女性が断然強い回

メリカ横断ウルト・クイズは17年もやりましたから、時には大きな番狂わせが起きる事もあります。
その、代表的な例は第4回に起きました。
後楽園球場の○×クイズを潜り抜け、成田のジャンケンにも勝ち、難関を突破して、アメリカ本土に上陸したのは男6名、女4名のラッキーな挑戦者が10名でした。
この中には、ご夫婦揃って本土まで駒を進めたカップルもいました。

本土ではサンフランシスコからニューオリンズまで、6つのチェックポイントでクイズが行われましたが、その6ヶ箇所で敗者となったのは、全員男性でした。
つまり、毎回男性がクイズに敗れるので、残ったのは女性ばかり4名になってしまったのです。

といって、当時出題された問題を調べてみると、女性が有利の問題ばかりが出されたというわけでは有りませんでした。
いや、それどころか機内ペーパー・クイズでは、最下位という成績だった女性が、何と準決勝の地、プエルトリコまで進出してしまったのです。
これは番狂わせと言うか、大荒れの展開です。
我々は、毎回1番初めに勝ち抜ける人と、逆に敗者を予想しているのですが、この回ほど予想を裏切る結果になったのは、初めてでした。

んなクイズと運の強い女性軍4名を載せて、ニューオリンズから、マイアミ経由でカリブ海に浮かぶ魅惑の島、プエルトリコに向かいました。

プエルトリコ

準決勝は女性4名による、早押し通過クイズです。
3問正解すれば、ニューヨークを賭けて、通過クイズに挑戦出来るというおなじみの形式です。
ここまで来ると、機内最下位だった女性も自信が出たのか善戦し、中々迫力のあるクイズ戦を繰り広げました。
正に女同士の戦いで、これは当時話題になったものです。

果は当時21歳のOLだったUと、同じく20歳のOLMが勝ち抜き、ニューヨークに進出したのでした。
ウルトラ・クイズでは毎回断トツに強い優勝候補が2人か3人居て、視聴者も誰が勝つか予想を楽しむような傾向があったのですが、この時ばかりはそのような予想が、次々と裏切られていました。
戦後、女と靴下が強くなった、と言う言葉がありましたがそれを実証した 第4回でした。

サッチャー

○×問題の最大の失敗作は?

メリカ横断ウルトラ・クイズのクイズ問題で、1番苦労したのは○×問題である、という事は今までにも何回かこのブログで書いてきました。
では、その苦労した問題の中で最高の傑作は、と聞かれると返事に困ってしまいます。
我々は、採用された問題はどれを取っても傑作だと思っていますし、挑戦者の立場になれば、自分が誤答した問題を忘れられない問題として記憶しているでしょう。
それだけに、○×の問題は作るのが難しいし、採用にも慎重を期しました。

そのような中で、記憶に残る失敗作を挙げるなら、確かに1問だけありました。
それを発表する前に、○×問題の大事な必要項目を挙げて見ます。

1、耳で聞いて、問題点が確実に理解できる事。(これは、泥んこクイズのように、瞬時に判定出来る事が必要だからです)
2、正解率は50%が理想である。(東京ドームの様な会場を想定すると、正誤が半々に分かれるのが望ましい)
3、常識の盲点を突いた問題が望ましい。
以上の様な条件を付けて、クイズ問題を作家達に発注していました。

○×問題の最大の失敗作は第2回の後楽園球場の2問目に出題されました。

・歌手、山口百恵は本名である。×か? という問題でした。

因みにこの問題を作った作者が悪い、という事を言っている訳ではありません。
当時のスーパー・スターを題材にした訳で、これ自体は何ら問題は有りません。
むしろ、この失敗作の責任は、クイズ選考会議そのものに有りました。
プロデューサーやディレクター、構成作家など日頃、偉そうにクイズ問題に注文を付けていた我々が、この問題を採用したのですから、責任があるのは当然です。
何故、この問題が最大の失敗作だったのかは、結果が表していました。
699人の挑戦者に出され、なんと 699人中誤答したのはたった1人だったのです。
つまり、99,9%が正解した訳で、これでは正解率50%には到底及びません。

