ニューヨークの休日

 メリカ横断ウルトラクイズで、アメリカ各地でクイズを行い、最後はニューヨークで決勝が行われるのが、番組のお決まりのコースでした。
私がこの番組をやっている事を知った友人は、大抵が「アチコチ旅が出来て良いなぁ」という感想を述べます。
確かに旅が出来るというメリットはありました。
しかし、プライベートの旅行と違って、仕事ですから一日たりとも気が抜けません。
本当に気分が開放されるのは、決勝戦が終った後の1日しかなかったような気がします

分これは私だけでなく、全てのスタッフが同じような気持ちだったはずです。
その貴重な1日を、ニューヨークでどのように過ごすか、ウルトラスタッフの行動パターンを書いてみたいと思います。

決勝戦が終った其の日の夜は、前にブログでご紹介したロケの打上パーティが行われ、夜遅くまでお酒を飲んでいるので、ホテルに帰って寝るだけです。
翌日はスケジュール表に、起床時間就寝時間空白一日自由行動と書かれています。
1ヶ月の旅で、一日自由行動というのはこの日しかありませんから実に貴重な1日なのですね。

はいえ、全日を1人で行動する人は居ません。
大抵が気の合った仲間と連れ立って、街中を歩き回ります。
ショッピングに打ち込む人は場所が2つに別れます。
一つは名店が並ぶ番街に向かう人達。

五番街

これは大抵妻帯者で、家族へのお土産にブランド物を買うのが目的だったと思います。
もう一方は若者文化のソーホー地区へ行く若手メンバー。

ソーホー

かれらは流行の先端の掘り出し物を探すのが楽しみだったと思います。

の地区をウインド・ショッピングしていると、スタッフ同士が何回も店の中で接触する事になり、一緒に昼食を取る事になります。
或いは、美味い店の情報交換をしながら、別々の店に向かう事もあります。

午後はショッピングで過ごし、夕食は事前に決めていたレストランを予約するのが通例でした。我々はニューヨーク在住のコーディネーターから、安くて美味いお店の情報を得ていましたので、我々に合流するスタッフが多かったような気がします。

年の事ながら、ほとんどのスタッフが食事は多分8時くらいに終わり、ホテルへ引き上げます。
そして少しオシャレな衣装に着替え、ミユージカルの観劇に向かいます。
確かミュージカルの開演時間は9:00頃で、終演が11:00過ぎだったように記憶しています。
夕食の後にたっぷりと遊ぶ、この辺が大人の街という印象ですね。
毎年、人気の演目は切符が取り難いという事情があったので、コーディネーターの配慮で、事前に予約をしていました。

broadway

時の旅行案内によると、ミュージカルを見る時の服装は正装が望ましいと書かれていました。
しかし、実際は正装の客も結構居ましたが、TシャツにGパンの人間が居ないわけではありません。
我々は出来るだけフォーマルなスタイルをしましたが、中には草履で短パンというロケ現場の格好でやって来る猛者もいました。

々がウルトラクイズでアメリカへいっていた時代には「キャッツ」「エビータ」「シカゴ」「オペラ座の怪人」などが人気の演目で、それらを見たような気がするのですが、今振り返るとあまり良く覚えていないのが残念です。

もっとも当時を思い出して見ると、ミュージカルの劇場で、よく居眠りをしている人が居ますが、
我々の仲間はみんなコックリコックリと気持ち良さそうに船を漕いでいて、勿論、私も例外ではなく、久しぶりの休日で、すっかりと気が緩みきっていたのでした。

時のウルトラクイズのスタッフは、所詮は、休日が似合わない体質になっていたのでしょうね。

狙われたスタッフ・ルーム

メリカ横断ウルトラクイズは、テレビ番組の分類では「特番」と呼ばれています。
これは特別番組を省略した呼び名で、つまり普通よりは大型と理解すれば良いのでしょうね。
特にウルトラクイズの場合、木曜スペシャル枠で、毎年4回に亘って放送していましたので、準備も普通の番組よりは相当余計にかかります。
テレビ界では、このような番組を作る場合には、スタッフ・ルームと言うものを用意します。
テレビ局の中にそれが出来れば一番理想ですが、当時はどのテレビ局でも、そんな余裕は無かったので、局の外に設けるのは一般的でした。

