日本をアメリカ人はどの程度理解している?

メリカ横断ウルトラクイズのロケ、ロケハンとアメリカ各地をずいぶん廻りました。
沢山のアメリカ人にも会って、お話を聞く機会がありました。
我々日本人の多くの人達は、アメリカはとても親しい国と思っています。
だからアメリカからの情報は逸早く入ってきますし、アメリカの事についても良く知っています。
例えばアメリカの現大統領はオバマさんで、写真を見れば大体の人が「この人がアメリカの大統領」と解ります。
しかし、普通のアメリカ人は日本のことを、それほど知らないということが実感としてわかりました。
↓オバマ大統領

オバマ大統領

6回の時に、ケンタッキー州のルイビルに行きました。
この辺りは緑の牧場が果てしなく続く、競走馬の名産地です。
クイズ会場「ケンタッキー・ホースパーク」という馬の公園。
↓Kentucky Horse Park

kentucky-horse-park

イズもケンタッキー・ダービーに因んで第4コーナーまで行われるというものでした。
つまり4つの形式に分かれて、勝ち進むというわけです。
第1コーナーは挑戦者1人毎に5問出題される「タイム・ショック形式」
第2コーナーは馬に乗って走る「馬上○×クイズ」
第3コーナーはケンタッキーの人の意識調査、「ケンタッキーの人100人に聞きますクイズ」
実は、これが本日のテーマなのです。
元のおじさん、おばさん、若い男女もかなりの数いましたが、100人の方達に集まっていただき、日本に対する意識調査をして、それをクイズ問題として採用したのでした。
こんな具合です。

問 日本人をどのように思っていますか?
1 抜け目のない人々
2 勤勉な人々
3 信用できる人々
正解は②が1番多く、これは社交辞令としても予想される回答でした。
次は
当時の中曽根総理大臣の顔写真を見せ、この方は日本の有名人ですが、さて誰でしょう?
1 相撲の親方
2 歌舞伎のスター
3 総理大臣
時は、日米の首脳同士がお互いに、ロン、ヤスと呼び合って日米関係が良好な時代でした。
だから、日本人ならたいていの人がアメリカのレーガン大統領の顔を知っていた時代です。
でも、ケンタッキーの人達は、我が総理大臣の写真を見て、相撲の親方、或いは歌舞伎のスター、と答えた人が圧倒的に多かったのです。
↓官邸でレーガン大統領(右)を迎える中曽根康弘首相(左)

中曽根首相とレーガン大統領

の問題は放送ではカットされてしまいましたが、日本人アメリカの事情に詳しいほど、アメリカ人日本のことを知っている訳ではないという証明です。
んな事もありました。
空港で、我々が日本人だと知ると、親しそうに話しかけてきた人がいました。

「実はオレの従兄弟が上海にいるんだ」
というのです。
彼曰く「上海は日本だろ?」だって。

アメリカに住んでいると、アジアの都市が何処にあるのか、日本、中国、韓国を混同して区別の付かない人も多いようなのです。
東洋人は顔も同じような顔をしているし、着ている服装だってそれほど変わっているわけではないですからね。

も日本人だって、都市名と国名を間違える人は多いですものね。

リハーサルから真剣勝負

メリカ横断ウルトラクイズに出場した方はご存知でしょうが、クイズ会場に出場者が到着すると、直ぐに本番のクイズが始まります。
場者が何か考える間を与えずに、本番が始まってしまうので、戸惑った方たちも多かったのではないでしょうか?
これも計算された演出意図の中での進行で、出場者にクイズ以外の事を考える閑を与えないための作戦だったのです。
影開始前の準備は、早朝から始められていました。
本番当日の平均的なスケジュールですが、起床が4時、荷物出しなどの作業を終えてホテルを出発するのが5時、というのが普通です。
現場着が6時~7時近辺。それから会場のセッティングなどがあって、9時頃からリハーサルが始まります。
の空いたスタッフは全員参加で、クイズ問題に答えなければなりません。
リハーサルでの問題は過去に放送された問題が使われます。
記憶力の良いスタッフは正解できますが、誤答すると罵声が浴びせられる事になりますので、みんな必死で答えなければ、恥ずかしい事になってしまいます。
々問題担当の作家達は正解して当たり前なので、ワザと誤答をして場を盛り上げる役割に徹します。
この間にウルトラ・ハットの状態もチェックされ、本番を待ちます。
↓早押しクイズのリハーサル。

