菌の中にも有用な菌も多い

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は老若男女誰でもが答えられる問題が中心でした。

テレビを観ている視聴者の皆さんが、全員クイズに参加出来る番組を目指し、全員参加の精神で問題創りをしていました。

第16回のハワイで、医療の専門家でなければ知らないようで、実は誰でも答えられるような問題がありました。

問・母乳で育てられた乳児の腸から発見されたもので、老化を遅らせ、ビタミンBなどを作り出す体に良い菌は何?

答・ビフィズス菌

解説 世の中では、健康食品が一種のブームになっていますが、その中心的な菌がビフィズス菌でしょうね。

この菌は、1,899年にフランスのパストゥール研究所で発見されました。

母乳で育った赤ちゃんは、ビフィズス菌で免疫が出来るため丈夫になるとの研究発表です。

この事によって、世界中の母親達は母乳で我が子を育てる傾向になったのです。

また、それ以外にも健康食品にビフィズス菌が利用され、その代表的な例がヨーグルトでしょう。

腸内環境を整え、腸内フローラという言葉が使われ、腸の中をお花畑のようにすると便秘が防げるとの事です。

また、ヤクルトのように特徴的な小型の容器で、会社や個人宅などを毎日回り配達、販売し販路を広げた成功例もあります。

販売員はヤクルト・レディーと呼ばれ、健康への効果などを直接説明出来るし、客も安心し世界的な市場となっているようです。

健康で長生きしたい、誰でもが願う事だけに、そんな要素を持ったビフィズス菌は頼みの綱とも言える存在かも知れません。

我々は「菌」と聞くと病原菌だけを想像しますが、味噌や醤油などを作る酵母、キノコ類など有用な菌も多いのです。

本日の裏話は、人々が忌み嫌う病原菌とは別に、人間の健康に役立つ「菌」も沢山あるとのお話でした。

そう言えばスーパーへ行くと、ヨーグルトだけでも実に多くのメーカーから多種の製品が出ています。

日本の高齢化は社会問題ですが、有用菌ファンがこれだけ多いとの現実は、益々高齢化が進むのですね~。ウン、頑張ろう!

 

 

歴史に残った泥棒達とは?

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、森羅万象の知識を問うので、知識の幅が広い人ほど有利なのは当然です。

見たり、聞いたり、読んだりと知識を得る方法は様々ですが、その知識を記憶しなければ役に立ちません。

そんな中で、日本史や芝居の知識が混在した問題が、第12回のパシフィカで出されていました。

問・大泥棒・石川五右衛門が「浜の真砂」より数が多いといったのは何?

答・盗人(ぬすっと)

答・石川五右衛門は安土桃山時代に実在した泥棒で、1,594年京都の三条河原で釜茹の刑で処刑されています。

幼い息子も同時に処刑! との判決でした。

この時の様子が、あまりにも壮絶だったので、後世の芝居などで取り上げられ広く知られるようになりました。

辞世の句は「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」と詠んでいます。

日本の歴史で、泥棒の処刑の状況が残されているのは珍しい事で、大泥棒の元祖と言えるでしょう。

因みに泥棒で有名な人物は、日本駄衛門をボスに弁天小僧菊之輔、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸の「白波五人男」。

尤も、こちらは歌舞伎の演目で架空の人物です。

実在の大泥棒としては、江戸市中を賑わせた義賊「ねずみ小僧治郎吉」がいます。

彼は、大名や武家屋敷で盗みを繰り返し、貧しい庶民に施していたとの伝説があり、墓も両国の回向院に実在します。

彼が長年捕まらなかった「幸運」にあやかろうと、墓の前にある石を削ってお守りにしている人も大勢います。

鼠小僧次郎吉は、義賊だけに人間的な魅力があったのでしょう。

芥川龍之介、大佛次郎、吉行淳之介、直木三十五、菊池寛など日本を代表する作家が小説に書いています。

また、彼を主演に映画化やドラマ化の作品も多数あり、泥棒の人気スターと言ったところです。

本日の裏話は、日本の泥棒列伝になってしまいました。

石川五右衛門も、鼠小僧次郎吉も犯罪者には違いありませんが人間的には憎めない魅力があったのですね~。

日本語の数の数え方はややこしいデス。

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題には、日本語の知識を試す問題が多数ありました。

日本人なら当然理解している一般常識、やや難解な知識、更に専門家しか知らない高度の知識とレベルは分かれています。

高度の知識は、準決勝、決勝戦のようなクイズに強い人達の戦いで出されましたが、普通は一般常識の問題で争いました。

日本語には、昔から伝わる決まり事があり、その中でも義務教育で学習するものに、数の数え方があります。

第8回のサンフランシスコで、数え方の間違い易い典型的な問題がありました。

問・習字に使う墨の数え方は?

