憧れの街サンフランシスコ

メリカ横断ウルトラ・クイズのロケで何度か訪れた都市の中で、思い出深い街にサンフランシスコが有ります。

我々は6回訪れていますが、これはニューヨークの16回、ロスの7回に次いで3番目に当たります。

数が多いという事は、それだけ魅力的な街という事でしょう。

アメリカ人の意識調査でも、1番行きたい街の常に第一位に選ばれている街なのです。

々はクイズの度にご当地問題として、サンフランシスコのご紹介をしていましたが、補足の意味で、もう少し突っ込んでご紹介したいと思います。

第16回では、以下の問題が出ました。

・昔、「インディアンの娘の乳房」と呼ばれていた、街全体を見渡せる丘は何?

Twin_Peaks

・ツインピークス

解説

街全体を見渡せる2つの丘があり、北にある丘が標高276m。南側が277mの高さです。南北丘の頂上から2つを結ぶ道路があって、この道をツインピークス・ブルーバードと呼んでいます。

この一帯は自然保護区に指定されているため、動物や植物が自然のままで残されており、山頂から市内の眺めも良いので、クリスマス・シーズンには多くの市民で賑わいを見せているのだそうです。

・サンフランシスコの街の一角には、大邸宅が建ち並ぶ「ノブ・ヒル」がありますが、このノブの意味は?

Nob_hill

・お金持ち

解説

19世紀の後半に、鉱山成金や鉄道成金が競ってこの一帯に大邸宅を建てたところから、人々はお金持ちの丘、「ノブ・ヒル」と呼ぶようになりました。

現在はグレース大聖堂や高級ホテルが建ち並び、古きヨーロッパ調の優雅な雰囲気を保つ人気スポットになっています。

 

ンフランシスコのもう一つの名所はゴールデンゲート・ブリッジです。

GoldenGateBridge

1937年に完成、2737mで世界一長い吊り橋として有名でした。

しかし、1964年にニューヨークにヴェラザノ・ナローズ橋が完成したため、世界一の座は奪われ、我々がロケをしていた時代には世界一ではありませんでした。

とは言え美しい吊り橋としての人気は衰えず、日本の瀬戸大橋とは姉妹橋関係を結んでいます。

瀬戸大橋

ダラスの熱い日

メリカ横断ウルトラクイズの思い出を書いていますが、ロケの状況を振り返ると、暑い場所で汗を流しながら、ロケを行っていた印象が非常に強いのです。
多分、ロケが行われたのは毎年9月だったので、晴天が多く、特に砂漠地帯が多かったために、個人の印象としては暑さの中での作業が強い思い出になっているのでしょう。
そのような中で、特に強く残っていたのはダラスの熱い思い出でした。
ダラスはケネディ大統領の暗殺で、我々には印象の強い場所でした。
確か、この暗殺をテーマにした「ダラスの熱い日」という映画もあったように思いますが、そのような先入観もあって、ロケ当日も暑い中で行われていました。
第6回の第9チェックポイントでした。

Dallas_Downtown

々のロケは「モービルホーム」と呼ばれる、車輪の付いた移動式の組み立て住宅の中で行われました。
このハウスを公道で移動させながら、クイズを行ったのです。
当時は、このモービルホームその物が珍しかったので、アメリカの生活を紹介する意味も含んでいたのです。
照りつける太陽の下、道路を走りながら3ポイント先取の早押しクイズでした。
クイズそのものは、何事も無く無事に終了しました。
本番の終了後、我々は上半身裸で、汗を拭きながら後片付けをしていた時、気を利かせたコーディネーターが冷たく冷えた果物を差し入れてくれたのです。
スタッフは大喜びで、それぞれが果物を口に運んでいました。
暑い中での冷たい果物は最高の贈り物です。
司会の福留さんも、冷たく冷えたぶどうを食べたそうです。

