アメリカ横断ウルトラ・クイズのキャッチ・コピーは知力、体力、時の運でした。
よくよく調べてみたら、これにもう1つ加えた方が良い言葉がありました。
それは家族の協力、と言う言葉でしょうね。
家族を残して、1ヶ月も旅をするわけですから、家族の協力は当然必要です。
しかし、もっと直接家族の協力が無いと、先へ進めないクイズ形式があったのです。
それは番組がスタートして2年目のシカゴでの形式でした。
その時代には某公共放送のテレビ番組で「連想ゲーム」という人気番組がありました。
チーム対抗で、ヒントの言葉を言うと、そこから連想して、何らかの単語を答えるというゲームです。
例えばヒント。お父さんが好きなサラサラ食べる物。
答・お茶づけ。
ピンポーン! といった調子です。
つまり、チーム内のコミュニケーションが勝負の鍵を握っているゲームです。
第2回のシカゴでは、国際電話連想クイズというのをやりました。
ルールはシカゴと日本12,000Kmを国際電話で結んで、日本のご家族とペアで戦う連想ゲームです。
制限時間は90秒。
と、いっても当時の国際電話は「間」が空いて日本で話しているように、スムーズに話が進行しないというリスクがありました。
出題者はシカゴにいる挑戦者です。
一方、解答するのは日本にいるご家族の誰かですが、いきなり夜の夜中に国際電話が掛かってきて、連想クイズをするから答えてくれ、と言われても何が何だか理解が出来ないと言う状況でした。
このクイズが開始されたのは、シカゴ時間が午前9時53分。
日本では夜中の11時53分でしたから、普通は眠りに付いた丁度その頃です。
いきなり電話で起こされて、連想クイズに答えろ、と言われても、
「何?一体どうしたの?」
と混乱状態になるのは想像出来ます。
これは、ウルトラ・クイズも最初の頃でしたから、ご家族だってあまり理解していなかった時代のことです。
考えて見れば、このようなご家族の協力を頂きながら、番組は進行しました。
この時に出された問題は、
ホットドッグ、ナイアガラ、おなら、秋刀魚、バスタオル、タクシー、バスガイド、金魚、香水、茶碗、温泉、といったような問題でした。
あなたなら、どのような連想のヒントを出すでしょうか?
因みに合格ラインは5つ以上で、最高点は9つでした。
初期の頃は、クイズ形式もこのように、他の人気番組の手法も頂いてたのですね。
ちょっとお恥ずかしい、裏話かも? ですね。
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>まささん
アップダウンクイズは最初から意識していましたから、バルーンを使ったパロディーは、企画書段階から出ていた形式でした。
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連想クイズはヨネスケさんもビックリな企画ですね。
聞いたことがあるクイズ形式といえば‥‥
『バルーン ダウンアップクイズ』
失格するとそのまま飛ばされるのは、
お笑いウルトラクイズに通じるものがある気がします。
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>796さん
夜襲の第1号はご家族だったのは確かです。
それに気が付かず、失礼しました。
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>北川宣浩さん
確かに昭和だから出来た企画も沢山ありました。今の時代ならとても許されない事が多くて、今更ながら冷や汗ものです。
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>昔虎徹今清麿さん
皆さんがそれぞれ番組に思い出を持っていただき、有難い事だと感謝します。
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>月舟さん
この番組は家族揃って参加の気分になれたのが良かったかもしれませんね。
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>マル51さん
私は忘れていましたが、その様な事が何度かありましたね。番組を良く分析して頂き有難うございます。
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このブログは昨年から拝見させていただいておりましたが、初めてコメントを残させていただこうかと思います。
このブログの記事やコメントなどで何度か「夜襲」「奇襲」クイズの話題が取り上げられていましたが、
今振り返れば、この連想クイズに答えさせられた、挑戦者のご家族の方が
もしかしたら、ウルトラクイズにおける夜襲の被害者第一号だったのかもしれないな、と思いました。
これからもウルトラクイズの面白い話を期待しております。
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このクイズをやらせていただきましたw
今だから書きますが、家族は番組には関係ないんです。一般論ですけど。
私の場合は妹が参加して落ちて家にいたので、関係あると言えばあるんですが。
中には家族を(家族に)秘匿しておきたい人もいるでしょうし、今なら事前にもう少しネゴをしておかないと、いろいろ面倒になると思います。まぁ、昭和だからできた企画だと思っています。
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私は「元祖クイズ神」北川宣浩氏らが活躍した第2回は知りませんでしたが、テーマが何でも「家族」だったとも聞きました。この大会だからこそ成り立ったクイズではなかろうか。
あと家族といえば、82年大晦日「史上最大の敗者復活戦」決勝で「NY旅行&翌大会本戦出場権」を賭けた大一番が早押しクイズと見せ掛けて家族総出のジャンケンでしたから。あれでクイズ実力者を北海道の主婦が破って、大きな特典を手に入れました。
ところで11回での連想クイズにて、ここで敗退してしまった方が最初の問題において「自分がかつてやった事」と話していましたが、後年私自身もそれをやってしまいました。
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電話といえば回によってさまざまでしたが決勝戦前、優勝決定後の電話も印象的でした。
家族の方も成田に向かう時はまだ100人もいますし、何といってもジャンケンですから、「まぁ、すぐ帰ってくるだろ」なんて期待してなかったかもしれませんね。
ところが意外や意外、ニューヨークからの電話が! 家族の方は嬉しいより驚いたでしょうね。
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この国際電話での連想Qは、11回のマイアミ・16回のサンタフェの敗者復活戦でも行われてましたね。「親子」より「きょうだい」の方が上手くコミュニケーションがとれて有利だった事を覚えています。