大盤振る舞いの15回

メリカ横断ウルトラクイズの東京ドーム予選は毎年100人の通過が恒例になっていました。
ところが第15回は番組の節目の記念という事もあって、例年よりも3割り増しで130人を通過させようという案が出されました。
「増員サービスの理由を考えろ!」
これが我々番組構成者に出された宿題でした。
各人から様々な案が提出されましたが、その中の2案が採用となり、当日ドームで発表されました。
「15周年を記念して15人」
更に新司会者の誕生を祝して「ご祝儀で15人」合計30人を100人に上乗せします、と発表すると、会場の参加者から大歓声が起こりました。

祝儀袋

レビ番組に限らず、イベントでは時々会場を盛り上げのための仕掛けが必要です。
その意味で、予選通過者が30人増えるという仕掛けは、会場を喜ばせる恰好の材料になったはずです。
第1次予選で通過した130人は、第2次予選成田空港で、ジャンケンによって半分の65人に絞られます。
厳密に言えば、例年なら50人がグアムへの飛行機に乗るところが、この回は65人が乗ったわけで、まだまだ大盤振る舞いのサービスが続いていました。
その先の第3次予選は400問の機内ペーパーテストです。
通常は50人の内、下位10名が脱落して40名がグアムの地に降りられます。この回は下位15名が脱落してグアムの地を踏めるのは例年と同じく40名でした。つまり、大盤振る舞いのサービスは機内までお終いという訳です。

サービスと謳っていながら、いつの間にか通常に戻っている。
何となく、悪徳商法で騙された様なサービスでしたが、これでも多くの人がホテルに泊まったり、飛行機に乗ったり、予算的には通常をオーバーするのです。
番組の全体から見れば微々たる金額でしょうが、予算を預かる担当プロデューサーにすれば、結構気を配った内容のようでした。

尤も、現場の我々は予算の事など、ほとんど気にもかけずに、勝手なアイディアを出して、派手なお祭り騒ぎをしていたのです。
ウルトラクイズはそれが許された良い時代の、夢のような仕事でした。

15周年が番組の節目だった

メリカ横断ウルトラクイズは17回放送されました。
テレビ番組の常識で言えば長寿番組と言えるでしょうね。
これも途中で制作会社の入れ替えやスタッフが変わるなど、紆余曲折がありましたが一番の節目は15回でした。
この時代(1991)にはバブルが弾けて、世の中に不景気な話が出始めていましたが、我がウルトラクイズの挑戦者はうなぎのぼりで、東京ドームに28,523人が参加してくださいました。
そこで、挑戦者にとっては思わぬ事が発表されました。
ウルトラクイズであった、福留アナが引退を告げるという儀式を行ったのです。
理由は挑戦者の良い兄貴で始まったトメさんが、良いお父さんになり、やがて長い旅が年齢的に厳しいという事でした。

後任は当時売り出し中の「ジャストミート、福澤朗アナ」となりました。
当時トメさんは49歳、これに対して福澤アナは28歳の元気印の若者です。
一気に20歳若返り、「明るく元気な生存競争」をモットーに再出発がこの回のキャッチコピーでした。
14年間番組の顔だった福留さんは、ファンに黙って消えるのは忍びない、との理由で最初の出題と正解発表をして、福澤アナにバトンタッチしたのでした。
そのトメさんが出題した第一問は、やはり自由の女神問題でした。

 アメリカの象徴「自由の女神」を、他の国が国旗に採用してもアメリカの許可はいらない。

ニューヨーク

×か、全くわからなくても確率は2分の1です。
ここで、初めてトメさんから、お別れのプレゼントとしてヒントが出されました。それは今までの○と×の配列です。
××○×××○○○○、これが1回から10回までの配列です。
××○×? これが11回から14回まで。この順列で行けば5回目と同じく×になるはずだ。このようなヒントでした。
解ったようで、解らない、益々頭を混乱させるヒントでした。