クイズ会議の細かい状況は思い出せませんが、多分この様なやり取りがあったと思います。

否定の意見・「山口百恵が本名なのは、日本人なら常識ですよ。間違える人なんていない」
肯定の意見・「いや、そういう思い込みがキミの欠点だ。一般の人は知らないよ」
否定の意見・「こんな問題を採用したら、大恥をかきますよ」
肯定の意見・「やってみなければ解らない。勝負しようじゃないか。採用決定!」

第2回と言えば、番組もまだ始まったばかりで、我々も手探り状態だったのです。
だから、我々の常識が世間の常識と思い上がっていたのかも知れません。
本当は世間の常識の方が、ずっと先を進んでいる、という事をクイズ問題を通して知ったのでした。
世の中、なめたら あかんぜよ という事ですよね。(古いですね)

ろくろ_失敗

恐縮ながら再びPRです。

メリカ横断ウルトラ・クイズの思い出を書いていますが、このブログは私にとっては唯一の意思伝達の場でもあります。
そこで、個人的な情報も発信させて頂きたいと思います。

今月は、私の少年時代の体験を元に、ノンフィクションのお話を電子書籍で出版いたしました。
荒野の打ち上げ花火」というタイトルで、思ったよりも多くの方に読んでいただき感謝しています。
内容は日本が戦争に負けて、当時中国に住んでいた私をはじめ、我々国民が罰ゲームを受けている、というようなお話です。
機会があったら是非お読みいただきたいとお願いいたします。

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霞ヶ関には黒い陰謀が渦を巻いている。
元・通経省のキャリア官僚だった小杉忍は、霞ヶ関の内情に詳しい政治評論家として活躍している。だがそれは表の顔で、実態は自称「霞ヶ関の掃除屋」だ。
キャリア官僚は地位が上がる毎に膨大な権力を握る中枢に近づいて行く。
その結果、女、金、将来の身分、などを餌にした悪への誘惑が増してくるのだ。
この誘惑に負け、政治家とキャリア官僚がタッグを組んで、利権を漁れば収穫は大きく、日本国の未来は暗澹たる物になってしまうだろう。

これを防ごうと、キャリアの悪事を暴いて、日本国を正しく運営するため、小杉は必殺仕事人に徹している。

小杉の後輩である、若き現役キャリア官僚・早川秀一が小杉に接近してきた。彼が一九九〇年代の現役官僚時代に立案した住宅関連の法案について詳しく知りたいと言う。
なぜ早川は過去の法案に強い関心を抱いているのか?
政治家と官僚の癒着の現場を探る、チーム小杉の活躍は?

と、いったお話です。
登場人物には、実在の人物を連想させる政治家も何人か出てきますので、それを想像しながらお楽しみ頂きたいと思います。

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問題の味付けはスパイスの如し

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、クイズ問題の面白さが番組の命と考えていました。
だから、クイズを作るクイズ問題作家には、いつも厳しい注文を付け、作家の皆さんも、我々の無理な注文に良く答えてくれたと感謝しています。

このブログでも、クイズ会議の様子を何回か紹介しましたが、作られた問題に対する評価はいつも厳しく、判定を下すディレクターやプロデューサーは、簡単に「没」という言葉を口にしていました。
作家側の立場の私は、何とか採用に持って行きたいので「没の理由は?」と食い下がったものです。
彼らの理由で多かったのは、「単なる知識、教科書問題!」という答えでした。
確かに、知識の羅列は問題として面白くありません。
だから、同じ知識を引き出すにしても、その中から共通点を探し出し、それを問題にすれば、興味のある問題となる、という話をクイズ作家にした事が有ります。