リハーサル_ウルトラハット

れでもリハーサルが早押しクイズの場合は楽なもので、バラマキクイズリハーサルは大変でした。
なにせ、ディレクターは手を抜かない、というのがこの番組の基本精神ですから、本番と同じように広い荒野に問題がばら撒かれ、それを走って拾ってこなければリハーサルになりません。
カメラマンも本番と同じように、重いカメラを担いで走り回るのですから、傍で考えるほど楽ではないのです。
うして、スタッフの準備が終わったところに、主役の挑戦者がスターのようにバスに乗って登場し撮影が始まる、という段取りでした。
本番が始まる頃には、スタッフはみんなへとへとに疲れきっていたのですが、テレビの画面からはそんな片鱗も感じさせること無く、収録は進行したのでした。
↓バラマキクイズのリハーサル。手を抜くと罵声が浴びせられるので、みんな真剣に走りました。

リハーサル_バラマキクイズ

アメリカの歴史に触れる

メリカ横断ウルトラクイズは、奇想天外なサフライズが売り物と考えている方も多いでしょうね。
でも、もう一つ忘れてならないのは、アメリカの各地を訪ねながら、文化歴史に触れる、という目的もあったのです。
えば「アメリカ人で、現代社会の発展に貢献した発明家は誰でしょう?」
と問いかけたなら、どんな人達が思い浮かぶでしょうか?
まず第1にトーマス・エジソンの名前が挙がるのではないでしょうか?
彼が発明した「電話機」「白熱電球」「発電機」「蓄音機」どれをとっても現代人には欠かせないものばかりです。
行機を発明したライト兄弟も忘れるわけにはいきません。
人間が空を飛ぶという人類誕生以来の夢を、この兄弟が現実にしたわけですから、それは天才なんていう言葉の一言で済ます訳にはいかないウルトラ天才といえましょう。
々はこうした天才達の偉業に少しでも触れて、番組を構成出来ないものかと常々アイディアを捻っていました。
そして第14回のロケハンで、遂にライト兄弟の発明に関わる現場を見る機会を得たのでした。
それは太平洋側の西海岸から車で出発して3週間後のこと。
大陸を横断して最初にたどり着いた大西洋側の東海岸。
そこにキティーホークという島があります。
今では海辺の別荘地として開発され、夏のシーズンには結構賑わうこともあるそうですが、我々が訪れた6月には人も閑散として静かな田舎の島といった雰囲気でした。
ノースカロライナ州の、この小さな島であのライト兄弟が飛行機を作り、空を飛ぶ実験を繰り返していたのです。
は20世紀の初頭のことでした。
なぜ、この島が選ばれたかと言うと、当時は誰が最初に空を飛ぶかと言われるほど、飛行機の実験をする発明家がいたらしいのです。
ですから秘密を守るために陸地と遮断された島が理想の実験場だったのです。
そして1903年の12月17日に人類初の飛行に成功したのです。
↓展示されていたライト兄弟の模型

ライト兄弟1

でもライト兄弟が最初に飛んだレールがそのまま残されていますし、記念の塔をはじめ関連の品々が展示されていました。
この場所ならばクイズ会場に最適、と決まったのが第14回でした。

ライト兄弟2

こで行われたのは準決勝の「通せんぼクイズ」でした。
形式は早押しクイズで、3ポイント獲得した人が通過席に進みます。
そして次の問題に一早く答えれば決勝に進出出来ます。
但し他の者がこれを阻止してしまえば得点は0に戻って、元の席に戻らなければなりません。
そして1からやり直さなければならないのです。
食うか食われるか弱肉強食の、正にウルトラクイズらしい正念場のクイズ形式でした。

スタートは難産でした

メリカ横断ウルトラクイズは1977年にスタートして、17年間も続いた長寿番組といっても良いでしょう。
テレビ番組が、まだ海外に目を向けていない時代に始まって、これに刺激され海外取材の番組が増えたのですから、時代の先端を走っていたことになります。
まあ、それはともかく、最初はこんな「馬鹿げた企画」と相手にされず、苦労して生まれた事だけは確かです。
んな中で、今では「ウルトラクイズ」という言葉が、世の中にすっかり定着していますが、実は企画の段階では違う名前だったのです。
企画当初は、常識を超えたドデカイ番組にしようということで、当時大きい物の代名詞でもあった「ジャンボ」という名詞が使われました。
即ち「アメリカ横断ジャンボクイズ」が正式名でした。
備の段階では、この「ジャンボクイズ」で着々と進んでいたのですが、ある時、提供スポンサーの中に全日空が加わったのです。
そして「ジャンボ」というのは如何なものか?とクレームが付いたのです。
故ならその頃、全日空のライバルであった日本航空がジャンボ・ジェット機を導入し、ジャンボJALのイメージが強すぎる、という事です。
因みにジャンボジェット機とはボーイング社の747の事で、安価な大量輸送を実現した画期的な航空機です。
このジャンボ機の登場によって、それまでは庶民にとっては高嶺の花であった海外旅行が可能になったという社会的な背景もあります。
そうした時代と、ウルトラクイズは正にマッチしたのでしょうね。
↓JALのジャンボ・ジェット

