ガテン系ドクター

ルトラクイズの渡米スタッフは、70名近い団体です。
いや、回によってはもっと多い時もあったかもしれません。
これにアメリカ人の現地スタッフが、5~6名加わって1ヶ月近くも一緒に旅を続けるのですから、それは大変です。
タッフを大きく分けるとプロデューサーやディレクター作家などの制作班、カメラマンや録音技師などの技術班、衣装やセットなどを担当する美術班、それに挑戦者を担当する係りと分ける事が出来ます。
これだけの人間が一緒に旅をしながら、一つの目標に向かうわけですから、チームワークが何より大切なのはみんなが解っています。
だからかどうかは知りませんが、毎年スタッフが大幅に入れ替わる事はありませんでした。
つまり、1年に1回、毎年同じ顔ぶれが集まって番組創りをするという体制を作り上げたのです。
しかも、スタッフはプロ中のプロといっても良い顔ぶればかり。
いや、それはちょっと褒めすぎかな、、、
↓アメリカ横断!ウルトラクイズのスタッフ達

ウルトラクイズのスタッフ達_集合写真

れだけの人間が1カ月間も旅をするとなると、健康問題が心配です。
そこで毎年ドクターに同行をお願いする事にしました。
といっても開業のお医者さんに1ヶ月も休んでもらうなどという事は不可能ですので、大学病院にお願いする事にしたのです。
N大医学部、J医科大学の先生方には本当にお世話になりました。
毎年ドクターがジュラルミン・ケースに医薬品を一杯詰めて、参加してくれるというのが恒例となったのです。
うなると、日頃は健康自慢だったはずのスタッフも
「夜、眠れないです」
「疲れが溜まったようで肩が懲ります」
「胃がもたれたようで、スッキリしないんです」
など、なんだかんだと理由をつけて薬をもらうようになり、多くのスタッフがお世話になりました。
方、番組が視聴率を上げるにつれて、大学でも自ら希望して同行ドクターになろうという先生が増えたと聞いています。
んなある年の事、N大からI先生がやってきました。
我々スタッフは、何でも率先して協力するというのが暗黙のルールです。
例えば空港に到着すると百数十個という機材を詰めたジュラルミン・ケースが出てきます。
これをチェックしながら、トラックに運ぶという重労働が待っています。
ホテルに到着すれば、それを降ろして機材部屋に運ぶ、このような作業は全員が参加でやるようになっています。
しかし、ドクターには敬意を表してこのような重労働は免除というのが、例年の決まりでした。
ところがI先生は、自ら進んで荷物運びを楽しんでいます。
それどころか、本番前のセッティングでは、いつの間にか美術班に紛れ込んで、舞台創りを手伝っています。
そのうちに、自分専用のトンカチを腰に挿してトントン叩くかと思えば、のこぎりを使って舞台装置の材木を切ったりしています。
その姿がまったく違和感なく美術スタッフに溶け込んでいるので、スタッフの間では大人気でした。
「私は外科医なので、切った貼ったは好きなんです」
と本当に楽しそうに、張り切っていました。
のガテン系のI先生が参加したのは第9回で、決勝の地がニューヨークではなくパリでした。
花の都、芸術の町、シャンソンの故郷、パリを形容する言葉は沢山あります。
そのパリの中で、エッフェル塔が最も美しく眺められるのがトルカデロ広場と言われますが、その広場が決勝の地でした。

↓トルカデロ広場

トルカデロ広場

こで決勝戦を終え、翌日は丸1日休日という日。
お洒落な街で買い物をする者、パリ観光を楽しむ者、スタッフは気の合ったグループに分かれパリの街に散りました。
々が3、4人でメトロ(地下鉄)に乗っていると、車内の中央で取っ組み合いの喧嘩が始まっているようです。

↓パリのメトロ 車内

パリ_メトロ社内

よく見ると我らが敬愛するIドクターがフランス人の若者の首を押さえ込み、その周囲にいる仲間らしい男が止めに入っている模様です。
しかも、Iドクター一人で善戦しているではありませんか。
我々は直ぐに駆けつけ、

「ドクター、喧嘩はマズい。手を離して」
と仲裁に入りました。
ドクターは我々が現れたので、ホッとしたのか

「手を離して良いんですかねえ」
と、腕の力を緩めました。
その瞬間、フランス人の男と仲間は周囲の人を掻き分けて、地下鉄のホームへ走り出て行ったのです。
こちらも呆気に取られて、「何があったんですか?」と聞くと、

