女性が希少価値だった?第3回

メリカ横断ウルトラクイズはキャッチ・コピーの通り、知力、体力、時の運で、挑戦者が勝ち残って行く番組でした。
毎年、我々が仕組んだ訳でもないのに、男性と女性の比率は良い配分で進行していましたが、時には予期せぬ出来事も起こってしまいます。
それは第3回の時に起こったのです。
後楽園球場の○×クイズ、成田空港でのジャンケン、機内でのペーパー3択クイズ、ここまでは順調に進み、男女40名がサイパンの地を踏んだのです。

サイパン

して、サイパンで行われた「○×お泊りクイズ」で、予期せぬ番狂わせが起きてしまったのです。
これは勝てばホテルの素晴らしい部屋に泊まることが出来ます。
しかし、もし負けるとホテルには泊まれず、ビーチに張られたテントで1泊しなければならないという厳しい罰ゲームが待っていたのです。
ここで、40名の内、半分の20名が犠牲になるように仕掛けられていたのですが、なんとクイズの結果、大いなる番狂わせで、女性がたったの2名しか残らなかったのです。
ということは、この回に勝ち残った多くの女性が、サイパンの砂浜のテントで夜を明かしたという、寂しい体験をする羽目になってしまったのでした。

事に勝ち抜いた2人の女性は、全女性を代表して視聴者の応援を受けたのは言うまでもありません。
幸いと言うのか、強運というのか、このお2人は、並み居る男性群と戦いながら、アメリカ本土に駒を進め、1人は第8チェックポイントのツーソンまで、残る1人は第10チェック・ポイントのヒューストンまで、善戦しました。
この男女比率の番狂わせは、翌年の第4回にも起こってしまい、こちらは逆に男性軍が次々と脱落してしまったのです。

そして、準決勝に残った4人は全員が女性だったという、女性パワーの凄さを見せた回になってしまいました。
細かい統計はありませんが、挑戦者は毎年男女半々だったように思います。
従って、放って置いても、男女が程よい割合で勝ち進んで行きましたが、時には偏った配分になるのは、自然の流れかもしれませんね。

々スタッフにすれば、男女いずれが優勝しても、視聴率に差はないように思いますが、視聴者の立場になるとどちらが面白いのでしょうかね?
えっ、それはキャラクター次第?
ごもっとも。
か弱い女の子が、自信満々の秀才を破る、ドラマならそのような設定もあるのでしょう。

でも、ウルトラクイズは筋書きの無いドラマなので、そのような計算をする必要は全くありませんでした。
もし、そのような事を考えると、やらせ問題 が起きてしまうのでしょうね。。。

male-female-equality

栄光の罰ゲ-ム?

メリカ横断ウルトラクイズの名物に罰ゲームがあったことは、ウルトラファンには広く知られていました。
クイズに負けた罰ですから、ご本人にとっては屈辱的なゲームなのは間違いありません。
狙いは、体力的に苦しい体験、恥ずかしい体験、恐怖の体験、といったような事が、罰として敗者に科せられ、その様子を視聴者は同情しながらも、笑ってしまう、というのが基本的なコンセプトでした。

中にはクイズの勝負よりも、罰ゲームの方が印象に残ったなどという、主客転倒もしばしばありました。
我々番組の制作陣も、クイズ形式と共に罰ゲームの案には、力を入れて考えたものでした。
そのような中で、ある種の人から見れば「罰」というよりは、むしろご褒美のような、体験も多数あったように思います。

の典型的な例が、第8回の準決勝フィラデルフィアでの、罰ゲームだったように思います。
この街は、アメリカ合衆国の出発点とも言える都市でした。
アメリカ憲法発布の舞台であり、第一回の国会が開かれたのもこの街だったのです。
アメリカ銀行も、病院みんなこの街で誕生して、全国に拡がって行ったという歴史がありました。
この街の中心部に、赤レンガのジョージ王朝様式の立派な建物がありました。
植民地時代ペンシルベニアの議事堂だった建物で、インディペンデンス・ホールです。


