大規模の決定版・爆走コンボイ・クイズ

メリカ横断ウルトラ・クイズでは数々の大規模ロケを慣行してきました。
例えばニューヨークの5番街でマラソン・クイズをしたり、マイアミのエバーグレーズで、ファン・ボートを爆走させたり、普通のテレビ番組では考えられないような企画を実践してきました。
そんな中でも、「まさか?」と思うような大掛かりなクイズがありました。

13回のチムニーロックで行われた「爆走コンボイ・リレー・クイズ」です。
まずは、チムニーロックとは何か、から説明しましょう。
アメリカ西部開拓時代の大動脈の1つにオレゴン街道がありました。
西へ西へと向かう幌馬車隊が、旅の目印にした山や川は数々ありますが、中でも有名だったのがチムニーロック〈煙突岩〉と呼ばれた奇怪な岩山だったのです。
丁度、煙突が空に向かって聳え立つような形をしていたところから、このような名前がつけられたのだそうです。
当時は、100Kmも先から見えたそうですから、現在のスカイツリーどころではありません。

chimney-rock

2次大戦の頃には、空軍機が練習をする時の標的として、機関銃の砲弾を浴びたので、岩山は傷だらけになりました。
そんなアメリカの歴史の中に登場するチムニーロックを目指して、移動しながらクイズをしようというアイディアでした。
但し、移動するのは幌馬車ではなく、コンボイを走らせながらと言うわけです。

オレゴン街道を80Kmに亘って国道を遮断し、6台のコンボイを走らせながら、クイズを行うというのです。
このような乱暴な撮影許可を申請したところ、アメリカではこれが許可されてしまったのです。
ルールは6台のコンボイを走らせながら、リレー形式でクイズを出題、先頭の車が正解すれば、一気に勝ち抜け出来ます。
2番手以降が正解の時は先頭車と並び、1対1の対決クイズ。
これで正解すれば、勿論勝ち抜けですが、残された方は先頭車として、次の勝負を待たなければなりません。

この形式は、車の順列が勝つための重要な条件ですから、まずは乗る順位を決めるクイズが行われました。
そのクイズの成績で1号車から6号車までが決まり、先頭車輌からクイズが出題されました。誤答すれば、回答権が2号車、3号車と後方へ移って行きます。

コンボイリレークイズ1

みにコンボイは全長が65フィート、スピードは20トン満載でも100Kmは出るというスーパー馬力でした。
こんな車が公道をガンガン走りながら、クイズを行ったのです。
当然、交通整理のために、パトカーが何台も平行して走りながらの収録です。
この模様を撮影するため、上空にはヘリコプターが何台も飛び、一体何事が始まったのか、現地のアメリカ人もびっくりの収録だったのです。
テレビ番組が全盛の時代とはいえ、よくもまあ、こんな大規模な撮影が出来るものだと、1番驚いたのは当のスタッフ達でした。

コンボイリレークイズ2

自由の鐘の秘密

メリカ横断ウルトラ・クイズで、アメリカ中を旅していると、アメリカの歴史や文化に触れる事が有ります。
本日は、その様な中から「自由の鐘」のお話をしたいと思います。
アメリカが独立戦争で戦って、イギリスから独立した事はよく知られた話です。
1,776年7月4日、アメリカは独立宣言を行いました。
場所はフィラデルフィアです。
我々は何度もこの地を訪れていましたが、最後は第16回でした。
ここは建国の地、独立宣言書起草の地として知られています。

メリカの象徴「自由の鐘」 (リバティーベル)の実物が展示されているのが、このフィラデルフィア市なのです。
アメリカが独立宣言を行った時、高らかに鳴り響いたのがこの自由の鐘でした。
現在は市の中央に展示されていて、手で直接触る事もできます。

Libertybell

ところで、この鐘には大きなひび割れが出来ています。
あのように大きな鐘が、何故ひび割れてしまったのか?
何度も繰り返し衝かれている内に、金属疲労で割れてしまったのだろう、と考えられないこともありません。
しかし、その様な事では面白くありません。
このひび割れには諸説あって、実は最初から割れていたという話が、もっともらしく伝えられています。

の鐘は、当時としては莫大な300ドルという大金で、イギリスの業者に発注されたのだそうです。
そして、品物が現地に届いた時には、すでに割れていたという話が伝えられているのです。
今の世の中なら、その様な不良品は即刻航空便で送り返し、新品に取り換えさせるのが常識でしょう。
でも、当時はその様な手段も無かったし、作り直したら何年先になるか分かったものでは有りません。
仕方なく、関係者は秘密裏に割れた傷を補修し、事無きを得たらしいというのです。
しかし、不良品は何時までも隠し通せる事はできません。
77年後の1,853年に、遂にどうしようもなく割れてしまったのだそうです。

メリカの象徴である「自由の鐘」が割れているとは、何ともおかしな話ですが、現実なのです。
日本のお寺には、大きな鐘が沢山有りますが、ひび割れが出来たなどという話は聞いた事が有りません。
どうせなら日本に注文すれば良かったのにねえ。
でも、まだ黒船が来るだいぶ前の事なので、メイドイン・ジャパンの良さが解っていない時代だったのでした。
現代は何でもブランドが幅を利かせる時代です。
アメリカの象徴、「自由の鐘」を制作した会社なら、あれはわが社の作品と大いに自慢したいところでしょうが、これも高言出来ず、残念な話ですね。

面白いクイズの作り方は?

