夏から真冬への強行軍

メリカ横断ウルトラ・クイズは毎年、季節を飛び越えるような移動を繰り返していました。
僅か1週間で夏から秋、冬と目まぐるしく移動したのは、第7回の時でした。
真夏のハワイから、秋たけなわのバンクーバーへ。
ここは森に囲まれたカナダですから、スタッフも挑戦者も紅葉をたっぷりと眺め、深け行く秋を感じて、望郷の心境になっていたことでしょう。

カナダのバンクーバーの翌日は、バンフというこの地方最大の都市から、車に乗って真冬の真っ只中へ向かって1直線の移動です。
目指すはカナディアン・ロッキーのコロンビア氷河です。
我々は前日、バンフのスーパーで、防寒具、長靴、手袋などを買い求め、冬支度を調えてのドライブでした。
周囲の景色も、紅葉から次第に枯葉の山に変化し、約3時間のドライブで、周囲を雪に囲まれた大氷河に到着しました。

コロンビア氷河_ウルトラスタッフ

に到着して、先ず目に付いたのは氷上を走るの大きさです。
大型のバスと思えば良いのでしょうが、タイヤの大きさが異常で、聞けば直径1.5mはあるそうです。

氷上車

我々は撮影機材をこの大きな氷上車に積み替え、クイズ会場まで移動しました。
この氷河は長さが6km、幅が1km、氷の厚さは最大で350mもあるのだそうです。

この氷の上で、クイズ会場の設営とスタッフによるリハーサルを行います。
幸い、天候は晴れでしたから良かったのですが、氷の上で2時間以上の作業は結構大変です。
まあ、冷蔵庫の中での作業と思えばよいのでしょうね。
準備が全て整ったところへ、挑戦者のご一行が到着して、クイズの撮影が行われました。

この大氷河の上で行われたのは、「氷上椅子取り早押しクイズ」
音楽がストップすると同時に椅子取りゲームが行われ、座れた人だけが回答権があるというルールです。
つまり、椅子は挑戦者の数よりも1つ少ないのです。
氷の上での椅子取りゲームですから、ツルツルと滑って挑戦者は大変です。

前チェック・ポイントのバンクーバーでは11人が勝ち抜けましたが、その中の1人、Kさんが急病のためドクター・ストップがかかり、日本へ強制送還されてしまったため、10人の対戦となりました。
因みにウルトラ・クイズ史上、挑戦者が病気のためにリタイアしたのは、この時が最初で最後という出来事でした。

ウルトラ・クイズの旅では、北極圏のバローや南極圏のフェゴ島など、寒い場所には何度も行きましたが、コロンビア氷河はその最初の試練だったように思います。
我々は寒かったのですが、ここで敗者となったM君は、ボール一杯のカキ氷を食べる罰ゲームを科せられ、身も心も氷ついた事でしょう。

コロンビア氷河2_ウルトラスタッフ

目立つ事の無い地味なスタッフのお話

メリカウルトラ・クイズには毎年何十人というスタッフが参加しました。
テレビ業界では珍しい事ですが、長寿番組の割りに,スタッフの入れ替えが少なかったのは、特筆するべき事でした。
前にも書いた事があると思いますが、大勢の人間が旅をしながら、現地でクイズを行うという形式は、チームワークが求められます。
だから毎年作業に慣れた人間が担当した方が効率が良くなるのはお解かりでしょう。

決まった人間が,毎年1回だけ集まって1ヶ月の期間だけ番組創りに参加する。
こうなると自然の流れとして、チームワークが出来上がり、自分達だけの暗黙のルールが完成して行きます。
従って毎年何人かの新人が参加しますが、彼らとて直ぐにチームに溶け込んで行く、という事で番組作りは進行していました。
そのようなスタッフの中で、最初から最後まで参加した地味なスタッフの事を今日は書いてみたいと思います。

れは、ウルトラクイズの重要な要素である「旅を担当してくれた2人のスタッフです。
ウルトラ・クイズのテロップ・スーパーでもお解かりかと思いますが、旅行社の近畿日本ツーリストの協力が大でした。
何しろ、多い時には100人を超える団体が旅をする訳ですから、そのお世話をするのは大変な仕事です。
通称キンツリさんの担当は、総括はMさんで彼は責任者として最初から最後まで関わってくれました。
会社では日本テレビ担当という事で、セクションが変わってもウルトラを担当していたようです。