ウルトラクイズは、この建物の前面に広がる芝生の広場をクイズ会場にして、準決勝が行われ、2人の敗者が決まりました。
このフィラデルフィアには、当時もう一つの名所がありました。
映画ファンにはおなじみ、あのシルベスタ・スタローン「ロッキー」の舞台だったのです。
そこで、ロッキーがトレーニングを重ねた映画の舞台、博物館前の大階段で、ロッキーと同じように生卵を五個いっぺんに飲まされ、トレーニングのしごきを受けたのでした。

rocky


これで終わり?

いやいや、罰ゲームの本番はこれからです。
ロッキーの舞台ですから、この街は元々ボクシングが盛んな街だったのです。
そして、街一番の有名なボクシング・ジムに連れて行かれました。
そこが、元世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・フレーザーのジムだったのです。

ジョー・フレーザー


みにジョー・フレーザーは64年の東京オリンピックで、ヘビー級の金メダリストとして、世界一強い男として有名でした。
機関車のような突進力とスタミナを備え、左フックを得意技としたボクサーです。
ボクシング界で、彼の名を高めたのは伝説の男、モハメッド・アリを初めて敗北させた男としての功績です。
そんな、世界ボクシング界憧れの男、ジョー・フレーザーご本人が、直々に敗者のスパーリングの相手をしてくれると言うものでした。

彼の殺人パンチが、敗者の顔面を捕らえたら?
こんな恐ろしい罰ゲームはありません。

かし、ボクシング・ファンから見れば、この体験は罰ゲームどころではありません。
若しかすると、優勝賞品に近いほどの貴重な体験だったかもしれませんね。
ジョー・フレーザーさんは、2011年に肝臓ガンのため亡くなっています。 合掌

Joe_Frazier

夢のある番組作り

メリカ横断ウルトラクイズの面白さの1つは、大袈裟な仕掛けにあったように思います。
どのテレビ番組もそうですが、限られた予算の中で、セットが作られ、出演者が集められ、スタッフが揃って番組は撮影に入ります。
ウルトラクイズが始まった当時は、テレビ界も景気が良くて、ヒットしている限りは、毎年予算が膨らんで、担当プロデューサーは、毎年赤字になるので、始末書を提出するのが
「恒例の行事だ」
と笑って言ってました。
普通のサラリーマンなら、赤字を出して会社に損害を与えれば、下手をすれば降格か、左遷を覚悟しなければなりません。
でも、当時のテレビ界では、赤字を出しても、視聴率さえ取れれば、万事OK!という良き時代だったのです。

そんな時代の中でも、大判振る舞いの仕掛けが次々と出されたのが、私の記憶では第8回だったように思います。

例えば、ダコタでは8台の本物の幌馬車を、周辺各地から集めて、カウボーイ達と1緒に大草原を旅をしながら、早押しクイズをしました。
この時も、幌馬車はかつて活躍した本物でなければ使えない、と無理な注文を出したのです。
従って、そのような幌馬車をアチコチ探し回るのに、現地のコーディネーターが苦労していたのを私は知っていました。

幌馬車たち

の前のフェニックスでは、アリゾナの砂漠の中でバラマキクイズをしました。
砂漠と言っても、アリゾナの砂漠は、サボテンをはじめ、乾燥地帯の植物が結構自生していて、見渡す限り砂の砂丘とは異なります。
こんな砂漠地帯でバラマキとは?
実は撒く人達に、膨大な費用を投じたのです。

普通ならヘリコプターか、或いは軽飛行機で問題用紙をばら撒くところを、スカイダイバーが問題を持って持って、天から降ってくるという仕掛けでした。

それも1人や2人ではありません。
何事もやる事は派手が大好きなウルトラクイズの仕掛けです。
当時全米第1位のスカイダイバー・チーム、クーリッジ・スカイダイバー・チーム30人が、天高く飛び降りて来たのです。

