アメリカ横断ウルトラクイズは放送当時、高い視聴率を獲得したお蔭で、予算も特別扱いで、今風に言えば「何でもありー」といった強気の姿勢になっていました。
そのような雰囲気はスタッフ全体に浸透していたようで、面白そうな企画なら、何でも実現出来るような錯覚に陥っていたのではないでしょうか?
そうでもなければ、我々だってとても思い付かない様なアイディアを出したりしません。
でも、あの当時は、
「常識を超えたアイディアを出せ」
と上層部から注文され、我々もそれを実行していたのです。
それが顕著に現れたのが、第9回のニューヨークだったように思います。
あの年は、決勝の地をニューヨークからパリに変えていたのです。
これも番組がヒットしたお蔭で、パリのシラク市長から
「何故ニューヨークが決勝地なの? 世界の文化の中心地はパリですぞ。ムッシュー!」
というラブコールをもらったのだそうです。
そのような事情で、アメリカを突き抜け、パリまでコースを伸ばして番組が作られたのです。
市長様からのリクエストとなれば、
「クイズ会場もエッフェル塔が一番美しく見える広場が良い」
と我儘なリクエストを出したところ、 これもあっさり了承されて、トルカデロ広場に決まったのでした。
こうなると、ニューヨークでも滅多に実現出来ない場所で、周囲が思い切り驚くようなクイズをやろうという事になったのです。
とはいえ、我々は単なる民間のテレビ番組です。
公共の場所を独占して、衆人環視の中で撮影をするなんて、そのような大胆なアイディアは出てきません。
しかし、常識を超えたアイディアを‥‥。
こんな注文が毎回の会議で話題になり、ついにニューヨークの5番街を独占して、マラソンクイズをしよう、というとんでもない案が提出されました。
いくら何でも、そんな乱暴な企画を実現出来るわけない、と最初はみんな思っていました。
ところが、ニューヨーク市に我々の計画を打診したところ
「面白いじゃない!やって見たら」
という思わぬ反応だったのです。
そうなると、もうブレーキが利きません。
どのようなアイディアであろうと、最初から無理と思わず、何でも挑戦しようという姿勢はこの時から始まったのです。
現実にはセントラルパークを出発地に、5番街をマラソンしながら、エンパイアー・ステート・ビルまで、目抜き通りをクイズをしながら走ろうというわけです。
途中には彼の有名なティファニー、グッチ、セリーヌ、カルティエなどの有名店が軒を並べ、道行く人達も一体何が始まったの?と、驚きの眼を見開いていました。
日本人は何を考えているのか?
おそらく現在なら世論も許さないような事を平然とやっていたのです。
何でもそうですが、既成概念に囚われていたのでは、新しい事は出来ない、という言葉があります。
その意味では、我々のウルトラクイズの時代は、まだ初挑戦と言えるような未知な分野が沢山あったので、幸せな時代だったと言えるでしょうね。
ニューヨークの5番街を我が物顔で走りながらマラソンクイズ。
このような乱暴な申請に対して、「どうぞ、どうぞ」と撮影許可をくれるなんて、アメリカという国は本当に懐が深いと感謝した出来事でした。