するともう少し、具体的に話して欲しいという声が有りました。
そこで歴史の問題を例に出して、話した事があります。
徳川幕府の将軍を初代から3代まで、名前を挙げる問題を考えてみたらどうか、と言ったのです。
初代が徳川家康、2代が秀忠、3代が家光、この辺は教科書で習った事なので、彼らの業績を問題として、名前を答えさせても、クイズ会議で採用される可能性は極めて低いのです。
それよりも、この3人の将軍に共通した何かを探し、それを問題化しては? と宿題を出したのです。

すると次の週に、良い問題がいくつか提出されました。
中でも1番印象に残ったのは、3代の将軍に仕えた大久保彦左衛門に注目した問題でした。
彦左衛門は、将軍にもズケズケと、思った事を進言する口うるさい「爺」として、物語に登場したキャラクターですが、問題は以下の通りです。

大久保彦左衛門が仕えた将軍は、家康、家光、残る1人は?

家康は初代将軍、家光は3代将軍、となれば正解は残る2代の秀忠しかありません。

徳川秀忠

勿論、歴史的な知識が無ければ正解は答えられませんが、これなら単なる「教科書問題」という否定的な判定は出せません。
問題にはこのような味付けが有ってこそ「なるほどねえ」と視聴者の皆さんも納得してくれたわけです。

味付けが大事、いわば問題作家はシェフであり、板前でもあったのです。

spice

歴史の大舞台、アラモの砦

メリカ横断ウルトラ・クイズは、常にクイズ会場を求めて、リサーチをしていました。
「アメリカ横断」と名が付くからには、アメリカの歴史に関わる場所を選ぶに越したことは有りません。
最初の頃はそうした場所を次々と訪れましたが、今日はそのような中から、アラモの砦について書いてみたいと思います。

我々が、この場所へ行ったのは第3回の第9チェックポイントでした。
アメリカの地名で言うとサンアントニオです。
その名の示す通り、ラテンムードの漂う素敵な街でした。
この街で最も有名なのは「アラモの砦」です。
この砦を舞台にしたアメリカ映画は何本も作られていますので、ハリウッド映画ファンには馴染みの場所です。

<img alt=” src=’http://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/01/51/7d/91/the-front.jpg’/><br/><a href=’http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g60956-d103610-Reviews-The_Alamo-San_Antonio_Texas.html’>アラモの砦</a> (トリップアドバイザー提供)
 
こでの物語を簡単に説明すると、独立戦争の時代、勇敢なテキサスの軍人が、メキシコ軍の総攻撃を受け、最後は玉砕したというお話なのです。
テキサスの果敢な兵士達、つまり、つわものどもの夢の跡、という事で関ヶ原の古戦場みたいなものですかね。
関ヶ原なら、徳川家康と石田三成のような歴史上の人物が登場しますが、このアラモの砦では、我々の知っている人物は、デビー・クロケットです。

David_Crockett

デビー・クロケットはアメリカの軍人で有り、政治家でもあり、西部開拓時代の国民的な英雄です。
だから、彼を唄った歌も沢山あります。
日本でデビー・クロケットを歌った曲はちょっと古い話ですが、小坂一也とワゴンマスターズでヒット曲がありました。
そのデビー・クロケットがこのアラモの砦で、メキシコ軍との戦いで戦死していたのです。
当時の資料を調べてみたら、第1問にこんなクイズが出ていました。

・「このアラモの砦は俗に;テキサスの○○○○;と呼ばれています。この○○は平仮名4文字で何?」
ゆりかご。(188人の男たちが、2,500人のメキシコ兵を相手に13日間この砦を守り続け、1,836年3月6日に玉砕しました)

このドラマチックなお話が、「アラモの砦」として、何度も映画化されていたのでした。
日本で言えば「忠臣蔵」か「白虎隊」といったところでしょうか。
そう言えば忠臣蔵の「泉岳寺」も白虎隊の「飯盛山」も、観光名所として、今も栄えていますね。

思えばウルトラ・クイズは、アメリカの観光地を良く紹介したので、アメリカ観光局の協力も受けていました。
お蔭で、普通ではちょっと考えられないようなロケも出来 ような気がします。
今でいうwinwinの良い関係だったのですね。