時代の流れで変わる答え

メリカ横断ウルトラ・クイズの裏話を書いていますが、コメントには出来る限り知っている事をご返事しています。
でも、中には返事に困ってしまう事もあります。
最近の例では、クイズ問題の正誤に関する質問でした。
第13回のゴールドコーストの1問多答問題に関する指摘でした。
 唱歌「手のひらを太陽に」出て来る7種類の生き物は?
の問題で、答えは10種類あるはず、との指摘でした。

当時の問題用紙が残っていれば、確認してハッキリと答えられるはずのご質問です。
ですが、残念ながらその様な資料は残っていません。

私は当時の裏付け調査に自信がありましたので、抜けている生き物が答えになっても、誤答にはならなっかったはず、とお答えしました。
何故なら、当時審査員の手元には歌詞の全文ががあったから、間違えようは無いはずでした。
ところが、もっと的確な情報を提供して下さった方がいました。
つまり、あの時代には7種類の生き物で、歌詞は間違っていなかった、という事です。
つまり、その後に、作者のやなせ・たかしさんが歌詞に書き加えたのだという情報でした。
確かに、時が移れば、答えが変わる事もあるのですね。

私は度々クイズは「時代の鏡という事を書いていますが、時が経てば状況が変わるのは世の中の常です。
クイズ問題の答だって、時代によってはどんどん変化する事もあります。
その様な視点で昔の問題を眺めたら、変化している答えが沢山有りました。

えば、外人力士の出身国で一番多い国は?
あの時代にはハワイ出身者が多かったので、アメリカが正解でしょうが、現代では全く状況が変化しています。

大砂嵐

この様に、問題によっては毎年、答えが変わって来るものもあります。
それが、クイズというゲームの持つ特徴なのですね。
皆さんが、このブログを本当に熱心に読まれている事が解り、改めて気を引き締めている今日この頃です。
油断大敵、という事でしょうか。

生きた博物館、ウイリアムズバーグ

メリカ横断ウルトラ・クイズのロケハンで訪れた場所で、印象深い所がありました。

バージニア州にあるウイリアムズバークにはロケハンで何度か訪れていましたが、その割にはクイズ会場にはなりませんでした。

この街は1983年に第9回のG7のサミットが行われた場所なので、皆さん名前くらいは聞いた事があると思います。

英帝国の植民地時代、バージニア州の首都で、北米の中では最も繁栄した都だったという歴史があります。

現代では、この街の中に「コロニアル・ウイリアムズバーグ」という特別な地域が存在し、ここは一見の価値があります。

コロニアル・ウィリアムズバーグ2

日本で言えば「明治村」のような、昔の姿をそっくり再現している特定な地域です。

この地区はバージニア植民地時代の統治、教育、文化の中心地であった場所なので、18世紀の建造物がそのままの姿で残されているのです。

当時の住宅もそっくり残されていて、住民も当時の生活様式をそのままに現在の生活を営んでいるのです。

つまり、建物だけに限らず、人々の生活までを再現した、文字通り生きた博物館なのですね。

コロニアル・ウィリアムズバーグ

こは、ロックフェラー家から寄せられた基金で「コロニアル・ウイリアムズバーグ財団」が設立され、この財団によって所有、運営されているのです。

従って、ここの住民は実際に植民地時代の家に住み、あの時代の服装で、同じような喋り方をして暮らしています。

この昔の姿を見学するため、年間を通して世界中から100万人の観光客が訪れているそうです。

つまり、住民全体が財団の職員という訳でしょうね。

しかも入園料は無料です。

 

コロニアル・ウィリアムズバーグ3

しい18世紀、植民地時代の風景の中で、ウルトラクイズが実現しなかったのは、多分景色に見合うクイズ形式が考えられなかったのが原因だと思います。

逃がした魚は大きいこの言葉がぴったりの街でした。

弱肉強食、仲間を食いつぶす非情な形式

メリカ横ウルトラ・クイズは、大勢の中から1人のチャンピオンが生まれるまで、クイズで戦う番組でした。
みんなで一緒に海外旅行をしながら、クイズを行っていたので、挑戦者がお互いに仲間意識を持つのは自然の流れでしょう。
とはいえ仲良しグループになってしまっては、真剣勝負に身が入らないという心配も有りました。
これを防ぐ目的で、時々意地の悪いクイズ形式を考え、仲良しグループを混乱させていました。
その典型的なクイズが、最初に行われたのは第5回の第7チェックポイントのアカプルコでの事でした。

アカプルコ

アカプルコは世界でも有数のリゾート地です。
照り付ける太陽、きらきら輝く海、情熱の国ならではの絶好の雰囲気で、挑戦者達も楽しい旅行気分に浸っていました。
ところが、ここで発表されたクイズ形式は挑戦者お友達気分をブッ飛ばすほど、ショッキングな方法だったのです。