答・一丁二丁

解説 数の数え方は、昔からローソクのように長い形のものは「丁」で数えていました。

また、豆腐も一丁、二丁と数えていますが、若しかすると昔は形も長かったのかもしれませんね。

但し例外もあって、刀は長くても「丁」ではなく「振り」と数えていました。

これは振り下ろして切り口をつける事から「口」の漢字を使いますが「ふり」と読むのが一般的だったそうです。

一方、鉄砲も長いので「丁」ですが、漢字は「挺」と書くように区別されているのです。

数の数え方、箪笥は「一 棹」、これは長持ちなどの数え方に由来するもので、昔は同類と考えられていたのでしょう。

動物の数え方もそれぞれで、ウサギは鳥と同じで一羽二羽、牛や馬は「頭」、犬や猫、キツネ、狸は「匹」。

では、同じ四本足の鹿は? 頭なのか、匹なのか判然としないので迷ってしまいます。

長い歴史の中で作られた、数の数え方。これを正しく使うのは結構大変で、日本語って難しいですね。

本日の裏話は、ややこしい日本語の中でも、若者が混乱しそうな数の数え方の常識でした。

熟年の皆さんは、若者が間違えても非常識!などと攻めずに優しく教えてあげましょう。無駄に生きてた訳でない証拠として……。

金魚に関する疑問?

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題の中には、誰もが疑問に思える事象を取り上げたものが多数ありました。

これらは「素朴な疑問」との分類で、書籍も多数出ていますが我々の問題は、そうした書籍からの記憶では解けません。

何故なら、問題には作者が出典を記さなければ、問題選考会議を通過しないシステムになっていたからです。

従って、作者自身が疑問に感じた事象を、自らが調査し正解を導き出しているので、新鮮なイメージがあったのでした。

そんな素朴な疑問の問題が、第9回のグアムの突撃〇✖泥んこクイズで出されていました。

問・「デメキン」は、生まれた時から目が出ている。○か×か?

答・✖

解説 デメキンは春に生まれ、目が出て来るのは秋口になってからだそうです。

金魚は生まれた時は、だいたい同じような姿をしており、半年くらいでそれぞれの姿に変身し、成長するようです。

そもそも金魚は、フナの突然変異を人為的に選択し、観賞用に交配を重ねた結果生まれた鑑賞漁なのです。

原産地は中国で、日本に伝来したのは1,502年和泉国堺でした。しかし、飼育方法や養殖技術が伝わらず、定着しなかったのです。

何んとも杜撰な伝来で、笑い話のようです。

金魚の特徴の一つは独特な尾の形です。フナ尾、三つ尾、吹き流し尾、孔雀尾など多数あります。

色は白、オレンジ、金色、赤、黒などが混ざっていたり、単色だったり様々です。

大々的に養殖が始まったのは、江戸時代の初期。その後、メダカと共に庶民の愛玩物として広まったのです。

毎年春になると、金魚売の姿が江戸市中に見られるようになり、金魚すくいが庶民の遊びになったのです。

又、金魚鉢もそれぞれ工夫され、江戸城などでは豪華な金魚鉢が飾られ、映画やドラマでご覧になった方も居るでしょうね。

金魚の寿命は10年~15年で、池のように広い場所で成長すると30Cmにもなる事があるそうです。

本日の裏話は、初夏に相応しい金魚の疑問に関する情報を幾つかご紹介しました。

金魚すくいは夏祭りの定番ですが、近頃観賞魚としては熱帯魚に押され気味です。金魚は値段は安価なのに惜しいですね~

 

日本史は面白い

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題には、日本の歴史に関連する問題が時々出てきます。

日本史の中では、歴史年表に準じて登場人物、誰と誰の戦い、文学、演芸など細かな出来事をクイズ問題にしていました。

中でも一般に日本史が苦手という方の意見を聞くと、人の名前が覚え難いとの指摘があります。

同じ人物が、何度も名を変えたり、親の名前を息子が継いだりするので何代目〇〇となるので混乱し易いとの話もあります。

要は、記憶するのが面倒! という事で日本史を敬遠する事になってしまうようです。

そんな日本史の中でも、比較的覚えやすい「戦い」の問題がありました。

第4回のニューヨーク決勝戦での問題でした。

問・勝負を決する天王山とは、秀吉と誰が戦った山か?

答・明智光秀

解説 1,582年(天正10年)豊臣秀吉が天王山に布陣して、光秀を迎え討ったもので、別名山崎の戦いと呼ばれています。

これは本能寺の変を受け、備中松山城の戦いから引き返してきた秀吉軍が、山崎で布陣を敷き光秀軍を迎え討った戦いです。

この時の勢力は、秀吉軍40,000。これに対して光秀軍は16,000で力的には劣っていました。

この戦いでは、有名な言葉が三つ生まれ、日本語として永く使われるようになっています。それは、以下の通りです。

「洞ケ峠」。有利な方に味方しようと眺めている日和見な人物を指す言葉で、筒井順慶がその人でした。

「三日天下」。本能寺の変から、光秀が敗れるまでの期間で実際は12日~13日ですが、極端に短い日で三日と表現したようです。

「天下分け目の天王山」。大阪と京都の境界に位置する山崎の事で、歴史的には「関ヶ原の戦い」もこのように表現されました。

これは、徳川家康と石田三成の戦いで、家康軍が勝利し江戸時代と呼ばれる長い平和な時が流れました。

江戸時代から明治維新を経て、近代、現代となるのですが、我々は江戸時代までの出来事を日本史問題と呼んでいたのです。

本日の裏話は、比較的解り易い日本史のクイズ問題と、歴史から生まれた日本語のお話でした。

歴史は、書籍やドラマになる素材が多く、ノンフィクションなので調べると結構面白い分野です。

近頃は「歴女」と呼ばれる歴史好きな女性が増えているようで、若しかすると女性の方が勉強が好きなのかもしれませんね~。