番組の功労者、タフな女性軍団

メリカ横断ウルトラクイズは、永年に亘って人気番組でした。
ですからマスコミでも誰が功労者なのか、いろんな人達の名前が取沙汰された事がありますが、最初からずっと関わり続けた私の目から見ると、影で番組を最も支えてくれた人達がいたのです。
れは番組の最後に出るテロップでしか解りませんが、コーディネーターとして表示されている会社の皆さんです。
コーディネーターとは、撮影現場での交渉事をはじめ、現地の動きを事前に準備する重要な仕事をこなす人達です。
々スタッフは略称でACと呼んでいましたが、ニューヨークに本社を構えるコーディネーターの会社で、スタッフの大半が女性なのです。
社長は勿論女性で、Mさんという人です。
ウルトラクイズに参加した7~8人は全員がアメリカ人の女性たちです。
中でも日本人よりも日本語を上手く話すLという女性は、日本に住んだ経験もある体格の良い女性で、力仕事でも男のスタッフが顔負けするほど大活躍をしてくれました。
国を取材するテレビ番組の場合、大抵はその国に住む日本人のコーディネーターを使うのが、テレビ業界のしきたりのようになっています。
細かい言葉のニュアンスで、誤解が生まれないようにするのには、それがベストと考えられたのでしょうね。
そのような環境にあって、全員アメリカ人のACの皆さんほど優れたスタッフはそうはいないと思います。(但し、私の知る限りですが)
↓コーディネーターの女性と

コーディネーターと

女たちの責任感の強さと、バイタリティーには驚かされる事がしばしばありました。
えば第何回だったかは忘れましたが、飛行機便のミスで、撮影用の機材を詰めたジュラルミン・ケースが数個行方不明になった事がありました。
それが見つからなければ、スケジュールの通りロケが出来ません。
これは我々スタッフにとっては大事件です。
ですが、彼女たちは近くの大都市のレンタル会社と連絡を取って、多分徹夜で車を走らせたのでしょう。
行方不明になった物と同型の撮影機材を借り受け、ロケの危機を救う、というような離れ業をなんなくこなしてしまうのです。
々このブログでも紹介したと思いますが、ウルトラクイズのロケは過酷なスケジュールの中で行われていました。
ロケの前日は夜中まで会議が続くのは珍しくありません。
その上本番当日は5時起床などというキツイスケジュールでも不平不満を聞いた事がありません。
かも、彼女たちは全員車を運転しますので、ロケハンの時などは10数時間ぶっ続けで運転をしてくれたりします。
このように、彼女達の働きを振り返りますと、頭が下がる事ばかりのような気がするのです。
それなのに番組の功労者として忘れられている様な気がしますので、今回はあえてご紹介しました。
番組のスタッフ全員がお世話になっていた、恐るべき働き者の女性軍団でした。

それでは良いお年を。

夢見る地

メリカ横断ウルトラクイズで、大陸の隅から隅まで面白そうな情報を求めてロケ地探しの旅をしました。
永い事、番組に関わったおかげで、観光地、大都市それぞれ魅力的な場所は多かったのですが、個人的にもう1度行くチャンスがあるならば、何処なのかと考えた事があります。
忙しかった当時のですね。
メリカは広くダイナミックな光景が多く、比較して優劣をつけるのは難しいのですが、1箇所挙げるとするならば、私は「レイクパウエル」を選びます。
にも書きましたが、戦後世代の私達が最初に憧れたアメリカは、西部劇の舞台としての大陸でした。
レイクパウエルにはそれが総て揃っている感じがするからです。
ウルトラクイズでも何回か訪れていると思いますが、南の外れにグランドキャニオンがあるので、荒々しい赤色の土が主体の景色です。

そもそも人工の湖で、グランドキャニオンの上流にダムを作ってせき止めて完成させたそうです。
名前の由来は、第7回で訪れた時に問題として出されましたが、もう1度おさらいをします。
 レイクパウエルの名前の由来は次のどれ?
①この土地の発見者。
②土地の所有者。
③ダム基金財団の責任者。
正解