ジャンボジェット

レビ業界ではスポンサー神様です。
下々が神様のご意見に逆らう事など、出来ようはずがありません。
そこで急遽ジャンボに変わる言葉として、過度の、極度の、超という意味で「ウルトラ」という言葉が浮上してきたというわけです。
も、永年にわたって使い慣れてみると、「ウルトラクイズ」って案外飽きが来なくて良いネーミングだったような気がします。
どうでしょう?

ロケハンはしたものの

メリカ横断ウルトラクイズのロケハンは、毎年6月頃に、およそ1ヶ月間をかけてアメリカ各地を歩き回ります。
論、事前の調査で候補地を選んで行く訳ですが、当然、本番で訪れる場所よりも多くの現場を見たり、人に会ったりします。
惜しくも本番では実現しなかったけれど、思い出の場所も沢山あります。
ージニア州のノーフォークもそういった1つです。
第14回のロケハンで、アメリカ大陸を車で西海岸からスタートして、東海岸まで横断し、辿り着いた最初の大西洋側の港町ノーフォークでした。
あまり耳慣れない地名ですが、実はここは世界最大の海軍基地なのです。
↓ノーフォーク (バージニア州)

NorfolkfromHarborTower

しろ「アメリカ統合戦力軍」「アメリカ艦隊総軍」「アメリカ海兵隊総軍」といった厳めしい名前の本部が総てこの街に置かれているのです。
軍事オタクが聞いたら、よだれが出そうな街ですよね。
それだけに軍需産業、特に軍艦を建造する造船業で発展したという歴史を持っているのだそうです。
とにかく、強いアメリカの総本山みたいな印象を持たれるのは間違いありません。
↓国立海洋センターノーティカスと戦艦ウィスコンシン

ノーティカスと戦艦ウィスコンシン

いアメリカと言えば、その言葉にピッタリの方がこの街に住んで居ました。
何と昭和30年代の初めに、力道山と共に日本中にプロレス旋風を巻き起こした鉄人ルー・テーズさんが住んでいたのです。
↓「鉄人」ルー・テーズ

ルーテーズ4

は多くのレスラーが「20世紀最強である」と語っている不世出のレスラーとして知られています。
当時は外人レスラーの多くが悪役だったのに対し、常に正統派レスラーとして日本でも多くのファンがいました。
得意技は「岩石落とし」「脳天逆落とし」と訳された事もある「バックドロップ」で、この技の元祖であるのはあまりにも有名です。
力道山との2度にわたるNWA世界ヘビー級選手権は、プロレス界の名勝負として語り継がれています。
そんなプロレスの神様みたいな方が居るのに、素通りするわけには行かないとばかり、我々は彼のプロレス道場を訪れました。
る恐る面会を求めると、な、な、なんとあの鉄人ルー・テーズさんがニコニコと満面の笑顔で出迎えてくれたではありませんか。
とてもお人好しのお爺ちゃんといった雰囲気で、大歓迎してくれたのです。
私がまだ高校生の頃、日本中を沸かせたあの鉄人が目の前に居る、と思うと夢のような話です。

ルーテーズ1

お爺さんとはいえ、頑強な体つきは変わらず、我々にサービスで技をかけてくれたのです。
ほんの冗談のつもりでしょうが、その力の強い事!
身長190cmの体力自慢のA君でも、翌日まで首が回らないほどでした。
↓技をかけられるA君

ルーテーズ3

ルーテーズ2

かも彼は我々が帰る時に、何と飛行場まで車で先導して送ってくれたのです。
そのルー・テーズさんも番組で生かす事が出来ませんでしたが、懐かしい思い出です。

彼は我々が会った12年後の2002年、多くのプロレス・ファンに惜しまれながら86歳で他界しています。合掌。