実はこれがウルトラクイズの本質なのです。
挑戦者の頭を混乱させて、ウヒヒ…と喜ぶ意地悪さ、スタッフが素直じゃないのです。
正解とトメさんの解説は以下の通りです。

解説
「自由の女神」の肖像権はすでに消滅しているのです。
何故なら公の場所に建ち、一般に公開されているので、その前で写真を撮ろうが、絵に描こうが誰の許可もいらないのです。
この条件は全てに於いて平等で、他の国が国旗にデザインしても、学校やサークルのシンボルマークに使用しても、誰の許可もいらないというのが正解でした。

この問題で解るのは○×問題は、どのようなヒントが有っても参考にはなりません。
最後は自身の2分の1の判断だけ、だからこそ老いも若きも関係なく楽しめた番組だったのです。

プロ野球の問題を振り返って

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、数多くのクイズ問題を作りましたが、その中にはプロ野球の問題も多かったと思います。
もし、現在もウルトラクイズがあったなら、一番の目玉になりそうなのが田中将大投手なのは間違いありません。

田中将大

先日、ヤンキースと161億円、7年契約という夢のような契約が話題になりました。
ヤンキースにはすでに黒田選手、イチロー選手と日本人の先輩が在籍しているので、その様な情報もクイズ問題に出来るでしょう。
また、メジャーリーグで一回も投げた事の無い選手に、史上投手として5番目に高い契約金を出した、という事も話題になりました。
ヤンキースに入団した日本人の先輩は何人か? それは誰?といったリレークイズも出来るでしょう。
田中マー君の連勝記録は何勝? このような彼の記録も問題になります。
いずれにしても、プロ野球の問題なら今年は田中投手が目玉になるでしょうね。

さて、プロ野球の話題、昨年の年末には打撃の神様と讃えられた川上哲治さんが亡くなり、多くの野球ファンにショックを与えました。
川上さんは、戦後の日本人に勇気を与えた大スターだったし、あのジャイアンツのV9を率いた名監督として、野球ファンには永遠に忘れられない神様でした。

川上哲治

ウルトラクイズでも当然クイズ問題として、出題されていました。
9回のオーランドでの早押し問題です。

・プロ野球で通算2000本以上のヒットを打ったバッターで、名球会に入る資格の無いたった一人の選手は誰?

これが川上さんの問題でした。

あれだけの名選手が入れないなんて、一体名球会とは何ぞや? という疑問も出て来るでしょう。
その答。
名球会は記録を残した選手たちの親睦団体なのです。
名球会の入会資格は、バッターなら通算2000本以上の安打を打った選手。
また、投手なら200勝以上を挙げた投手となります。
但し、この先に問題が潜んでいました。
昭和生まれの選手である事、という条文があったのです。
川上さんは、生涯安打は2351本ですから、勿論クリアしていました。
でも、生まれたのが大正9年3月23日なので、これで入会資格が無かったのです。

川上さんの他、投手では別所毅彦さん他7名の方が、立派な成績を残しながら名球会に入れませんでした。
しかし、川上さんにとっては、それに入ろうが入るまいが、「関係ないね」という気持ちがあったと思います。
だって、野球の神様なんですから、一番は神様です。

アルバイトさんが大活躍の番外編

メリカ横断ウルトラクイズには、17回の他、「史上最大の敗者復活戦」という番外編が1982年に放送されています。
この番組に関しては今までも何回かブログで書いていましたが、今日はそのお話を裏話としてご紹介します。
何故か、この番組は急遽放送が決まったために、構成者である私が責任者のプロデューサーをすることになってしまったのです。
勿論、Pとしてはずぶの素人ですから、苦戦の連続でした。
その中でも、最大の苦境に立たされたのは九州予選の前日の事でした。

選会場は熊本県の阿蘇山にある草千里という広々とした牧草地でした。

草千里

当然、会場の使用許可を取るのも私の大事な仕事です。
地元の役所、関係団体として牧草地を管理する組合、牧畜を管理する組合などの許可をいただいて、いざ本番の前日、あいさつのために地元の役所を訪れました。
「明日は、この様な手順でテレビの撮影を行います」と内容の説明をこの場で関係者にした訳です。
皆さんの了解を戴く目的でした。
ところが、牧畜を管理する組合の責任者が
「許可出来ない」
と、突然待ったをかけたのです。
その理由は、我々の撮影内容にありました。

