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地球のテッペンってどんな所?
地球は丸くて、南北の軸を中心にグルグル回転しているわけですから、当然この球形のテッペンがあるわけです。
そこを北極点といいますよね。
そのテッペンに最も近い場所にある町がアラスカ州のバローというところです。
勿論、電車はおろか路線バスでも行けません。
遥か彼方の辺鄙な淋しい、この場所に行くには飛行機しかないのです。
そこに住んでいるのはイヌイットと呼ばれる人たちです。
顔は日本人に良く似ていて、特にお年寄りの中には田舎のお爺ちゃんにソックリ、なんて人もいたりして、ついつい笑顔で話しかけてしまいたくなりそうです。
ウルトラクイズの第12回では、こんな地の果てまで、ぞろぞろと出掛けて行ったのです。
その時に体験した、お話を幾つかしてみたいと思います。
私達が最初にロケハン(撮影前の下見)で訪れたのは、7月の事です。
アラスカ州のアンカッレジから国内線の中型機で飛び立ちました。
飛行機の窓から下の景色を見ていると、山や森の木がだんだんと消えてなくなり、湿地帯のような荒野に変わってきます。
夏の事ですから、白い雪は見えませんが、褐色の地面や水辺の水の色がキラキラと太陽の光を反射させ、お伽の世界に迷い込んだような不思議な風景が延々と続き、やがてバローの空港に到着しました。
太陽は頭上で眩しく輝いています。
空港の建物を出て、町を車で走り回るのですが、何となく殺風景なのは街に街路樹が1本も見当たらないのです。
↓Barrow beach
それもそのはず、冬はあまりの寒さで、樹木が生育しないのだそうです。
我々はクイズ会場に相応しい場所を探すのですが、時間を忘れて時計を見たら、何と午後11時ではありませんか。
「ええっ!もう夜中だぞ」と仰天。
それもそのはず、白夜の季節なので、夜だというのに暗くならなかったので、時間を忘れてしまったのです。
そんなこんなで、ホテルにチェックインしたのが、夜中の事。
そして部屋に入って、窓から外を眺めると、公園の広場が見え、自転車で子供達が遊んでいます。
時間を確認すると、真夜中の2時です。
一体この国では、子供の教育はどうなってるんだ?
と叫びたいけれど、それは大きなお世話です。
そこで、こうなったら白夜の太陽はどのように西に沈んで、どうやって東の空から上がってくるのかを確かめてみたくなりました。
窓から徹夜で観測していると、太陽は西の地平線に沈む一寸手前でストップし、やがて横滑りの状態でだんだんと横へ横へとスライドして、昇り始めます。
つまり、上り始めた方向が東だったわけです。
↓バローの白夜
太陽が沈まない街、バロー。
ここは1988年に鯨が2頭、流氷の中に閉じこめられ、その救出作戦が米ソ協力の下に行われ、連日テレビのニュースで報じられたのでご存知の方も多いと思います。
このクジラ救出の話は後に「誰もがクジラを愛してる。」という映画にもなりました。
↓映画「誰もがクジラを愛してる。」
この地の人は、人間も動物も、いつも厳しい自然と戦いながら、生きています。
白夜があれば、その反対で暗黒夜といって、夜ばかりの季節もあるのです。
現地の人に訊ねたところ、夜ばかりといっても午前6時か7時には起きて、狩りに出たりするそうです。
そして、夜は8時間くらいは睡眠をとるという生活をしているのだそうですよ。
ロケは9月に行われましたが、すでに日照時間は短く、空港に着くと外は吹雪でした。
ところが、現地のスタッフはみんな半そでのTシャツ姿なのでびっくり。
聞けば
「雪が降るのは暖かいから。本当の真冬はこんなもんじゃないよ」と笑っていました。
地球には、ほんとに色んな人が住んでいるもんですね。
・・・今回はここまでにしておきます。
最初はたったの404名
毎年10万人以上の応募があり、5万人もの人が東京ドームに集まって来たクイズの祭典「ウルトラクイズ」。
でもね、記念すべき1977年の第一回大会の時は・・・
集まったのは、たったの404名でした。
彼らはパスポートを胸に、王選手の世界記録756号のホームランで沸いた後楽園球場の1塁側スタンドに集まってきました。
まだ、予算もなく、番組のためだけに球場を借りる事はできませんでした。
そこで、ジャイアンツの試合が始まる前、少しだけスタンドを借りて撮影が始まったのです。
球場ではジャイアンツの選手が試合前の練習をしていて、
「今日は何がはじまるの?」
と声をかけてくるような、そんな長閑(のどか)なスタートでした。
そして記念すべき第一問は
「上野動物園のパンダ夫婦の名はリンリンとランランである、○か×か」
というものでした。
今なら携帯やスマホでインターネットにつないで、アッという間に正解を探す事が出来ますが、その頃は携帯もなく、知識がなければそれまでです。