解説
1869年に、コロラド川をボートで川下りし、地質、地形を記録に残した最初の人だったのです。
この人の名前からつけられた、巨大な人造湖です。
といっても、我々がイメージする大きな沼とは違います。
コロラド川をせき止め、その長さは300kmといわれますが、大きな渓谷、崖、アーチなどが両岸にあって、そのダイナミックな風景は多くのアメリカ映画の舞台として登場しています。
し、アメリカ大陸を車で走る旅を計画の方がいたら、間違いなくお勧めのポイントといえましょう。
このレイクパウエルではレンタルのハウスボートも沢山見ましたので、キャンピングカーのように、これを借りたら楽しいでしょうね。
そして釣りなど楽しみながら、何泊かしながら移動するのも良いのではないかなー、とロケの時に空想した事があります。

lake_powell_houseboat

仕事から引退した今、たっぷりと時間は出来たのですが、実現の可能性は限りなく0に近いというのが淋しい現実です。

消滅が検討された「泥んこクイズ」

メリカ横断ウルトラクイズには、毎回レギュラーになっているクイズ形式があります。
例えば成田のジャンケンとか、グアムまでの機内で行なうペーパー・クイズ
その結果を発表するブーブー・ゲートなどが代表的なレギュラー・パターンと言えるでしょうね。
回によって、違う方法でこれ等の事を行なうこともありましたが、放送後非難の電話が殺到します。
つまり、毎年楽しみにしている固定の視聴者には、お馴染みのコーナーがないと騙されたような気分になるのかもしれません。
うした人気クイズ形式の1つにグアムの「泥んこクイズ」も入っていたのは確かのようです。
私達、構成作家にとっては、お馴染みのクイズ形式が増えれば、新たに考える作業がなくなりますので有り難い事なのでした。
この泥んこクイズは、ドロにまみれた敗者に同情しながらも、笑える光景で人気があったのでしょう。

泥んこクイズ

泥んこクイズ1

れはたまたまグアムに粘りの強い土があったのと、コバルト・ブルーの綺麗な海とドロンコまみれの敗者の姿が対照的な効果を発揮して、人気のクイズ形式に成長したのです。

泥んこクイズ3

泥んこクイズ2

初の頃は、挑戦者が○×のパネルに飛び込むのを怖がって、上手に飛び込む事が出来ない場面がありました。
それを解消するため、事前のリハーサルでアシスタント・ディレクターが見本の飛び込みをするのです。
ところが、アシスタントだって、初めての時は怖いので、頭から勢い良く突っ込んで行く事ができません。
それを繰り返しているうちに、PのA氏が怒って激を飛ばすように言いました。
「キミ達は怖がっているから駄目なんだ。そんな飛込みでは鞭打ち症になってしまう。俺が手本を示すから良く見ていろ!」
と叫ぶや、ボードに向かって勢い良く飛び込んで行きました。
彼は、当時で言う「張り切りボーイ」で、日頃スタッフを厳しく叱責するので、若いスタッフは萎縮してしまうという傾向があったのです。
その彼が泥んこのプールに飛び込んで、その後は?
みんなが固唾を飲んで見守ったのですが、彼は泥んこの中から立ち上がって来ないのです。
勢い余って泥んこの中に頭が刺さってしまったような状態で、起き上がれなくなっていたのです。
あまりに可笑しい光景ですが、大声で笑う事が出来ません。
みんな後ろを向いて口を押さえて、クスクス笑うしかありませんでした。
そんな出来事を乗り越えて、本当に笑える楽しいクイズ形式に育っていったのでした。
も、この人気の○×泥んこクイズ廃止が検討されたのでした。
原因は、下手をすると、「鞭打ち症になる危険性がある」と指摘してきた視聴者がいたからです。
確かに鞭打ち症のような状況を申告してきた敗者もいたらしいのです。
らしい、とは無責任な表現ですが、現場でそんな話を聞いた事が無く、同行のドクターから帰国後に聞いた話です。
んな事実を知ってしまったら無視は出来ませんので、或る回のシーズン・オフの時にスポーツ医学の専門家にVTRを見せて、判断を仰いだ事があります。
結果は「なるべくなら避けるべき」というお話でした。
幸いにして、過去の泥んこクイズで深刻な怪我人は出ていませんでしたが、もし、その後番組が続いたとしたら、おそらく中止になったいたでしょうね。
今考えると、恐ろしい事でした。