々のウルトラクイズは、制作協力会社がスタッフ・ルームを用意するのが慣わしになっていて、ある年から私の会社がそれを担当した時がありました。
地理的には日本テレビの近くで、しかも私の会社にも徒歩で行ける距離が理想でした。
スタッフ・ルームは読んで字の如く、通常スタッフが詰めている場所です。
この時は日本テレビのすぐ近い場所のマンションを借りました。
各種の連絡が頻繁にありますので、担当者が常駐しなければなりません。
出入りするスタッフの世話をするのですから、結構忙しく専任のスタッフが3名くらい居たように記憶しています。
 
組が佳境に入ると、ディレクター、アシスタント・ディレクターなどが、常駐するのでかなりの人数がこの部屋で仕事をする事になります。
また、アメリカとの連絡もあるので、24時間人が居るような時期もありました。
ここでは、会議やクイズ問題選び、など重要な打合せが行われていました。

また、ウルトラクイズ資料が全部保管されていて、外部からの問い合わせは全部ここでわかるようなウルトラクイズの本部ともいえる存在だったんですね。
大袈裟に言えば、心臓部といっても良かったかもしれません。
そのために外部に知られては困る秘密事項も結構保管されていました。
例えば、クイズ問題は全部ここに保管されています。
誰かが夜中に忍び込んで、調べようと思えば、全問題が解ってしまうという場所だったのです。

れだけに出入りする人間のチェックは厳しくしていました。
ウルトラクイズの場合、コースも事前には公表していなかったので、知りたい挑戦者は多かったはずです。
そのような秘密が一杯隠されていたので、部外者の入室には気を配っていたのです。
夜中に不審者が侵入したらしい、という噂が出た事もありましたが、それだけにセキュリティーには気を配りました。

んな厳重に警戒されていたスタッフ・ルームから火が出たがあったのです。
あれは、まだ準備が初期の頃で、5月か6月頃の出来事でした。

の日、私は自分が関わっていた番組「ズームイン!朝」の生放送に立ち会って、マイスタに居ました。
マイスタというのは、日本テレビがズームインのために作った、外の道路からスタジオ内が見える、ガラス張りのテレビ・スタジオです。

↓旧マイスタ

日本テレビマイスタ前

 ここで、午前6時頃、突然消防自動車がサイレンを鳴らしながら、何台も走ってきたのです。
この時の様子は生放送ですから、全国に放送されました。
私は野次馬精神で、スタジオの前の道路に出て見ると、我々のスタッフルームのあるマンションの辺りに車が止まっていたのです。

消防車

でも、そのことはすっかり忘れて、番組が終了した後、スタッフが其の日の反省会をしていた時です。
家から電話がかかって来て、消防署にすぐ連絡をして欲しいと言うのです。
何事かと思って、連絡を取ったところ、我々のスタッフ・ルームから失火して、幸い小火(ボヤ)で消し止めたとの知らせでした。

の年は私の会社がスタッフ・ルームを借りる担当だったので、その責任者である私の自宅に知らせがあったわけです。
私がその日消防署に出向くと、事情聴取が行なわれました。
その時に聞かれた事は、
・誰かに恨まれていませんか?
・最近解雇したスタッフはいませんか?
・不審な電話が掛かって来ませんでしたか?
というような質問でした。

理由を聞くと、不審火で放火の疑いが強いという理由でした。
この小火騒ぎの結論は、最後まで謎でしたが、時期的に準備の初期段階だったので、番組への影響が無かった事が幸いでした。

究極の意地悪クイズ形式?

