アメリカ横断ウルトラクイズのスタッフは、テレビを作る上での各業種の人達が40名近く集まっていました。
何か突発的な出来事に出会っても、自分の職種に関する限り、全部自分達で解決しなければなりません。
例えば撮影のためのカメラの調子が悪くなったとします。
日本の国内であれば、メーカーに修理に出せば済む事ですが、外国で、しかも砂漠の中で調子が悪くなったら、普通はお手上げでしょうね。
しかし、そんな甘えは通用しません。
カメラマンたるもの機械の仕組みに精通し、自らの手で修理をしてしまうような技量が求められます。
私も実際に目撃した事がありますが、カメラの調子が悪いので、分解して修理するという事がありました。
彼らはベッドの白いシーツを床1面に広げ、作業に取り掛かりました。
なぜ、シーツの上なのか?
という疑問は直ぐに解けました。
細かいネジをはじめ、部品を分解するのですから、もし紛失でもしたら取り返しが付きません。
そんな配慮の中で、修理は行われ見事に成功させていました。
このような場面を見せられると、私達の仕事でも油断が出来ません。
例えば、クイズ問題の中で、スタッフの誰かが疑問点を指摘したとします。
「それは解りません」では納得してくれません。
だから、どのような疑問にも答えるだけの準備をしておかなければ、私達の存在価値が問われてしまうのです。
現在なら、パソコンですぐ調べが付くようなものですが、当時はそのような便利なものは無いので、辞書に頼るしかありません。
そのため大型のジュラルミンケースに、広辞苑、日本国語大辞典、学術用語集、
大辞林、日本風俗史大辞典など、分厚い辞書の類を一杯詰め込んで持っていきました。
或る時は、誰かの思い付きで、水戸黄門様の印籠を出そうという話になった事がありました。
このような場合、美術担当者に「明日の本番までに作るよう」注文が出されます。
東京の局ならば、小道具の部屋で探せば済む様な話しですが、周囲に街もないような砂漠の真ん中にあるようなホテルでの事でした。
彼らは、プラスチックの石鹸箱をベースに、黒のペンキで色をつけ、葵の御紋章を金色の塗料で描く事になったのです。
そこで我々の出番がやってきました。
「葵の家紋はどのような形だっけ?」
これを正確に描ける人なんて、そうそういないでしょう。
そこで用意していた辞典の登場です。
日本の家紋一欄という頁を発見、これでそのような無茶なリクエストにも応じる事が出来たのでした。
こうした名人芸の美術さんに助けられた事があります。
或る時、若い作家がモーテルの洗面台の上で、お湯を沸かそうと携帯の電熱器のスイッチを入れたのです。
しばらくすると部屋1杯に焦げ臭い匂いが漂ってきたのです。
あわてて駆けつけると、電熱器が逆さまに置かれていて、下の化粧版の台が黒く焦げて燃え出す寸前でした。
危うく火災になるところです。
焦げた洗面台は綺麗に拭いても、くっきりと跡が残っています。
「困った事になった」と頭を抱えたところへ、美術担当のTさんが顔を出し、それを見て、
「私に任せなさい」
と胸を叩くではありませんか。
「私に任せなさい」
と胸を叩くではありませんか。
焦げた洗面台は、大理石を模した化粧板だったのです。
そこに白いペンキを塗った後、丁度私が吸っていたパイプのやにを少し混ぜ合わせて、大理石の色感を調整して、模様を描いていったのです。
間もなく、新品同様のピカピカの化粧板が出来上がり、そこにコーティングの塗料を吹き付けて完成させてしまったのです。
「毎日、水拭きをしても、半年や1年はバレませんね」
Tさんのお蔭で事無きを得ましたが、モーテルの皆さん、本当に申し訳ありませんでした。