因みにこの問題は×が正解で、パンダ夫婦の名前はカンカンとランランが正解です。
↓はじめて日本にやってきたジャイアント・パンダ カンカンとランラン
だけど、その頃リンリン、ランランという双子姉妹の人気アイドルがいて、彼女たちが歌うCMソングでよくテレビから「リンリン、ランラン…」という歌声が流れていたので、勘違いした人もいたのでした。
北海道や沖縄から、交通費自腹でやってきて、この1問を間違えて帰った人もいたわけですから、罪な番組と言えないこともありません。
でも、それを承知でみんなフィーバーしたんですから、日本もとても平和な時代だったんですね。
この時は、404名中80人が第一次予選を通過して、羽田空港に駒を進めました。
という事は、5人に1人が予選を通過したわけですから、ムチャクチャ確立が高いですよね。
このブログを読んでくださっている方の中には、東京ドームまでやって来て、あの5万人の中でクイズに挑戦した方もいると思うのです。
あれを勝ち抜いて、成田まで駒を進めるのが、どんなに大変だったかを思い起こすと、最初の頃はホントに甘かったんですよ。
恐怖の罰ゲーム
ウルトラ・ファンの質問の中で、一番多いのは
「あの罰ゲームは本当にやるの?」
というものでありました。
勿論、全部本当に体験してもらっているのは言うまでもありません。
中には放送した以上に、恐ろしい事が起こっている事もあります。
あれは第12回、その年は北極圏にあるバローから南極圏のフェゴ島まで、南北アメリカ大陸を縦断するというコースでした。
ブラジルにある世界最大の滝、イグアスの滝でクイズが行われ、敗者が決定しました。
負けたのはうら若き女の子です。
彼女に与えられた罰ゲームは、滝の下流を一人乗りの小さな船に乗ってのんびり下ってもらおうというものでした。
実は、下流にはブラジル、アルゼンチン、パラグアイと三つの国の国境があり、何処へ流れ着くやら川まかせというおまけ付き。
スタッフは川岸で彼女とバイバイ。
彼女は心細そうにジャングルを流れる川を流されて行ったのです。
カメラは遥か離れた丘の上から望遠レンズで彼女の様子を撮影しています。
と、何処からともなく1隻の高速警備艇が現れ、彼女のボートの側に水しぶきが上がたのです。
見ると警備艇から機関銃が連射されているではありませんか?
しかもその音がパパン、パパンとこだまとなって聞こえてきたのです。
驚いたのはスタッフの方でした。
そんな演出は何も考えていませんから、
「エッ!なんだあれは?」
と仰天したのは言うまでもありません。
すぐさまこちらも川岸に無線で連絡、彼女の船を追跡するように指令が出されます。
スタッフがようやく船を発見すると、それは国境警備隊のパトロール船で彼女の身柄は拘束されていました。
勿論機関銃は本物で、警告のための実射でした。
我々はテレビの撮影だ、と説明したのですが
「カメラなんかないじゃないか」
と最初は信じてくれません。
このままだと彼女は拿捕されてしまいます。
そこで、「遠い丘の上にカメラのクルーが見えるでしょ」と
必死で説明しました。
結果的にこの出来事は、警備隊を買収して丸く治めました。
その時の対価は、ウルトラクイズのロゴ入りのTシャツ3枚とやはりロゴ入りのキャップ(野球帽)3個。
これで、国際問題にも発展せず、国境侵犯の罪もすべてチャラになったのでした。
はじめに
テレビは世の中を動かす怪獣です。
テレビでCMが流れれば物は売れるわ、その辺のお姉ちゃんでも人気があれば、ある日突然大学教授に変身!
芸人でも国会議員に変身!とばかり何でもアリの怪獣がテレビなのです。
その怪獣の中でも、ひときわドデかい怪獣が出現、それが70年代に生まれた
「アメリカ横断ウルトラクイズ」
でした。
70年代といえば、まだ庶民にとっては海外旅行なんて夢のまた夢で憧れの時代。
そんな時代に、
「ニューヨークに行きたいか!」
「罰ゲームは怖くないか!」
の掛け声で、クイズの参加者をいきなり外国へ連れ出しちゃったのですから、日本中のクイズ好きがパニックに巻き込まれてしまったのです。
毎年後楽園球場(後の東京ドーム)に集まる参加者は5万人。
それも日本全国から自費でやってくるのですから、ご苦労さんな事です。
しかも、第一問で落ちてしまえば、「ハイ、それまでよ」ですから高い旅費を考えれば泣き出したくなるような心境だったでしょうね。
それでも、なんだこの問題は!とクレームをつけてくる人が一人もいなかったのですから、みんなお祭りに参加するような気持ち、或いは宝くじを買うような楽しみで集まってきたのだと思います。
そして、クイズに正解さえすれば、100人が成田までは行ける。
更に、魔の関門、ジャンケンに勝てば海外へ飛び立てるという、甘い誘いに乗って中には休暇が取れず、会社を辞めてまで参加したという人までいたのです。
そのくらい人生を変えてしまうような怪獣だったのです。