メリカ横断ウルトラクイズでは、いろんな形のクイズ形式を考えましたが、挑戦者に取って、一番答え難かった形式は多分、我々が「ですがクイズ」と呼んでいた形式だったのではないかと思います。

れは早押しクイズでの、フライングを防止する目的で考えられた形式です。
即ち、問題を読み上げている途中で、早押しボタンを押してしまうせっかちな人が居ますよね。
これは、じっくりと問題を聞いてから答えようとしてる慎重な人にとっては、迷惑極まりない行為です。
これを防ぐために、司会の福留さんが時々
「問題を良く聞いて!」
と注意をするのですが、それでもせっかちな人は、早まって早押しボタンを押してしまいます。
「ですがクイズ」は、そのような人へのペナルティの意味で考えられた形式で、これが始まると挑戦者の皆さんはイヤでも慎重にならざるを得ません。
クイズの現場では、時々この「ですがクイズ」を出題して、挑戦者の逸る気持ちを調整しました。
これが、オンエアで使われたケースを思い出すと、第6回の成田空港での敗者復活戦で使われています。

の時は51人の敗者による早押しクイズでした。
51人も居ると、誰もが一番早くボタンを押そうと待構えている訳ですから、この気持ちを抑えるのは、忍耐が要ります。
あなただったら、どのタイミングでボタンを押すでしょうか?
因みに、その時の問題は以下のクイズでした。
出題は、敗者担当の徳光さんでした。


よく聞いてください。
日本国、東京都千代田区千代田1-1は/皇居ですが/この皇居を室町時代に築城したのは/太田道灌ですが、この皇居よりもやや狭い、世界一小さな国といえば/バチカン市国ですが、では反対に世界一広い国は/ソビエトですが、そのソビエトの文豪で「戦争と平和」を書いたのは/トルストイですが、さてそのトルストイの作品でアンナを主人公にした小説は/「アンナ・カレーニナ」ですが、さて青年貴族ネフリュードフが、お手伝いさん、カチューシャを社会に更生させた小説は何?

ウサギとカメ

 復活

この時は徳光アナ「よーく聞いてください」と何度も念を押したにも関わらず、早とちりで失格した人が3名も居たのです。

それにしても、「ですがクイズ」は1問で沢山の問題を消費するのと同じなので、問題担当の私としては、本当にもったいないクイズ形式でした。

嫌われた?作家チームの荷物

メリカ横断ウルトラクイズの旅では、沢山の荷物がスタッフと一緒に旅をしました。
このブログでも荷物については、何度か触れた事がありますが、100個以上はあったジュラルミン・ケースには、それぞれ担当部所がわかるように、色分けしたテープが張られています。
私達構成作家グループの荷物には「トマホーク」という私の会社名が書き込まれていました。
そのようなジュラルミン・ケースが大中小と、5~6個は含まれていました。

↓当時のジュラルミン・ケースはまだ現役です。

スーツケース2

スーツケース

物を運ぶのは、スタッフ全員が協力する事になっていました。
だから、手を保護する意味で作業用の皮の手袋を個々に用意して、みんなで汗を流し、これもチームワークを結束させる良い機会だったと思います。
空港ではターンテーブルから、ロビーを経由してバスまで、バスがホテルに付くとバスからロビーまで、これが作業の流れです。
この間、担当セクション毎に荷物の個数をチェックして、数が合わなければ先へ進めないシステムになっていました。

この荷物運びの作業で、我々構成作家グループの荷物は「要注意」物件として、敬遠されていました。

その理由は?
他の荷物と異なって、ひときわ重いのでした。
何故かと言うと、以前にもこのブログで書いた事がありましたが、参考資料としてケースの中には各種の本をはじめ、書籍がぎっしりと詰まっていたのです。
その他、問題用紙、原稿用紙、といった類の紙類が沢山詰め込まれていました。

通の家庭でも本箱を移動したりする時に、本類はまとまると重いという経験は、皆さんもお持ちでしょう。
しかも、分厚い辞書の類が何冊も詰め込まれているのをご想像ください。
これはズシーンと重くなって、手に持った瞬間に
「なんだこれは?」
と困惑したスタッフの顔が思い浮かぶくらいです。
我々も、その辺を考慮して、中身は出来るだけ分散して詰め込み、みんなの負担にならないように気を配りをしました。
それでも、荷物を運ぶ時には、我々の荷物に手を付けないようにしているのが、何となく窺えます。
何しろ一度手に持ってしまってから、重いという理由でやめるわけにはいきませんので、触らぬ神に祟りなし心境だったのでしょうね。

