アメリカ横断ウルトラクイズのロケの思い出を書いてきました。
毎年、凡そ1ヶ月の日程で各地を移動しながら撮影を続けたわけですから、何度も書きましたが、スケジュールは殺人的に厳しいものでした。
毎年出発の前に、日本テレビの大会議室で最終会議が行われていました。
これはロケ隊の結成式を兼ねたもので、初めて参加するスタッフが全員に紹介されるなど、恒例の行事になっていました。
そして、この時に全コースの行程が細かく記入されたスケジュール表が、全スタッフに配られるのです。
このスケジュール表には、今思い出しても気が滅入るような細かい日程がびっしりと書き込まれています。
起床がAM6:00等というのは平均で、AM4:30等というのが時々有って、その前の晩は00:00会議終了、という事が書かれていたりします。
多分、労働基準監督署が見たら仰天するようなスケジュールでした。
今は知りませんが、当時のテレビの制作現場ではこのくらい働くのが常識で、これをお役所が決めたように、労働時間を規制したら、どの局でも番組などは出来なくなってしまうという現実がありました。
テレビ業界では、AD(アシスタント・ディレクター)が直ぐに辞めてしまうという事が問題視された時が有りましたが、このスケジュールを見ると無理もない話かもしれません。
それは兎も角、このようなハードなスケジュールで移動しながらも、時には休日も含まれていたのです。
そんな時、スタッフは何をしていたのか記憶を手繰ってみると、思い出す事が幾つかあります。
大体、休日があるのはアメリカの都市であったように思います。
多くのロケの行われた田舎ですと、周囲には何もないので個人で動く事が不可能だからです。
だから、休日を取るのは周囲にスーパーや映画館、ショッピングセンターなどがある中、小都市が選ばれました。
ここで、スタッフの行動は幾つかに分類されます。
誰もが必ずやるのが、たまった衣類の洗濯です。
これで10日分くらいの汚れ物を一気に片付けなければなりません。
良いものを安く買える、例えばアウトレットなどを発見すると、その情報はアッという間に流れるので、同じお店にみんなが駆けつけるような状況になります。
或る時等は、お揃いの革ジャンを何人もが買ったため、ロケ隊のお揃いのユニホーム状態になった事もありました。
また、ゴルフに熱中するメンバーも多かったです。
何を隠そう、私もその1人でしたが、それはロケハンの時にコースを下見するのも、我々ロケハン隊に与えられた任務でした。
ですから、もしコースが悪かったりすると、自分の腕が悪いのを棚に上げて、
「こんなコースを選んだのは誰だ?」
と責任を追及する厳しい言葉が襲って来たりしたのです。
業界内では、緊張の連続のようなハード・スケジュールのウルトラクイズのロケでしたが、途中でゴルフを楽しんでいたなんて、各パートの当時の同僚が知ったら、多分怒り出すようなお話でした。
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>九州のベンさん
コメント有難うございました。
我々の仕事では、眠る時間がないというのは、嬉しい悲鳴で、同業者が聞いたら、自慢のように聞こえてしまいます。それだけ仕事があるというお話ですから。
でも、やっぱりあの時代は疲れました。
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>月舟さん
コメント有難うございなす。
私は普段から良く働き、よく遊びをモットーに生きてきましたので、ウルトラの過酷な時代が1番遊んでいた気がします。現在は遊びも少なくなり、つまらない日々を送っています。
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過酷なスケジュールですね。第13回に放送された舞台裏では
会議終了後も各担当ごとの打ち合わせなどがあるから
0時に会議が終わった後に4時半起床だと、寝る時間など
殆どないのではと思ってしまうのですが。実際、福留さんの
著書「ウルトラクイズ伝説」にもそれを窺わせるようなくだりが
あります。私だとこういうスケジュールの後の休日は寝て
すごしてそうです(苦笑)。
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肉体的にも精神的にも過酷なスケジュールですから、休暇にしっかり気分転換していかないともたないのでしょうね。
こういう時に遊びが上手な人が羨ましいです。私なんて何しようかと時間だけ過ぎてしまいそうです(笑)