第一問の正解は○× と書かれた大きなサークルに、上空からハングライダーが下りて来るという演出でした。
そんな事をしたら、馬や牛が驚くだろうからハングライダーは認められないとのご説でした。
確かに理屈は解ります。
それでも、我々は阿蘇の青空にハングライダーが現れ、正解のサークルに着陸する、このスケール感を出したいので安全性を懸命に説明しました。

ハングライダー

かし、反対のおじさんは頑として、耳を貸そうとしません。
私は、ウルトラクイズの馬鹿馬鹿しい失敗談などを語りながら、何とか心を開いて頂こうと努力をしました。
同席した他の方々が笑顔で私の話を聞いていると、反対したおじさんが怖い顔で、一括するようにに睨み付けます。
すると一同は下を向いて黙ってしまいます。
まるで、コントのような場面でした。

多分、このおじさんは地元では頑固な煩い存在だったのでしょうね。
一度言い出したら後に引かないタイプなのでしょう。
我々は説得をあきらめて、次のアイディアを明日までに考えなければなりません。

力してくれている地元のテレビ局で対策会議を開きました。
明日の本番を控えて、地元のアルバイトさんも会議に出席して、ハングライダー中止の経緯を説明しました。

すると、アルバイトの若い女性が手を挙げて
「大丈夫です。私に任せてください」
ときっぱり言うのです。
彼女の説明によれば、その頑固なおじさんは知り合いで、
「私が説得します」との事でした。
大の大人が必死で説得出来なかった事を、若いアルバイトさんがどうするつもりか、疑問だらけの話です。
でも、藁にもすがりたい私は、一升瓶のお酒を2本買って、彼女と共におじさんの事務所を訪ねました。

すると、何という事でしょう。
先ほどの頑固な怖い顔は別人のように笑顔に変わり、我々を歓迎してくれたのです。
「おめえが、出てきたんじゃ仕方がない」とアルバイトさんに言うのです。
つまり、お二人はご近所で普段から仲良しだったらしいのです。

お蔭様で、予定通り、ハングライダーが正解のサークルに降りるという演出は実行できました。
このシーンの功労者は若いアルバイトさんです。
勿論、馬や牛が驚いて暴れる様な事もなく、無事に収録をする事ができました。
何気なくご覧になっているテレビも、準備段階では、いろいろ苦労があるという一端をご紹介しました。
交渉は、人間関係が一番 これが結論です。

困った挑戦者

メリカ横断ウルトラクイズのは17回放送されています。
そうなると、当然挑戦者の数も相当な人数になります。
それだけの人が集まれば、色々な人がいて当然です。

ルトラクイズの歴史上、ロケ中に困った挑戦者が何人かいました。
何が困るかと言えば、この人達は挑戦者に課せられたお決まりのルールを破るのです。
前にブログでも書きましたが、我々は一緒に旅をしていても、或る距離を保っていました。
スタッフと挑戦者が必要以上に仲良くなっては、厳密な進行が守れなくなる危険性があるからです。
仲の良い誰かに問題が漏れているのではないか、挑戦者にそのような疑いが起きてしまっては番組は成立しません。
また、次は何処へ進むのか、クイズ地のルートも知らされていません。
これも番組の演出上の秘密で、挑戦者には明かされていませんでした。
クイズ形式にしても、当日クイズ会場で初めて知らせる方法を取っていました。

かし、その挑戦者は、スタッフのホテルに現れるのです。
また、若いスタッフに話しかけたり、何とか情報を引き出そうと行動しているのです。
挑戦者は誰でも先の情報を知りたがります。
これは無理のない心理でしょう。
興味があるのは理解しますが、その様な行為は禁止していたのです。
本来ならば、そのような行動を繰り返す挑戦者は失格にするべきでしょう。
でも、これまで勝ち残っていた挑戦者が突然画面から消えれば、番組としては説明をしなくてはいけません。
この説明をしてしまうと、帰国後、本人への影響は計り知れないことが想像できます。

果、スタッフから厳重注意はしますが、失格にすることはありませんでした。
会議中に若いスタッフを廊下に配置し、見張りをさせることで乗り切りましたが、なかなか苦労をさせられた思い出があります。

今だから話せる裏話でした。

 

hamburgla