これぞ、本当のお荷物だった、という事です。

外国の旅で知った歌謡曲の魅力

リカ横断ウルトラクイズでは、世界の各地をロケで回りました。

外国旅行を経験した方は多分、私達と同じような経験をしているのだと思いますが、食べ物で困る事があります。
折角他所の国へ来ているのだから、せめて旅の間は、その国の食事を食べるべきという意見の方は居ます。
でも、2、3日の旅ならそれも良いでしょうが、これが一週間、二週間と続けば話は変わってきます。

日ステーキやハンバーグ、或いはフランス料理のような豪華な食事が出されたとしても、普通の人はやがて飽きてしまいます。

「お茶漬けが食べたいなー」

お茶漬け

「味噌汁が飲みたい」

味噌汁

といったように、普段口にしている食べ物が恋しくなるのは、人として当然の欲求といえましょう。

いな事に、今や世界中の街に日本食を食べさせるお店はあります。
もっとも看板は日本食レストランと出ていても、中味は怪しいお店も結構ありますが、それはインターネットで調べれば、かなり正確に情報が取れます。
正にインターネットというのは、現代人はに欠かせない神器と言えますね。

話を日本食のレストランに戻します。
アメリカでもそうですが、ブラジルやアルゼンチン、メキシコなどの日本食の店を見つけると、我々は必ず寄ってみる事にしたのです。
これ等のお店は、共通の印象として、10年から20年くらい、時代が遡った感じがするのです。
お店の女将さんは勿論日本人で、はるばるやって来た我々を歓迎してくるのはいつものパターンです。
これが嬉しくて寄るのですがね。

ルゼンチンでは、カマスの一夜干しを出されて感激した事もありました。
また、このようなお店では、豆腐納豆なども当たり前のように揃っています。
このようなお店に入ると、小さな音量で日本の懐かしい歌謡曲が流れていたりします。
昭和30年代、40年代に大流行した歌となれば、どうしても演歌が中心になってしまいます。
遠く淋しい異国の町で、微かに聞こえてくる古賀メロディは琴線をゆさぶる効果は抜群です。
思えば演歌は、悲しい別れや恋を歌ったものが多いですね。
舞台は夜汽車の中、北の国、淋しい海峡、といったように遠く日本を離れている我が身にピッタリ来るような状況なのです。

かも、カウンターでチビリチビリと日本酒など飲んでいたら、まるで自分が歌の世界の主人公になったような錯覚さえ起しかねません。
そのような効果を狙っているのか、どのお店でも懐かしの歌謡曲が流れていたような気がします。

私自身、その昔は音楽番組を多数手掛けていたので、個人的には好きな歌もありましたが、といってそれまでロケやロケハンで歌謡曲のテープやCDを持ち歩いた事はなかったのです。
ところが、最果てのお店で歌謡曲に接し、その魅力を再発見したのでした。

の結果、第14回大陸横断バスの旅をする際に、何枚かのCDを持っていって聞いてみたのです。
すると、何も見えない荒野のドライブで聞く演歌は、これほど心に沁みこむ歌詞であったか、と驚きました。

荒涼としたハイウェイ

早速、若い放送作家に勧めたところ、
「ええっ、八代亜紀ですか!」
と最初は馬鹿にした様子でしたが、いざ、それを聞いているうちに、
「もっと他のCDはないのですか?」
とすっかり演歌の虜になってしまったのでした。
そう言えば、八代亜紀はトラック運転手のアイドルという話を聞いた事がありましたが、深夜一人でハンドルを握っている彼らの心情に響くものがあるのでしょうね。

矢代亜紀

その後、日本に帰ってきてから彼らの音楽の趣向が変わったと言う話は聞いていませんが、しかし、
「歌謡曲は淋しい旅先で聞くに限る」
というのが本日の結論です。

アメリカ横断!ウルトラクイズの裏話