ころがこの後に問題が起こりました。
ホテルに着いて、一旦シャワーを浴び、さっぱりしたところで、翌日の打ち合わせも兼ねて、福留さんの部屋を訪ねたのです。
すると彼が
「変だよ、どうなっているの?」
と姿を見せ、彼の顔を見て、私も仰天しました。
顔が大きく腫れ上がり、間もなく息も苦しいと訴えているのです。

のような事態に備えて同行のドクターがいるのですが、ドクターもあまりの状況に救急車の出動を要請したのです。
幸い、ダラスという大都市だったお陰で、直ぐに救急車も到着し、病院に運ばれました。
処置が早かったので、大事には至らず収まりましたが、原因は葡萄に付着していた農薬のせいだとの事でした。
福留さんの状況は顔の腫れだけでなく、器官も腫れて息が苦しかったそうです。

福留さんの顔の腫れは、1日2日では収まらず、次のニューオリンズでは、顔の撮影はせずに声だけの出演となりました。
勿論、放送の時には別撮りした顔と差し替えますので、視聴者の皆さんには気付かれることも無く進行しました。
スタッフは、どのセクションもイザという時には交代要員が居ますが、画面に出る司会者だけは、そうは行きません。

そこで、この事態を切っ掛けに、次の第7回以降は司会者の控えとして、日本テレビのアナウンサーが必ず一人同行するようになりました。
そのため、クイズ形式も同行アナを生かす方法として、2重音声クイズのようなものが考えられるようになったのです。
外国を1ヶ月も旅をしているわけですから、思わぬアクシデントは付き物でしょうが、ウルトラクイズの場合はこの出来事が最大の危機だったように思います。

ハリウッドのお話

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎回アメリカ大陸へ渡りますが、入り口は西海岸の都市でした。
ロス、又はサンフランシスコが多いのですが、第6回はアラスカへ上陸、次にロスへやってきました。
クイズ会場はロス市内の遊園地マジックマウンテンでしたが、ロス=ハリウッドというイメージでご当地問題はハリウッドに関する問題でした。

Magic_Mountain

・ハリウッドが映画の都と呼ばれ、映画産業が発達した理由は、人件費が安かった、西部劇の舞台に向いていた、などいろいろ有りますが、最も大きな理由がありました。それは何でしょう?

Hollywood_blvd

・雨が少ないから。

解説・この地は天気が良く、それが映画発展の最大の理由でした。映画では晴れた日に、雨を降らせる事は可能ですが、雨の日に晴天のシーンは撮影できません。アメリカ映画の歴史を見ると、初期の頃はニューヨークやシカゴに撮影所が集まっていました。
ところが、諸々の事情で1911年、ロスにスタジオを作った会社が有り、以後次々と移ってきて、ハリウッドが映画の都になったと言う経緯がありました。

因みに、ハリウッドと言えばこの地区の丘陵に見える、HOLLY WOODの看板が世界的に有名です。

Hollywood

この看板は元々は不動産会社が立てたもので、HOLLY  WOOD LANDというものだったそうです。それが何度か補修され、現在の地区を象徴する名物になっていったのだそうです。

日本語ではハリウッドを「聖林」と表記しますね。
これは問題にしても良かったのですが、あえて外しました。
何故なら、これにも面白いエピソードがありました。
実は聖=HOLYを誤読してHOLLYとなったのだそうです。
つまりこの辺りは、ヒイラギの林なので、正しくは「柊林」と書くべきでしょうね。
しかし、最初の表記がいつの間にか定着してしまったと言うことなのでしょう。
語源や表記を調べると、最初はこのような誤りが、いつの間にか定着して真実になってしまうことがあるのだそうです。
別にどちらでも良く、定着した方が常識になってしまうのですね。
「間違えた日本語の使い方」、などという類の本が出ていますが、それもこのような話が多いようです。
ただ、クイズの場合の「正解」は現在の常識にしないと、後で問題になるので、我々は裏付け調査を綿密にしていました。
すると、付属にこの様な、面白い話が浮かび上がってくるのです。