泥んこクイズ4

泥棒とハチ合わせ

メリカ横断ウルトラクイズで、長い事旅を繰り返しましたが、日本に比べてアメリカは治安が悪いのは周知の事実です。
旅人が一寸でも油断をすれば、置き引き引ったくりに合いますし、スリだって街中にウロウロとカモを探して沢山散らばって居たりします。
コンビニ強盗なども、アメリカは銃社会ですから、ピストルを持って大胆に店を襲ったりします。
これはニュース映像などで、時々見ることが出来るので、皆さんもお馴染みの光景でしょうね。
々も永い歴史の中で、数え切れないくらいの泥棒被害に遭っています。
特に空港のような人混みでは、置き引きが常に荷物を狙っていると考えた方が良く、それを防ぐために、ウルトラチームの特別な被害防止方法がありました。
前にも説明しましたが、200個近くものジェラルミン・ケースに撮影用の機材が詰まっていて、一個平均22kg、これをバスまで運ぶのが大変な労働なのです。
れは或る時から、40歳以上は免除というルールを作り、私も免除されていましたが、それでも身体がなまってしまうので時々は荷物運びで汗を流したものでした。
この作業はスタッフが全員参加で行なうので、スタッフの私物の鞄が作業の邪魔になります。
そこで空港のロビーの一箇所に鞄を集めて置き、作業に参加しない我々が見張っていたのですが、目が行き届かない事だってありそうです。
何しろ空港によっては周り中が黒山の人だらけというほど、混雑する事があるからです。

混雑する空港

こで考えられたのが、荷物をそれぞれベルトや取っ手の隙間にを通して結び、鎖にはが掛けられるという方法を考えたのです。
いわゆる数珠繋ぎのように、鞄が一つの固まりにしてしまうのです。
スタッフは100人近くいますから、担当の班ごとに荷物を纏めるのです。
例えばカメラや音声の技術班、美術を担当する美術班、演出やプロデューサの制作班、といったように担当班ごとが近くに鞄を置いて、各班のアシスタントが全員の鞄に1本の鎖を通して、最後に鍵を掛けるのです。
鎖でつながれた鞄の山が、幾つか出来上がるという状況ですね。
れでも置き引きの連中は荷物を狙って、鞄を持ち去ろうと手を出すのですからあきれ返ってしまいます。
そんな時には狙った鞄が外れないので、他の鞄も一緒に引っ張ることになり、漫画を見ているような滑稽な光景が目の前で展開され、思わず笑ってしまいます。
私も何度も目撃しましたが、鎖で繋がれている鞄を持ち去れず、悔しそうに立ち去った犯人を大声で怒鳴り、追い払うのが我々見張り役の大事な仕事になっていました。
て、今日の本題に入りたいと思います。
第7回でアラスカ州のアンカレッジのホテルに泊まった時の事です。

アンカレッジ

達作家の部屋は2人部屋か1人部屋が多いのですが、その日は2人部屋でした。
私達の部屋には夜でも、明日の打合せや、問題についてディレクターやプロデューサー、司会の福留さんなどが良く訪ねてきます。
だから、部屋の鍵は何時でも開けっ放しにして、出入り自由にしていたのです。
丁度若いアシスタントの作家が風呂に入って居る時でした。
私はベッドに座って本でも読んでいたのだと思います。
人の気配がしたので、誰かスタッフが訪ねてきたものと思って、目をそちらに向けてビックリです。
イヌイット(アイヌの原住民)と一目で解る男が私のスーツケースをそっと引っ張りながら、ドアに向かって後ずさりしているのです。
置き引きが文字通り置いてある荷物を引っ張って盗み出す瞬間だったんですね。
私は大声で「誰だお前は!」と怒鳴りました。

