アメリカ横断ウルトラクイズの名物となっていたのが、情け容赦のない罰ゲームでした。
クイズの敗れた敗者に与えられる「罰」ですから、我々スタッフも頭をひねって、数々の罰ゲームを考えました。
罰ゲームの条件は、体力的に苦しい体験、心理的に恐怖の体験、恥ずかしい事を体験させられる、といった普段の日常生活では経験できない事を体験してもらおうというものでした。
中にはドッキリカメラのように、敗者を怖がらせる筋立てのドラマを作り、敗者を主役にドラマ展開をする事もありました。
当然、怪我や生命に危険の及ぶようなものは避けて作りました。
現在ではコンプライアンスという言葉がテレビ業界では盛んに言われていますので、あのような企画は到底許されない範疇かも知れません。
でも、当時は視聴者の皆さんも笑って許された時代だったのです。
17回の番組の歴史では、何百という罰ゲームが実行されていましたので、それぞれ体験者にとっては一生忘れられない出来事だったと思います。
体力的に苦しい体験は数多くありましたが、スタッフ側も苦しかったのは第16回のアトランタでの罰ゲームだったように思います。
平成4年のアトランタは、4年後のオリンピックを控え、街全体が活気にあふれていました。
当時のアトランタはアメリカで日本人ビジネスマンが2番目に多い、ビジネスの中心街でもありました。
ホテルも数多く建ち並び、全米一の高層ホテルが話題になっていました。
その様なホテルの最上階には、見晴らしの素晴らしいレストランがあるのが定番になっています。
と、なればこれを見逃す我々ではありません。