大陸は直線で結べば、約6,000kmといわれますが、我々はジグザグに進んだので、総距離は9,000kmになりました。
普通の乗用車が1年半で走る距離を4週間弱で走ったのですから、身体はクタクタに疲れます。
しかし、途中の街でゴルフ場を発見すると、1ラウンドだけプレーしよう、という話に全員が賛成、時々ゴルフ付のロケハンでした。
考えると当時は我々も若かったので、その様な無茶なスケジュールがこなせたのでしょう。

のゴルフもロケハンの大切な仕事で、ロケの時の休日にはスタッフの希望者でゴルフ・コンペを行っていました。
そのための下調べ、という口実で自分たちの言い訳を考えながら、プレーを楽しんでいました。
これも今だから言える裏話かもしれません。

golf

アメリカ人のスタッフは途中で交代するのですが、それも全員女性です。
この会社は社長を始め、全員が女性スタッフという会社だったのです。
前にも、この会社の事をブログで書きましたが、大変優秀なコーディネーターの会社で、ウルトラクイズの成功は、彼女たちの働きを抜きには考えられないくらい、素晴らしい仕事をしてくれました。

さて、その様なロケハンを終え、本番のロケもすべて車で移動という方式で実際に行われました。
大型バスが3台、内訳はスタッフが2台、挑戦者が1台です。
その他に撮影機材を積み込んだ大型トレーラーが1輌加わった車列で、アメリカ大陸を爆走しました。
バスで3週間走るのですから、全員に大型の枕が配られました。
移動時間はあらかじめ分かっているので、走っている間は出来るだけ睡眠に充てるように伝えてあります。
しかし、車の中でその様に計画通り眠れるものでは有りません。
音楽を聞いたり、読書をしたり、中にはカードゲームに熱中する者もいました。
食事は途中のドライブインで取るのですが、ホットドッグやハンバーガーが中心なのでみんな飽きてしまいます。
それよりも、身体がなまってしまうので、バスを降りると、みんな体操を始めます。
中には、途中でサッカー・ボールを買って、それで遊ぶグループもいました。
兎に角、長距離ドライブで一番困ったのは身体がなまってしまう事でした。

それを防ぐ意味で、ホテルに泊まった時には朝早く起きて、ジョギングを始めたスタッフが多かったですね。
日本人は黙っていても健康管理の事を自分で考える人種なのが良く解りました。
その様な移動の中で、オレゴン街道グランドテイトンソルトレークアーチーズとロケを重ね、東海岸を目指します。
スタッフはそれぞれ個人でアメリカのドライブマップを買って、今日はここまで進んだ、明日はどこまでだ?と行程を見るのが楽しみになっていました。

恐らくウルトラのスタッフが、これほどクイズ地のコースに関心を持ったのは、この第14回だったと思います。
私はロケ、ロケハンを通して、1年に18,000kmも車で移動したのですから、これも人生で最大の経験でした。
感想! 兎に角アメリカは大きい国だ それが実感出来た14回でした。

ドライブマップUSA