棒は図々しくも
「イッツ、サービス、サービス」
と言い訳をしながら私のスーツケースを部屋の隅に運んで、部屋の整理をしに来たホテルのボーイを装っているのです。
初めての体験で、私も慌てたのか
「サービス?ノー・サンキュウ、ゲットアウト!」
と叫ぶのがやっとでした。
それにしても、誰か来るたびに立ってドアまで開けに行くのが面倒くさいと、ホテルの部屋の鍵をオープンにすること自体が、非常識な行為だったと大反省させられた事件でした。
それ以後、私達の部屋は毎回キチンとロックされ、安全地帯になったのでした。

ヒット番組の宿命

メリカ横断ウルトラクイズは1977年に誕生して、トータルで17回に亘って放送されました。
手前味噌ですが、70年代を代表するようなヒット番組と言えると思います。
テレビの業界で言えば視聴率の高い人気番組と見られています。

ロゴ

いにも私個人としては、ウルトラクイズの誕生から関わった放送作家として、この番組が私の放送作家人生で、かなりのメリットとして役立っていたのは事実です。
テレビ業界に限らず、世の中では世間的に成功する品物を作り上げた場合、

「実はあれは俺が作った」

という権利を主張する人間が登場するのは自然の流れです。
そんな争いが起こらないように、「著作権」とか「商標登録」などの制度があって、これが本家争いのブレーキになっている事と思います。
テレビの業界では、似たような番組を作っても著作権でもめるような事はそうそうありません。
でも昔から他のヒット番組に似せた番組が作られても、視聴者の方が利口で、「パクリ!」という一言で片付けられ、パクリ番組が永続きしたためしがないのです。
からウルトラクイズのように何年もヒットが続くと、

「実は自分はあの番組に関わっている」

と自称関係者が出てくるのは自然の成り行きかもしれません。
それどころか、自分が番組そのものを考えた、というような人間が出てきても不思議ではないのです。
それに一々反論する必要はありませんが、私のように最初から最後までスタッフとして関わった人間は、そんなに数多くいません。
ですから、一緒に働いた人間はほとんど覚えているのですが、思いもしないところで自称ウルトラクイズのスタッフだったと言う人に出会う事があるのには驚かされます。
中でも驚いたのは、
「私がウルトラクイズを考えた時、中々企画を解ってもらえなくて苦労したよ」
と、私に自慢みたいに話したテレビ関係者がいました。
確かに最初の頃、手伝いに来ていたテレビマンですが、知らないところではそのような話で自分の能力を高く売り込んでいるのでしょうね。
もっと驚いたのは、
「羽田でジャンケンをして、勝った人を飛行機に乗せるというアイディアは僕が出したんだ」
というスタッフもいました。
勿論、そんな事実はまったく存在しないのです。
それどころか、あのジャンケンが生み出されるまで、最初の放送作家やディレクターがどれほど苦心して生み出されたのか、その辺の事情をイヤと言うほど味わった私としては耳を疑うような話でした。
でも、
「ヒット番組ではよくある話だ。一々気にしていては身が持たない」
と先輩に聞かされた事を思い出します。
かに長年に渡って作られた番組ですから、関係した放送作家もクイズ制作者も多数いるのは確かです。
それらの人々を全面的に否定する気は毛頭ありません。
それどころか1度でも関係したスタッフが、それを自慢出来る番組というのは今や稀少価値と言えると思います。
その意味ではどんどん関係者であったことを主張してください、と言いたいです。
は40年以上もテレビ番組を作る世界に籍を置きましたが、それでもこの番組に関わりが持てたのは、幸せな事だったと心から思っています。
ですから、このブログを見て、昔の関係者がコメントを寄せて下さるのを待っているような気もいたします。

自由の女神