スカイダイバー

会の福留さんが、「問題はあの人達が撒いてくれる」と絶叫して、空を見上げたのですが、最初現場では何も見えませんでした。
挑戦者も、狐につままれた様にポカーンと空を見つめていただけです。

私も、ジーっと見ていると、青空の中にゴマ粒ほどの点が幾つか確認されました。
つまり、スカイダイバーが飛行機から飛び降りた直後の上空は3,000~4,000メートル。あまりに高すぎて、人間の姿を確認するのが困難なくらい、小さいのです。
それが上空数百メートルまで降下して、初めてパラシュートが開き、大空一杯になどの華やかなパラシュートの花が咲き乱れると言う仕掛けでした。だから、パラシュート・チームが繰り広げた上空での演技は、現地の肉眼では確認出来なかったのです。

れなどは、たまたまその現場でスカイダイビングの大会をやっていたのなら、可能でしょうが、わざわざウルトラクイズのために、このチームをフェニックスまで呼んで演技してもらったのです。
これだけでも、1つの番組が出来るような費用を、1つのチェック・ポイントに投入していたのですから、大掛かりで、ハラハラドキドキ、胸が高鳴る番組が出来たわけです。

我々が企画会議で夢を語ると、当時のウルトラクイズにはそれを実現させてしまうパワーがあったのです。
だから、その意味では、スタッフにとっても夢の番組だったと言えるでしょうね。

特典は幻の如く、ウルトラ伝説

メリカ横断ウルトラクイズは、クイズに勝って駒を前に進める、これが大原則でした。
しかし、17回の歴史の中で、この原則が破られそうになった事が1度だけありました。
それは第7回(83年)の時に発生したのです。

あの通過するのが難しい第一次予選の○×クイズ
成田でのジャンケン
更に機内の難関ペーパークイズ
これ等を戦わずにグアムまで進む特典を持った人物が、この回に参加して来たのです。

「ええっ。そんなバカな!」

と思われるのは御尤もです。
一体何の権利があって、そのような人物が出てきたわけ?
実は、その前の年82年の大晦日に放送された「ウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦」で、7万人の敗者の中から、見事優勝した「クイーン・オブ・敗者」のSさんが、その人だったのです。

しかも、この権利は番組内で優勝賞品として、全国に放送されていたのですから、約束を反故にする事は出来ません。
尤も、敗者復活戦の優勝賞品にそのような特典を与える方が、可笑しいという意見も当然あります。
確かに、この賞品に関しては、賛否両論ありました。
会議では激しい攻防戦がありましたが、最終的に、敗者の中の最高の敗者なのだから、その位の特典はあっても良いと、訳の解らない理屈が通って、採用されていたのでした。
し、このSさんがグアム以降もどんどん勝ち進んで行くと、それまでの番組の伝統が崩れる事になります。
何故って? ウルトラクイズは全てのチェックポイントを勝ち抜いた人が頂点に立つ、というのが売り言葉になっていたからです。

そんな我々の心配を吹き飛ばしてくれたのは、グアム空港での出来事でした。

内ペーパー・クイズの勝者は40名、それにグアムから参加する「クイーン・オブ敗者」のSさんを加えて、41名が飛行機から降りる事になります。
しかし、次に用意されていた「グアム名物の○×泥んこクイズ」に、参加出来るのは40名ポっきりです。
と、いう事はは1人人間が多いのです。

そこで、対策として機内クイズの得点最下位の人と、Sさんの二人で勝負をして頂き、勝った方がグアムの地を踏んでもらうという案が出てきました。
(これは、最初から計画されていたのですが)
しかし、やっぱり思い通りにはいかないもの。
機内クイズの最下位は同点で2名いたのです。
結局は3名での○×クイズです。

