日本的表現・風流の言葉は?

 

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題には日本語の解釈に関する問題がありました。

クイズは、国語の試験ではないので、言葉の問題とはいえ聞いて「面白い」又は「へー、そうだったのか」といった発見が欲しい処です。

日本語の中には「風流」と言う言葉があって、同じ意味を持ちながら、別の言い方で表現する場合があります。

第6回のバーストウで、次のような問題がありました。

問・ことわざで「幽霊の正体見たり枯れ尾花」さて、枯れ尾花とは何の事?

答・ススキ

解説 今や秋たけなわで、山野にススキが咲き乱れています。一五夜のお月見にはススキが付き物、古来から日本人の風流の一つでした。

風流とは辞書によると、中世以後の日本に於いて高揚した美意識の一つ、と説明されています。

「幽霊の正体見たり、ススキだよ」では、到底美意識が有る句とは言えないでしょうね。

そこで、ススキを美しく表現したいという美意識で生まれたのが「枯れ尾花」という言葉なのでしょう。

同じ固有名詞を表す言葉でも、「風流で」となると、この様に別の言葉が生まれるのです。

風流は、芸術や美術、建築などの世界でよく使われる言葉が多いのだそうです。

この問題が出されたバーストウは、ゴーストタウンだったので、ゴースト=お化け、に関連した問題として採用されたものでした。

「幽霊画」の画像検索結果

日本のお化けと言えば「四谷怪談」「番町皿屋敷」「牡丹灯籠」など、身の毛がよだつ恐ーい話が沢山あります。

これらの話は、夏になると歌舞伎や映画、落語などで上演されるのが一般的で、その物語の中から沢山のクイズ問題が作られていました。

俳句の季語では、幽霊は夏、当然ですね。どてらを着た幽霊が炬燵に当たってたのでは、怖くありません。

 

 

終わり良ければ全て良し

 

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、常識の盲点を突いた問題が沢山出されていました。

誰でも知っている常識を問題にしたのでは、考えるゲームとしては面白くありません。

かと言って、難し過ぎる問題を出しても独り善がりな問題として、視聴者にそっぽを向かれてしまいます。

知っているようで忘れてしまった知識を思い出す、その辺を楽しむのがクイズと言うゲームなのです。

一般常識と思われている知識にも盲点が有り、我々はその盲点を探しクイズ問題を創っていました。

例えば最初は知っていても、最後はどうなっているのか解らない、そんな盲点を探していたのです。

第5回のテオティワカンで、次のような問題が出されています。

問・鉄道唱歌、スタートは新橋。では終わりはどこ?

答・神戸

解説 鉄道唱歌は日本人なら誰でも子供の頃に唄った経験のある、常識中の大常識と言っても良い唱歌です。

でも、この全歌詞を知っている人となると、滅多に居ないでしょうね。

我々はその盲点に目を付けて調べて見ました。

鉄道唱歌が作られたのは明治時代の事で、一般に知られているのは東海道編の一部分なのです。

一、汽笛一声新橋を  はや我汽車は離れたり  愛宕の山に入り残る  月を旅路の友として

これが一番で、以下2番、3番と品川、大森、川崎 の順で旅は続き62番でようやく神戸に辿り着きます。

鉄道唱歌は、この東海道編だけに留まらず、日本全国の沿線を唄いこんでいて、全7集399番まであると言われ、長らく日本一長い歌、の記録を持っていました。

でも、記録好きな日本人の事、1987年に石坂まさをの「全国我が町音頭・市町村編」合わせて3355番に大きく記録を塗り替えられていました。

雑学クイズの様な番組が在るならば、この様な記録も問題になるでしょう。

でも我々は、正統派クイズの道を歩んでいたので、こうした特殊の問題は会議で「没」冷たく一蹴されていたのです。

奥の深い日本の伝統芸

 

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、森羅万象の中から、クイズ問題が作られていました。

クイズは知識を競い合うゲームですから、幅広い知識を持ち合わせた人が勝ち進むのが一般的な見方です。

ウルトラクイズで優勝を狙う人は、兎に角幅広い分野に精通していると言う共通点がありました。

例えば日本の伝統芸と言われる分野があります。華道、茶道香道、舞踊など多岐に亘ります。

昔は、花嫁修業の一環として、華道や茶道を習うというのが、若い女性の常道だった時代がありました。

一度でも、お稽古事に足を踏み入れた人なら解る様な知識をクイズ問題にした場合、女性に有利な問題と非難されそうです。

でも、王座を狙うような人はその様な問題にもラクラク正解するという共通点があったのです。

第11回の後楽園球場の第一問の正解発表が終わった直後に歴代のチャンピオンを招いてのエキビジション・クイズが行われました。

目的は、歴代のチャンピオンの凄さを披露しようというのが狙いです。

その場では、難問が8問出題されましたが、全員が早押しボタンを押して回答を競い合いました。

その一つが次の問題でした。

問・華道は活けたものを鑑賞する。では、香りの道、香道は焚いたものをどうする?