Mさんはロケには参加しなかったので、スタッフとの接点は少なかったのですが、彼の協力無くしてはスムーズな番組進行は出来なかったと思います。
そして更に重大な役目をこなしてくれたのは、キンツリのKさんでしょう。
このKさんは、第一回から最後の回まで全てのロケに参加してくれました。
だから、挑戦者の皆さんは全ての方が、多分Kさんの事を記憶しているのではないでしょうか。
Kさんの職種はツアー・コンダクターです。
一般的には、海外旅行に同行して、お客さんのお世話をする係りですね。
お客さんの中には我侭な人が居て、彼らを困らせるような出来事も、日常的に起こるのだそうです。
それらを上手くこなして1人前になるような仕事ですが、ベテランのKさんに任せれば、旅の安全は保証されたようなもので、スタッフには絶大な信用がありました。

ルトラ・クイズの場合、スタッフと挑戦者は飛行機は同じですが、宿泊のホテルは別々の事が多かったので、接触するのはクイズ会場くらいしかありません。
だから、挑戦者担当のKさんと我々の接点は少ないのです。
1月も一緒に旅を続けているのに、話をする機会があまり無いというのも異常ですが、このKさんに対するスタッフの信頼度は高く、それも人柄のせいだと思います。

Kさんは、物静かな紳士で、おそらく挑戦者の皆さんから頼りにされていたと思います。
旅先での食事、ホテルでのトラブル、どのような相談にも親切、丁寧に対処していたのを我々スタッフは知っていました。
Kさんは最初は髪も黒々としていましたが、途中でグレーに、更に白髪に変化し、或る時私は個人的な話をする機会に恵まれ、その話に驚きました。
実は、ウルトラ以外のときでも1年中、旅をする仕事なので、彼の家庭生活はどうなっているのか、と聞いて見たのです。
すると彼は笑いながら、「結婚する暇が無くて、未だに独身です」との事でした。
しかも、彼はウルトラ・クイズが好きなため、他のセクションに移ってからも志願してウルトラを担当しているとの事でした。

じロケのチームに居ながら、挑戦者担当のKさんと共に食事をするのは、決勝戦が終った日の夜行われる打上パーティーくらいしかありません。
それでも、スタッフの中でKさんの存在感は大したものでした。

彼がロケ現場から、敗者を帰国のために空港に送り、次のロケ地に向かっての準備をする、忙しい働きぶりをつぶさに見ていたからです。
敗者の皆さんもKさんの仕事ぶりに、癒された方は多かったと思います。
誤解のないように説明すると、挑戦者担当のキンツリさんは、毎年2~3名でしたが、その責任者がKさんだったのです。
ウルトラ・クイズが無くなって、Kさんは、今どのような場所を旅しているのでしょうか?

とても懐かしいスタッフの1人でした。

真ん中がKさんです。

近ツリK氏

ケーブル巻きが修行の初め

メリカ横断ウルトラ・クイズのロケ隊は、全員が協力して作業を進めていました。
ロケ現場で、事前のセッティングは、それぞれの専門職が行いますが、ロケ終了後の片付けは手の空いた者が手伝うようになっていました。

例えば早押しセットは、一台毎に専用のジュラルミン・ケースに詰め込んでトラックに運びます。
ウルトラ・ハットも専用のケースに詰め込みます。
現場でステージが作られていた場合は、それを分解し、ケースに戻さなければなりません。

のような現場の撤収作業は、熱暑の砂漠状態であろうが、河のような寒い場所でも、全員が協力して素早く作業を行っていました。
このような作業の中で、技術を要する仕事がありました。
それは、ロケ現場に数多く張り巡られたケーブル(電線)の撤収です。
カメラのケーブル、音声を収録するケーブルなど、色別に分かれたケーブルが数多く現場に張り巡らされているのです。

れを一定の大きさに巻いて纏める作業ですが、これは誰でも簡単に出来る作業ではありません。
適当な大きさの輪に巻いて行くのですが、下手をすると折角巻いたケーブルが捻じれて次に使う時に不具合を起こしてしまいます。
私も最初の頃は、見様見真似で手伝っていましたが、技術スタッフから
「駄目駄目、余計な事はしないで!
と、強く叱られてしまったのです。
それどころか、私が折角纏めたケーブルは、すべて解かれて、再び巻き戻されてしまったのです。
二度手間という訳ですね。
実はAD君でも、ケーブルがキチンと巻ける様になって初めて1人前と見られるほど、技術を要する作業なのでした。

ケーブル

は、毎年ロケに参加していましたから、この位の事は手伝える様になろうと、コツを教わり、普通に作業が出来るようになりましたが、結構熟練を要する作業でした。
これが出来るようになると、技術スタッフがそれまで以上に近親間を持って、接してくれるようになったような気がします。
長い物には巻かれろ、という諺がありますが、
一方、長い物を巻くのにはコツがあというお話しでした。