グアム上陸作戦


その時の問題は、しつこくも再び、自由の女神に関する問題が2問でした。

問① 

アメリカの人々が贈ったパリ、セーヌ河に有る自由の女神は、ニューヨークの方を向いている。

グアム上陸作戦2


問② 
ニューヨークの自由の女神の台座には、メードイン・フランスと書かれている。

グアム上陸作戦3


答え、1は○ 2は×

この対決では、Sさんが敗れてしまい、哀れ機内の人となり、即日帰国して行ったのでした。
これで、ウルトラクイズの特典は幻の如く消え去ったのでした。

天国への階段

世界の豪華客船クイーンメリー号

メリカ横断ウルトラクイズは、アメリカ中の名所旧跡を訪ね、クイズを行ってきました。
そんな中で、印象深い場所として忘れられないのは、第7回のロサンゼルスのクイズ会場となった、クイーンメリー号です。

最近は、世界の豪華客船で旅をするリッチなお話が、時々テレビで紹介されますが、その当時はまだ豪華客船といえば、「タイタニック号」のように映画の中でしか、お目にかかれない存在でした。
ところが、その頃、有名なクイーンメリー号が、現役を引退してロスのロングビーチ海岸に停泊している、という情報を入手したのです。

queen-mary


みにクイーンメリー号は、1,934年に建造され、処女航海は1,936年と言いますから、歴史的に見ても価値ある豪華客船です。
当初はイギリスとアメリカを結ぶ定期客船として、大西洋で大活躍したそうです。
第二次世界大戦中は、軍隊の輸送船として、兵隊を運ぶ役目を果たし、戦後は再び大西洋の定期航路として、活躍しています。

その豪華客船が1,967年に現役を引退し、静態保存され、ホテルとして第二の人生を歩み出したのでした。
我々が訪ねたのは83年ですが、72年に公開された映画「ポセイドン・アドベンチャー」の撮影に使用されていたので、映画ファンの方にはお馴染みの船内でした。

の豪華客船は、建造当時に流行したアール・デコ調の内装で、伝統美を誇っていて、最初は我々のように作業着姿で、船内を歩き回るには一寸気後れしました。
「豪華のレベルも、世界は桁違い!」
と、いうのが最初の印象でした。

セレブの皆さんは、このような船で旅を楽しんでいるなんて、正に映画の世界に迷い込んだ気分とでも言うのでしょうか。
しかし、考えてみれば、我々だってテレビを通じて、皆さんに夢を与える仕事なんだ、と気を取り直し、豪華客船での撮影が開始されたのでした。

こでのクイズは、前年に引き続き「双子神経衰弱」の第2弾。
11組の双子と3つ児が1組の計25人の兄弟、姉妹がゲストでした。
クイズに正解すると回答権が与えられ、1組当てれば勝ち抜け出来ます。
但し、3つ児の場合は3人当てなければ勝ち抜け出来ません。つまり、うっかり3つ児を指名するとアンラッキーとなってしまう、知力、体力、時の運、に更に記憶力がプラスされたクイズ形式でした。

次いでながら、クイーンメリー号の名前は世界に通用するブランドのため、2,004年に「クイーンメリー2」が竣工し、日本にも2,009年以降毎年のように、巨大な姿を見せています。

queen-mary2


その名が示すように、別名海上の宮殿と呼ばれており、もし、今ウルトラクイズが復活するとしたら、私は決勝の地に、この船を選ぶでしょうね。
毎年世界中を旅している豪華客船
しかも、年毎に異なる国の港に停泊している。
今年はどこの港にいるのかな?
というも与えられます。
こんな、夢の広がる決勝の地は他に見当たりません。
或る時は大海を航行中の船を求めて、決勝進出の二人を載せたヘリコプターが、クイーンメリー2を発見、甲板に降り立つシーンをキャッチする。こんなシーンが演出できるでしょう。
スケール拡大。胸がわくわくする正に、この「クイーンメリー2」こそ、クイズ王を決める決勝の地に、最も相応しい宮殿といえそうです。 
夢の夢ですけれどね。