答・聞く

解説 香道は香りを愉しむ道ですから、一般的な日本語では「嗅ぐ」と応えるところでしょう。

でも、香道では「聞く」と表現するのですね。

香道とは一定の作法の基に香木を焚き、立ち上る香りを鑑賞する貴族階級の「香遊び」が起源とされています。

香道が日本の伝統芸として確立したのは、室町時代の東山文化の頃で、茶道や華道が大成するのと、ほぼ同じ時代だったと言われています。

また、誤答し易い「嗅ぐ」という表現は無粋とされているのだそうです。

日本の伝統芸には、その世界だけに通じる特殊な決まり事があり、その辺が奥が深いと言われる所以ですね。

クイズに強い人は、この様な特殊な世界の事であれ、表面的な知識だけは持ち合わせているので、得点が多くなる訳です。

このような人は「博識」「物知り博士」などと呼ばれ、周囲に一目置かれる存在となっています。

 

 

 

 

移民、最初の船名は?

 

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題の中には、物事の第1号を求める問題が良く出題されていました。

クイズは知識を競うゲームですから、最初の大統領、最初の金メダル獲得、最初のノーベル賞受賞者など、クイズ愛好者の基本的な知識と言えるでしょう。

アメリカへの最初の移民船として有名なのは、清教徒102名を乗せてイギリスからやって来たメイフラワー号が有名です。

この問題もクイズ問題として作られましたが、もっと日本人に身近な移民船を探そうとクイズ制作者に注文したところ、次の問題が作られました。

第10回のリオデジャネイロで、出題されたご当地問題です。

問・明治41年、日本からの初めての移民が乗って来た船の名前は?

答・笠戸丸(かさどまる)

解説 一般のクイズで、ブラジルへの第1号移民船は?と出題しても、正解出来る人は少ないはずです。

でも、ウルトラの挑戦者はご当地問題について、結構勉強を重ねているので、ブラジル移民の象徴的な笠戸丸については知っている人が複数いました。

明治41年(1908)の4月28日、781名の移民希望者を乗せた笠戸丸は、神戸港を出港しました。

新天地への不安を抱えながら、船酔いと暑さと戦いながら、50余日の旅を終え、6月18日に地球の裏側にあるサントス港に接岸しています。

今から107年も前の話ですが、ブラジル移民の皆さんのご苦労は、小説やドキュメントで紹介されている通り、苦難の連続だったと伝えられています。

現代では、着実な日系社会が確立されていますが、「笠戸丸」は日系人のシンボルとして、ゼロ地点と位置付けご当地の歴史に刻まれているそうです。

日本人の歴史で、ともすると忘れ去られそうな移民の話、こうした知識も時には掘り返しクイズ問題を創る、これが我々の姿勢でした。

好かれる神vs嫌われる神

 

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、庶民の生活の中から面白そうな知識を探して、クイズ問題に仕上げていました。

日本人に限らず、人間は縁起担ぎが好きな人が多いですね。

特に、昔からお年寄りは縁起を気にするようで、この種の知識は祖父母から伝授されるのが通例でした。

例えば縁起の良い神様と言えば七福神が挙げられます。お金の神様、長寿を願う神様など、それぞれの目的によって参詣する人達も変わってきます。

これに対して「運の悪い神様」というのもありますね。

第6回のモニュメントバレーで、次のような問題が出されました。

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問・福の神の一つ、七福神の大黒様が持っているのは打出のこづち。では、貧乏神が持っているのは何?

答・渋団扇(しぶうちわ)

解説 福の神と呼ばれる神様は沢山知っていますが、貧乏神に付いては、あまり知識が無いのが一般的です。

我々はその盲点を狙ってクイズ問題を創りました。

江戸時代の昔から、庶民の会話には「貧乏神」という言葉が良く出てきたものです。

では、日本に伝わる貧乏神とは如何なる神様なのでしょう? 概略を悦明します。

基本的には貧乏に相応しく、薄汚れた老人の姿で、痩せこけた身体、青白い顔、手には渋団扇を持っています。

ブログ用写真

ケチケチ渋いという内面を渋団扇で表しているのでしょう。

悲しそうな表情で、謹厳実直な人よりも、怠け者が大好きと言う性格だそうです。

だから、怠けていると「貧乏神に取り付かれるぞ」と言われたものでした。

この貧乏神は、家に憑く場合は押入れを好んで住みつくと言われています。

こんな貧乏神に棲み付かれては敵わないので、「整理整頓をキチンとしなさい」というのが、昔のお年寄りの教えでした。

「貧乏神」の他、「死に神」「厄病神」など、不吉な神様もいますね。

この、不吉な神様たちは自分に似た人間を好んで憑り付くという性質を持っています。

逆に、日頃笑顔の絶えない人、明るく元気な人、健康で活動的な人、この様な方は不吉な神様も敬遠するそうですよ。