「彼らは集団のスリなんですよ。財布を抜くところを目撃したので、トッ捕まえたんですが、余計な事だったかな」
とケロリとしているのです。

「ええっ!それじゃ捕まえなくちゃ」

と言っても後の祭り。
既にその時、我々の乗った電車は次の駅に向かって発車していました。
初めて行った外国で、しかも一人でスリの現行犯を抑えつけるとは、本当に頼もしいドクターでした。

あれから20数年経ちましたが、I先生はお元気でしょうかね。

クイズ問題を創る人達

イズ番組ですから、クイズの中味が面白くなければ、視聴者の興味が薄れる事になります。
番組がスタートした当初は、我々企画に参加した放送作家が手分けしてクイズ問題を創っていました。
しかし、思った以上に問題を消化するので、段々と手に負えなくなって来たのです。

こで、放送作家志望の若者を募集し、彼らに問題創りを手伝ってもらう事にしました。
毎年50人近い若者を集めて、彼らにクイズ問題を創る仕事を発注したのです。

たった1行か2行の文章の中に、視聴者が興味を持てる内容を詰め込む作業ですから、放送作家になるための勉強の場としては、最適と言えます。

しかも、安いとはいえ基本給与があった上に、1問採用されれば高い原稿料が支払われるのですから、こんな割の良いアルバイトは無かったと思います。
それでも、途中で脱落する人も多く、最後まで続くのは毎年20人~30人といったところでしょうか。
この経験を経て、現在放送作家として活躍している人も大勢います。
れはさて置き、彼らには毎度厳しい注文を付け、アイディアを絞り出させたものでした。
何故かと言えば、最初は皆さん、作家という職業を軽く考えているのです。

例えば、雑学辞典、雑学百貨、雑学王、といったような雑学本をそのまま引き写して、「私が作りました」という顔をして提出してくるのです。

これは物を書く人間として最低の行為です。
盗作と言われても仕方がありません。
そうした物書きのいろはから教え、数々の楽しい問題を生み出して来ました。

イズ会議では、単なる知識は「教科書問題」と呼ばれて、採用はされません。
そこに「作者の発見」や「意図」或いは同じ知識でも見方を変えて、新たな切り口を見つけることによって、視聴者の興味を促すテクニックが加えられて、初めて採用となるのです。

論、作家だけではなく、ディレクターも、プロデューサーも番組に関わる人間はみんな、クイズ問題を考えて問題会議に提出するようになっています。
そんな会議での出来事をご紹介しましょう。
「王選手の血液型はO型である」
という問題が創られました。
これはアメリカ横断!ウルトラクイズの歴史に残る名問題だと思います。
何故なら、当時の王選手は756号のホームランを打ち、時の人です。
しかもスポーツ・ニュースでは毎日のように取り上げられる人気スターでした。

↓全盛期の王選手

全盛期の王選手

の人気者の王選手O(オー)を掛けて問題にするとは、憎いテクニックと言えましょう。

クイズの挑戦者にすれば2つの見方が発生します。

1つは、王選手がO型だったから問題が成立したのだ、という意見。
クイズ研究会の人たちは大体そんな見方をするでしょうね。
残る1つは、「おー」という言葉遊びで、これは引っ掛け問題であろうと言う意見です。
挑戦者は迷いに迷って、正解者と不正解者が丁度半分に分かれたのです。
これこそ○×問題のお手本となるような問題です。
る時、私はクイズ制作者を集めて、この話をしたのです。
すると次の会議の時に、同じような問題が沢山提出されました。

曰く
「永六輔の血液型はA型である」
「佐藤B作の血液型はB型である」
これは笑い話ではなく、本当の話なのです。
会議では、「ボツ!(没)」と大声で却下されたのは言うまでもありません。
う1つ忘れられない問題がありました。
「マラソンの瀬古利彦選手の前世は飛脚だった。○か×か」
という問題が提出されました。

↓マラソンランナー 瀬古利彦選手

瀬古利彦選手

題会議では爆笑となりました。
当然、問題としては「ボツ!」なのは言うまでもありません。
ところが、作者は納得しません。

「何故ですか? 面白いから皆が笑ったんでしょ。東京ドームでも受けますよ」

自信満々
「キミねぇ。前世の裏付けをどうやって証明するんだ?」

とこちらも冗談の積もりで聞いてみたのです。

すると

「そんなの簡単。霊能者に見てもらえばハッキリします