メリカ横断ウルトラ・クイズの命とも言うべき材料は、何といってもクイズの質にあったのではないでしょうか。
私はクイズ問題制作の責任者でしたから、クイズ作家に、いつも厳しい注文を付けていました。
若い学生を中心に、主婦やOLの皆さんもアルバイトで毎週沢山のクイズを作り、中には放送作家として成功した人も沢山居ます。
クイズ問題は、文章を読めば、僅か10秒か、15秒の短い文章ですが、その中に人を惹きつける材料がある、新しい発見がある、面白い見方がある、といった魅力が求められます。

問題イメージ

事を、いつもそのような目線で見る癖を付けると、最初はズブの素人でもやがて良い問題を作れるようになってきます。
最初の頃は、時々クイズ会議に作者を出席させ、自分の作った問題を読み上げると言うこともやってみました。
しかし、会議に出席している熟練のディレクターやプロデューサーが、「どこが面白いの?」と突っ込みを入れたりすると、作者は言葉を失ってしまうような場面になります。
これでは、気持ちが萎縮してしまうので、クイズ作者を会議に出すのは止めにしました。
その分、時々作者を集めて、自分たちだけで問題を読み上げ、お互いの良い点、悪い点を指摘しながら勉強会を行い、腕を磨くようにしていました。

にもクイズ問題の作り方について書いた事がありますが、面白いクイズ問題は、普段の生活の中にある盲点を突いた問題です。
例えば
「ハゲタカも子供の時はふさふさと頭に毛が生えている」
 ○か×か?

ハゲワシ

そういえば、幼鳥の時にはどんな鳥だって、ふさふさと産毛が生えていそうだし、だが待てよ。これは引っ掛け問題で、大人も子供も禿げているからハゲタカなんだ、と大いに迷ってしまいます。
恐らく、この問題の正解を最初から知っている人は、専門家か、或いは鳥が大好きな人しかいない筈です。
これこそ、目の付け所が良くて、面白い問題なのですね。
テレビを見ている人も「さあ、どっち?」とみんなが参加したくなるわけです。
因みに、この問題の正解は×でした。(通称「ハゲタカ」と呼ばれているコンドルやハゲワシは、子供も成鳥も頭の毛〈羽毛〉が薄く、禿げているように見えるのです)

た、ウルトラクイズの問題は、単なる常識や知識は避けるようにしていました。
例えば、歴史の問題を考えて見ます。
徳川幕府の将軍の名前を挙げろ、というような問題は採用されません。
何故なら、これは単なる知識で、教科書に出ている事を丸暗記した人なら誰でも答える事が出来るのです。
会議で、このような問題が読み上げられた場合には、
「教科書問題!」という一言で、却下されてしまいます。
同じように、将軍の名前を答えるにしても、歴代将軍の中で1人だけ異なる条件の人を探した場合は問題として成立します。

例えば、第8回のリノで出題された問題がこれにあたります。

「室町幕府の足利15代将軍の中で、ただ1人、「義」という字がつかない将軍は誰?」
と言う問題がありました。
15代、全部の将軍の名前を答える訳ではありませんが、1人だけ変わった名前は誰だったのか?
これは、クイズ問題を勉強していた人なら、多分皆さん気が付く問題と言えます。

代将軍の表を見ると、初代・足利尊氏から始まって、2代義詮、3代義光、4代義持、と15代義昭まで「義」の文字が羅列されています。
最初の「尊氏」だけが、例外であり、懸命な挑戦者なら瞬時に、初代が正解!と解答を導き出して早押し機を押しているはずです。

足利尊氏
の時のVTRは、手元に無いので確かめようはありませんが、大学のクイズ研究会あたりは、多分想定問題で同じような問題を作っていたのではないでしょうか。

ウルトラクイズに挑戦した方達は、普段からクイズ問題になりそうな出来事をチェックして、想定問題を作ったりしている、という噂を聞いたことがあります。
我々クイズ制作者も、その人達との戦いと言う思いで毎日を過ごしていたので、日ごろの出来事を全てクイズ問題に置き換えて見ていました。

私にとって、あの時代はクイズ問題が中心に世の中が回っていた、そんな日々だったのです。
今流に言えばクイズオタク だったのでしょうね。

クイズ会場に出来なかった超豪邸

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、毎年ロケハンでアメリカ各地を旅しながら、クイズ会場を探していました。
勿論、漫然と旅をする訳ではありません。面白そうな場所を調査し、会議で諮って決定した場所を実際の目で確かめ 「ここなら大丈夫」と確信が持てた場所をクイズ会場に決める、というのが大体の流れでした。
我々が気に入って決めても、相手の都合で拒否されるような事もあるのは当然です。
その様な中で、未だに何故あそこがクイズ会場にならなかったのか、私自身納得していない場所がいくつかありますが、今日はそんなお話を書いてみましょう。