強い人が弱いと思う人を指名したり、弱い人が強い人を避けて、自分と同格の弱い人を指名する、所謂ドラフト・クイズです。
アカ組プルコ組にそれぞれ6名づつに分かれ、(あらかじめ席順は抽選で決めておく)アカ組のトップバッターから、クイズ席に着く。その人が弱いと思えば、対するプルコ組は手を挙げてクイズに対戦する。
手を挙げた人が複数の場合は、逆指名して弱いと思う人を対戦相手に選んで、1対1の早押し勝負をして、勝った方がポイントを重ね、勝ち抜けるというルール。
つまり、仲間に弱いと思われた人は情け容赦なく、何度でも指名され、ぼこぼこにサンドバック状態になってしまう。
指名された方は、何度もチャンスがありながら、勝てないわけで理屈では12人の中で、一番クイズが弱い人とレッテルを張られる事になります。
何とも情け容赦のない非情な形式でした。
こんな形式を考える、やっぱり当時の構成者は、怖い人達だったのです。
イヒヒヒ…

早押しクイズで最も苦戦したクイズ王

メリカ横断ウルトラクイズには、歴代17名の王者がいました。
彼らはどのクイズ会場でも、激しい戦いを経験して勝ち抜いた王者達です。
でも、中には早押しクイズで苦戦を強いられた王者もいました。
その代表的なのは第5回のチャンピオンでしょうね。
彼が苦戦したのは、第9チェックポイントテオティワカンでの事です。

テオティワカン

この場所では、10人による早押しクイズが行われました。
ただ、彼が苦戦したのはクイズ問題ではありません。
10人ともなれば、あわててボタンを押して、お手つきをする人も多くなります。
それを防ぐ意味で、誤答とお手つきには罰則として、後方100メートルに位置する太陽のピラミッドまで走り、お祈りを奉げて戻るというルールにしたのです。

しかも、クイズ会場は高地だったのですから、空気が薄くて、少し歩いても息が切れるところ。このような場所を走ったらどうなるか?
ご想像の通り、クイズどころの騒ぎではなくなってしまいます。
我々はその手当てとして、挑戦者1人ずつに小型の酸素ボンベを持たせての戦いになりました。

の戦いで、最後の2人になったのが、第5回の王者になった真木法男さんでした。
彼はペナルティーで何度も走ったために、ハー、ハー苦しくなって、ボタンを押してもスンナリ言葉が出ないまでに体力が消耗して、息を切らせて、まともに喋れないような状態になったのでした。
一方、対戦相手の女性は、初めてのペナルティーでしたが、あまりの空気の薄さに走る事が出来ず、一歩づつゆっくり歩いて往復していたのです。
この間に真木さんはポイントを上げ、何とか勝ち抜ける事が出来たのです。

その後は、順調に決勝戦まで進出し、ニューヨークでは対戦相手を倒し、第5回のクイズ王の座に着いたのでした。
ウルトラクイズは、どんなにクイズに強い人でも、時には苦戦する事がある、という典型的なケースでした。
まさに知力、体力、時の運ですね。

ロケに脳波計を持参?

メリカ横断ウルトラクイズのロケーションには、スタッフ、挑戦者全員の健康管理をするために、同行のドクターがいました。
初期の頃、第5回ですがドクターに、脳波を調べる計器を持参するように注文しました。

脳波イメージ

ドクターは、
「何でそのような器具が必要なのか?」
疑問に感じたことでしょう。
実は、これは敗者復活戦に使うための道具だったのです。

所は第11チェックポイントの「エルパソ」での事でした。
ここでは、8人の挑戦者が戦い、2人が敗者となってしまったのです。
この2人の内、1人を敗者復活させようと言う作戦です。
その方法は、衆人の見守る中で、1時間以内に完全に眠れる図太い神経の持ち主を、復活させましょう、という作戦でした。
幾ら旅で疲れていても、普通の神経の人間では中々出来ないことです。

になった2人の男性がこの実験の生贄になりました。
いくら、タヌキ寝入りをしても、現代の科学は誤魔化せません。
そのために、登場したのが「脳波計」でした。

体験した福岡の消防士、安川さんは日本に残した家族のことを考え、果報は寝て待てとばかり、23分でスヤスヤと夢の世界に入っていったのでした。
なぜ、そんな事が出来たのか?
実は消防士と言う職業柄、早寝、早起きは得意中の得意技だったのです。

悪い相手にぶつかった敗者は、体中に貼り付けた脳波を計るためのコードをぶら下げたまま、砂漠の中をはるか地平線の彼方まで、歩いて帰るという罰ゲームを受ける羽目になってしまいました。
芸は身を助ける。単に眠るのも芸のうちなのですね。