アメリカ大陸は男だけで勝負

メリカ横断ウルトラ・クイズの第13回大会は通常の年とは異変が有りました。
アメリカ大陸へ渡る前にオーストラリアとニュージランドに寄り道をしたためアメリカにたどり着いた時には、女性陣が全員打ち死にしてしまったのです。
アメリカ西海岸の玄関ロスに着いた時には挑戦者の9人が全員男性になっていたのです。
内訳を見ると社会人が2名、あとの7人は全員が大学生で、しかもクイズ研究会のバリバリのメンバーが揃っていました。

クイズの達人達だけに、各チェック・ポイントで激しいクイズバトルが繰り広げられ、忘れられないのはボルチモアの戦いでした。
この地はアメリカの独立戦争で激しい戦いが行われた歴史的な戦場でした。
イギリス海軍がボルチモアの要塞を目がけて25時間に亘って、何と1500発の砲弾を撃ち込んだのだそうです。
いくら砲撃しても、アメリカの星条旗が堂々とたなびいている、その姿を見て、流石のイギリス艦隊もあきらめて引き揚げて行ったという歴史があったのです。

FortMcHenry

メリカの国歌「星条旗よ永遠なれ」は、この時の様子を歌にしたもので、国歌誕生の地と言える場所が、クイズ会場でした。
ここで行われた準決勝の定番「通せんぼクイズ」は、ウルトラクイズ史上に残る激しい戦いでした。
3ポイント獲得するとお立ち台に立つことが出来る。ここで早押しをして正解すれば決勝に進出。しかし、他の挑戦者はそれを阻止しようと立ちはだかって来る、というパターン。
やっとお立ち台に立つと、すぐさま阻止される、この繰り返しが延々と続き、放送されたクイズ問題だけでも63問でした。

ボルチモア_準決勝

然、これは編集されたものですから実際に使われたクイズ問題は優に100問を超えています。
答える方も必死でしたが、テレビを見ていた視聴者の皆さんも手に汗握るすさまじい戦いで、放送翌日には記録的な数のファンレターが日本テレビに届くという現象まで起きていました。
この時に勝ち抜いたのは、立命館大学のクイズ研、長戸勇人さんと神戸市の会社員永田善彰さんでした。
この最強の2人が対戦した、ニューヨークでの決勝戦もまたまた良い勝負として、我々スタッフには永く記憶に残る名勝負でしたね。

16年間で数多く行った場所ランキング

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、毎年アメリカ大陸を横断してクイズを行ってきました。我々は毎年新しいクイズ地を求めて各地を歩きましたが、何度か同じ場所を訪れる事が有りました。
その様な中で、暇に任せて調べたところ複数回行ったところのリストを作ってみました。
16年間で3回行ったところが何と9か所ありました。
アトランタ、1、10、16
ダラス、1、6、10
フェニックス、1、5、8
ナイヤガラ、2,7,10
マイアミ、3、10、11
オーランド、9、10、15
ラスベガス、5、9、12
エルパソ、5、10、15
モハーベ砂漠、10、12、15
この表を見ると適当に間隔を開けて場所の選定をしていた事が解ります。
中には連続して行った場所も有りますが、多分何か理由があったのでしょうが、その理由の記憶に無いのが残念です。

4回行ったのはワシントンD.Cで、3、6、11、12でした。
5回がニューオリンズで、1、4、6、9、15です。
やっぱりジャズの本場として魅力的な都市だったので、これだけ重ねて行きたくなるような魅力が街中にあふれていたのが解ります。
その後、台風の大被害を受けたのがニュースで報じられましたが、流石にもうすっかり昔の姿を取り戻している事でしょう。

6回はサンフランシスコです。
2、4、8、9、12、16ですが、この街はアメリカ人が1度は行きたい街と言われるだけあって、実に雰囲気の良い美しい坂の街でした。
我々はゴールデン・ゲート・ブリッジやケーブルカーを使って、観光名所を会場にクイズを行いました。

サンフランシスコ

同じ西海岸のロス・アンゼルスには、7回行っています。
3、6,7、10、11、13、15です。
この街は日本人の留学生も多く、クイズ会場にもその姿が見られ、近親感が持てる街でした。

ハリウッド

1番多かったのは自由の女神様が待つニューヨークでした。
16回の内、全回訪れていました。
「ニューヨークへ行きたいかー!」
の叫びで始まった番組ですから、行かなければ詐欺的行為として叱られてしまいます。

Statue_of_Liberty

ロケ場所の選定は、毎年何らかの新しい情報を集め、ロケハンで確認してから決定していたので、数多く行った場所には、それなりの理由があったはずです。
中にはクイズ形式が先に決まって、それに相応しい場所として選ばれたり、或は罰ゲームが先行してクイズ会場が決まるという事もあったかもしれません。
国内の番組だと地元の要請でロケ地を決める事もありますが、ウルトラクイズに限ってはその様な事はあまりありません。
例外として第9回の決勝の地パリだけは、当時のシラク市長より
「パリは世界の文化の中心地ですぞ。どうぞパリへいらっしゃい」
との熱烈なラブコールを頂きました。
そこで史上初、アメリカ大陸を突き抜けて大西洋を飛び越え、ロンドン、パリへと足を伸ばしました。

エッフェル塔

それにしても足の向くまま、気の向くまま、あちこち歩き回る良き時代の良き番組でした。

出題の場所にも配慮した問題

メリカ横断ウルトラクイズは、スタッフの数が多かった事もあり、会議では多数の意見が続出しました。
勿論、番組を良くするためのアイディアが出される訳で、良い意見は直ぐに番組に反映させなければなりません。
或る時、クイズ問題は出来うる限りクイズの行われている場所に関連付けて解説した方が良いという、当たり前の意見が出されました。
すると、クイズ問題の責任者だった私に、
「この意見を尊重して問題の配分をするように」
との注文が付けられたのです。
言われる前から、その意味でご当地問題という形式があったのですが、それにもっと気を配って欲しいという事なのでしょうね。

それからというもの、問題の配分が決まった後に、また他の調査をする事になりました。
例えば第4回でイエローストーンへ行った時です。
クイズ問題の中に以下の様な問題が有りました。

イエローストーン_間欠泉

・日本で1番距離が長い国道といったら国道何号線?
という問題です。
この答えと、イエローストーンをこじつけで、結び付けるにはどの様にするべきか?
これが我々問題担当者に与えられた課題です。

解は国道4号線です。

国道4号線は日本橋から青森までを結ぶ国道で742kmあります。
青森とイエローストーンの共通点を探せ、などというのは、まるでパズルのようなもので、中々良いアイディアが浮かびません。
その様な時に、
イエローストーン国立公園を1周したら何キロになる?
という意見が出ました。
早速調べて見ると230kmという事が解りました。
「そうだ、これだ!」
という事で、この問題の解説には以下の様な解説文を付けました。
 
「国道4号線は742km。イエローストーン公園を1周すると230km。日本で最も長い国道の約3分の1に当たるのですねえ」というコメントを福留さんが読むわけです。

たったこの一言を番組で発言するために、その裏ではスタッフが知恵を出し合って番組は作られていたという事を裏話としてご紹介したいのです。
ただ、全員が同じ意識ではないので、この様な現場の解説も編集でカットされてしまう事もあります。
その様な地味な努力の積み重ねが、あの番組の力になっていたのです。