その、第1候補はロスアンゼルスとサンフランシスコの中間にあった「ハースト・キャッスル」と呼ばれる超豪邸でした。

 

Hearst_Castle_Casa_Grande
は遡って20世紀の初頭、アメリカではとてつもない大金持ちが何人も誕生しました。
石油を掘り当てたり、鉄道を敷いたり、その様な成功者が多かったのですが、ウイリアム・ランドルフ・ハーストさんは、新聞を発行して大当たりを見せたのです。
最盛期には、26の新聞社を傘下に収め、8局のラジオ局を経営して、メディア王と呼ばれていました。
そのハーストさんが1,920年に建てたのが、このハーストキャッスルだったのです。
キャッスル、即ちお城ですから規模は壮大でした。
まず、お城の部分は、ヨーロッパで古いお城を買って、それを解体してアメリカに運んで組み立てたのだそうです。
それも1つのお城ではなく、幾つものお城を買って、この部分はどこのお城、というように、それぞれに曰く因縁があるというのですから、どのくらいの経費をかけたのか、想像を絶した金額だったのでしょうね。

ハーストキャッスル
論、敷地は広大で、見渡す限りがお城の範疇です。
この中には、大きな映画館が有りましたが、当時はハリウッドのトップスターや監督を招いて、全国公開する前に、ここで試写会が開かれたのだそうです。 
スターたちは、このお城に招待される事が、最大のステータスで、あのチャップリンをはじめ、世界のそうそうたるスター達がこのお城に招かれた、と説明書に有りました。
中には、アメリカ大統領も何人も招待されていたそうで、ハーストさんの成功ぶりは伝説になっています。

はこのハーストキャッスルは捨てがたいクイズの候補地と思っていましたが、何故実現出来なかったのか残念ながら記憶に残っていません。
ただ、この地への思いが強かったので、日本テレビの別の番組に企画書を提出し、「世界のファーストクラス」という番組を制作しました。

おかげで私は、再びこの地を訪れる事になったのですが、今でもあの場所は、ウルトラクイズのクイズ地として使えなかったのが残念でなりません。
最近では、同じメディア王と呼ばれたイタリアの元首相殿は、スキャンダルで世界中のマスコミに追いかけられましたが、どうせならメディア王なのですから、ハーストさんのような素晴らしい伝説を残してほしかったですね。

大統領選挙に遭遇

メリカ横断ウルトラ・クイズは、毎年アメリカ各地を旅しながら、クイズを行いました。
アメリカでは4年に1度、大統領選挙が行われ、国を挙げてのお祭り騒ぎになっていました。
だから、そのお祭り騒ぎの真っただ中に飛び込んで、クイズを行った年も何回か体験しています。

そのような年には、クイズ形式に大統領選挙に因んだ形式を考えるべきと言う宿題が、我々構成作家に出されました。
アメリカの大統領選挙は、ちょっと分かり難いシステムです。
有権者が直接候補者に投票するわけではなく、その前に代議員選挙というものが有ります。
つまり、大統領の選挙を行えるのは、この代議員なのです。
この代議員は各州の人口によって、人数が決められています。つまり、人口に比例して代議員の数が決まり、大統領候補者は、如何にして自分を支持する代議員を獲得するか、各州を回って選挙運動を繰り広げます。

の様なルールがある訳ですから、賢明な挑戦者ならクイズ形式を予想する、それがウルトラ・クイズなのです。
我々もこの選挙方式をクイズ形式に取り入れる事を考案しました。
それは、第12回ワシントンDCで行われたクイズでした。
クイズ会場はこの形式に最も相応しい、アメリカ合衆国の国会議事堂の前でした。

アメリカ国会議事堂

ルールは早押しで1問正解すると、アメリカ50州の中から1つだけ州を選ぶ事が出来ます。
選んだ州の代議員の数が得点になります。その合計が50になれば勝ち抜きという訳です。
但し、州の代議員の数は伏せてあるので、挑戦者は自分でその数を推理しながら選ばなければなりません。
つまり、人口の多い州を知っているという知識も勝負のカギになる訳です。

みにカリフォルニア州は47人。ニューヨーク州は36人。テキサス州は29人、と多い方ですが、アラスカ州が3人、ハワイ州が4人と少ない州も有ります。
運が良ければ2問正解で勝ち抜ける事ができる反面、逆に運が悪いと5問、6問と正解を続けても勝ち抜ける事が出来ません。
この様な知識も、実力の内と思えば、やっぱりウルトラ・クイズで勝ち抜くというのは、大変な力が必要だったんですね。
この年、大統領の椅子を競っていたのは共和党のパパ・ブッシュ氏と民主党のデュカキス氏でした。
思えばウルトラ・クイズは第39代カーター統領の時代に始まって、R・レーガン大統領が2期8年、その後ブッシュ大統領が4年、更に「今世紀最後」の時には、クリントン大統領でしたから、アメリカの歴史と共に歩んだとも言えます。
まあ、勝手な言い分で、自己満足 な話ですがね。

パパ・ブッシュ