機内ペーパークイズの歴史見る

メリカ横断ウルトラ・クイズには、毎回行われる伝統的なクイズがありました。
それはご存知の機内ペーパー・クイズです。

ペーパークイズ

このクイズに関しては、何度かこのブログでも書いてきましたが、第3回から400問の3者択一の形式で続けられて来ました。

第1回が800問、第2回が500問、そして第3回から恒例の400問に落ち着いたのでした。
数が少しづつ減っているのは、制作会議で激しいやり取りの結果、減っていったのでした。
数が多い方が良い、と力説する側は、クイズの実力を見るのは、沢山の問題を正解すればハッキリするという意見です。
800問は多すぎると反対した問題担当グループは、制限時間内には全問題まで考える余裕が無い、との理由での反対です。
勿論、問題の数を揃えるのは大変ですが、それ以上に考える時間も無いのに、悪戯に問題を用意する空しさが嫌だったのです。

由は兎も角、物理的にも、クイズの実施、採点、判定、この流れを短い飛行時間内に、狭い機内で行うのは無理があるのは、第1回で経験済みでした。
そこで、第2回は500問で行われました。
それでも、まだ多すぎる、という事で第3回から400問に落ち着いたのでした。

この3択問題の秘密を1つ明かします。
ここで取り上げられた問題の多くは、最初は○×問題、或いは早押し問題として、クイズ作家が考えたものだったのです。

例えば、同じ問題を3種類に分けてみます。

早押し問題として、問・ノーベル賞の授賞式は何月何日?

○×問題として  問・ノーベル賞の授賞式は毎年ノーベルの誕生日に行われる。

3択問題として  問・ノーベル賞の授賞式が行われるのは?
  ①ノーベルの誕生日  ②ノーベルの死んだ日  ③ダイナマイトを発明した日

同じテーマでもこのように、3種類のクイズが出来るわけです。
この問題の正解は②ノーベルの死んだ日であり、○×問題は×が正解になります。
また、早押しの正解は12月10日。

つまり、我々は折角クイズ作家が考えた問題を、クイズ会議でにしてしまうのは忍びないという観点から、本来ならNGになった問題を三択問題として敗者復活させていたのです。
タネを明かせば、機内400問のペーパークイズは,
クイズ問題の敗者復活問題 だったのです。

番組の功労者、ウルトラ・ハット

前回、「ウルトラハットのお弁当」を作ってもらったというお話をしました。

キャラ弁_ウルトラハット

その方の他のお弁当紹介はこちら
メリカ横断
ウルトラ・クイズの象徴とも言えるウルトラ・ハット。
今日は、このお話を書いて見たいと思います。
挑戦者が解答ボタンを押すと、帽子の上のマークが、ピョコーンと立ち上がるウルトラ・ハットは、ユーモラスな動きで視聴者に親しまれた存在でした。

このウルトラ・ハットは番組の象徴的な存在で、私達スタッフと共に世界中を旅しました。
クイズ会場に見物人が居た場所では、外人さんが一様にその動きに楽しげな笑顔を向けてくれました。
挑戦者の皆さんは、多分、あのハットが立ち上がった時の感触を忘れられない事でしょう。
ウルトラ・ハットは番組の生命のような存在なので、スタッフには大切に扱われていました。
性能は1,000分の1秒まで、正確に測れました。
なにしろ解答者のボタンを押す速さが競われていた訳ですから、これが正確でないと公正な勝負が出来ません。

の間中、ウルトラ・ハットは1個づつ専用のジュラルミン・ケースに収められ、各地を旅していたのです。
このウルトラ・ハットが初めてテレビにお目見えしたのは、第一回の第5チェック・ポイントのハワイでした。
ハワイのワイキキ・ビーチ沖に浮かぶ双胴船上で、1対1の早押しクイズの対戦が行われたのです。
これが番組史上、ウルトラ・ハットのデビュー戦だったのです。

それからはアメリカ本土をはじめ、南米大陸、オーストラリア、ニュージランド、イギリス、フランスと各地を我々と一緒に旅をしましたが、或る時、税関の検査で
「これは何だ?」
と説明を求められた事がありました。

悪くその場に居合わせたスタッフが、英語に堪能ではなかったのです。
彼は、ウルトラ・ハットを自分の頭に載せ、
「クイズ・クエッション、アンサー。ピコーン!OK?」
と手真似で、大熱演しました。
我々はその様子が、あまりにも愉快だったので大爆笑になりました。
訳の解らない税関の係官も釣られて笑い出し、事無きを得た事がありました。

ルトラ・クイズのリハーサルでは、毎回スタッフがウルトラ・ハットをかぶって、動きをチェックするというのが決まりになっていました。

リハーサル_ウルトラハット


そして、17年のウルトラ・クイズの歴史の中で、この機械の調子が悪くて、クイズの開始が遅れたというような事故は、只の1度も無かったのです。

その位、ウルトラ・ハットは正確に働いてくれたのでした。
番組の功労者として表彰があるならば、その第1候補は?
勿論、ウルトラ・ハットでしょう。

ウルトラハット